大切な人達にまで被害が及ぶなら
「ふふふーん」
帰寮後もアマリアはご機嫌のままだった。機嫌が良いまま、今夜は大浴場で一日の疲れをいやそうとしていた。鼻歌を歌いながら、大浴場へと向かっていく。
「機嫌いいね、アマリア」
「あら、フィー!……え」
大浴場の扉の前にて、声を掛けてきたのはフィリーナだ。彼女が手にしているのは手書きの看板だ。またしても『フィリーナの湯』を展開しようとしているようだ。今度は第二弾ときた。アマリアの鼻歌は止まってしまう。前回の記憶が蘇ってきてしまったのだ。
「安心して、アマリア。あのあとクロエ様に優しく注意されました。美容効果のある薬湯にしてみました。疲れもよくとれるし、色も綺麗なの」
「あ、あら。そうなのね。楽しみだわ」
フィリーナの主観なのか、一般人の感覚なのかはわからない。ここは寮長の尽力とフィリーナの言葉を信じることにし、アマリアは純粋に楽しむことにした。
フィリーナの湯にしっかりと浸かり、アマリアは大いに疲労回復した。薬草の匂いとほどよい温度。それらが疲れた体に染み渡ったのだ。第二弾は他の女子寮生からも好評だった。味を占めたフィリーナはどんどん展開していくことだろう。この路線でいってくれるのなら、アマリアは大歓迎だと思った。
夕飯をとったあと、アマリアは寮生達と雑談していた。そろそろお開きとなり、アマリアも自室に戻ろうとしていた時のことだった。
「……あ、いたいた。アマリアさん」
「クロエ先輩?」
そっと近寄ってから声を掛けてきたのは寮長のクロエだった。いつもの溌剌とした様子はなく、どこか遠慮がちというか弱気な声かけだった。
「……いきなりごめんね?今いいかな」
私でございますか、とアマリアは驚く。拒否するまでもないが、クロエの様子からして何を言われるのかと緊張してしまう。
「アマリアさんが悪いとかじゃ全然ないから。ないんだけど……」
申し訳なさそうにしつつも、クロエはアマリアを連れ出していく。
連れてかれたのは、新月寮の管理人である寮母の部屋だった。待機していた寮母に挨拶もしつつも、アマリアは入口近くで待機させられていた。
「うーん……」
別室となる物置部屋からうなり声をあげているのはクロエだ。意を決したのか、何かの包みをもってクロエは現れた。重々しそうに持っている。クロエの顔は深刻だ。
「……これ、なんだけど。うちの寮にさっき、届けられてね?で、事前に開封済みではあるけど」
最近、不審な動きもある。そのこともあって、寮生の安全を考えた上で職員が前もって確認していたのだ。クロエ自ずから包みを開いてみせた。喜ばしいプレゼントではないということだろう。
「!」
その中身にアマリアは驚愕した。
アマリアは覚えがあるものだった。上等な生地が使われつつも、古めかしいデザインのもの。劇場街の舞台を経てずたぼろになってしまったもの。寒空の下で手洗いをしたもの。―そして、盗難被害を届けていた。例のドレスだった。
「これは一体……」
いっそ、損傷が激しい状態のままだったなら。それなら、単純に嫌がらせかと思えた。理解はしたくないが、理解はできる行動であるといえた。だが、実際にクロエが見せてくれているドレスは異なっていた。
「ああ……」
戻ってきたドレスは、以前のもの以上に美しく仕上げられていた。破れた部分は別の布をあてられたようだが、不自然さは見られない。元のデザインは尊重されているのか、修繕に重きを置かれていた。
「さらになんだけど……」
クロエは苦い顔をしながら、さらにと渡してきたのは手紙だった。差出人不明の満月寮からの手紙だ。いつもの手紙がドレスに同封されていたようだ。
「頂戴します……」
アマリアは迷いを振り切るように、受け取った手紙をこの場で開封した。まだ、まだだ。善意の可能性は残されている。極端に内気な人物が、見るに見かねて修繕をしてくれただけでもない。また、ごく少数ではあるが、アマリアの陰のファンといえるのかもしれない。本当なら名乗り出て欲しい。それでも、どうしても名乗り出ることができない事情があるのならわかる。
そこにあるのが善意ならば救いがある。アマリアは手紙に目を通す。
「……では、失礼します」
アマリアは手紙を読み進めていく。書き始めは何てことない挨拶からだった。そして、破損する前はさぞ美しいドレスだっただろうと。許可もなく持ち出し、修繕してしまったことを許して欲しいと。このドレスを着たアマリアはどれだけ美しかったかと想像してしまった。それでも、もっと君には似合うドレスがあると。―それを自分で用意したいと。今回のことで君の服の寸法が知れて良かったと。
