白鳥の乙女が語ること
温室内の明かりは揺らめく蝋燭だけだった。妙な寒気がするも、クロエに手をひかれるまま、中央へと。
この暗闇の中で、乙女達が集っていた。各々の色とりどりな仮面をつけ、談笑していた。よくこのような場所で笑っていられるものだ。クロエが挨拶したので、アマリアもそれに続く。
「お久しぶりですね、翠妖精の方」
「うん、お久しぶり。恋しくなってきちゃった」
アマリアは驚愕する。この怪しげな会と縁があったのはまだ想像がつく。だが、普段の彼女そのものの振る舞いに心配になってしまった。正体を隠す為に、仮面をつけているのではないか。なのに隠す気がこれっぽっちも感じられない。
「あー、いいのいいの。これ、雰囲気作りみたいなものだから」
「……相変わらずでいらっしゃるのね、翠妖精は。さあ、おかけになって」
アマリアとクロエは用意された椅子に座る。昼間みたガーデンテーブルにはお茶菓子が並べられていた。花も添えられ、お茶会を彩る。彩っているのだが。
「……なんと」
これは誰の趣味だろう。お茶菓子と視認したが、それはあくまで香りからだった。人の目玉を模したものなどがあるが、どうやら食用のようだ。へどろのような物がティーカップに注がれているが、多分紅茶なのだろう。添えられた花もきっと、ただの花なのだろう。それこそ人を襲わないような―。
「ひっ!」
アマリアが近づいた途端、花は勢いよく開いた。牙のようなものがちらりと見えたが、それは気のせいだ。気のせいだとアマリアは思い込む。
「……弱い心を見せると、獲物と判断されます。お気をつけなさい」
「はい、ご忠告ありがとうございます。……んん?」
ばくばくする心臓を押さえながらも、アマリアはその人物に礼を言った。そして。―二度見した。アマリアの右隣にいるのは、黒い蝶の形の仮面をつけた少女だ。そして。
「―先代からお話は伺っております。こうして集える事、嬉しく思いますわ」
「ふーん。やっぱりあなたが今の会の中心か」
「いいえ、わたくしなどまだまだです」
クロエと探り合いのような会話をしているのは、白鳥を彷彿させるような仮面をつけている少女だ。こちらもほぼ確信できた。
白鳥の仮面は、侯爵家のご令嬢、フィリーナだ。そして忠告してくれた黒い蝶の仮面の少女は、フィリーナに付き従っているロベリア。白鳥がフィリーナ。黒蝶がロベリア。フィリーナが白鳥の。アマリアの頭が誤作動を起こしそうだ。どうせ発言する事もそうそうないだろう。心の中ではそれぞれの本名で呼ぶ事にした。クロエもそうだ。クロエはクロエだ。
「ふーん、生徒会長の権限が強くなってきている、と」
クロエはすっかりなじんでいた。ここぞとばかり色々と聞いているようだ。
「ええ。ただでさえ息苦しいのに。男女交際もより取り締まるそうですよ」
「困りましたわね。乙女達の心の拠り所ですのに。……ひとまず、注意を呼びかけますわ。節度を保つようにとも、ね?」
「ええ、わかりますわ。恋は乙女にとって必需ではありますが、限度というものがありますもの。わたくしたちは清き乙女ですから。汚れのない身で嫁ぐのですもの」
「まったくもってその通りです!心と心のふれあいで十分ではありませんか。―そうそう、皆様ご存知で?今度文化講師として、ベンジャミン博士が来られそうです!」
「まあ。貴重な機会ですわね。早い内に告知でもしておきましょうか」
失礼承知でアマリアは思った。思ったよりまともな話をしていた。まともなのもそうだが、建設的な話し合いでもあった。アマリアは感服した。
「ああ、そういえば。今度は月末らしいわよ。生徒会の荷物検査」
「いつも抜き打ちですものね。困った方だこと。―わたくし達を出し抜いたつもりかしら」
「そうそう。四年生のお話になるのですが、そこの担当教諭の方。気を付けたほうが良さそうですわ。乙女達に対して不埒な行いをしていると」
「まあ、許せませんわ!わたくしの方でまず証拠を集めますわね」
「!」
翠妖精、もといクロエが目配せをしてきた。確かにすごい情報網だった。この学園において、情報に長けているのは彼女達なのだろう。
「―ときに、そちらの貴女。黒雹の方よ。何かお知りになりたいのしょう?」
「……わたくしでしょうか」
アマリアにそう問いかけたのは、フィリーナだった。傍らのロベリアも興味深そうにしている。他の乙女達もだ。さて、どうでるべきか。
「どうかなさったの、黒雹の方?焦らさないでくださいますか?ふふ、意地悪なお方」
返答を急かしてきたのは、フィリーナだ。いけない、とアマリアは詫びる。
「いえ、失礼致しました。その、おかしな問いになってしまうとは思いますが」
「ご心配なさらないでください、黒雹の方?―お探しなのは、婚約者の方でよろしいかしら?伯爵家のご嫡男、だったかしら。お名前は―」
「え」
アマリアは目を見開いた。アマリアの事情もそうだが、彼のファーストネームはなかったものの、伯爵家の名は当ててきた。信じられないといった顔をするアマリアに対し、フィリーナはどこか自信に満ちた声で語る。
「わたくしは。……いえ、わたくし達には乙女の声が届くのです。そう、悩める乙女の声なら―」
指先を宙に掲げると、黒い小鳥が指にとまった。
「……?」
