仇敵との遭遇
潮騒の音がする。誰かの腕の中、アマリアはゆっくりと目を覚ます。遠くに見えるのは、ぎらつく建物達だ。悪趣味なまでに派手派手しい場所。
「ここは……」
「お馴染みの劇場街でーす。アマリア、気がついた?」
の前に、眼前に迫っていたのは瑞々しい顔立ちの少年だった。柔らかそうな頬も、紅い唇もそう。金髪のショートカット女子としても見えがちだが、少年だ。
「なんっ……」
「なんと、どころじゃないって。急に立ち上がったちゃ駄目」
アマリアは慌てて離れようとするが、相手の少年はしっかりと阻止する。意識は取り戻したものの、安静するに越したことはない。そうした思いからだった。
「きみ、海岸で倒れていたんだよ?何がどうしてそうなったのか」
「……海岸」
アマリアは改めて今いる場所を確認する。喧噪から逃れたこの場所は、確かに海沿いだった。ずぶ濡れていてもおかしくないが、アマリアはそのようなことはなかった。海の中の息苦しさもなく、平常に呼吸が出来ている。
「こういうことかしら……?」
アマリアは故郷、いや故郷に似た空間なのか。そこから逃れるように海へと飛び込み、そして流れ着いた先がこの劇場街の海辺だったのだ。海なるものがあるのにもアマリアは驚いたが、それも劇場街なのだと今は納得することにしたようだ。
「夢、だったのね」
懐かしい匂いがしたあの場所も、きっと夢の中だったのだろう。故郷の民、そして姉のことを悪くとらえてしまったこと、彼らから逃げるのに夢中だったこと。それらをアマリアは恥じる。と同時に、彼女はホッとしていた。
アマリアは状況把握を続ける。
「……そして、あなたが私を助けた。あなたが」
アマリアは信じがたいと思いながらも、この事実も確認する。振り絞るような声で、アマリアは礼を伝えることにした。
「あなたが、なのね……。ええ、お礼は言います。助けてもらった義理はあるもの。ああ、ありがとうございます……」
「心底嫌そうな顔」
「そうね。私、正直なのね」
「うわー、かんじわるー」
ただただ言い合いになる相手、というだけではない。彼はアマリアにとっては因縁のある相手だった。
学園の支配者であると名乗る彼は、劇場街もまた手中に収めていた。その因果関係は未だに不明ではある。アマリアは彼とは劇場街で出逢い、そしてある事を機に支配者である彼を憎むようになった。
「というか、発見したのはぼくじゃないし。そこの彼がぼくを呼んできてくれた」
「お、王様!ばらさないでー」
海岸にあるヤシの木に身を隠しているのは、ウサギの着ぐるみだ。声からして、臆病と呼ばれているウサギだろう。着ぐるみ達は支配者のことを王様と呼んで慕っているが、彼は一層心酔していた。
「まあ、そうでしたか。ありがとうございます」
「ひいっ!」
着ぐるみ達とも諍いがあったが、恨みがあるわけではない。アマリアは素直に感謝の気持ちを伝える。着ぐるみの方は、叫び声を上げていた。アマリアに対しての恐怖心を隠すことはしない。
「……もう大丈夫。起き上がれるわ」
「そう」
アマリアが体をゆっくりと起こすと、支配者は特に何を言う事もなく体を離した。彼は近くで身を隠したままの着ぐるみに頼み事をする。
「時間も時間だし。送ってあげて」
「……王様がそういうなら。っと、いけないいけない。僕のお役目!」
支配者の言う通り、刻限まで迫っていた。着ぐるみはアマリアを抱きかかえる。そのまま入口まで連れていってくれるようだ。
「じゃあね、アマリア。もうちょっと落ち着いた状況ならね。きみに逢えるのは大歓迎なんだけど」
「……あら、そのようなこと言うのね。歓迎なんてしてくれたことあったかしら」
「きみさ、わかってて言っているよね。アマリアが舞台に乱入とかしなければだよ」
