一つ星公演 彼は恋焦がれ、人魚は呪う―〇〇と彼女の恋愛譚 ―閉幕
アマリアに助けられ、フェルスは地上に戻っていた。舞台はじきに結末を迎えることになる。二人は岩場の上で語らう。波はすっかり凪いでいた。穏やかな夜の海だ。
「……アマリア様、ありがとう。君はいつだって必死になってくれた。あの時も―」
「その前によいかしら、フェルス様」
フェルスは話を遮られたものの、アマリアが何か確認したがっているので抵抗なく受け入れる。
「確認しておきたいの。あなたは間違っていた。それは認めてくれるかしら」
「……うん、間違っていたんだ。君の顔を、君自身をもっとちゃんと見ていたなら。早く気がついていたんだろうな」
フェルスは気落ちした声をしていた。アマリアに対してのストーカー行為、そして彼女に対する脅迫行為。アマリアが嫌がっていた基準ではあるが、正しくないことはわかってくれたようだ。
「……ええ、そうね。もっと他の方法があったでしょうに。愛を伝えるのに、相手を困らせてどうするというの。手紙もどうしてああなってしまったの。誠実な内容だったら違っていたと思うわ。最初の頃のように」
「……本当だね。本当にその通りだ」
「物分かりがよいこと」
「アマリア様」
素直に聞き入れていたフェルスは、アマリアと向き直る。もう淀んだ瞳もしていない。彼の迷いも晴れているようだ。
「俺はもう二度と、あんな卑劣なことはしない。君を純粋に想い続ける。決して迷惑なこともしない。だから!……君を好きで居続けることを許してほしい」
「フェルス様」
アマリアはフェルスと視線を重ね合わせる。その視線は咎めるものではない。けれども受け入れてくれるものでもない。
「調子が良すぎる話、だよね。……時間かかるけど。なんとしても忘れてみせるよ。誰よりも君の幸せを願っている。それくらいの罰は当然なんだ」
「……ああ、ぼうっとしていたわ。―今のあなたなら、そうね」
「アマリア様……?」
フェルスは戸惑い始める。アマリアの感情がわからないのだ。というより、意図的にアマリアが隠しているようにもみえる。相手をちゃんと見るようにといった矢先の話である。
「だって、相当な想いでしょう?元から好意をもっていたでしょうけど、決定打となったのが、あの海難事故の日。あなたを救い上げて、人工呼吸をした相手」
「そうだよ。いや、もっと前からだけど……」
「そう。もっと前からでもあったのね。失礼したわ。……あなたが最も美しいと思った相手、髪が煌めいていたのよね?―輝いて揺らめいていた、長い髪の持ち主でしょう?」
「……まあ、その時はさらに綺麗だと思ったけど。あの、アマリア様?」
「長い髪の『人魚姫』。私を見て、フェルス様。私の髪、長くないでしょう?」
「アマリア様、まさか……」
フェルスの冷や汗が止まらない。対するアマリアは微笑み続けている。
「あの頃にはもう、この短さなの。……あなたに口づけたのは私ではないのよ」
「!」
フェルスは思わず自分の唇に触れていた。彼の震えは止まらない。
「あなたが恋した『人魚姫』、私ではなかったのよ。あなたの過去を見て、より強く自信を持てたわ。美しさに魅了された相手。私ではないのよ」
「い、いや、俺は!」
フェルスが反論しようとする。それでもアマリアは主張を変えない。
「私じゃないわ。あなたは勘違いで私にあのような行為を働いたのよ。まあ、当人に危害が及ぶ前で良かったというけれど。……本当に危ないところだったわ」
フェルスが恋した相手、それは姉だろう。交流を重ねてきたのも、態度が初々しかったのも、姉相手にだ。アマリアはそう思い至った。―誰だって、姉に恋をするだろう。微笑まれたなら、それこそ一瞬で。アマリアに昔から根づく考えだ。誰だってそう。それこそ想われでもしたら一溜まりも―。
「……?」
アマリアの左胸がチクリと痛む。その正体は今はわからない。フェルスとのやりとりに戻る。
「……アマリア様。それこそ、誤解だ。たとえ、キス。いや、人工呼吸で俺を助けてくれたのが、君の姉君だとしても―」
フェルスは追いすがる。彼は必死に訴えようとするが。
「あら?私がいつ、姉だと言ったのかしら」
「え」
「姉とは限らないでしょう?町のご婦人、それこそ長髪の紳士。ああ、私達の父親も髪が長かったわね」
「……アマリア様、どうして」
フェルスはアマリアが不可解で仕方がなかった。アマリアもアマリアで、意地でも口づけの相手を言おうとしない。今のフェルスなら、相手への思いの寄せ方を考えてくれるだろうに。それでも、アマリアは教えようとはしない。
「相手を教えないのは、あなたへの罰だからよ。さあ、誰かしらね?あなたはずっと正体知れずの人魚姫を愛し続けるのよ。報われることもなくね!」
「どうしてだよ、アマリア様……!あの時、あれだけあんなに……!」
あんまりだった。想いが許されたからフェルスは地上に戻ったのに、この仕打ちである。
「名演技だったかしら?私、心底怒っているのよ。私の大切な人達までも巻き込んだじゃない。結局、間違っていたと認めた。そうよ、あなたは間違っていた。はた迷惑だわ。ふふ、自業自得でもあるわね」
