現実に帰ろう
「―これでよかったのかい?」
「……うん、彼女が望んでることだろうから」
「そうなのだね。それが君の選択か」
「俺、もう行くから。……あ」
舞台を終え、アマリアは舞台袖に立っていた。いつもの学園の制服に戻っている。先に着いていたのはフェルスの方だった。誰かと話していたようだが、アマリアに気がつくと表情が曇る。実に気まずそうだ。
「……アマリア様、今まで申し訳なかった。本当にごめん」
頭を下げたあと、フェルスは足早に去っていく。なるべくアマリアの視界に入らないように、といった様子だった。アマリアは声を掛けることもできず、去る背中を見ていることしかできなかった。
「お疲れ様、アマリア君」
「ノア様……」
フェルスに話しかけていたのはノアだったようだ。そして、舞台袖に当たり前のようにいるノア。アマリアはノア様のことだから、と片付けた。尾行などの手段を用いたか、それか元々知っていたのかもしれない。
「君、肝心なことは伝えなかったのだね」
「何がかしら」
「ふふ、とぼけられたね。言わなかったのだね。―救い上げたのは君の方だってこと」
「……」
突然過ぎる内容だった。アマリアは一呼吸置いたあと、返答する。
「それはノア様の憶測にすぎないわね。ふふ、どうかしらね。実は私だったのか、それとも。彼の『人魚姫』か。ご想像にお任せするわ」
「おや、つれないね。……っと、彼の口癖がうつってしまったかな」
「良くないからかいだと思うわ」
「これは失礼。……ボクの心の中だけに留めておくよ。結末に水を差すこともないからね」
ノアは軽口を叩いているが、その瞳は確信を持ったと告げていた。アマリアがどう言おうとだ。とはいえ、ノアも今更そのことを吹聴する気もないだろう。アマリアはそのままにすることにした。
「……客席!」
アマリアはハッとする。舞台袖のカーテンからこっそりと覗き見る。客席はすっかり水が引いていた。観客達も帰るようである。アマリアはほっと胸を撫でおろす。
「安心するといい。客席の方も落ち着いたようだよ。まあ、ずぶ濡れは避けられないだろうけどね」
「そう、それは致し方ないわね。……怖ろしいことだわ。彼らは興味があって来ただけ。それで危ない目に遭うなんて」
「ふふふ、アマリア君ったら」
興味半分の彼らでも、危険な思いをするのはよしとしない。アマリアは溺れた彼らを見ていて辛くなっていたのだ。そんな彼女をノアは笑った。笑ったのだ。
「ノア様?」
「いや、これこそ失礼だったね。君は真剣なのにね。不思議な話だ、―夢の中なのに」
「……それは。ほら、生々しいじゃない。本当、夢の中とは思えなくなるような。現実そのもののような」
「ふうん?」
「そんな、そんな感覚なのよ」
たとえ夢の中だとしても、アマリアにとっては現実に近い感覚だ。
たとえ夢の中だったとしても、誰かが苦しむ姿はできれば避けたい。悪役として振る舞っていても、アマリアの根底にはそれがあった。ノアの反応が薄かろうと、それうを曲げようとはアマリアは思ってはいない。
「うん、そうだね。……真剣、か。君は、いや君達はいつだってそうだ」
ノアは顎に手をあてて、何やら考え込んでいる。時間が迫っていて焦る気持ちはあるものの、そういうノアの表情こそ真剣だ。アマリアは黙って待つ。
「……真剣で、必死だ。今回の公演、君にとっては義理も何もなかっただろうに。フィリーナ嬢やシュルツ氏もそうだ。お呼びでない扱いを受けていた。そんな中でも、君達は随分なことをやってのけた」
「そうなのかしら。お二人の手助けがあったのは確かね。いえ、彼女や彼だけではないわね。衣装や、救助に携わってくださった方々。思うところもあるけれど、観客の方たちもそう。彼らなくしては成立しない。見えない力も」
アマリアは胸に手を添える。見えない存在の助力もあるのだ。武器もそうだが、今回は。
「……きっと、彼ね。私に光を与えてくれたのよ」
深い海の中、アマリアの希望となった光を与えてくれた。心もとない明かりでも、アマリアの支えとなったのだ。ノアも頷く。
「ああ、彼もそうだね。不慣れだっただろうに、それでも彼もまたやってのけた。大したものさ、本当に」
ノアは額に手を当てたあと、軽く笑う。が、それはすぐに取りやめた。ノアはまっすぐにアマリアを見つめる。
「……考えさせられたよ」
「……?」
「それこそ君のように、無謀だろうと飛び込むくらいに。それだけの覚悟がなければ。―僕の望みも手に入らないだろうね」
「……そう、かしらね」
これはノアが時々見せる表情だ。至誠あふれる態度だ。ただ、それを煙に撒くかのような軽く自由な振る舞いもある為、どれが本当の姿かは判別しづらい。アマリアもどう受け取ってよいか迷っていた。
「……っと。そろそろやってくるようだ」
「やってくるって?」
現時点でアマリアにはピンとこなかったが、しばらくして気づく。慌ただしい足音と賑やかな話し声と共にだ。
「えっと、四人?四人なの!?僕に四人も抱えろっていうの!?ひっく、ひっく、王様あ……。生徒達が立場が上なのをいいことにぃ、無理難題押しつけてくるよぉ……」
