一つ星公演 彼は恋焦がれ、人魚は呪う―〇〇と彼女の恋愛譚―開幕
劇場内に入ると、生徒の数は昨日よりも減っていた。とはいえ、昨日の公演は物語として成立していなかった。本来の内容はわからなかったのだ。本日も赴いた生徒達は、それが気になって訪れた。それが大半の理由だろう。
砂浜の上を歩いて、アマリア達は前方の方に座る。地面に直座りだ。
「……変なの」
そう呟いたのはフィリーナだ。地面に直接座ることかと思ったらそうではないようだ。
「あれだけ昨日。アマリアアマリアって連呼していたのに。そのアマリアがいるのに。気にしてない」
「……そうね、本当だわ!」
日頃の悪役令嬢としてのアマリアとして捉えていても。現にそれでちらちらと生徒達からは見られていても。それだけだった。フェルスの公演では肝であろうアマリアに対しては、あっさりとし過ぎていた。
「あれじゃね?観客達からしたら、アマリア先輩じゃないとか。どこかの『お姫様』に見えていた、とか」
「うむむ」
レオンのひらめきにフィリーナは唸る。
「……それも気になるけど。今は」
舞台となる海を見据えながらエディは言う。フィリーナ達はわかった、と会話を切り上げる。
「ええ、気になる事はたくさんあるわね。この公演を乗り切りましょう。そうしたらきっと。見えてくるものもあるはずよ」
―開幕のブザーが鳴る。劇場内の照明は落とされ、真っ暗となる。
「……ああ、今夜もきっと。君は訪れてくれるはずだ」
闇の中から聞こえてくるのは、フェルスの声だ。その声からして恍惚としていることがわかる。
「……お呼ばれしているみたい。行ってくるわね」
アマリアは震える手を意識して強く握り直す。昨日のようにはいかない。既に覚悟が決まっているのだ。
「―ええ、私はここよ!」
アマリアは海をめがけて駆けていく。そして、勢いよく飛び込んでいった。
「……!?」
飛び込んだ先は海だ。アマリアは立ち泳ぎしながら周囲を確認する。フェルスの姿はない。
「こっちだよぉ、アマリア様ー?お目当ての俺はこっちー!」
「……ふう、埒が明かないものね」
海中から声がした。フェルスは海の中にいるようだ。これは、潜ってこいということだろうか。罠だとわかっていても、アマリアは息を止めて海中へと潜り込んでいく。 アマリアは幼い頃から海に慣れ親しんでいる。無理な体勢でもとらされない限りは、溺れることはそうそうない。
アマリアは水中で目を開くも、海の中は真っ暗闇だ。これまで暗闇の中、舞台に立つことはあった。前回の舞台も暗かった。アマリアは今、暗闇の中にいる。呑まれそうになるほどだ。
「……」
支配者が舞台効果を担ってくれていた。あれだけアマリアに憎まれ口を叩いてきても、すぐに追放しようとしても。舞台の上ではちゃんとやることはやっていたのだ。
静かだ。真っ暗だ。灯りも、環境音もない世界。支配者がいない舞台はどういことか。それをアマリアは身をもって知ってしまった。
「……ふふふ、俺の世界にようこそ」
「!」
フェルスの声だけはする。一向に彼は姿を現わさない。
「さすがのアマリア様もさぁ、息続くのかなぁ」
「!?」
その通りだった。アマリアは一旦地上に戻ろうとしていた時だったのだ。
「そう、地上に戻るんだね?……でもさぁ、できるかなぁ?」
「……!」
試すようなフェルスの物言いに腹立ちながら、アマリアは見上げる。ただ、ぞっとした。
「どれだけ、どれだぁけ泳いでも?辿りつけるかなぁ?」
「……」
「アマリア様さぁ。俺、言っただろ?―わからせたいって」
「……」
相手の姿はない。言葉だけで体中を撫でまわされているようだ。アマリアはそう錯覚してしまうほど、まとわりつくような言いようだった。彼の主張はこれだけでは終わらない。
「俺の愛をさ、もっとわかって欲しいのもあるけどね。もっと、もっとだよ!もっと、君も俺を求めて欲しいんだよ!あんな奴らを頼るんじゃなくて!この俺を!……だからさぁ、早く認めなよぁ。―俺が必要だって!だからお願いします、助けてくださいってさぁ!」
「……」
「はは、はははははははははは!!」