「……」
手紙の内容に陰りがみえてきた。アマリアは震えつつも手紙を読んでいく。
―君の為にドレスを用意した。運命の日、晩餐会に向けて。君が選ぶ相手は決まりきっている。出逢った時から必然だった。君への崇高な想いなら誰にも負けない。誰にも劣らないものだ。ああ、君をこの手で抱く日が楽しみでならないよ。君の王子様より。
「どういうことなの……?」
熱烈な恋文ではあるが、誰がどのような感情をもって送ってきたのかがわからない。匿名で来られたこともあるが、自分の王子と言われてもアマリアには謎でしかなかった。
「……」
それでも、恋文ではある。これは好意なのだろうか。困惑しているのはアマリアだけではなく、様子を見ていたクロエや寮母もだ。彼女達にいたずらに心配かけたくないと笑おうとするが、と同時にアマリアの視界に入ってきたのは。
「ああ……。それも、なんだけれど。うちの寮への物資に紛れていて」
クロエが気まずそうにしながらも、ある物たちに視線を送る。机の上に置かれたのは複数の手紙だった。アマリア宛であるが、いつものように渡すわけにはいかなかったのだろう。
それらには蝋が施されていない。満月寮の認可が下りた内容には蝋が施されるが、これはそうではないのだ。となると、内容が想像しがたいものとなる。
「失礼しますっ」
「アマリアさん!」
クロエの制止を振り切ってアマリアは手紙を手にしたが、感触が違った。手紙以外にも何か同封されているようだ。中身がわからない分、危険だった。だからこそ、プライバシーだろうと何だろうと、クロエ達で先に確認しようとしていたのだ。この場に置いていたのは迂闊だった。
「!」
アマリアが真っ先に確認できたのは、写真だった。何と手紙と共に写真が同封されていたのだ。アマリアが言葉を失うのは無理がない。
―新月寮の庭先にて。洗濯している自分の姿が映し出されていたのだから。
同封されていた手紙にはこう書かれていた。
『君の頑張る姿は美しい。けれど、頼ってくれれば良かったのに』
次々とアマリアは手紙を開封していく。自身でさえも止められない勢いだった。
学園のひと時が映し出されていた。授業に真剣に取り組むものや、教師の手伝いをしている姿。第二校舎で下級生を手助けしている姿。弟妹の面影をみたのか、優しい表情をしていたアマリア。ひたむきな君は美しいと、手紙上では称賛しきっていた。
学園の温室で蝶と戯れていたアマリアの美しさも褒めちぎっていた。だが、この手紙は褒めるだけでは終わらなかった。
「……なんということを」
『どうして。どうして。どうしてなんだ。あんな男なんかと二人でいられる?君に対して邪な思いしか抱いてない男だ。あの時、君を救い出してあげられなかった。あの男が戻ってきてしまったから』
アマリアは思い返す。ヨルクに用があって温室に訪れた時があった。ヨルクが不在だった。温室にいた女子生徒に待てば戻ってくると言われたこともあり、アマリアは蝶と戯れながら待っていたのだ。少ししてヨルクがやってきたので、長い間待たされたということもなく。その場にいた女子生徒も交えて世間話をしてお開きとなった。何も邪推することはない。危機的状況ですらない。
近しい人物も映し出されている。まずはフィリーナだ。愛鳥との散歩に同伴していた時の写真だ。
『いいのかな?学園の規則として、動物を飼うことは禁止されているのに。ああ、チクってあげてもいいけれど。でも、君の為を想って言わないであげる。……でも、時には考えるんだ。悪い心が囁くんだ。黙っていてあげているんだから、見返りがあってもいいんじゃないかって』
「フィー……!」
アマリアは声に出してしまった。何事かとクロエが見る。フィリーナも巻き込まれるのではないかと、危惧したからだ。だが、そうではないようだ。
『おっと、誤解しないで欲しいんだ。あの令嬢の中の令嬢は確かに綺麗だ。けれど、彼女以上に美しいのは君だ。彼女はお呼びではない。君しか求めていないよ』
この文面でフィリーナの安全が確保できたわけではない。それと同時に、自分に何を求めようというのかとアマリアは青褪める。
次はレオンだった。あくまでレオン本人は映し出されていない。察知した彼は容易に撮らせはしなかったようだ。アマリアのみ映し出されていたその写真から、いつの時なのかと想像ついてしまった。
『ねえ、あの時何があったの』
「!」
