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リアル王子、喧嘩を売られる

「……」

 その後、クロエに確認されたことがあった。学園はこれまで通うのか。それには前回同様、はいとアマリアは答えた。次に訊かれたのは、週末の予定である。

「……お断り、しなくては」

 なんということか、今週は予定があったのだ。それは、ヨルク派とのお茶会だった。お手製の菓子を持ち寄るといった催しだった。毒見はあれど、ヨルクに口にしてもらえるとヨルク派の乙女達は張り切っていたのだ。アマリアも圧倒的女子力や公演によるトラウマで気おくれしていたものの、その一方で楽しみにもしていた。ここぞとばかりに南部の郷土料理をアピールしようとしていたのだ。

 アマリアは楽しみにしていた。だが、この現状で参加しようものなら。

「……それはあってはならないわ」

 ヨルク達にも迷惑がかかる可能性もある。アマリアは断ることにした。彼女は今、重い足取りで学園のテラスへと向かっている。本日昼休み、彼らは集っているという情報を得たのだ。

 学園の食堂を通り抜けるとテラス席へと続く。放課後に浮かれ華やぐ生徒達がアマリアは羨ましかった。重々しい空気のアマリアは注目されながらも、一歩一歩テラス席へと足を進めていく。

「え、ちょ、あの編入生。ヨルク様のとこ向かってんの……?」

「え、何あの様子。止めなくて大丈夫……?ヨルク様に何かする気……?」

「いや、さすがに王族相手でしょ?あの人もそこまではやばくないでしょー」

「……やばくない、ねぇ」

 いつものことだが外野が何か言っている。アマリアは心外と思いつつも、相手にすることはない。

「ご、ごきげんよう。皆さま。ご歓談のさなか、失礼させていただきます」

 アマリアはついに。―ヨルク達の席に辿り着いてしまった。朗らかな会話に割り込むことになってしまうので、アマリアはより恐縮してしまった。

「な、なによっ。ものすごい形相じゃないのっ!もうっ」

 ヨルク派の女子生徒に真っ先に突っ込まれた。どこか親しみも込められている。

「こーら、そういうこといわないの?いいのよぉ、あなたなら大歓迎。ねーえ、ヨルク?」

 大人びた女子生徒は、隣のヨルクの顔を覗き込む。

「うん、もちろん。アマリアちゃん、君も良かったら一緒にどうかな。席、用意するから」

 場の主であるヨルクも温かく迎え入れようとしてくれる。アマリアは感謝しつつも、その場で立ったままでいた。そして、頭を下げる。

「……申し訳ありません。今週末のお茶会につきましてですが、せっかくのお誘いながらも―」

 アマリアは大層口にはしづからかった。それでも、せめてもの誠意だ。お茶会に参加できないと伝えた。

「……どういうことよ。なによ、急すぎるじゃないのよっ」

「はい、勝手な申し出だと存じてます。……本当に申し訳ないわ。突然でもあるわけで」

 事情が知らない相手からしたら、突然すぎる話だろう。アマリアはただ頭を下げるしかなかった。好意的な誘いだったこともあり、よりアマリアの心が痛む。

「……事情があるのでしょう?アマリア様、私達は怒っているわけではないのよぉ。残念ではあるけれど」

「はい……」

「まあ、今回は内容だけに取り消しはないけれど。次回は参加してくれると嬉しいわ」

 大人びた女子生徒が場を収めてくれた。他のヨルク派達も納得してくれたようだ。

「……うん、君にも事情があるなら」

 ヨルクも仕方ないけれど良し、と返答するかと思われた。が、彼は何か思い詰めている。

「ヨルク様。せっかくのお誘い、申し訳ありません」

「ああ。ううん、それはいいんだ。寂しいけど彼女達の言う通り。今後もあるから」

 ヨルクは柔らかく笑う。急な申し出も事情があってのこと、それはヨルクにもわかっているのだろう。