舞台においても彼の管理下となる。彼はアマリアが舞台に乱入をしてくることをよく思っていない。荒らされることもそうだが、彼なりのアマリアへの思いがあってもあるようだ。どう思われようとアマリアにとっては仇敵。それで支配者に対する気持ちが揺らいではならないと、戒めていた。
「……少しだけいいかしら。あなた、つい最近の『彼女』の公演には姿を現わさなかったわね。当時は生徒達の関心をかなり集めていたはずよ」
マレーネの公演のことをアマリアは思い出す。一つ星公演ではあるが、注目されていたのは事実である。すぐ、支配者が観に来てもおかしくないくらいだった。
「ああ、彼女の……」
「ええ。何か基準でもあるのかしら」
「それ、きみに言う義理ある?」
「……ないでしょうね」
アマリアは百も承知だった。それでも、気になったのは気になった。だからこうして尋ねてしまったのだろう。あわよくばボロでも出せばと考えていたが、今回はそうはならなかった。
「いいわ。おかげ様で滞りなく公演を終えられたもの。横やりがないとこうも違うのね。ええ、本当に」
決して調子が狂ったわけではない。アマリアは満足げにそう言う。
「はあ……。それは良かったね」
支配者も呆れてはいるが、特に反論することもなかったようだ。適当に相手しているかのようだった。
「じー……」
「何かしら……?」
支配者は軽く流したものの、ウサギの着ぐるみの方が何か言いたげだった。
「アマリアが気にすることじゃない。ほら、彼女のことよろしく」
「はーい、王様……」
そのやりとりに込められた意味はアマリアにはわからないまま。入口まで送り届けられることになった。
ほんの一瞬で劇場街の入り口へと到着する。アマリアは送ってくれたことにお礼を言おうにも、瞬時に距離をとられてしまった。建物の陰にいる着ぐるみに感謝の気持ちを言葉にすると、相手は頷いてはくれた。気持ちは伝わったのだろう。
「先輩」
案の定というべきか、エディが劇場街の出入口で待っていた。かなりの長い時間だっただろうに、彼の顔には不満というものはない。ただアマリアを心配していた。
「……そうだよ、出待ち。あいつらがしょっちゅう言うやつ」
エディなりの軽口、かつ自虐的発言だったのだろう。いつもならアマリアも軽く怒りつつ笑えるのだが。
「……ええ」
立て続けに色々なことが起こったこともある。それに、劇場街から出た時のこともだ。現実で起きていることを、エディ達に話すことになる。彼らならば力になってくれるだろう。そして。
「……」
彼らの重荷になってしまうだろうと、アマリアは憂いる。朝を迎えたら話そうとは思っていても、アマリアは心の準備が出来てなかった。
「ありがとう、エディ。待ってくださったけれど、時間がぎりぎりみたい。なんだか申し訳ないわ」
「いや、別にいいけど……」
じきに夜が明ける。いつまでもここにはいられない。あとは現実に戻るのみだと、出入口をくぐろうとした時だった。呼び止めたのはエディだ。
「先輩。察してはいるから」
「……そうなの」
ここ最近、アマリアを狙う影はあった。それもあって、アマリアを一人にさせないという動きは元々あった。より表情が陰る彼女を見て、エディは事態が深刻化したことがわかったのだろう。
「あんたのことだし、言いづらいのはわかっている。俺はあんたを心配するし、守りたい。それは変わらない」
アマリアにそう伝えたあと、エディはいや、とすぐに言い直す。
「……俺達」
「……?」
「俺達がそう。あの二人もあんたのことを大事に思っているのは、そこはわかる。こっちとしては思うところはあるけど。それでも、そこはまぁ認めてる」
「フィーとレオ君?」
「その二人」
エディはそっけなく言うが、アマリアとの絆があるのは認めている。だからこそ、自分と同じく心配しているのだと伝えてくれたのだろう。
「……ふふ、ありがとう」
人工の空が白み始める。