一つ星公演 彼は恋焦がれ、人魚は呪う―〇〇と彼女の恋愛譚⑥
泳ぎ続けて、アマリアは浜に上陸する。
「!」
と同時に、自身の服装が変化したことに驚く。裾の広がった水色のドレスだ。アマリアは謎の干渉に戸惑いつつも、助かったとは思っていた。あの下半身ではほぼ走れなかっただろうと。
「どなたかは存じませんが、感謝致します。さて!」
足を取られやすい砂浜の上とはいえ、アマリアには慣れたもの。颯爽と駆けていく。
「?」
町の方に近づいていくたびに、賑やかな音楽が聞こえてきた。歓声が沸き上がっている。仮にアマリアの故郷として、ここまで騒々しいことがあっただろうか。領民の陽気さで活気づいてはいたが、今のはあまりにも禍々しく異常とも思えた。
「明るすぎて末恐ろしいくらいね」
アマリアは警戒しながらも、町までやってきた。
盛大にまき散らされているのは、花吹雪だ。あちこちに鳴り響くファンファーレは祝福しているかのようだ。民も狂乱しながら踊っていた。
「……!」
見慣れた彼らが異質な存在に見えた。アマリアの背筋が凍る。偽物、舞台上の存在に過ぎない。それでも、近しい姿の異様な姿にアマリアは動揺してしまっていた。
『おめでとうございます!』
『おめでとうございます!』
彼らは連呼している。一身の祝福を受けているのは、とある若い二人だ。白い馬がひく馬車に乗ろうとしていた。それは、この港町の婚礼時に用いられるものだ。領民総出で祝う。その状況が再現されていた。
案の定、一人はフェルスだ。白い婚礼衣装をまとっている。新郎である彼の目は血走っていた。興奮に興奮で、いつ鼻血が出てもおかしくなかっただろう。もう一人は新婦にあたる少女だ。―プリズムに光る髪を持つ少女。
「……こちらも案の定ね。想定内ですとも」
アマリアは特段と驚きはしない。新婦にあたる少女は、純白のドレスに顔はヴェールで覆われている。顔が見えない。それはヴェールだけが原因ではないのだ。―少女の顔自体が、黒いもやで隠されていたのだ。
フェルスの過去回想、終盤の場面がそうだった。彼が溺れた時に地上へと連れ出してくれた少女が当時の姿のままであった。人工呼吸で助けてくれた少女の顔が黒く見えなくなっていたのだ。まるで不都合な真実を隠すかのようであった。
観客側はおそらく正体がわからない。アマリアにはそれが都合が良かった。なので、それはそれでアマリアはよしとしていた。
「とんだ浮気者ね、フェルス様」
やっとのことでフェルスに追いついた。アマリアは逃がすまいと彼の腕を掴む。これで話すことが出来さえすれば、アマリアはそう考えていた。
「……め」
「フェルス様?」
「……姫。人魚姫。人魚姫、人魚姫、人魚姫、人魚姫、俺の、俺の人魚姫!」
アマリアを視界にいれることはなく、フェルスは花嫁姿の少女ばかりを見つめていた。
「あぁ、笑った顔も可愛いぃぃい……」
おそらくフェルス以外、この花嫁の表情はわからないだろう。どうやら極上の笑顔をフェルスに見せたようだ。彼はすっかり骨抜きにされていた。
「……あぁ、ここは楽園だ。ようやく、ようやくだ。こうして、『君』に逢えたんだ。つれなくされることもない!塩対応されることもない!」
フェルスは勢いよく花嫁を抱きしめた。相手の少女も彼の腕の中で身を委ねた。頬を摺り寄せてきた彼女に対し、フェルスは興奮のピークに達する。
「素直だ!ああ、なんて愛らしいんだ!ああ、本物の『人魚姫』がいまここに!」
「……想定内、ですとも」
アマリアは蚊帳の外であった。フェルス達のいちゃつく姿を見ているしかできない。フェルスは遠慮なしに花嫁に触れていた。ここぞとばかりに堪能しているのだろう。
「ああ、『本物』だ!俺を求めて、俺を愛してくれる!俺を疎ましく思うことなんてない!俺を―」
「フェルス様」
フェルスは掴まれた腕、そして相手を見る。短い黒髪の、きつそうな少女だ。ほぼ面識がない相手でも説教をしてきそうな面構えをしている。それだけではない。
不器用そうな少女だ。罪悪感を抱えていながらも、それでもうまく謝ることができなさそうな。
「……本物、の」
フェルスは興奮から一転、素の表情に戻る。
「アマリア様……?」
フェルスは正気に戻ったかのようだった。アマリアの名をゆっくりと呼ぶ。
「ええ、フェルス様。私よ」
ようやく意思の疎通が出来るようになったのか、アマリアも期待を込めて返事する。
「残念、君は追いかけてくれたけど。俺は『本物』を見つけたからね。―君はまがい物だったんだ」
フェルスは冷たい、それでいて試すような口ぶりだった。酷い言われようだろうと、アマリアの心は平静だった。静かに凪ぐ波のようだった。
「あらそう。なら、それはそれでいいわ。私だって関わりたくないもの」
「……あぁ、君は最後までそうなんだね!どうでもいいけどさ!」
フェルスの言葉に、アマリアの眉はぴくりと上がる。
「最後、ですって?」
「ああ、最後だよ。俺はこの人魚姫と添い遂げる。―そして向かうのは楽園だ。俺と彼女だけの二人だけのね」
「……楽園、ね」
アマリアは淡々と返している。それが気に障ったフェルスは次第に声を荒げていく。