「……事情。かなり深刻なことになっているんだ。前々から雲行きが怪しかったけど」

「!」

 ヨルクがずばりと指摘してきた。乙女達にも衝撃が走る。

「そのようなことは……」

「一見平穏に見えてたけど、君を一人にするのは不安だった。ここ最近は特にね」

「!」

 いくら否定しようとヨルクにはわかっている。新月寮生達がアマリアを守ろうとしている。ヨルク自身もアマリアを極力一人にさせまいとしていたのだ。

「君は話しにくいだろうけど、もう第三者ではありたくないんだ。ここでは話しにくければ、場所移動しようか。あとは彼女達にも協力してもらって―」

 ヨルク派の中でも信頼が厚い乙女達が頷く。彼女達も力になろうとしてくれていた。

「お気持ちはとても有難い、です……」

 ヨルクまでも巻き込む事態となってしまった。いや、もともとアマリアは知らず知らずの内に巻き込んでしまっていたかもしれない。

「うん、そうだった。―君はそういう子だった。こうでもしないと、君はすぐ遠慮するから。皆、ごめん。今日はお開きでいいかな」

「!?」

 ヨルクが立ち上がり、アマリアとの距離を詰める。ヨルクはあくまで笑顔だ。けれどどこか冷徹さもある。普段見ることもない表情だったこともあり、アマリアは戸惑う。ヨルク派の乙女達も同様だ。それでもヨルクがそういうのならと、次々と席を立とうとしていた。

「皆様、そんな……」

 アマリアはそんなつもりではなかった。その場にいる誰しもが責めないのも却って辛かった。散り散りになろうとしている彼女達を呼び止めようとした時だった。

「うっわ、ヨルク派の子達だけじゃ飽き足らずかぁ」

「彼女、俺らのクラスメイトなんでー、困りますー」

「つか、ヨルク様て。守備範囲広いんですねー」

 アマリアには聞き覚えのあるガラの悪い声だった。同じクラスの派手めな男子生徒だ。彼らの声音は軽薄で、アマリアを心配する気など更々ない。それはまだいい。

「……あなた達がいるということは」

 アマリアは身構えてしまう。彼らの中心人物の存在が脳裏に浮かんだのだ。アマリアにはよくしてくれるものの、それでも最近は距離を置きたいと思える人物だ。

「やあ、アマリア様。もしかして今、絡まれてる?……そこの不埒な男に」

「!」

 アマリアの予想通り、やってきたのはフェルスだ。驚愕したのはアマリアもだが、食堂に居合わせた生徒達も衝撃が走っていた。他国の王族のヨルクを『不埒な男』呼ばわりしてきたのだ。陰ならいざ知らず、堂々と本人の目の前だ。

「……君」

 ヨルクは作った笑顔のままで、乱入してきた相手を観察している。自分がどう呼ばれたかより、アマリアの様子が気がかりのようだった。

「ああ、失礼しました。俺達邪魔してしまいましたね。……ほら、アマリア様。こっちこっち」

「いいえ、私は」

 フェルスが手招きしてくれているが、アマリアは乗る気にはなれなかった。元々去る気ではあったが、どうしてもフェルスの元へ行く気にはなれなかったようだ。

「……アマリア様、ほら。人前だから照れているのかなぁ?」

「いいえ、照れているとかではないわ。私、大人しくすることにしたの。皆様、お騒がせしました」

 そして、ヨルク派の楽しい語らいを邪魔するなどもっての外だ。アマリアはお茶会の話も済ませたこともあり、この場から去ろうとしていた。といっても、フェルスの元へ行く気などアマリアはない。

「……またまたぁ。君は本当に素直じゃないなぁ!!」

「!」

 鬼気迫る表情でフェルスが近づいてくる。アマリアは反応が遅れてしまい、距離を取り損ねる。今にも腕を掴まれそうだった。腕力の差だけでない。気持ちが圧されていることもあり、ダンスの授業の時のように振り切れるかもわからない。

