一家の噂を広めた張本人
けだるげな担任による朝礼も終わり、アマリアのクラスも雑談で騒がしくなる。
「アマリア様。その、大変でしたね。……色々と」
心配そうに駆け寄ってくれたのはマレーネだ。
「案じてくれてありがとう。私は全然。本当は私が発端だったのだけれど……」
「ああ……」
マレーネが見たのは、クラスの一角だ。アマリアは迂闊に見ることは出来ない。いつもは騒ぎ立てている生徒達。フェルスとその取り巻きだ。彼らは日常会話をしているようだが、クラス中からの視線が刺すかのようで、大層居心地が悪そうだった。
「って、来月の月初の市だけどさ。俺、今度こそアマリア様と出かけたいんだよ。だからその日、俺いないということで」
「えっと、フェルスはさ……?」
フェルスの隣にいた女子生徒が言いづらそうにしている。フェルスはいつものか、と辟易していた。
「ああ……。アマリア様のこと、誤解するなよ!あれだけ思慮深くて、分け隔てなく接してくれる。まさに聖女じゃないか!」
「いや、今はアマリア様のこととかじゃなくて。いや、アマリア様のことなんだけど。変に話題に出さない方が……。それで、今。妙な注目集めちゃってるじゃない……」
「あー、アマリア様がかな?どうしてかなぁ、ただただ健気でひたむきな子なのに。いつも言いがかりつけられて……。変な男にばかりすり寄って来られて……」
「はあ、ずっとこの調子……」
フェルスの取り巻き達は目と目で会話し、ため息を一つ。今のフェルスとはまともに会話が出来そうになかったからだ。
「……」
居心地がよろしくないのはアマリアもそうだった。フェルスによる謎の賛辞に照れより先に気まずさがやってくるのだ。今朝のヨルクとの対立も気にしていないのがまた、何ともいえない気持ちとさせていた。
「アマリア様の良さは、俺にしかわからないのかなぁ……。やっぱり俺にしか……」
「……そういうとこだろーが」
満更でもなさそうなフェルスに横やりをいれたのは、クラスの男子だった。互いにあまり関わりのない男子生徒である。
「つか、ヨルク様にまで絡むとか正気かよ。うざ絡み、オレたちだけじゃないとか」
「……うん、僕も言ってやる。アマリア様の落とし物を拾っただけで、なんで絡まれなくちゃならないんだ」
「あのね、アマリア様の顔。あんたといる時ひきつってるよ?」
次々と男子生徒、女子生徒までもフェルスに文句を言っていく。
「なっ、なんだ急に!いきなり何を言い出すんだよ!」
「急と思われても仕方ないけどよ。でも、最近特にひどいからさ」
「最近……?ひどい……?」
フェルスは何のことだかわからない。これはクラスの総意と言わんばかりに、男子生徒がフェルスに告げる。
「……思えば、最初からか。アマリア様の故郷話、生い立ちもか。―暴露したのってお前だもんな」
「……なんですって」
アマリアは顔を顰めつつも、胸に手を当てる。今にも彼女は夢を見る。悪夢としてアマリアを苛むのだ。その原因が。―このフェルスだっというのか。
「オレ達も一緒になって広げたからさ。……ずっと謝りたかったんだ」
「うん、私達も面白半分でやっちゃったから……。本当にごめん」
クラスメイト達が口々に謝罪する間、アマリアの中では黒い感情が渦巻いていた。
「あなたが……」
アマリアは意識もせずに席を立つ。クラスメイト、そしてフェルスを見た。
アマリアが学園に来たばかりの頃から、親しげに接してきた。同じ南部出身として、話が盛り上がった。困った時にはいつだって手を差し伸べてくれていた。フェルスは確かに恩人である。フェルスもまた、アマリアにとっては恩人だったのだ。
一方、アマリアの家庭環境を広めたのもフェルスだった。それはやはり悪意があったからだろうか。裏では馬鹿にして笑っていたのだろうか。
「フェルス様……」
アマリアはフェルスに問いたかった。本当に噂の発生源はフェルスなのかと。いや、南部出身で、アマリアに詳しいとなるとやはりフェルスとなってしまう。ならば何を思ってあのように広めたのかと。
「あ、こっち見てくれた。やった!」
「……」
「アマリア様?どうしたんだ?元気ないね?」
「……」
「……ああ、君のご家族の話だって?皆に頑張って伝えたんだ!君は家族思いで、仲良し家族だって。港町では周知の事実だったからね。こっちの領地まではそこまでだったけど」
「……」
「うんうん。アマリア様は不遇な環境でやってきたんだ。貞操観念の低い父親からして大変だっただろ?贅沢もできなくて。家のことばかりやらされて。美しい姉君と比較されてきて」
「……」
「それでも誰を恨むこともなく―」
「……もういいわ。やめてちょうだい」
アマリアはうんざりだと言い捨てる。
「ああ、そうだわ。謝ってくれるお気持ち、それは受け取るわ。……でも。噂を広めたあなた達もいかがかと思っているから」
「そ、それはそうだけど……」
