消失しつつあるストーカー
アマリアが異変を感じたのは、朝からだった。
寮の朝の風景はいつものものだった。賑やかで楽しそうなものだ。人気の朝食争奪戦が繰り広げられ、それを囃し立てる寮生達の姿。新月寮の中でなら伸び伸びとしていられる。実に楽しげであった。
アマリアに接する態度もそうだ。普通に挨拶をされ、日常会話をする。それだけであった。事情を知っていた先輩達も同様だった。
一連の犯人が発覚したのだ。そのことで何らかの話題があっても良いはずだ。だが、それがないのだ。あえて触れないにしては、それならそれでアマリアに対する態度が少しは神妙になるはずである。ここ最近のストーカー騒動の時はそうだったからだ。
「アマリアさん、どうしたの?」
「クロエ先輩……」
食堂の片隅で思い詰めているアマリアを見て、クロエがやってきた。そして、クロエは相手の肩をぽんぽんとたたく。
「……アマリアさん、もう大丈夫だよ。生徒会も動いてくれるっていうし、相手さえわかればこっちも対策練られるし!」
「……」
「アマリアさん?」
深刻な表情のままのアマリアの顔を覗き込む。アマリアははっとする。
「い、いえ。朝の眠気が中々……。ええ、ようやく落ち着くことができそうです。此度はクロエ先輩方にも大変なご足労をおかけしまして―」
「ああ、いいのいいの。可愛い寮生の為だからね」
クロエは当然のようにストーカー騒動のことを触れてきた。それならば。
「……大丈夫よ」
まだ大丈夫なはずだ。アマリアはそう信じ込む。クロエとてそうではないか。
フェルスはまだ、忘れられていない。開演当初から決行すると支配者は言っていたが、それはさすがに本日の夜が更けてからだろう。
―彼の存在はまだ、消滅していないはずだ。
「アマリア、一緒に行こう。……なんか、おかしな感じ。皆さま、アマリアのことすごく心配していたのに」
「それな。パイセンたちさ、ジョギングとか言ってさっさと行っちゃうし。『アマリア先輩は?』って聞いたらさ、『どうかしたのか?』だって」
フェルスの公演以降、エディと顔を合わすことがなかった。寮の強面の先輩方は自分達のペースでさっさと学園に行っていた。玄関口で待っていたのはフィリーナとレオンだ。それを不思議に思った彼らと共に、アマリアは登校することになった。
学年が違う二人とは階段で別れ、アマリアは自身の教室へと向かう。
「……」
アマリアは廊下を歩く。廊下で雑談をする生徒、すすんで清掃をする生徒、朝の活動帰りの生徒達。いつもの朝の光景だ。おかしなまでに、普通の光景だった。―昨日の騒動などなかったかのようである。
「なあ、覚えてないのかよ!」
「あいつだよ、あいつ!―『フェルス』だよ!貴族のボンボンで!爽やかイケメンって騒いでただろ!?ゆるふわな巻髪も可愛いって!あれ天パだけどな!」
「あれだけ夢中になってたじゃねぇかよ……。なのに、なんでだよ!知らないフリなんてしてんじゃねぇよ……!」
静かな朝の空気の中、喚きたてる生徒達がいた。彼らはフェルスの友人だった。通りすがりの女子生徒達に掴みかかる勢いで話しかけている。
「誰それ?知らないふりってなに」
「急に何?こわいんだけど」
彼女達は本当にわからなさそうだった。相手がおかしいと思ったのだろう、そそくさと去っていく。フェルスの友人達は諦めず、別の生徒達にもくってかかる。
「……これは」
アマリアはいよいよもって現実味が帯びてきたと思っていた。
クロエが覚えていたからと安心していたのかもしれない。ただ、クロエは今回の件に精通していることもあり、それで覚えていたのか。そうした一部の生徒と以外は、フェルスの存在を『忘れている』。これは前触れだ。アマリアなど対象になった人物はそうだった。アマリアは不安になる。不安に。