「おい、フェルス……」

「お前、どうした……?」

 いつもの陽気な友人ではない。フェルスの取り巻き達も動揺しているようだ。だがフェルス当人は友人達など今は眼中になかった。

「さあ、アマリア様。こっちへおいで―」

「……い、いえ。遠慮を」

 異様な雰囲気だ。元来見た目は優れているのに、今のフェルスはおぞましい何かに見えてならない。

「駄目だよ。この子を怖がらせないで」

「……あ?」

 フェルスの利き腕を誰かが掴む。

「はは、怖い怖い。『あ?』だって」

 間に割って入ったのはヨルクだった。フェルスの腕を掴んで、アマリアに近づかせないようにしていた。笑っているのは口だけで、いたって真顔だった。

「……ヨルク様」

 助かった。それがアマリアが真っ先に思ったことだった。感謝の気持ちを告げようにも。

「そう、君なんだね。君だったのか、―アマリアちゃんを苦しめていたのは」

 アマリアが声を掛けるにも躊躇うほど、ヨルクは殺気立っていた。

「くっ」

 邪魔が入ったと、忌々しそうにフェルスは睨み上げる。が、すぐに振り払えばいいと彼は考えるが、そうはならなかった。かなりの力で掴まれていたからだ。より強まっていき、痛みも激しくなる。

「こ、怖いのはどっちだ!……ふっ、そうか。そういうことか!アマリア様をこの男から救うには痛みを伴うんだね!」

「君が?誰を誰から救うっていうの?」

「アマリア様を救いたいにきまっているじゃないか!」

 フェルスの雄たけびが食堂内に響いた。勢いづいたフェルスはついにヨルクからの拘束を自力で解く。

「はあはあ……。この男をどうにかしないといけない。それはわかりきっていたんだ。待ってて、アマリア様!」

 かなり今ので体力を使ってしまったフェルスだが、ヨルクへの敵意はそのままだ。アマリアを守りたいという気持ちは伝わるが、フェルスの勘違いによるものではないか。そう考えたアマリアは、この空気の中で申し立てる。

「フェルス様……。はっきり言うけれど、それは誤解よ。あなたがそこまで怒ることなど―」

「……あぁ、君という人は!この男の仮面に騙されてしまっているんだね」

「なんですって」

「君が最近、『不埒な男』に付け回されているのは知っている。―君、ストーカーに狙われているんだろう?俺も解決に動いていたんだけど」

「!」

 図星をつかれたアマリアも、その事実が初耳な生徒達も盛大に驚く。そして、またもや『不埒な男』と口にした。フェルスは自信満々に答える。

「そうだよ、不埒な男さぁ!なあ、ヨルク様!?」

「……俺?」

 ヨルクの端麗な顔が歪む。フェルスは何を言い出そうというのか。

「―貴方なんだろぉ?アマリア様を付け回している、不埒な男はさぁ!なあ、ストーカー王子!」

「!」

 その発言を聞いた誰しもが耳を疑った。女に不自由しなさそうなあの王子が。悪名高き令嬢を付け回しているというのだ。

「なあ、ヨルク様ぁ!アマリア様を怖がらせてきたのはどっちかなぁ!?」

「俺にはそのつもりはないよ。むしろ彼女の身を心配していたくらいだ」

「あはあは!本人は自覚ないんだよなぁ!」

 けたたましく笑うフェルス相手にも、ヨルクは冷静に返す。ヨルクにとっては身に覚えのないことだと、そう主張していた。フェルスはフェルスでこうも断言するのも根拠がある故だった。

「……アマリア様さぁ、この男に覚えはないかなぁ?」

「覚え、ですって?」

 話の矛先をフェルスは急にアマリアに向けてきた。

「……言いがかりが過ぎるわ。覚えも何も、学園で初めてお会いして―」

 随分とヨルクのことを好き勝手いってくれる。アマリアはそう思っていた。アマリアは学園に来た当初のことを思い返す。ヨルクとこの学園で初めて会ったのは温室だ。そこでヨルクは尋ねてきたのだ。―自分のことを覚えていないかと。

「……覚え、あるんだろう?」

「ヨルク様と……!?」

 思い出そうとすると。すればするほど、アマリアの目の前が霞み始める。

「アマリアちゃ―」

「触るな!」

 ふらつくアマリアをヨルクは支えようとする。それを制したのがフェルスだ。

「君の指図を受ける謂れは―」

「あるに決まっているだろう、この大ウソつきが!」

「……何だって?」

「ははは……。結局、アマリア様には伝えていなかったんだ!初めて会ったのが学園だって?ははは!違うんだろ、なあ!本当はもっと前から出逢っていたんだ!なあ、なんではっきり言わなかったんだ!?―そりゃあさ?やましい気持ち、あったからだろぉ?」