「ああ、そうだよ!俺を、俺だけを愛してくれる『彼女』だよ!」
「……ええ、そうみたいね。そちらの『彼女』は愛してくれるでしょうね。あなたにとっても良かったじゃない」
「な、ななななな!」
しれっと言い放ったアマリアに対し、フェルスは怒りを募らせていく。
「あなただけの人魚姫。従順な、思い通りになるお姫様。お望み通りじゃない」
「き、君という子は!……いや、いいよ。俺には一途なこの子さえいれば」
「そうね。他の殿方に心奪われる心配もないものね」
「君は!」
フェルスは激昂した。アマリアの掴んだ腕はいとも簡単に払われ、フェルスに強く肩を掴まれる。
「……」
アマリアはそのまま殴られる覚悟もしていた。それだけ彼の痛いところを突いたと思っていた。彼がしきりに気にしていたのは、―他の誰かに奪われること。醜い嫉妬心、そして、それだけ強く相手を想っているともいえるもの。眩しくも感じられるものだ。
「……だってそうだろ。他の男にうつつを抜かしてる。……俺というものがありながら」
フェルスは絞り出すような声だった。アマリアの肩を掴む力は強いまま、けれども彼は項垂れた。
「……順番が逆ではないかしら。あなたこそが他の男、割って入ってきた存在になるのでは?―あなたは人魚姫の王子ではない。あなたではないのよ」
「!」
アマリアの指摘にフェルスは絶句する。フェルスの左手が上がる。だが、それは殴る為ではなかった。アマリアの頬にそっと触れられ、顔が近づく。
「違う!俺が、俺こそが!君の運命の相手だ」
「私の、なのね」
アマリアは彼が及ぼうとする行為に気づくと、内心は絶望する。好きでもない相手とのキスだ。アマリアからすると、まだ殴られた方がましだ。
「……好きにすればいいじゃない。どうとでもないわ」
それでも今、流れを壊すわけにはいかなかった。まともに会話ができる状況にもっていけた。それでもってフェルスは揺らいでいる。ならば、今は平気な振りをするしかない。
「余裕ぶっているのも……」
「余裕ぶってなどいないわ。ただ、いいのかとは思っている。あなたは『本物』の心は手に入らないままよ。―そう、ずっとね」
逆にアマリアの方から顔を近づけた。そうして笑ってみせる。
「やめろ……」
「あなたはずっと。ずっとよ、彷徨い続けるの。あなたが一番欲しい心。それが手に入らないからよ。……ねえ、フェルス様?」
「やめてくれ!」
まるで呪いをかけられているようだ。そう感じ取ってしまったフェルスは叫ぶ。アマリアから離れた。距離をとったのだ。
「……俺だって本当はわかっていた。俺の初恋の子だ。でも、ずっと思いを寄せていた相手がいるんだ。……その相手は、俺じゃない。―俺は対象にすらなっていなかった」
「フェルス様……」
フェルスの顔が悲しみで歪む。アマリアは手を伸ばそうとする。だが、すぐに止めた。そんな彼の姿を見ても心を痛めたりなどしないのだ。同情などもしない。するいわれがないはずだ。
「フェルス様、よいかしら」
今のフェルスならば、アマリアの言葉も聞いてくれるだろうか。
「私は……」
アマリアは左胸に手をあてる。胸が痛かった。それでも、どうしてもフェルスに伝えたいこと。これを告げない限りは先に進めないことだ。
「アマリア様」
「え?」
フェルスは優しく微笑んでいた。それはアマリアが編入当初に見た笑顔だった。アマリアが不安だった最初の頃も、安心させてくれた表情だった。
「……焦ってたんだ。君にあまりにも相手にされないから。そうだよ、君の心は手に入らないままなんだ。最初は夢の中、次は手紙。それで満足していたつもりだった。でも、それだけじゃ満足できなかった。いや、出来るわけがなかった」
「……」
「―学園にはあの男もいた。他にもそうだ。君は、他の男には心揺らぐことはあっても。……俺には困った顔を見せるだけだ。いつまでたっても君はつれない」
「……そう」
「はは、本当につれないな。……疲れるなぁ」
「そうだとしても。あなたが良くない手段をとった事、それは許されるのかしら」
「ははは、厳しいな。ははは……」
フェルスは力なく笑うと、そのまま倒れ込んだ。咄嗟に近寄ろうとしたアマリアの前に立ちはだかるのは、花嫁の少女だ。相変わらず表情はわからない。だが、くすくすという笑い声は聞こえる。不気味だった。
「―俺は彼女を愛する。それが俺の一番望んでることだよ」
花嫁の胸に抱かれたフェルスは、共に馬車へと乗り込む。走りだした馬車は、街中に溶け込んでいってしまった。アマリアの反応は遅く、見過ごしてしまった。
「……フェルス様」
フェルスはこのまま、舞台上の人魚姫と添い遂げる気だろう。彼だけを愛してくれる美しい姫君。誰に咎められることもなく、愛されることを許される。
そして、彼は現実から消失してしまうのだろう。彼は本当に欲しいものが手に入ることなどない。
「私はしつこいのよ!」
町の中心に向かったのは目についている。フェルスの一家御用達の宿屋だ。その近くには教会があった。そこで二人は式を挙げる気だ。軽く準備運動をしたあと、アマリアは喧噪の中へ―。
回想から現在へと戻ってきてます。