敗北、そして知る事実
「がはっ!はあはあ……」
次にアマリアが意識を取り戻した時には、舞台袖だった。溺れたのはあくまで舞台の上だ。それでも現実そのものであり、今もアマリアには苦しさが残る。呼吸を整え、ようやく彼女は落ち着いた。
「私は……」
自分は支配者によって、舞台から降ろされた。アマリアは気がつく。
「わからないわ……」
支配者による舞台からの強制追放。いつものアマリアなら悔しさと焦りの気持ちが先行していた。だが、今の自分はどうだ。アマリアは問うても答えが出なかった。
「……」
支配者相手にさえもそうだ。理不尽という怒り、アマリアはそれが沸いてこなかったのだ。認めたくないが、彼に感謝の気持ちすら芽生えてしまった。あの時のフェルスの瞳は情欲まみれであった。それはアマリアの自惚れではない。あのまま舞台が続いていたとすると。アマリアはそれ以上の想像を拒否した。
「アマリア、無事で良かった」
「だね。あと、おつかれー……」
浮かない顔のフィリーナとレオンが舞台袖にやってきた。
「あなた達も無事で何よりよ」
舞台上で会えはしなかったが、こうして再会できたことを互いに安心する。今回はイレギュラー過ぎた。舞台の主役から招かれたこと、フィリーナ達も立ち入りが出来なかったこと。何か不測の事態でも起きていたらとすると、ぞっとする。
「―よっと」
背後から、何者かが降り立つ気配がする。それが誰かは予想がついた。
「アマリアはお優しいね。もっと自分の心配すればいいのに」
のこのことやってきたのは学園の支配者と名乗る少年だ。彼が舞台袖にいるということは、フェルスの公演は終わったのだろうか。
「アマリアの訊きたいことはわかるよ。彼の公演は終わった。……っていうより、公演という形を成してすらないというか」
「それは……」
「あの後、彼は発狂した」
「!」
「もうめちゃくちゃだよ。君という『本物』が目の前からいなくなったからね。―狂人しか舞台にはいなかった」
「狂人……」
「アマリア」
支配者はアマリアの名を呼ぶ。いつもはここまで彼が教えてくれることはない。彼は何か伝えたいことがあるようだ。
「きみは本当に彼を救いたいの?」
「それは……」
「救う、というと語弊があるね。きみが思うがままの結末、だっけ。それでさ、彼の物語に関与したいの?―これ以上、彼と関わりたいの?」
「!」
アマリアは根幹をつかれてしまった。それはアマリアが散々自身に問いかけても、未だに答えが見つからないものだった。はっきりと拒絶できれば、まだアマリアは楽でいられる。それなのに彼女の心の一部が納得いってないのだ。
「それは……」
「それは、ばかりだね。今回ばかりはきみは強く言えない」
「……」
アマリアは強くも何も言い返すことができない。
「きみには分が悪いだろうしね。おっと、あの二人もかな?」
支配者はフィリーナとレオンの方を見る。
「―歌姫と道化はお呼びじゃないってさ。真剣な愛の物語に相応しくないんだって。主役からの退場命令」
「……そんな」
「きみのお仲間だって、何もできなかったってことだよ」
アマリアは愕然とする。支配者以外からも締め出された。そのようなことが起こっていたとは、公演が始まるまでは想像もしていなかった。
「……うぜぇ。どやられてもさ」
「……あなたの言う通り。わたし、何もできなかった。観客席に放り出されて、何もできないままだったの」
何も出来なかった自分達を支配者は遠慮なく晒す。苛立つレオンは反応としてわからないでもない。それでもフィリーナは支配者の言葉を受け止めていた。
「……うん、まあね」
もやもやを抱えたまま、レオンもそれだけ言った。
「歌姫さんは素直なこと。どっかの道化も見習えばいいのに。あ、悪役ぶってる人こそだね」
