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一つ星公演 彼は恋焦がれ、人魚は呪う―〇〇と彼女の恋愛譚⑤

 フェルス達一行は港町へとやってきた。母達にしてみれば、久々であった。いつもは田舎だの品がないと文句をたれる母も大人しいものだった。卒業したらしたで、フェルスは婚姻だの家業の補佐だので家族との時間が減る。せめて楽しいひと時をと母は思っているのだろう。最初に港町を訪れた時と比べ、落ち着いたものだ。

『今年もようこそおいでくださいました』

 泊まるのはおなじみの高級な宿屋だ。常連である宿屋の主人が出迎えてくれた。離島ツアーへの手筈も整えていると、彼は伝えてくれた。ただ、と宿屋の主人の顔が曇る。

『いえ、天候自体には問題はないかと存じます。ただ、町の子、……子供の言う事ではありますが』

 信じてもらえないだろうと思いつつも、宿屋の主人は説明する。晴れてはいるが、遠くで曇り空が見えると。そして、匂いがするのだと。―海が荒れそうな。

 にわかに信じがたい話だ。母は馬鹿馬鹿しいと一蹴しようとしたが。

『……信じます。本当に危険だと思われたら、中止にしてください。皆さんのご判断にお任せします』

『ああ、フェルス……』

 フェルスはしっかりと相手を見て伝えた。その姿に彼の母親は感銘を受けたのか、それ以上口出しをしてくることはなかった。

 翌朝、空は晴れていた。波も荒れているこもなく、予定通りの出港となった。一家そろって海辺までやってきていた。

『その、いいんですかね?船を出しちまっても』

 船乗りの男が最終確認をする。彼もまた、あまり良い予感がしなかったのだ。

『なんです。……今年を逃せば、あとは数年先になってしまうのです。……ああ、あと数年もお預けなのです!それとも危険と?はっきりなさい!』

『いえ、現状は問題ないのですが……。ただね、やばいと思ったら中断させていただきますんでね?』

『はあ……、頼みますよ』

 フェルスの母親に威圧されながら、船乗りは憂鬱そうに上空を見る。運航に絶対などない。それでも今は波も落ち着いている。結局のところ、船を出すことになった。


 到着した離島にて、彼らはおおいに自然に触れていた。乗り気でなかった母も綺麗な花々をみて機嫌を良くしていたようだ。しかし。

『……』

 一番浮かれているはずのフェルスが暗い表情をしていた。彼は物思いに耽っていたのだ。

『……逢えずじまいだったな』

 フェルスはまだ『彼女』に会えていなかった。昨日のうちに町中や海の方まで足を伸ばしたものの、姿すら見られなかった。いっそ自宅訪問かと思い悩む頃には、すでに日が落ちていた。

『俺と君は―』

 それまでの関係だったのか。その程度の運命だったのか。フェルスが学園に入学してしまったらそれまで。そこで途切れてしまう関係。

『あぁ……』

 フェルスは空を見上げる。空はどんよりと曇り始めてきた。自分の心情を反映しているかのようだ。そんな詩人めいた考えをしている内に船乗り達がやってきた。そろそろ切り上げた方が良いとのことだった。彼らの決定に従うことにし、一家は船に乗り込むことにした。