見覚えがある小鳥だった。どこかで見かけたはずだ。だが、思い出そうとする前に、飛び立っていってしまった。そもそもどこからやってきたのだろうか。今は彼の事だ。ようやく彼に辿り着けたのだろうか。
「ご存知?」
「いえ……?そちらの侯爵家の方、学園におられましたかしら?」
乙女達は記憶にないようだ。だが、フィリーナは違った。
「……近頃夢を見るのです。わたくしは『旧劇場』に気がつけば立っている」
「旧劇場……?」
アマリアはどきりとする。
「そちらの伯爵家、わたくしの家も交流がございます。お顔だけでしたら、かすかですが記憶にございます。確かに、あの方をお見掛けしたかと」
「本当にございますか……?」
荒げそうになる声を、アマリアは必死に抑える。―旧劇場。そこに彼がいる可能性がある。アマリアは期待に満ちた表情となった。殊更明るい声で尋ねる。
「なんと、素晴らしい情報なのでしょう。深く感謝申し上げます。―して、旧劇場でございますね!地図によりますと、このへんに―」
「……」
アマリアの明るさが浮くくらい、場は静まり返っていた。アマリアは戸惑ってしまう。何かおかしな事を言ってしまったのだろうか、と狼狽える。
「ふふっ」
「もう、いやあね。可愛いお方。真に受けてしまわれて」
一人の少女を皮切りに、次々と笑い声があがる。やけに嫌な笑い方だった。
「―白鳥様も酔狂な事をおっしゃるのね。夢の中で見ただなんて」
「ご温情だとは思いますが、お戯れもそのへんになさらないと」
乙女達はフィリーナの戯言と受け取ったようだ。
「……」
フィリーナは沈黙したままだ。なぜ、否定をしてくれないのか。見かねたのはロベリアだ。彼女は口を挟む。
「……お気を悪くしないでくださいね。そして、白鳥様も間違っておられないのです。そもそもが存在もしない、婚約者の存在。せめて、夢の中ならば会えるのではないか、と願われたのです。それも貴女を思ってのこと」
そして、実在しないであろう婚約者を探す乙女に対する憐みだとも。
「そうでしょう、白鳥様?」
「……ええ、そうですわ。所詮は単なる夢ですわね」
そう淡々と告げたのはフィリーナだ。仮面の下は虚ろな瞳なのではないか、と思えるほどに。
「……」
アマリアは瞳を閉じて、自身の胸元に手をあてる。隠された彼女のヨスガ。彼からもらった婚約指輪の存在を確認する。この際なんだっていい。彼につながるのならばなんだって。
「旧劇場にはお間違いないようですね」
「あなた、何をおっしゃっているの……?」
場はざわついた。乙女の一人も思わずもらさずにいられない。アマリアの正気を疑われているようだ。
「ご心配なく。わたくしはまともでございます。笑われる事であろうと、それが道となるのなら。―わたくしは邁進するのみです」
「そうはおっしゃってもね……」
ざわつきはおさまらない。この猛吹雪の中歩くというのか。旧劇場のある場所は新月寮からそう遠くはない。さらに山を登ることになるので、険しい道のりには違いないが。
「……行かなきゃ、納得がいかないんでしょ。―ならせめて、明日にしない?」
そう言ったのはクロエだった。それに乗じるかのように乙女達も言う。
「そうよ、このような吹雪の中ですもの。行かせられませんわ」
「朝にでも改めてはいかが?」
何が起きるかはわからない。乙女達は心配の意味も込めて、反対をしていた。そのお気持ちは有難い。だが。
「―わたくしの夢は、宵の中にあるもの。夜が明けてはきっと意味がないでしょう」
「白鳥様!」
乙女の一人が、唖然とする。何を後押ししているのかと。構わずフィリーナは続ける。
「黒雹の方。貴女がわたくしの話を信じられるのなら、ですけれども」
「それは……。正直、嘘か誠かはわかりかねます。けれども、白鳥様は夢の内容自体は否定されておりません。ですので、信じます」
「……」
「信じたい、と申した方がよいかもしれません」
「……そう」
それきりだった。フィリーナは目もくれず、目玉のお菓子を食していた。
「今宵はお招きいただきまして、ありがとうございました。途中退席となり申し訳ございません。……行って参ります」
深々と頭を下げたあと、アマリアは駆けだしていった。制止の声も振り切る。
「……これで最後であって欲しいな。私もこのへんで。―突然の申し出でしたが、招き入れてくださり、ありがとうございました」
アマリアのやらかしによる監督不行き届きはごめんだ、とクロエも続く。
「……感謝致します。ですが、よろしいのですか?」
「もう、この際仕方ないからね」
アマリア達は温室をあとにした。呆気にとられているのは、残された宵乙女の皆様だ。
「翠妖精様という方は……。な、なんという娘を連れてきたのかしら」
「わたくし達、こんなにも心配しておりますのに」
あまりの聞き分けのなさに、若干乙女達も苛立ってきた。
「―皆様、警備の者を向かわせます。風変りな少女ではございますが、同じ学園の元に集った乙女でもありますから」
「まあ……」
その心配りに手際の良さ。そしてどのような乙女も見捨てないといった姿勢に、他の宵乙女達は感動していた。
「……」
ただフィリーナは入口の方を見つめていた。アマリア達が去ったあとを。
グロテスクなお茶会メニューは、某乙女の完全なる趣味です。