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一つ星公演 彼は恋焦がれ、人魚は呪う―〇〇と彼女の恋愛譚②

『―ええ、誠に申し訳ございません』

 ふかふかの寝具に包まれて、一家は快適な夜を過ごした。その翌朝のことである。開口一番に宿屋の支配人に謝られた。話によると、天候が安定しない為、南の離島に立つのは見送らせてほしいとのことだった。滞在が長引くことになるので、一行は当然不満だ。だが、安全を考えてと言われたら黙るしかなかった。

『もう一日だけですよ、フェルス。本日は致し方ありません。せめて、骨を休めるとしましょうか』

 宿屋には体の凝りをほぐす施術者や、豊富な種類の湯が楽しめる入浴施設がある。楽団が奏でるサロンもある。宿屋の滞在だけでも満足していただけるよう、十分に整えられていた。

『よし、俺達は町に繰り出すか。ここにもいい女がいるはずだ』

『こういうとこは肴がうまいだろうからな!酒もうまくなるだろう』

『よし、フェルス!ナンパを教えてやる!』

 口うるさい母親たち女性陣がいなくなると、兄たちは悪い誘いをかけてきた。バカンスに仕事を持ってきた父親は、ほどほどにとだけ釘を刺した。フェルスは乗り気ではない。部屋で書物を読みたいと断ろうとしていた。

『いいか、フェルス。出逢いに年齢は関係ない。この港町、意外と綺麗なご婦人が多いんだぞ。……昨日のジュースの女の子もそうだ』

『え!?』

 フェルスはドギマギとする。

『あか抜けない地味な感じだったが、素材は悪くない。あれは将来、美人になるぞ』

『とはいえ、平民の子だろうしなぁ。まあ、囲っちまえば―』

『おい、お前達』

 言葉が過ぎると父親が窘める。息子たちは反省したポーズは取りつつも、ナンパは決行するようだ。ベッドに座り込んだままフェルスにはまだ早かったか。末っ子を置いていこうとしたが。

『……兄上たち。おれも行くよ』

 母親がいない時、フェルスは本来の口調になる。フェルスは兄達についていくことにした。


 外は曇天だった。今にも雨が降り出そうとしている。これでは確かに船を出す判断はできなかっただろう。フェルスはため息をつく。両親に似て勤勉なフェルスは本当に南の島で学ぶことを楽しみにしていたのだ。

 町に繰り出し、さっそく兄達は女性達に声を掛けていた。見目が良い彼らにナンパされ、彼女達も悪い気はしていないようだ。一部には逃げられはしたものの、手応えはあったようだ。

『……あいつは』

 町の一角で布を広げて商売している少年に、フェルスは覚えがあった。あの黒いローブはそうそう忘れられるものではない。

 布の上に置かれているのは、眩く光る宝石たちだった。宝石そのものから、加工されて装飾品となったものまで売られていた。種類もここの民でもぎりぎり届くものばかりだ。少年の傍らにあるのは、鞄だ。場所によって売る物を変えているのではないかとフェルスは勘繰る。あくまでフェルスの想像に過ぎない。

『いらっしゃいませ』

『ど、どうも!ゆ、ゆ、指輪を買いに来ました!こ、こ、婚約指輪なんだ!』

 黒いローブの少年は来客に気がつく。がちがちに緊張した青年がしゃがみ込む。

『婚約指輪……。良いですね、喜ばれると思いますよ。では、まずご予算から―』

 少年の柔らかい語り口に、客は落ち着きを取り戻したようだ。

『……働いているんだ』

 不審者と決めつけてしまったが、この港町で商売している『宝石商』だった。自分と同じくらいの子供が働いている。フェルスは何だかその場にいたくなく、逃げ出すようにあとにした。

『……』

 いつの間にか、フェルスは兄達とはぐれていたようだ。さぞかし彼らは浮かれに浮かれていたのだろう。フェルスは呆れつつも、一人宿屋に戻ることにした。道は覚えている。治安も思ったよりは悪くはないが、自身が一人でいることを母親は良く思わないだろう。あとは大人しく読書でもしておこう、とフェルスは考えていた。

『―見てませんか!?探しているんです!』

『!』

 帰り道、フェルスは立ち止まる。―彼女の声がした。やけに慌てているようである。町中を探し回ったのか、息が切れ切れだった。

『―様、すまねぇ。うちの愚息が』

 同行している男性が少女に詫びる。少女の名前は聞こえなかった。様づけで呼ばれるほど、身分のある少女だったのか。

『そうおっしゃらないで。幼いながらも、家業に勤しむひたむきな子です。……そうなると』

『あいつ、まさか!』

 血相を変えて少女達は走っていく。方向は海の方だ。雨はぽつりぽつりと、地面を打つ。雨音は次第に増していく。

『……!』

 フェルスは駆けだしていた。彼もまた、海の方へ―。


 荒れ狂う海がそこにあった。豪雨に負けないよう、少女達が声を張り上げていた。誰かの名を呼んでいる。探し人の名だろう。

『!』

 小さな手が水面から姿をのぞかせた。偶然ではあるが、フェルスは目にする。少女達とは多少距離がある。フェルスは息を呑む。

 自分が助けにいった方が早い。彼はそう決断した。

『……よし!』

 軽く準備運動をしたあと、あろうことかフェルスは海へと飛び込んでいった。自身の泳ぎには自信があったのだ。かといって、慣れない荒波には油断したりはしない。

『お、おい!そこの坊主!何してやがる!』

 中年男性が乱暴に叫ぶ。制止の声が続くが、フェルスの耳には届いてない。そして気がついてない。―ある少女が動いたことも。

 フェルスは泳ぎ進めて、ようやく溺れている子供の近くまでやってこられた。近くに浮かんでいるのは漁で使う網だ。不安定な天気の中、漁に出ようとしていたのだろう。

『さあ、安心して。もう大丈―』

『ううっ……』

『ちょっ、落ち着いて!ぐふっ……』

 溺れあがいている子供に巻き込まれるように、フェルスも沈み込んでしまう。助けようとした子供と引き離されてしまった。助けようとフェルスは思う。だが、そのフェルス自身が溺れてしまっていた。泳ぐこともままならない。このままでは共に溺れてしまう―。

