一つ星公演 彼は恋焦がれ、人魚は呪う―〇〇と彼女の恋愛譚④
不定期ながらもフェルスは港町を訪れることができた。兄達の協力のおかげだ。そのことにフェルスは深く感謝しつつも、この状況に歯痒い思いをしていた。
令嬢姉妹の姿を街中で見かけることがある。彼女達は成長し、美しさが増していた。兄達の読み通りだった。特に姉の方が目を見張るほどだった。憂いを帯びた表情は、すれ違う人々誰しもが見惚れずにはいられなかった。
―あの方、ついさっき故郷に帰られたものね。お寂しいでしょうね。
―はあ、お似合いの二人なのよね。見た目からしても、教養からしても。
行き交う人達が噂をしている。話によると、姉が思いを寄せる相手がこの町にやってきたようだ。フェルスはニアミスだった。
『……あら?いらしてたのね』
『は、はい!』
『ふふ、ゆっくりなさってね』
姉の方からフェルスに声をかけてくれた。元気がないのは明白ではあったが、それでも笑顔で接してくれている。それから雑談をしたあと、二人は別れた。
フェルスはしばらく町を散策していたが、日暮れの時間となった。本日泊まる宿屋に戻ろうとしていた時だった。
『……はあ』
『!』
買い物袋を抱えながら、重々しい溜息をついているのは黒髪の少女だ。かなりの量だからか、よろついている。見ていて危ない。フェルスは手伝おうとする。
『ほら、無理しない。大丈夫?』
『!』
あの黒いローブの少年は度々目にする。宝石の行商に来ている少年だ。彼もまた顔はわかりづらいものの、同年代の子より背が高く体格もしっかりとしていた。倒れそうになった相手をあっさりと支える。
『怪我なくてよかったけど。……あいつ』
あの黒髪の少女の近くによくいる、あいつ。何かをかぎつけてやってきているのか。フェルスは疑惑の目を向ける。
『……ストーカーの素質がありそうだ。要注意人物に違いない』
そうしてフェルスの中に警戒心が芽生えた。
『……その、ありがとうございました。それでは』
それはフェルスだけではなかった。黒髪の少女も不思議なことに、彼の腕の中で固い顔をしていたのだ。態度によそよそしさもある。
『……?』
それはフェルスから見てもおかしな話だった。初めて会った頃は、近しい仲だったはずだ。喧嘩か何かで疎遠になったというのは違う。まるで、見知らぬ相手のように接しているのだ。
『……うん、気をつけて』
宝石商の少年はそれだけ言った。どこか相手を気遣うような感じでもあった。それが気になったのか、黒髪の少女は一度立ち止まる。それでも思い直し、頭を下げたあと雑踏に戻っていった。
『……君は』
宝石商の少年は去っていく背中を見つめていた。彼は悲嘆に暮れながらも凛として立っていた。フェルスは警戒したままながらも、同情もしていた。相手にされてないではないか、と。
翌日、フェルスはごわついた布団の中で目を覚ます。以前、利用していた高級な宿場ではない。それは最初の二年だけだった。兄達は贅沢をすることなく、高い宿屋を避けていた。
『……』
寝付けなかったこともあって、フェルスは部屋をこっそりと抜け出した。まだ夜明け前だったこともあり、廊下は薄暗いままだ。下のロビーに本棚があった。読書でもして時間を過ごそうとしていた。
『……!』
ロビーまでやってきたフェルスは、大きな声を出しかけるもぎりぎり留まる。受付で花を活けていた少女がいたのだ。決して派手ではなく、それでも和ませてくれる花たちだった。それを満足そうに見つめているのは、黒髪の方の少女だった。
『……』
『……お客様?』
フェルスはずっと見つめていた。その視線に少女は気がついた。そう、気づいたのだ。だが、少女は目を細めて観察している。薄暗いので自分の姿が見えなかったのか、そう考えたフェルスは近づくことにした。これならば自分のことがわかるだろう、と。
『やあ、久しぶりだね』
姉の方はよく覚えてくれていた。上客ですから、と冗談めかしていう。繊細な見た目には反しているものだ。相変わらずの知識欲で、近頃は子供達に勉学を教え始めたという。今は幼児が主であるが、ゆくゆく広く教えていきたいと言っていた。そうした近況を語り合う仲にはなっていた。
妹の方というと。面と向かって話すのは本当に久々だった。いや、説教以来かもしれない。いや、あれは一方的であったか。
『……久しぶり?』
『?』
この目の前の少女は何をしているのか。どうして首をかしげているというのか。
『―ああ、失礼しました。久々に訪れてくださったのですね。いえいえ、大歓迎です。こうしてまた立ち寄ってくださったのですから』
『……』
フェルスは思った。―ああ、彼女は大人っぽくなったと。こうして、落ち着いた笑顔を見せるようになったのだから。どうせ作り笑いだとフェルスは毒づく。
『ああ、長居は良くないですね。こちら、新聞です。興味おありなら是非』
『……』
この少女に忘れられたかのような、あの宝石商の少年。フェルスは確かに同情していた。そして、笑ってもいた。いわゆる嘲笑だ。あの少女に好意を寄せているようだが、軽い存在なのだと。けれど、本当に思い感じていたことは―。
『ありがとう、読ませてもらうね』
『はいっ』
『!』
黒髪の少女の顔が華やぐ。こうした笑顔を見るのはフェルスは初めてだった。フェルスは毒づいていたことを反省する。彼女は本当に笑ってくれていたのだ。
少女の姿はない。少女は礼をして、フェルスの前から去っていたのだが、フェルスは気がついてなかったようだ。
『……なんてことだ、忘れっぽいのかな。それか、記憶喪失か。そうでなければ!―こんな、赤の他人みたいな扱いなんて……』
暗闇の中、フェルスは立ち尽くしていた。
成長したフェルスは声変わりをし、背も伸びた。まだまだ伸び盛りではあるものの、すっかり大人びたというのが周りから評判だった。学園入学まで差し迫っていた。それはすなわち。フェルスが港町に訪れる機会が残りわずかとなっていた。
彼はこれから六年間、北方の学園で暮らすことになる。母の母校ということで、熱心に勧められていたのだ。フェルスは正直乗り気ではなかった。それでも、そこを断ったところで他の名門校を提案されるだろう。いずれも全寮制だった。
『フェルス、今年のバカンスはあの田舎町にいきましょうか。あの獣くさい島にも、今年こそは母も参るつもりです』
それは夕食の時に母が提案してきたことだった。思えば、席が減ったものだ。兄や姉達が独立したり、嫁いだりして家を出ていったのだ。溺愛していたフェルスも入学の為しばらくは帰ってこられない。母は寂しい思いを抱いていたのだ。その思いがあってこそだろう。
『はい、母上。喜んで』
このバカンスが終わったら、フェルスの入学は間近である。これから六年間、あの港町を訪れようがなくなってしまう。彼女に会える機会が減ってしまう。
『……』
フェルスは考えていた。自分は『彼女』にとって軽い存在なのではないかと。そもそもが。―あの姉妹は思いを寄せている相手がいるというのだ。それぞれがという。さすがに相手は違うだろうとフェルスは当然のように思っていた。
『それでも俺は……』
彼女と会えるのは容易ではなくなってしまうだろう。
フェルスのフォークは止まったまま。彼は思い悩んでいた。