 一行は船に揺られている。デッキの先に立っていたフェルスは目を細めて眺める。見つめるのは港町だ。先走る彼は自分の気持ちが抑えきれず、前方に立ち続けていたのだ。

『……ぎりぎりだけど、期間はある。そうだ、やっぱりご自宅に』

『フェルス、危ないですよ。こちらにおいでなさい』

『……はい、母上』

 ようやく子爵領の港町が見えてきた。フェルスは母親の呼びかけに応じることにした。それにしても不安になってくる空だ。曇天はさらに色濃くなっていく。

 じきに帰港となるも、曇り空がやがて雷鳴を轟かせていく。―天候は急変した。

『皆様、落ち着いてください!救命ボートをご用意しますので!』

 船体が大きく揺れてた。悲鳴が上がる。

『フェルス!』

 フェルスが耳にしたのは、母親の悲痛な叫び声。

 気がついた時には、フェルスは海に放りだされていた。

 海に体を打ちつけられた彼は溺れてしまっていた。ひとしきり暴れたあと、体の力が抜けていく。そしてそのまま海中に沈んでしまった。


 フェルスはそれからのことはよく覚えていない。まるで夢の中にいるかのようだった。

 長く。長く海の中を漂っていた。フェルスの意識が薄れていく。そのまま海の藻屑になってしまうのだろうと。その時だった。

『……』

 感じたのは人に包まれる感覚だ。自分よりも華奢な、―少女だ。少女に今、フェルスは抱かれていた。少女は相手を安心させるように背中を軽くさすると、そのままフェルスを連れて浮上していく。

『……』

 安心感と共に、フェルスの気持ちは高揚していく。彼はとても満たされていた。

 長いようでいて短い時間だった。陸に戻った彼らだが、フェルスの意識は戻らない。しばしの間があったあと、フェルスの唇に触れたのは柔らかいものだった。

『!』

 唇から息が吹き込まれ、彼の胸元は押される。いわば人工呼吸だった。

『げほっ……!』

 少女の懸命な救助によりフェルスは息を吹き返す。ぼんやりとした視界で映ったのは揺らめく長い髪だった。―プリズムのように煌めく髪にフェルスは鮮明を受ける。フェルスの目にはそのように映ったのだ。

 彼女は今、どのような表情をしているだろうか。それを確認しようとしたところで、フェルスに疲労が襲う。彼はまた、瞳を閉じてしまった。

 

 その後、フェルスは港町の病院にて目を覚ます。ずっと見守っていた家族達は、一斉に胸を撫でおろした。フェルスは安静の為、病院にて一泊することになった。母親も付き添うことにしたようだ。病院側が隣室を用意してくれたので、就寝時になると母親は名残惜しそうになりながらも退室した。

『……』

 フェルスは病室の天井を見上げた。正直、彼は母の事は頭になかった。彼の心を占めるのは。

『あぁ……』

 フェルスは今も幸福に包まれていた。彼が思いを馳せるのは。

『あぁ……。俺の、俺の人魚姫……!』

 自身の体を安心させるように包み込み、救い上げてくれた存在。昔、書物で触れたことあった存在。―人魚のような少女のことだった。

 カッと目を見開いたフェルスは、興奮が冷めやまない。彼の鼓動は高鳴ったままで、自身の胸に手を当てる。胸の次は、自身の唇に触れた。

『柔らかったなぁ……。戸惑っていたのかな、慣れてなかったのかなぁ……。一瞬触れたら、すぐ離れて……。それでも、俺の為に……。あぁ!』

 フェルスは何度も反芻しながら、その夜はいつまでも思いに浸っていた。


 翌朝、フェルスは退院した。目の下に隈ができていたフェルスは、みるからに寝不足だった。それは溺れた恐怖の為と家族は思っていたが、実際は違う。興奮して寝付けなかったからだ。

 高揚した気分のままで子爵邸に乗り込もうとしたフェルスだったが、周りから制止される。押しかけを止めたこともあるが、元々朝になったら早めに帰る予定だったこと。―そして、今回の件で、長く滞在するのはよしとしなくなったことだった。

 一家は気まずかったのだ。

 フェルスは納得がするわけがなかった。それでもと家族は連れていく。


 フェルスを救出した『人魚』の正体は、フェルスの家族もそうだが港町の人間にもわからなかった。人知れず救出した少女の姿は謎に包まれたままだった。


 学園への入学を果たしたフェルスは、閉ざされた環境で日々の生活を過ごしていた。脱走も容易ではない場所だ。フェルスは顔は笑っていても、心は沈んでいた。

 そんな彼の心の支えは、ある思いと願いだ。学園を卒業したら彼女に会いに行くこと。そして思いを伝えること。

 そんな彼を満たしてくれていたのは、夢の中だ。鬱憤が溜まった時に、フェルスがよく見る夢。それは深い海の中の夢だった。彼は泳ぎ彷徨い続ける。視界に映るのは人魚の影だ。彼は追い求め、追いついた時。人魚の影は泡となって消える。