フェルスの話だけではとどまらず、学園中に広がってしまった。当時の彼らに関しては興味半分、面白半分。そして絶えず悪意が混ざっていたことだろう。アマリアの言い分はもっとも、だが謝罪した生徒達は複雑な心境だ。
「あ、アマリア様?」
フェルスはアマリアの様子を伺っている。視線すら寄越さない。こうも冷たくされたことはなかったからだ。ゆっくりゆっくりとアマリアに近づいていく。アマリアも逃げることはない。
「あなた、本当は何を考えていたの。美談とでも思っていたのかしら。私の家族までも笑い者にされたのよ!!」
「いや、アマリア様……」
「同情だとはわかっていても、あなたの優しさは嬉しかった。あなたがもうわからない。通じ合えるとも思えないわ」
「……アマリア様ぁ」
縋るような声音だった。悲しむ顔で相手を見上げていた。
「君はやっぱりつれないなぁ……」
「……あなた、そればかりね」
「君がつれないからだよ。ああ、どうしたの?今まではにこやかだったのに……。アマリア様、もしかして怒っている?」
「何を今更……!」
アマリアはつい強く反応してしまった。何でもない、と実習に戻る。その様をみてニタァと笑ったのはフェルスだ。彼は締まりのない顔になった。
「あー……。アマリア様、色々と妬いたのかなぁ?俺にはアマリア様だけなのにさぁ」
「何の話かしら」
「俺、アマリア様一筋だよ。君以外に触れたいとは思わない」
「……あの、フェルス様?」
これは口説かれているのだろうか。どこまで本気なのかわからない。いや、何を考えているかもわからないフェルスだからだ。アマリアはただただ対応に困っていた。
「キスだってそうだ。―君としかしたことないのに」
「きっ!?な、なんですって……?」
アマリアは思わずフェルスを見た。瞳を輝かせるフェルスが嘘をついているようにも見えない。クラスは衝撃の発言に騒然となる。さらにざわつきが増す。
「な、なに?二人は付き合ってたの……?」
「まー、実際フェルスって私達には手だしてこなかったからねー」
「い、今そういうこと言わなくていいから!」
ヨルクへ喧嘩を売ったこと。そしてアマリアとキスをする仲ということ。より教室が騒がしくなった。クラスメイトは二人の仲を勘繰り始める。
「ち、違うわ!私は決して……?」
アマリアはそうしたこととは無縁だったと自負している。唯一、可能性があるとするなら婚約者だ。だが、婚前ですることもないだろう。ないはずだ。アマリアは言い聞かせた。―話は戻して。フェルス相手はないだろうとアマリアは考える。断言できるわけではないが、どうしても記憶にないからだ。
「……虚言の可能性もありますよね」
「し、し、失礼だな!マレーネ様!本当だってば!」
マレーネがでっち上げ説を唱え始める。クラスの騒がしさは収まらない。
―一方的ということ?
―アマリア様と関わると、あいつ変になるんだよな。
―というか、フェルス様の出身地は違う場所なのでしょう?アマリア様の故郷の事、随分とお詳しいのね。
「ひどいじゃないか、皆!いや、アマリア様もだ!俺はこれだけ君を愛しているのに!」
「それはどうなのかしら……」
これまでフェルスの行動に愛などあっただろうか。いや、とアマリアは首を振る。フェルスがどういった感情を抱いていたとしても、アマリアの中では最悪の印象だ。
「どうしたらわかってくれる……!?あれだけの手紙じゃ足りないのか!?」
あからさまに壁を作るアマリアに対し、フェルスは焦っていた。これでもかと訴え続けている。
「手紙、ですって?」
「そうだよ!今は厳しい状況だから、あんな質素な手紙しか送れないけど!」
「……何もかも。あなただったのね」
フェルスの今の発言が完全な証言になるわけではない。それでもアマリアは疑う余地はなかった。この流れしてフェルス以外の人物の方が驚きである。
「……ああ、ようやく気づいてくれた?」
もっとも、本人が隠す気もなく。すんなりと認めた。フェルスは誇らしげでさえいた。
「……何を笑っているの」
「アマリア様、どうしたの?」
「どうしたじゃないわ……!あなたが、あなたが……!!」
アマリアは怒りのあまり、声を張り上げる。身近な人物に対する脅し、家族を笑い者にしたこと。日々募る不安感。怒り、悲しみ、恐怖。負の感情ばかりがアマリアに押し寄せてくる。
「アマリア様?俺、何かまずった?……君を悲しませるようなこと」
「……!」
本気でわからない、といった顔だった。アマリアは絶句した。
「あなた本気で……」
「?」
アマリアは自身を落ち着かせるように席に着く。フェルスの顔をまともに見ることは出来ない。強い視線を感じていてもだった。
午後の授業開始を告げるベルが鳴る。次の教師は厳格な人物だ。目をつけられないようにと生徒達はこぞって席に着く。フェルスも友人達に促されて席に戻っていった。強制的ともいえた。
「……」
―フェルスも。そして被害者であるアマリアも。授業中といえど、視線が集まっている。休み時間となると尚更だ。地獄のような時間を耐え、ようやく放課後を迎えた。