ストーカーの正体は掴めないまま
それから数日が経過した。
新月寮の先輩方が目を光らせてくれている。フィリーナやレオン、そしてエディも常に傍にいてくれていた。手紙は相変わらず送られてくる。代わりにクロエが呼んでくれるが、似たような感じとだけ教えてくれていた。
「……あー、もう少しだったんだけどな」
ある日、新月寮の入り口でレオンが悔しそうに額に手を当てていた。レオンは心底不満そうに語る。
「なんか、不審者が寮に近づいてきたんだよ」
「近づいてきたのか!?」
見回りをしてくれていた寮の先輩が驚く。人が近づく気配もそうだが、どうして不審者だとわかったのかと。レオンは語る語る。
「いや、動きが挙動不審っぽかったから。で、音立てないで近づいたんだけど。あー、くそ!動物の音で気づかれた……」
あと少しだったところで、思わぬ妨害があったようだ。
「まあ、次はないけどね。つか、近寄らせないし」
そう語るレオンだったが、寝不足のようだ。目の下にクマが出来ていた。夜通しとまではいかないまでも、夜間を重点的に見回ってくれているようだ。アマリアはわかる。彼は無理をしている状態なのだと。
「レオ君、寝てないのね。それで体を壊してしまっては……」
「だいじょうぶだいじょうぶ。オレ、そんな寝なくても平気なんで」
「顔色が良くないわ」
「んー。前にも言ったかもだけど。やばければやばいって、ちゃんと言うから」
「……その顔色でも言わないのね」
「まだその域ではありませーん」
レオンもそうだが、今回の件で新月寮の空気は張り詰めていた。負担がかなりいっていることだろう。
「……歯がゆいわ」
今は後手後手の対応しかできなかった。小康状態は続くばかりだった。
「―いよいよ明日ですね。準備は万全ですし、本日は早めに解散しましょう」
「ええ、マレーネ様。お疲れ様」
放課後になり、アマリア達は教室で課題を詰めていた。課題の提出日、そして発表日は明日となっていた。『大樹』を主題とした、隣国との関わり方。調べつくし、隣国出身者からの情報も得た。真面目な二人が真摯に取り組んだのだ。明日は難なく終えられるだろうと、早めに帰寮することとなった。
マレーネと別れたあと、アマリアはエディのいる教室へと向かうこととなった。遅かったら迎えに行くとはエディは言ってくれた。けれども、そうならなかったことにアマリアはほっとした。行き交う生徒の数もそれなりだ。人の気配に安心しながら、アマリアは廊下を歩いていく。
階段にさしかかったところで、アマリアは足を止める。壁にもたれかかっている男子生徒からの視線に気がついたからだ。
「毎日頑張っていたね、アマリア様。っと」
「フェルス様……」
フェルスはアマリアに近づいてきた。彼の待ち人はアマリアだったようだ。
「今から帰り?」
「……ええ、そうよ。待ち合わせているの」
「へえ。……ねえ、アマリア様」
フェルスは話があって待っていたのだ。彼は話しかける。それもねっとりとだ。
「……いいなぁ。彼は」
「……?」
「……同じ寮ってだけで、君と一緒に帰れて。同じ寮ってだけなのにねぇ?」
突然の『彼』に、アマリアは一瞬誰かと思ったが。それでも、思い浮かんだのはエディのことだった。
「同じ寮ではあるけれど、彼は親切で一緒に帰ってくれているのよ」
「親切。……ねぇ?」
「何かしら」
粘着質な喋り方もそうだが、絡みつく視線もアマリアは気になって仕方がなかった。彼女の心はざわつくばかりだ。さらに次の発言で度肝を抜かれることになる。
「……俺もね、新月寮への転寮願いをしてきたんだ」
「!」
「……でもさぁ、生徒会長に断られちゃった。納得のいく理由がない、だって」
「そう……」
何をもってしてフェルスは新月寮に鞍替えしようとしていたのか。アマリアは不可解だった。
「……ひどいよ、会長はさ。君を、アマリア様を守りたいからだって。近くで支えたいからって何度も言っているのに。……却下、だって。まあ、納得させるまでだけどね」