「俺は……」
「まあ、言ってもいいのだけれど。あなたも予想はついているでしょうし。でも、言わない。教える義理もないもの」
「!」
アマリアは怒りのまま、口撃をし続ける。フェルスの語気も弱弱しくなっていく。彼も自覚があるのだ。間違った愛の伝え方をしていたこと。
フェルスの目の前にいる黒髪の少女は、自分が人魚姫であるとは思ってすらいない。その考えは彼女の中からすっかり失せてしまったのだ。彼の人魚姫とはなり得ないと、そう告げているかのようだった。
あるのは拒絶、それだけなのか。
「そう、これが君からの罰か……。それなら俺は、俺は君の為に……」
声にもならない声だった。フェルスは青褪めた顔ながらも伝える。
「……俺の、勘違いだった。勘違いで、君、君達に迷惑をかけてしまった。今までごめんなさい。……申し訳ないことを、してしまった」
フェルスは頭を下げた。アマリアはため息をつくと、彼の体を起こす。アマリアは彼に笑顔をしてみせた。厭味ったらしいまでの笑顔だった。
「わかってくれればいいのよ。あなたも次は間違えなければいいの。……ふふふ、あははははっ!ああ、すっきりしたわ!!」
優しく語りかけたのはそこだけで、あとは高笑いが響き渡っていた。
「俺は、俺は……」
対照的なのは暗い表情のフェルスだ。彼は苦しそうに胸を抑えつけていた。今にも吐きそうな顔をしている。
「……いい気味だわ」
アマリアとて同じく、いやそれ以上に苦しい思いをしてきた。被害者面をされては困る。
「……そうよ、当然の報いだわ」
「俺は彼女への想いすらも……」
フェルスは過ちを繰り返すことはないだろう。絶望に染まった顔のまま、日常に戻っていくのだろう。彼の思いは彷徨い続けたままだ。そのままで。
「そうよ、あなたが相手を想うことすら許し難い―」
アマリアはある人々を思い浮かべる。相手に迷惑をかけないようにと、想いを秘めた人達である。勝手な振る舞いをしたフェルスとは一緒にしたくない。したくないが、とアマリアは思い悩んだ。それでも、とアマリアはフェルスに伝えることにした。
「……最後よ。あなたに呪いをかけてあげる」
「え―」
秘密話をするかのように、アマリアは顔を近づける。伝えるのは呪いの言葉たち。
「……あなた、相手が誰かはわかっているのよね。ふふ、いいわ。ならばずっと、強く思い続ければいい。可哀そうに。不毛の恋よ。だって、彼女には約束された相手がいる」
「……」
「それでも思いが消えないままなら。改めたあなたなら。―私はその思いを認めるわ」
「!」
―内容をかき消すかのように、ブザー音が鳴る。舞台の幕は今、下ろされた。
これは恋物語である。栄えある貴族の子息フェルスが、田舎町の少女に恋をした。ひと夏の逢瀬からフェルスの初恋は始まった。きっかけは海での出来事。可憐な少女は彼にとっての『人魚姫』となった。心の交流を交わしていくうちに、距離を縮めていく。だが、少女は別の相手に思いを寄せていた。フェルス自身も学園の入学が迫っていた。焦る彼。離島帰りに水難事故に遭ってしまうフェルス。彼を救い上げ、口づけで彼を救ってくれた少女。フェルスは高揚する。これは運命だと。さらに彼の思い込みは加速する。目の前に現れた編入生は、田舎町で出逢った黒髪の少女だったのだ。この少女こそ、自分を助けだして唇を合わせた相手であると。フェルスは積極的に求愛することになる。それが誤ったやり方だったとしても、彼の暴走は止まらない。
フェルスの恋はままならなかった。黒髪の少女はつれない。自分を救ってくれたプリズムの髪の乙女にしては、よそよそしすぎる。過去を振り返ったあとにフェルスの前に現れたのは、髪が煌めく乙女だった。花嫁姿で現れた。自分を否定することもない。受け入れてくれる。黒髪の乙女が帰ろうと招いてくれるも、フェルスにとってそこは苦痛でしかなかった。フェルスは一途な花嫁姿の少女と添い遂げようとする。この少女さえいればよいと。偽物に夢中になっていた彼は見失っていたのだ。
黒髪の少女は必死に訴える。ここにはフェルスの望むものが手に入らないと。フェルスが本当に求めているのは、現実にこそあるのだと。フェルスの迷いを断ち切ってくれた黒髪の少女に体を任せ、フェルスは地上へと戻っていく。
ここまで必死になってくれた。この黒髪の少女こそが本当の人魚姫。そう思うフェルスに、少女はあることを伝える。救い上げて口づけたのは自分ではない。別の人物であると。自分相手は勘違いだったと少女は告げる。その少女の口ぶりでフェルスは気がついてしまう。人魚姫、それは彼女の姉だったということを。
悔い改めたフェルス相手にも、黒髪の少女は罵声を浴びせる。彼女はとばっちりだったのだから。復讐したい気持ちもあったのだろう。これが彼の恋の顛末か。そこで閉ざされたかのように思えた。
黒髪の少女はある言葉達を残す。それを聞いたフェルスは何を思ったのか。それはただ、彼の瞳に光が宿ったかのように見えた。まじないの言葉だったのか―。
―一つ星公演。『彼は恋焦がれ、人魚は呪う―フェルスと彼女の恋愛譚』閉幕。