『父ちゃんが来たぞ!もう安心だかんな!!』

 溺れて意識を失った息子を抱えながら、中年男性は泳いでいった。

『……』

 あの男の子は大丈夫だろう。自分も泳いで戻ろうとするも、フェルスはうまく泳げなくなっていた。波の勢いが強くなったこともあるのだろう。溺れているも同然だった。

『―力、抜いて』

『きみは……!』

『いいから。大人しくしててください』

 冷静に言い聞かせると同時に、フェルスの体を抱えてきたのは少女だった。フェルスが追ってきた黒髪の少女である。

『あとはわたしに任せて』

 それから少女はフェルスごと泳いでいく。手慣れた様子で荒波を泳いでいった。

『……』

 フェルスは身を委ねながら、瞳を閉じた。


 海から上がると騒ぎになっていた。先に着いていた子供は人工呼吸によって、息を吹き返していた。意識を確認すると、町の病院へと搬送されていった。

『……良かった』

 あの子供は助かったようだ。フェルスはほっと、胸を撫でおろす。

『あなた』

『きみは!』

 隣にはあの少女が立っている。フェルスは色めき立つ。その心掛けは立派だった、勇敢だったと笑いかけてくれると。フェルスは思っていたが。

『……助けに行こうとしてくれたお気持ちは有難いです』

 ほら、とフェルスは内心笑っていた。

『―なんて無茶なことをしてくれたの』

『え……』

 笑ってくれると思っていたのだ。勇ましかったと思ってくれるとも。返ってきた反応はフェルスにとっては予想外だった。隣の少女は今、険しい顔をしていた。

『……あなた、素人なのでしょう?現に溺れるも寸前だったじゃない。近くには頼れる大人だっていたのよ!?わたしだっていた。あなたよりよっぽど海に慣れてる!』

『ち、近くなかったから!おれが助けにいったんじゃないか』

 怒るとかなりの迫力だった。圧倒されたフェルスは、事実だと主張する。

『言い訳……?まともに泳げなかったのに?二人とも一緒に溺れていたじゃない!考えなしに助けにいくから!』

『なっ!』

 今、フェルスは説教をされているのだ。出逢ったばかりの、幼い少女にだ。怒られる。それはフェルスはそう体験することないことだった。

『な、なんなんだきみは!おれが悪いことをしたといのか!?』

 納得がいかないとフェルスは震える。一方的な説教に怒りを覚えていたのだ。

『悪いことというより、危ないことをしたわ』

『!』

 怒り顔の少女の眉が下がる。言い方もどこか優しく諭すようだった。

『きみは……』

『アマリア、そのへんにしておきましょう?』

 人だかりの中から、美しい少女が姿を現した。金色の髪が柔らかく揺れる。手にした傘をアマリアとフェルスに傾ける。自身が濡れることすら厭わない。

『姉上……。その濡れてしまいます』

『私は良いの。あなた達の方がずぶ濡れでしょう?』

 少女の勢いがそがれたようだ。そして、フェルスは驚く。この絶世の美少女は、この地味な少女の姉のようだ。顔立ちも髪の色も違う。ただ、瞳は同じ漆黒の色をしていた。

『ほら、あなたも乾かして。……観光客の方でしょう?送ります、宿泊先を教えてくださる?』

 妹の次に、フェルスにタオルをかけてくれた。ふんわりと優しく微笑む。

『あの、その……』

 美しいと言われた母や姉達以上の美貌である。近づく顔にフェルスは緊張しつつも紅潮してしまう。

『それと、あなた。―とても勇敢だったわ。確かに危なかった、けれども危険を顧みずに行ったことは、すごいこと』

『!』

 それはまさにフェルスが言って欲しかった言葉だった。人助けをしようとしたのに、怒られてなるものか。考えなしなどど、随分な言葉を言ってくれた。ほら見たことか、と黒髪の少女アマリアの方を見る。

『……あ』

 幼きアマリアはちらりとだけフェルスを見る。どこか物悲しそうでいながらも、口にすることはない。傘もないまま、アマリアはとぼとぼと歩いていっていた。

『あの子に、お礼……』

 あの少女は嵐の海の中、助けにきてくれたのだ。まだ言葉を伝えるには間に合う距離だ。アマリアの姉にまずお礼を言って、追いかけようとするも。

『……また、だ』

 アマリアに視線を向けていたのはフェルスくらいだろう。その場にいた誰しもが、観客達もまた、そうなのだろう。あの悪役顔とは似ても似つかない姉の姿に、気を取られていそうだ。劇場の観客達にいたってはそうだろう。

 それでもフェルスは違った。彼は見逃さなかった。騒ぎを聞きつけてやってきたのは宝石商の彼だ。びしょびしょのアマリアを見るやいなや、黒いローブを脱いで彼女に被せた。艶やかな黒髪に、彫刻のような顔が露わになる。幼さは残るものの、完成されたような美しさだった。視界を確保できていない相手を導くように手をとった。

『……』

 フェルスはただ、その様を見ていた。


 騒ぎを知ったフェルスの家族は取り乱していたものの、それを治めてくれたのがアマリアの姉だった。柔和な彼女の対応により、フェルスを送り届けてくれた誠意により、フェルスの母親すらもこれ以上騒ぎ立てることはなかった。


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