 フェルスを嘲笑っているかのようだった。所詮は幻だったのだと。

『……いや、人魚姫は実在する』

 それの繰り返しが続いても。夢の中のフェルスは諦めることもなく、泳ぎさすらい続ける。

 

 フェルスが五年生となった。短い秋が終わり、山中では雪が積もっていた頃。そこで彼に転機が訪れることになる。。

 異例の編入生の姿を目にした時、フェルスは雷に打たれたような感覚だった。それだけ衝撃の出来事が起きた。

 自分を救い上げて、そして心を奪い続けてもきた。待ち望んだ存在が今、こうしてフェルスの前に姿を現したのだ。

 白い厚手のワンピースにボレロを羽織る、学園の女子制服だ。高めの身長に、大人びた風貌。成長した姿の『彼女』がそこにいた。長かった黒髪はそのままである。

『あぁ……』

 フェルスの中で確信に変わる。―これは最早運命なのだと。


「そう、そういうことだったのね……」

 そう呟いたアマリアは、海に浮かびながら眺めていた。フェルスの姿はとうにいなくなっていた。彼の過去が映し出された頃には消えていたのだ。だからこそ、アマリアも観ていられた。たった今、観終わったところだった。

 今のアマリアの姿、それは。偽ったカツラの姿ではなく、耳あたりで切り揃えられた黒髪。そして、人魚を模した姿。利き手には透き通るような色の三つ又の槍がある。―舞台は、今現在へと引き戻された。

 長い、とても長い話だったと彼女は思った。この舞台にあたるプロローグにあたるものだろうに、それにしては尺を取り過ぎていたのではないかと。

「……いいえ」

 アマリアは首を振って否定した。

「これが、―この舞台の根幹なのね。彼の大元となるもの」

 フェルスと、そして彼が恋焦がれた『人魚姫』の物語。彼をここまで駆り立て、狂わせてしまったもの。アマリアは瞳を閉じて偽物の夜空を仰いだ。

「―思い出したわ。確かに私達、出会っていたわね」

 フェルスの過去物語を通して、引きずられるようにアマリアはその頃のことを思い出した。

 歓迎のジュースを断られた貴族達のこと。それからは事前に確認するようにしたこと。海で溺れた良いとこの子を助けたこと。その彼の無謀さについ怒鳴ってしまったこと。―水難事故が起こってしまい、彼をまた危ない目に遭わせてしまったこと。それから離島ツアーは休止となってしまった。

 するすると思い出していく。あの頃の記憶は不鮮明だったのだ。

「どうしたものかしら……」

 アマリアにとっては不可思議なことだった。そのことすら、フェルスの過去に触れるまで変だと思わなかったのだから。

「……」

 フェルスはかなり印象深い相手のはずだ。なのに、彼のことがすっかりと抜け落ちていたのだ。それは、不自然過ぎるほどだった。フェルスだけではなく、他の関わりがあった人物のことも忘れていたのだ。黒いローブが印象的な、あの少年のことも―。

「いえ、今は舞台に集中しましょう。色々と掴めてきた。……ようやく腑に落ちたのよ」

 アマリアは自身の髪に触れると、一人頷く。一人納得しているアマリアを見て、観客達はざわめく。アマリアは後ろを振り返り、改めて観客側を確認する。―おなじみの彼らはいない。

「……」

 フィリーナ達は今回も舞台に上がれなかったのか。最初から拒否されていたという。

「見守っていてほしいの。―この舞台の結末を。私が思い描くもの」

 アマリアは勢いつけて泳ぐと、突如水中から飛び跳ねた。水しぶきが豪快に客席にかかったことだろう。

「さあ、フェルス様!共に結末を迎えましょうか!」

 向かう先は前方にある浜辺だ。浜辺に上がると港町が見えてくる。アマリアが慣れ親しんだ故郷のはずだ。フェルスはそこにいる可能性が高い。アマリアは優雅に泳ぎつつも、彼を追いかけることにした。


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