廊下で佇むアマリア。レオン絡みで茫然自失の表情からして、あの時はあの時だとアマリアは確信する。レオン、正確には『もう一人の彼』に迫られた時だった。後程自己嫌悪に陥ったレオンからは詫びがあったものの、怖い思いをした時のものだ。
『あの男に汚された?性根が腐っているあの男に?ああ、手遅れだったのかな』
「……!」
確かに恐怖状態であったこと、そして当時のレオンに嫌悪感を抱いたのは事実だ。それでも。それを抜きにしてもこの言いようはアマリアは不快に思えた。
『なんてね。さすがにそんな事態が起こるわけがない。君の王子様が許すわけがないからね。純潔の化身である君が、奴に接する態度からしてもそうだ。まさか、心奪われた。なんてこともないだろうし』
「……」
随分と好き勝手言ってくれていた。アマリアは苛立ちや怯え、そうした負の感情に苛まれていた。
アマリアだけではない。彼女の周囲にも向けられている。アマリアに対しては、あくまで好意。だが、彼女に近づく人物に向けているのは悪意。この手紙の送り主からはそう感じ取れた。いや、好意などあるのだろうか。アマリアを思いやる気持ちなどあるのだろうか。この写真らは盗撮だ。
「……」
次の写真に映し出されているのは、アマリア一人。夕暮れの廊下を歩くアマリア。何てことない写真だ。もう一枚は、教室の扉の前に立つ彼女の姿。その表情からして誰のことに触れようとしているのか。にやついていて、そしてどこか期待に満ちた浮かれきった表情。
『こんな君の表情、見たことない』
「!」
ついに来てしまった。彼の番だ。彼をどう悪しく言おうというのか。
『あいつは君にとって―』
「アマリアさん。そのへんにしとこ」
「あっ……」
昏い表情で手紙を読みふけるアマリアを見かねたのだろうか。クロエは手紙を取り上げた。他の手紙も回収していく。
「これ、合意で撮影させているわけじゃないよね?」
「……はい」
「うん、わかった。こっちで預かっておいていい?……度が過ぎているからね。もう見過ごせないから」
「……はい」
クロエは事実を並べてはいるが、あくまで優しく諭すように言う。目の前にいるアマリアは被害者だ。
「……今までの手紙はこうだったの?」
「……いいえ」
「うん、わかった。今日のところはゆっくり休んでほしいな」
「……はい」
アマリアは目の前が暗くなった。徐々に侵食されているかのようなだった。そして、これだけでは終わらないのではないかと。嫌な想像ばかりが頭をよぎってしまう。
「色々とご足労をおかけしてしまいますが、決してクロエ先輩方もご無理はなさらぬよう……」
「こっちは寮生が辛い思いする方が嫌だし。皆を守るのは寮長や職員さん達の役目だから。それは本当に気にしないで?」
クロエの言葉に寮母も頷く。温かい言葉だった。それでも、とアマリアは思う。相手は何を考えているのかわからない。得体の知れない相手だ。危ない目には遭っては欲しくなかった。危ない橋を渡って欲しくはなかった。
「アマリアさん」
それではと頭を下げてアマリアは退室しようとした。呼び止めたのはクロエだ。
「私の方から話しとく?エディ君たちに」
「それは……」
人に頼ることの大切さ。それはアマリアが身をもって知ったことだ。彼らに負担をかけることになってしまっても、手紙で触れられたこともある。いずれ、話さなくてはならないだろう。アマリアの心情としても頼りたい気持ちもあった。
「……明朝、改めてお話できればと」
相談するにも、アマリアには心の準備が必要だった。今回の内容が内容である。話しにくいこともあった。秘密話にはもってこいな劇場街で話せればよいが、全員と会えるとも限らない。朝までには頭の整理をしておこう。アマリアなりに考えたことだった。
「わかった。夜遅いもんね」
クロエはそう受け止めた。
「では、失礼致します。おやすみなさいませ」
「うん。……おやすみ」
いつものように堅い堅い、とつっこんでもいられない。重い空気のままお開きとなった。
「……」
自室に戻ったアマリアは、部屋の灯りをつけることもなく近くに椅子に座りこむ。俯いたまま、気持ちを落ち着かせようとしていた。気持ちは沈んだままだ。
窓の外は猛吹雪だ。強風が窓ガラスを打ちつけている。軋む音が耳障りだ。
「……せめて、きちんと寝なくては」
ベッドに向かおうとするが、体が重い。アマリアは沈みこむような感覚でそのまま眠りに落ちていってしまった。
フィリーナの湯がまとも路線でいってくれればよいのですが。
それはおいといて、雲行きが怪しくなっていってます。