アマリアは暗闇の中でまともに視界も確保できず。地上を目指して泳げばよいとしても、その距離感も掴めず。フェルスの笑い声が耳に残るばかりだ。
―それでも諦めないわ。
来た道を辿るように、アマリアは上へ上へと泳ぎ進めていく。
「……っ」
アマリアは着衣水泳は得意ではあるが、制服の長めのスカートが足にまとわりつく。
いつも泳ぐ時は水着か、それか軽装である。アマリアは泳ぎ辛そうにしつつも、地上を泳ぎながら目指していく。
「諦めが悪いなぁ。君の良い所でもあるけど。……ん?」
嘲笑を含めた声で笑うフェルスが、どこかに意識を向けた。彼は何かに気がついたようだ。それは、アマリアもそうだった。
「……?」
アマリアは息苦しくなってきた。だからといって、意識を失うわけにはいかない。そう抗っている時だった。
暗闇に光が差し込む。月明りとはまた違う、小さくて頼りない光だ。道しるべにするにはあまりにも心もとないもの。
「……」
そのような微かな光に、アマリアは目を奪われた。口元は微かに微笑んでいる。
―きっとあなたね。
漠然とした思いだ。根拠もない。それでも『そう』なのだと、アマリアにはわかった。
この灯があるのならば、自分は進める。アマリアは気力を振り絞って泳いでいく。
「……ぷはっ」
アマリアはようやく水中から顔を出す。舞台の上には照明がついていた。不規則に点滅したりで落ち着くものではない。それでも、暗闇を照らすには十分だった。
「……あぁ、おかえり。自力で戻ってきちゃったねぇ」
フェルスは面白くなさそうに岩場に腰掛けていた。彼は予定通りに行かなかったことは不満だった。それでも、まあいいかと開き直る。
「こうして君は来てくれたからね。嬉しいなぁ。……でもさぁ、アマリア様?」
「何かしら?」
「……君、まんざらでもないんだよね?俺に、こうして会いに来てくれた。たくさん俺の愛を知りたくて、こんなにも。……あぁ!顔色を悪くしてまで!」
「……」
ずっと水中にいることもあり、アマリアの血色はよくない。体もとっくに冷え切っている。安全地帯にいるフェルスは、照れくさそうに笑い続けていた。
「……あなたみたいな人」
アマリアは青い唇を噛み締める。フェルスがこのような人物だとはわかっている。
わかった上で、アマリアは舞台に上がったのだ。
「ええ、そうよ。私はあなたのことを知りたくてやってきた」
「あぁ、アマリア様ぁ!」
気分は絶頂のフェルスは自身を強く抱きしめた。
「よいかしら、フェルス様。私も今回は思うところがあり過ぎるの。あなたに対して怒りが沸いてならないのよ」
アマリアを白く暖かい光達が包み込む。アマリアは不思議な感じがした。寒さはいつの間にか消え去っていた。海の中にも揺蕩うような。溶け込むような。馴染む感覚だ。
「私はあなたを知った上で。―懲らしめてあげる」
アマリアの装いは学園の制服ではない。胸部にはいくつもの貝殻が宛がわれ、下半身は魚となっていた。青い鱗で覆われているようにみえ、実際は本物でなく布である。不思議なことに泳ぎやすくなっていた。
「わからせられるのは、あなたの方よ」
壊れた指輪は、白く発光した後に三つ又の槍と姿を変える。馴染みの『彼』の助力によるものだ。
「……」
アマリアの鋭い眼差しにフェルスは息を飲む。そのまま黙り込む。アマリアも様子を見ている。互いに緊張した状態だ。
―なんか、『人魚姫』みたい。
それは観客の一人がもらした言葉だ。
「人魚……」
今のアマリアは人魚同然である。だからこうも泳ぎやすいようだ。人魚の存在、アマリアはは伝聞でしか聞いたことがない。想像するしかない存在が、今のアマリアの姿なのだ。
「……あは、あははは!俺のお姫様は勇ましいなぁ!」
調子を戻したフェルスが高笑いをする。
「……そうさ、俺の『人魚姫』。地上の君も、海中の君も!……あぁ、美しいなぁ」
はあ、とフェルスは深くため息をつく。そして彼は極上の笑顔を見せた。
「ああ、俺は幸せ者だ。こんな美しい君といられるなら。―ここはなんて楽園なんだろう!」
―一つ星公演。『彼は恋焦がれ、人魚は呪う―フェルスと彼女の恋愛譚』。舞台の幕が上がる。
今回、タイトルの名前部分を伏せてみました!