アマリアが抱えてきたこと
「ありがとう。……私には、婚約者がいるの」
婚約者。フィリーナとレオンは思わずエディを見る。エディは何も言わない。その二人の行動はアマリアには謎だったが、話を続ける。
「どうした馴れ初めか。どのような人物か。いえ、人物像は幼少期の頃が断片的に、といった感じね。それでも顔はぼやけているから、今現在の姿は想像つかないわ。ただ、この学園にいるはずなのよ。そうでないと私はここに来ていないわ。私は彼を探しにやってきた。いえ、―確認しにきたの」
これがアマリアがこの学園にやってきた理由だ。改めて口で説明すると、難しいものだとアマリアは思った。
「えっと、アマリア先輩?相手わかってない感じ?……その人、学園の生徒でしょ?それで相手がわからないって、それって」
「ええ、そうよ。―彼は、あの男によって存在を消されたのよ。完膚なきまでにね。辛うじて私が覚えているくらい」
「!」
質問したレオンも、耳にしたフィリーナも鳥肌が立つ。それは自分達が迎えていたかもしれないことだったからだ。
「……婚約者。結婚予定のお相手。アマリア、辛かったよね。ここまで追ってくるような相手だから」
「ちょ、フィー」
レオンはまたしてもエディを横目で見てしまう。さっきから何、とエディは不満そうだ。レオンは、フィリーナもそうだろう。てっきり、アマリアは。―エディと心を通わせていると思っていた。
それなのに、互いに線を越えないようにしている。それはかねてより不思議に感じていた。だが、エディとそのようなことはなく。アマリアには将来が約束された相手がいる。
「これも言っておくわね。ここまで話したのだもの。私にとって『彼』は大切な相手だった。でもそれが、恋なのか。親に決められた名家のご子息だからなのか。何をもってして、大切だったのか。……わからないのよ」
「……こわいね」
フィリーナは呆然とする。支配者が記憶を奪うこと。それは想いすらもだということ。
「ええ、怖いわね。……それでも、ほんの一部でも彼は残ってくれた。それにね」
今は部屋にあるが、アマリアの胸元に飾られているのはネックレス。壊れた婚約指輪が劇場街では共に在り続けてくれるのだ。舞台の上でもそうだ。
「そう、舞台の上では力を貸してくれるの」
「舞台の上。力、ね。あの氷っぽい、短剣やらハサミやら」
「ええ、そうよ」
「えー……。うん、まあ、今はいいや」
何ともいえない顔で、何かが思い当たったレオン。そんなレオンは気にはなるものの、アマリアは話を続ける。
「……そして、公演後に彼に関する記憶が戻ることもあるの。そこで、彼の名前も少しだけ思い出せたのよ。幼い頃の呼び名だったけど。私は彼のことをマーちゃんって。そう呼んでいたの」
「マーちゃん様」
「ええ、フィー。彼の名前を取り戻せているの」
この感情が恋なのか愛なのかは思い出せない。それでも、名前を呼ぶだけで愛おしく思えるのは確かなことだった。
「―舞台に立つのは、きわめて自己的なこと。彼と再会する為。……そして」
それで終わりかと思った。だが、アマリアは何かを言おうとしている。時間だって限られているだろうに、三人はアマリアの言葉を待つ。
「……お待たせ。言うわね」
ようやく、アマリアは続きを話す気になったようだ。
「きっかけは彼のこと。今も目的は彼を取り戻すこと。……でもね、それだけじゃないの。誰かを救いたいって、強く思う。そうして役に立ちたかったの」
正当な理由だった。だからこそ、アマリアはこんなにも口にするのに迷ったのかが謎だった。
「……それは昔から思っていたの。でも私、昔から要領が良くなくて。秀でたものなんてなかったわ。私、歌も大道芸も得意ではない。演技なんてもっての外よ。地味で、何もなかったの。……だから、頑張るしかなかったのよ」
アマリアは続ける。
「フィーもレオ君も、エディも。華があって得意なものがあって。……私にはね、優れた美しい姉がいるの。姉に対してもそう。私は誰かを羨ましがってばかりなのよ。そんな思いに蓋をして誤魔化してきたけれど、結局は羨むばかり。……だから、せめて良い子ではいようとしたの」
アマリアは今、自身の負の面を晒している。聞いていて楽しい話でもないだろうに、それでも三人は耳を傾けてくれていた。
「鬱屈していたのね。それが爆発したのが舞台だった。大変だし、いつも汚れるし。それでも……」
思い返すと散々な思い出ばかりだ。アマリアは笑えてきた。それでも、辛い事ばかりということは、もちろんなく。
「楽しいのよ!悪の華として、堂々と振る舞えて。自分の思うがままにいられて!……皆、私を見てくれるの。姉と比較することなく。―私を」
アマリアの笑いが止まる。ぽつりと言葉をもらす。
「私を、見てくれる」
「……必要としてほしかったのもあるけど。ちゃんと自分を見て欲しかったんだね」
「!」
アマリアの頭を撫でてきたのは、隣のフィリーナだった。
「わたしたちはちゃんと見ているよ」
「フィー……」
アマリアはその心地よさに委ねた。思えば人に甘えるのも慣れていなかったものだ。
「ん、終わった?」
「……?」
レオンはそっけなく言う。アマリアの表情は消え失せる。
「はい、怖い顔なしー。……結局はさ、誰かの役に立ちたいって話?」
「レオ君、あなたは……」
「それでいいじゃん。つか、偽善だろうと良い子ちゃんぶりたいだけだろうと。現に救われている人がいるんだし。それやってきたのは、アマリア先輩じゃん?」
「それは……」
レオンの言葉がすとんと落ちてきた。
「……ええ、そうよ。私はただ、舞台の上ではやりたい放題でいたいの。私が思うがままに、私が望む結末よ。―たとえ相手が誰だろうと、やるわ」
それがアマリアの出した答えだった。
「フェルス様にも、帰りを待ってくれる人がいる。それが出来る可能性が残されているの。……私だって嫌なのよ」
アマリアは手を強く握りしめた。
「彼は間違っているわ。本当に嫌なの、彼自身が何が悪いのかわからないままなのも。私が彼のこと、―何もわからないままなのも」
次第に力を緩めると、アマリアはにこりと笑う。
「決意表明したかったの。私の決心が鈍らないうちにね。……正直、今こうして話すまでは迷っていたから」
そして、集まってくれてありがとうと小さく頭を下げる。
「私は覚悟を決めたの。今夜向かうわ」
あとは劇場街に訪れる時を待つのみだ。
「わたしもだよ」
「オレもかな。このままじゃ気が済まなかったんだよねー」
フィリーナもレオンも思いは同じだ。
「……」
エディは沈黙のままだ。彼の顔は強張っている。
「エディ。……いえ」
緊張した様子ながらも、エディの表情には迷いがない。
来るべき時に備えて、就寝の時間ぎりぎりまで作戦を練る。支配者は開幕そうそうに超展開をかましてくるだろう。それを阻止する段取り、そして舞台の主役の目を掻い潜って乱入する手段。
こうして話し合って、やがては訪れる時。眠りの先にある劇場街へ、今夜も彼らは落ちていく。