「やっぱうぜぇわ」
「ふふ、悔しそう。そうだ、お帰りはウサギたちを頼ってどうぞ。徒歩でもいけなくはないけど、そんな気力ないでしょ?」
支配者は言いたいだけ言えたようだ。アマリア達に背中を向けようとする。
「それじゃあね。明日はさ、……わかるでしょ?」
「あなたですから。……明日には全てを終えているのでしょうね」
支配者は今夜の公演で既に決断を下している。明日のフェルスの公演、それはこの支配者によって結末が委ねられる。―その後、フェルスを認識することすら出来なくなるのだ。
「さすがアマリア。わかってるね」
「ちっとも嬉しくないわ。一回の公演でわかるなんて、浅慮だこと」
「好きに言えば?ぼくの中ではすでに決定事項だから。―最初から行わせてもらう。だからきみが舞台に上がることすらない」
「……あなた」
支配者なりに考えたのだろう。本日の公演ですら物語としてなしてなかったのだ。今日観ていただけでも支配者は辟易としていたのだ。
「ええ、嫌でもわかってるわ。それでも、せめて明日決行でなくても……。いえ、明日だとしても。せめて舞台が終わるまでは」
フェルスのことで悩む義理なんてない。それに、一日延びただけでもアマリアは決断を下せる自信はない。今の発言は理にかなってない。アマリアの口から飛び出てしまったものだった。
「まあ、一日待ったとしても?彼の有様を見て、ぼくの答えが変わると思えるの?」
「……でしょうね」
「っと、話が長くなっちゃった。じゃあ、ぼくはそろそろ行くからね」
これ以上は何もないだろうと、支配者は今度こそ姿を消そうとする。
「アマリア先輩。……うん」
アマリアはまだ迷っているのだろう。様子を横目で見ていたレオンは、去ろうとする支配者を呼び止める。ダメで元々だと思いながらであった。
「あのさあのさ!そこのショタ、帰るの待った!まじでさ、明日でケリつけちゃうわけ?」
「……なに?人のこと呼び止めておいて、まだその話?……しかも、人をショタ呼ばわりとか」
「オレ、ずっとショタ呼ばわりしてたけど。今更すぎね?つか、いいの?なんか明日さ、もっとすごい公演やってるかもよ?あの人の公演どころじゃないような!」
「すごい公演って」
支配者は思いっきり呆れていた。さすがにフィリーナも異議を唱える。
「レオン、不謹慎」
「ほら、歌姫さんを見習って」
ブーイングが出てもレオンは気にしていない。はいはい、とまた受け流している。
「ぼくが出向くしかない公演?大注目公演とか?さっきの狂人を超えるような人物とか?例えばだけど。四つ星公演以上、―きみ以上の?」
「こんのショタめ……」
支配者は煽るに煽る。レオンは口元を引きつらせるが、それでも効いてないと主張する。ノーダメだと口にする。
「ふふ、四つ星を上回るくらいなら?そりゃ、そっちを優先するけどさ?そうか、同等じゃないね。『五つ星』クラスとかならさすがに、だけど?」
「……五つ星。わたし、聞いたことない。レオン以外の四つ星公演なら、まだ思いつかなくもないけれど」
「だってさ。じゃあね」
フィリーナに補足され、レオンは下手に返せない。支配者の方はこれ以上相手にしていられないと、完全に姿を消した。残されたのはアマリア達だ。
「あんのショタ、言ってくれる……」
「レオ君」
アマリアの迷う気持ちを汲んでくれたのだろう。いいって、とレンは手を振る。
「わたし、あの子に助力する感じになっちゃったけど。あの子も良くない。わたしたちはわたしたちで痛みを抱えている。あの子、その痛みがわからないのかな」
「ええ、フィー。ええ、そうよ」
アマリアは思いっきり同意した。殊更支配者のことなので、力強くだった。
「……ぐぬぅぅぅぅ」