「ちょ、なんでなんで。前、オレら三人の時さ。普通にウエルカムだったじゃん」
「そうだそうだ。送ってくけど?って、普通に言ってた。レオンが一人分背負ってるから、実質三人!」
まず、無茶ぶりをされて泣いているのは臆病ウサギだろう。そんな彼をレオンとフィリーナが責め立てる。あまりにも覚えがあり過ぎる面子だった。背負っているというのも、アマリアにはすぐ想像がついた。―寝ているエディをレオンがおぶさっているのだろう。
「まあ、四人くらいなら……?一人はおんぶしたままならどうにか……?」
「やあ、キミ達。ウサギ氏を連れてきてくれたんだね」
「ごっ!?」
もう一人いた。さらにノアも追加だ。ノアは優雅に手を振っているが、臆病ウサギからしたら卒倒しそうな状況だった。
「ご、五人なんて!ぼ、僕、倒れちゃうよ!」
「……ああ、そうね。その通りだわ」
ただでさえ体格が小さい着ぐるみなのだ。以前、よく三人も抱えるといったものだ。見栄だったのだろうか。
「私は走ろうかしら」
「いやいやヤバイんだって。時間、まじでない!」
アマリアは本気で走ろうとしたので、レオンがすぐさま止める。彼の言う通り、ウサギの着ぐるみの協力がなければ間に合わない。
「仕方ない。―んしょ、これでよしっ!」
「ぐふっ!」
フィリーナが着ぐるみの背中に覆いかぶさった。彼女はそのまましがみつく形になった。非常に安定している。どういった体幹の持ち主なのか。
「んで、オレとエディ君もおけ!」
「うっ!びちゃってしてるぅ……」
すやすやと眠ったままのエディをおぶり、レオンも着ぐるみに体を寄せた。アマリアはそういえば、と気づく。レオンは客席側にいたので、水浸しの被害に遭っていた。彼はずぶぬれのままであった。彼におぶさっているエディは熟睡していた。気にならないようだ。
「ふむ。なら、ボクはアマリア君を抱えればよいのかな?」
「え!」
「ノア様、今そういうのいいから!がちでやばいんで!」
レオンにつっこまれたノアは残念、と舌を出した。まだ余裕の様子だ。
「ま、参りましょう!よろしくお願い致します!」
「がふっ!」
ノアの手を取ったアマリアは、急いで着ぐるみの胸に飛び込んでいった。
「辛いよぉ、痛いよぉ、重いよぉ、不快だよぉ、苦しいよぉぉ……」
着ぐるみは五人分の重みに耐えながら、帰還準備を始めていた。さっきから可哀そうなほどに悲痛な声をあげている。アマリアも心を痛めていた。
「うう、王様の為、王様の為……。あとでいい子いい子してもらうんだぁ……」
「……」
アマリアの表情は無になる。着ぐるみ本人がそれでよいのならよいではないか。彼女の中で結論づいた。
劇場街の入り口まで到着すると、臆病ウサギは真っ先に逃亡した。お礼を言うタイミングもなくだ。あろうことにも、まだ数名の生徒が居残っていた。さすがに帰るところではある。ぎりぎりまで粘っていた彼らは口々にしている。
―結局、見つかんなかった。ねえ、デマじゃないの?
―これだけ探しても見つからないし。俺、見つけるって宣言しちゃったのに。
―一種の祭りみたいなもんだ。盛り上がったよな。あー、楽しかった。
「……」
アマリアはこう思っていた。―ヨルクの公演は確かに行われていたと。支配者も向かわざるを得なかったのだ。ただ、ほとんどの生徒は見つけられなかったという。すぐにどうこうなるわけではないようだ。
「……ヨルク様」
彼に関する謎は、奇しくもフェルスの公演で解けた部分もある。アマリアは当時のことを思い出す。―時折行商に来ていた、黒いフードの異国の少年のことを。
アマリアは海に流され、漂っていた。劇場街から出て、寝て目覚めて、そして現実かと思ったら違った。まだ、夢の中のようだ。
「……あ」
岩場の上にいるのは七色に輝く髪の乙女。いや、とアマリアはすぐに否定した。アマリアがよく知っている存在だ。プリズムに光るかのように艶やかな髪ではあるが、実際は。―金髪の少女だ。
岩場の上で横たわっているのは、幼さが残るフェルスだ。そんな彼に、一度は触れるのを躊躇するも。金髪の少女は意を決して唇を重ねる。それからは人工呼吸を繰り返し、その甲斐もあって彼の命を取り戻したのだ。
「……」
アマリアはただ見ていた。すぐに動いた姉とは違った。―姉は誰かの為なら真っ先動ける。そんな人だ。アマリアはずっと憧れていた。姉のようになりたかった。姉のように。
「姉上は素晴らしい人よ。ええ、それは変わらずそう思うわ。羨ましいし、これからも嫉妬もしていくのでしょうね。それはそう、でもね」
姉に憧れ、そして妬ましくも思う気持ちは消えることはないだろう。
「私は私なりにやっていくわ」
姉と違い、自分は迷い続けるのだろう。アマリアは自身に苦笑した。それでも、アマリアの気持ちは晴れやかだった。
きっかけは婚約者の事。それでも学園生活を過ごす中で。劇場街で暴れ回る中で。
様々な人と出逢い、そして仲間を得た。
「帰りましょう」
アマリアは足を押し出し、手で水面をかき分ける。穏やかで静かな海だ。流れに乗って泳いでいく。帰る場所は自然とわかっていた。朝日の光を受けて、海が輝いていた。
夜が明ける。
いや、現実も大事ですけどね
逃避も大事ではあると思ってます