「……私はどうしたいの。安心したり、不安になったり。……どうして、こうも揺れ動くの」
今になってもアマリアは見いだせなかった。
「アマリア様」
「あなた達……」
思い悩むアマリアは振り向く。背後に立っていたのは、フェルスの取り巻き。の、女子生徒達だった。
自分達以外にフェルスに近づく女子は敵視する。アマリアも入学当初から嫌味を言われ続けてきたこともあり、苦手な存在だった。そんな彼女達が沈みきった声でアマリアを呼んだのだ。
「あのさ、―フェルスのこと見てない?アマリア様のところ行ってたりとか」
「……突然ね、なにかしら」
「だよね。フェルスのこと、覚えてないだろうし。覚えていたく、ないよね……。フェルス、どこいっちゃったのぉ……。フェルスぅ……」
いつもは尊大な少女が肩を小さくさせて泣いていた。フェルスの名を恋しそうに呼んでいるのは、今まで彼とパートナーを組んでいた少女だ。嗚咽をもらしながらも友人達に寄りかかる。
「……ごめん。ほんとに突然だったよね。しかも意味のわからない話。……私達、行くわ」
「うう、フェルスぅ……」
泣きじゃくる少女をなだめつつも、アマリアに頭を下げたあとに彼女達は歩いていく。去る背中はどれも落胆しきっていた。
「あなた達……」
どこを探してもフェルスはいない。そう嘆く少女達。フェルスの存在を問いかけるも、知らないと返される少年達。
「あいつ、罰されられて連れてかれたとか……」
「そんなわけねぇだろ!……言うな、たとえそうだとしても。俺達まで諦めたらあいつは……」
彼らは諦めるだけはしたくなかったようだ。少しでも諦めてしまったら、それこそもう二度とフェルスとは会えない。理屈はわからなくても、彼らはそう思っているのだろう。
アマリアにとっては苦手で好ましくない集団だった。クラスで幅を利かせていた彼らをどうしても良くは思えない。それは今でもそうだ。
「フェルスぅ……」
「ほら、落ち着いて。ね、休んでて?私達の方でも続けておくから」
いけ好かない集団だ。それでも、フェルスを大切に思う気持ちは本物のようだ。
「……」
フェルスを筆頭に嫌な思いをさせられた。アマリアの生い立ちを中心となって広めてきたのだろう。それでも今はとても痛ましい。そんな彼らを見てアマリアはどう思うのか。
「……あんな人達」
報いを受けていると思う。―だがそれとは別の思いもあった。
「……私は」
一緒にしたくないし、されたくもない。―それでも。それはアマリアにも覚えがある感情だった。大切な存在が忘れられてしまうこと。自分も忘れられていくこと。その怖さは十分に思い知っていたのだ。
「……フェルス様、ね。あんな人、本当なら関わりたくもないわ」
「おい!」
目が血走った男子生徒はキレているが、他の男子に取り押さえられている。信じられないといった目でアマリアを見てくる少女。フェルスのパートナーで泣き続けている子だ。
「……覚えていたの、フェルスのこと」
少女は、いや他の友人達も信じられなかった。自分達以外にも親交のあった生徒達は軒並み忘れている。なのに、アマリアは覚えているというのだ。なんなら、一番フェルスのことを忘れたかっただろうに。
「ええ、嫌な事にね。でも、覚えてしまっているもの。……覚えているのよ。だから、何かわかったらあなた達にも教えるわ。こちらでも調べてみる」
「あ、あ、アマリア様ぁぁぁ……」
感極まった少女がアマリアに抱きつこうとしたが、アマリアはやんわりと拒否した。
「……悪かった、キレて」
「いいえ。私もあなた達の心情を慮ってなかったわ」
彼らにとってフェルスは大切な存在だということがわかった。彼らにとって、かけがえのない存在。アマリアにもそのような存在らはいる。
「フェルス様にも失ってほしくないって望む人達はいる。それは誰にだってそうだわ