「それは……」

 ヨルクはすぐに否定も肯定もしなかった。

「……?」

 視界がはっきりとしてきたアマリアがヨルクを見る。

「アマリアちゃん……」

 いつものように笑顔で取り繕うことなど、到底。今のヨルクにはそれが出来ない。

「……君も、随分と彼女に入れ込んでいるようだね」

 笑うことがなくなったヨルクは、嫌悪を隠すことなくフェルスに問う。

「はは、貴方とは違って純粋にですけどねぇ」

「どうだか」

「……ははは、貴方とは違う。俺は純粋に恋焦がれた!俺は、ずっと、ずっとだ!ずっと、彼女だけを見つめ続けていたんだぁ……」

 フェルスは遠い目をしながら、どこかの情景に思いを馳せているようだ。浸るに浸りきったフェルスは、またしてもアマリアに目を向ける。

「アマリア様ぁ、俺はヨルク様とは違う。俺はずっと、君だけを見てきたんだ。俺達は言葉を交わした。言葉だけではなく―」

「……言葉を?学園で初めてお会いしたはずでしょう、私達?」

 アマリアには何のことだかわからなかった。フェルスとは面識がなかったはずだ。

「はは。……本当につれないなぁ、アマリア様は。俺ははっきり言える。―俺達、君の故郷で会っているんだよ。君は何かの因果で忘れてしまっているようだけど、確かに心を交わし合ったんだ」

「あなたと私が……?」

「ああ、つれないなぁ……」

 フェルスはアマリアと故郷で逢ったことがある。そう断言した。アマリアも彼が嘘を言っているようには見えない。だが、肝心なフェルスとの記憶がないのだ。それはヨルクともそうだと言えた。アマリアは思い出そうと考えこむ。

「……あぁ、いいんだよ。君がこうしてこの学園に来てくれた。もう運命なんだよ!そう、俺の為にこの学園に来てくれた。そういうことなんだ!!」

「それはっ!」

「そうなんだよ。これは運命なんだ。―俺のお姫様」

 それはない、とアマリアは強く否定しようとした。が、食い気味にフェルスに阻まれてしまう。

「……それじゃあ、今度こそ。俺たちは行こうか。ほら、君達も」

 言いたいだけ言えたフェルスは満足そうだった。すっかり傍観者となっていた友人達にも声を掛ける。友人達は遠巻きに距離を置いている。それをフェルスは不思議そうに見ていた。

「彼女を連れていく気?」

 ヨルクが守るようにアマリアの前に立つ。

「……」

 ヨルクも何か隠しているのは事実だ。それでも。アマリアが今信頼できるのはヨルクの方だ。得体のしれないフェルスではない。

「……ふーん」

 フェルスはむくれる。美味しい位置にいるヨルクのことが面白くない。彼の後ろでおとなしくしているアマリアの事も面白くない。

「アマリア様、あのさぁ?どちらが君の王子で騎士でもあるか。君の傍にいるのに相応しいか。それを知る機会があった方がいいと思うんだ」

「あなた、一体何を……」

「―拳で。どちらが強いか。どちらがより、君を守れるか」

「!」

 フェルスは自身の拳を突き合わせる。これは殴り合いでもしようというのか。アマリアは固唾を飲む。

「なーんてね。王族の方は喧嘩などなさったことないだろうし。弱い者イジメなんて、それこそ君に軽蔑されちゃうよ」

 冗談だとフェルスはひとしきり笑う。愉快なのは彼だけで、他の生徒達は冷や冷やしていた。

「いいよ」

「ほら、ヨルク様も喧嘩なんてしたくない―。……え?」

「ここだと迷惑かかるから、表に出ようか。もちろん、条件をつけよう。敗者は彼女に二度と近寄らないこと。それなら受けて立つよ」

 まさかだった。ヨルクは受けて立つようだ。ヨルクは制服のジャケットを近くの椅子にかけた。

「……はは、ははははははは!ヨルク様は馬鹿なのかなぁ!?仮にも王族の方が安い挑発に乗って!」

「うん、君の言う通りだ。それでも、これは乗らないといけない」

「ははは……」

「……そう、俺は他国の王族だ。俺に何かあったら、いや、俺が何をしても。国際問題になる」

「ははは、そう、その通り。ああ、コワイなぁ」

 フェルスは笑い続けている。ヨルクだって王族という立場は自覚しているはずだ。どうせ取り消してくるだろう。いつもの外向きの笑顔で平穏にやり過ごそうと。そうするだろうと、フェルスは高をくくっていた。他の生徒達もヨルクが本気で相手するはずないだろうと、安心している節があった。