フェルスは大袈裟に嘆く。そこまでへこたれてはいないようで、また頼み込みにいくとのことだった。返答に困るアマリアをよそに、フェルスは語り続ける。
「君、大変そうだねぇ。周囲がざわついているようで」
「……心配してくれるのね。けれど、私の周りが騒がしいのはいつものことよ」
「君自身が怯えているのに?」
「……そういう風に見えたのね。ええ、大丈夫。普段通りよ」
探るようなフェルス相手だが、アマリアは事情は話すことをよしとはしなかった。
「ああー……。心配させないようにしているんだぁ……。健気だなぁ……」
アマリアの言動が刺さりでもしたのか、フェルスは恍惚とした表情を浮かべていた。
「ええ、心配ご無用よ。心配自体、しなくて良いと思うの」
アマリアは圧されつつも、フェルスの相手をしていた。
「……あなたのお心遣い、有難く思うわ。でも、無理なさらないで。満月寮の充実した暮らしを手放すこともないと思うのよ」
「……君はつれないなぁ」
「そう。不快な思いをさせたならごめんなさい」
そっけない物言いだったかとアマリアは詫びる。相手はまだ、つれないつれないと連呼していた。
「……」
アマリアは内心、早々に話を終わらせたいと思っていた。階段を利用する生徒達から注目が集まっているのだ。人当たりが良い温和なフェルスの様子がおかしいこともある。今、悪目立ちしている状態だった。
「俺はただ、君が心配なだけなのに。―君に不埒な輩が近づいていないか、とか」
「……いえ、心配するまでもないわ」
どきりとしたアマリアの声は上擦ってしまった。
「アマリア様はもっと警戒した方がいいなじゃないかなぁ。優しそうに近づいてきて、でも何を考えているかわからない。そんな輩、いるじゃないか」
「いえ、心当たりなど―」
「ヨルク様」
「……何ですって?」
突然過ぎるその名前に、アマリアは耳を疑った。あまりにも唐突だと思っていたが。
「どうしてだろうなぁ?なんで、大国の王子様が君をやたらと気にかけているのだろうねぇ?」
「それは……。最初は物珍しかったと思うのよ。あとは紳士ですもの。満遍なく私にも気にかけてくださっているのよ」
「紳士。……くくっ。アマリア様だって気づいているんだろぉ?自分は特別扱いされているのではないかって」
「それは……。そうよ、勘違いを起こしかねないほどよ。丁重に扱ってくださっているわ。けれども何度でも言うわ。それは女性相手に等しくだと思うし、あくまで―」
「君はあくまで戯れに過ぎない、と。うふふ、そう考えているんだぁ。あれだけ隙あれば君にまとわりついてくるのにねぇ?」
フェルスにはそうではないらしい。やたらとヨルクの事を匂わせてくる。
「それは誤解よ。あなたがそう捉えているだけじゃないかしら」
「俺の勝手な勘違いだって?……ねえ、アマリア様?俺は君のことをわかっているんだよ?―下手したら、君以上にね?」
「あなた何を……」
フェルスの端正な顔が歪む。フェルスは不気味に笑んだままだ。
「……」
アマリアは背筋が凍る。それでも、好き勝手言ってくるフェルスは度し難かった。ヨルクもとんだとばっちりだと、アマリアはため息をついた。
「フェルス様。憶測で語るのはいかがなものかしら。好き勝手語られて、ヨルク様もたまったものじゃないでしょう」
「憶測。……ひどいなぁ、アマリア様。信じてくれないんだね」
「ええ、悪いけれどそうね。憶測に過ぎないもの」
「ああ、つれない……」
またしてもだ。フェルスはわざとらしく嘆いているも、目は笑っていた。
「それでは、私はこのへんで失礼させてもらうわ。相手を待たせている身なの」
よりにもよって『ヨルク様』を話題に出した為、より周囲からの注目が集まっていた。
「……ごきげんよう」
「はあ、残念。また明日ね、アマリア様」
思ったよりもフェルスはあっさりと解放してくれた。アマリアは会釈をしたあと、階段を下りていく。その間もずっと視線は注がれていた。興味津々な生徒達のもの。そして。
「―今だけだよ、そうしてられるのも」
フェルスからの視線が突き刺さるかのよう。アマリアはそう思えてならなかった。