後方から息が荒い声がする。三人は恐る恐る振り返ると、意外な存在だった。ウサギの着ぐるみだった。一回り小さい彼は、おそらく臆病ウサギだ。いつもは逃げ腰の彼が今、怒りで興奮状態になっていた。
「ふんぬぅぅぅ……。王様のこといつも悪くいってぇぇぇ……。今日という今日は許さない!!」
着ぐるみは幕をギリギリと握りしめながら、恨み言を言っている。
「ふんだ!君達なんて、王様がいないと何も出来ないんだから!」
「なんですって?」
「ひっ!?……いいや、言うね!」
アマリアは普通に聞き返しただけだったが、臆病ウサギは必要以上にビビる。それでもいつもならここで逃げているはずだが、粘っている。彼はどうしても言ってやりたかったことがあったのだ。
「―君達は王様のおかげで舞台に立てているんだ」
「あなた、何をおっしゃっているのです?」
支配者はむしろ舞台に立つのを妨害しているのではないのか。アマリアは納得いかない。
「いいや、逃げないぞ僕!……舞台照明は?」
「え……」
「音響効果は?粋な演出は?勝手に出てくるわけじゃないんだぞ。……王様がやってくれていたんだ!!」
「……なんと」
不思議に思ったことがないわけではない。ただ、劇場の謎の力で発生しているものとアマリアは結論づけていた。支配者によるものだと考えるのを、無意識に抵抗していたのかもしれない。
「王様の温情なんだぞ!君達のような乱入者にも分け隔てなく、不平等にならないようにって!そんな王様の優しさがわかってないくせに!―君達は王様の手の平の上で演じていただけだっっ!」
「!」
着ぐるみは興奮しながら叫んだので、息が切れきっていた。アマリアは突き付けられた事実に打ちのめされていた。温情というもので支配者の手を知らずと借りていたということに。
「ぜえぜえ、以上!あとはお仕事!……送るけど?」
舞台の幕から手を離した着ぐるみは、彼らを送り届ける体勢をとる。三人ごと抱える必要がある。その為の準備行動だ。
「……いえ、お構いなく。私は歩いて帰ります。……そうしたい気分なの」
「わたしも大丈夫。もともと歩いて帰るつもりだったから」
「じゃ、オレもそうしよっと」
着ぐるみの発言に思うところがある。それはそうだが、三人とも歩いて帰りたかったのだ。ゆっくりと帰りながら考えたかったのだろう。
「エディ。きっと彼も待っているから……」
エディとはあのまま離れた状態となっていた。エディも観客席に戻されているはずなので、フィリーナ達と合流していてもおかしくない。エディは舞台袖も含めて来られないようなので、この場にいないのは自然であった。
「エディ君から伝言預かっている。後回しでいいって本人が言ってたし、本当に後の方になっちゃったけど」
レオンは気まずそうにしながらも、エディからの言伝を教える。
「こんな感じ。『先帰ってて。用があって残る』だって」
「そう……」
エディが現実に戻ってきてくれる、アマリアは信じていた。
「帰りましょうか……」
今夜はこれ以上、この劇場に留まることもない。三人は疲労を抱えながらも、海岸沿いを歩いていく。ぽつりぽつりとした会話だけがある。会話は途切れ途切れだった。そのたびに海を眺めるを繰り返す。
「……」
アマリアはそっと胸元に手をあてる。気になったのは『彼』のことだ。いつも力になってくれる彼の存在が感じられなかったのだ。前回の公演の影響でガス欠ということもないだろう。
アマリアの婚約者もやはり、思うところがあるのだろうか。彼の存在を望むこともなく、アマリアの記憶にあるだけでも許せないのだろうか。
静けさの海岸を抜けると、騒々しい街中へと戻ってくる。
じきに夜が明ける。アマリア達は夢から目覚めることとなった。
敗北、というとあれかもしれませんが。
手も足も出せずではありました。