「でも、今はそれを祖国が知る手段なんてない。―ここは閉ざされた場所だからね」

 周りがどうだろうと、ヨルク本人は違った。彼は取り消すことはなく。

「は……」

 フェルスは笑い終え、冷めた表情になる。

「……ちょうどいいや。邪魔だったんだよなぁ。アマリア様にちょっかいかけてばかりで。顔見知り程度のくせにさぁ」

「……」

「なんですかぁ、ヨルク様ぁ?黙り込んで?」

「さっさと出ようか。かなり皆に迷惑かけてるから、俺達。アマリアちゃん、待ってて―」

 話はどんどん進んでいく。ヨルクとフェルスの殴り合いの喧嘩。それもアマリアを賭けるも同然の内容だった。

「ま、待てません!ええ、待てませんとも!」

「アマリアちゃん、君の為なのに」

「私の為であろうとなかろうと!ええ、まずいのではないかと!……危ないことには変わりありませんから」

 正直、アマリアは今のヨルクは怖い。フェルスも最近は特にそうだ。それでも物騒な事態にもっていくのは禁じたかった。だからこそアマリアは強がる。

「そ、そうだぞ!フェルス、王族相手に何考えてんだ!」

「す、すいません。ヨルク様も、皆さんも!俺ら出てくんで!」

「なっ!」

 フェルスの両腕を拘束したのは、彼の友人達だ。納得がいかないのはフェルス一人で、去り際にも説得する声が聞こえ続けていた。顔に傷つけでもしたらどうするのだ。本人がどう言おうと常識的に考えてまずいだろうと。最後までフェルスは渋り続けていたようだ。やがて彼らの姿も声もなくなっていく。

「……ふう。殴り合いの喧嘩にならなくて良かった。本当に良かった」

 真っ先に溜息をついたのはヨルクだった。

「……ごめんね、皆。楽しい時間を台無しにしてしまって」

 食堂に居合わせた生徒達、テラスにいたヨルク派に彼は謝罪した。眉を下げきった優しい表情は、いつものヨルクだった。 

「アマリアちゃん。怖い思いをさせた。ごめん」

「いえ……。私が騒動の原因のようなものですから。私こそ―」

「それは違う。……君はずっと辛い思いをしていたんだね」

 ヨルクはそっと手を伸ばす。今にも触れようとしているのは、アマリアの片頬だ。

「……っと、今のはなし。とにかく、彼が要注意人物ということがよーくわかった。アマリアちゃんも十分気をつけて」

「……はい、肝に銘じます」

 アマリアはその忠告を受け取る。フェルスの言動を省みて、より警戒心が高まった。

「……」

「どうしたの?」

 アマリアはヨルクを見上げる。フェルスの挙動がおかしいのは確かな事実だ。だが、 ヨルクもヨルクでおかしな点はある。アマリアが編入したばかりの頃、逢ったことがあるのを覚えているか。そう確認してきたのだ。

「いえ、ぼうっとしておりました」

「ふふ、そうなんだ」

 柔和な笑顔を見せるヨルクは、いつもの彼だ。そんな彼も何かを隠している。はっきりと、どこそこで会っていたと伝えなかったのだから。

「……そう」

 アマリアは思い返す。ヨルクと温室で確認してきたこと。そのあと、彼は言っていたのだ。覚えていようがいまいが、それならそれでどちらでも良いと。

 アマリア達もその場で解散となった。遠慮したアマリアは、一人教室に向かう。行き交う生徒達からも注目が集まる。アマリアの取り合いもそうだが、何よりフェルスの蛮行が取り上げられていた。―あのヨルク様に喧嘩を売った。今朝の騒動が一気に学園中に広がることになった。

本当に喧嘩になったらどうなっていたのでしょうね。

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