『殿方』と踊るアマリア
「―女子生徒では、だめなのかい?相手は殿方限定なのかな」
講堂の入り口から、一人の生徒がやってくる。注目が集まる中、当人は悠然としていた。この場においてただ一人、制服姿のノアがそこにいた。
「やあ、アマリア君。途中から来たものだから、経緯がよくわからなくてね。合ってるかい?」
「……ええ、ノア様。間違ってはいないわ」
悠長なノアに対し、アマリアはそう返答する。
「そうかい。それは良かった。ならば、ボクはキミの相手を努められるわけだね」
「えっ」
「ボクじゃ力不足かな?」
「い、いえ。滅相もないわ!でもね、ノア様。体調は……」
「ん?」
ノアの顔艶は良い。血色と共に良し。わかりづらい症状かとアマリアは思ったが、視線に気づいたノアは口だけ動かして伝える。―仮病だと。
「なんと……」
唖然とするアマリアだった。
「……そうだね、今日の授業は最初から真面目に参加するべきだった。誰かさんを見習ってポイント稼ぎができる絶好の機会だったね」
「ノア様……?」
「今からでも間に合うかい?」
「ええ、私は正直有難いわ……」
今この場で。フェルス以外で誰が、アマリアと踊ってくれるというのか。講師相手という選択肢もあったが、ならばフェルスの手を取らないのはおかしいとされるだろう。講師もおそらく遠慮するだろう。
「ふふ、そうかい」
ふわりとノアが前に立つ。周りからの好奇の目も、フェルスからの殺気立った眼差しも気にしてないようだ。当のフェルスはまだ抗議し続けている。
「ノア様の出る幕なんてない!彼女のパートナーはこの俺だ!」
「すまないね。アマリア君がご所望なのはボクなんだ」
「なっ!ろくに授業も出ないじゃないか!そんな人が彼女をリードできるわけないだろ!?……君はわかっているのか、アマリア様の相手だぞ。『男』として彼女をリードすることになるんだぞ!!」
「ボクがリード?……ああ、そうか。ボクがリードすることになるのか」
「ななっ!?」
激昂するフェルスとは違って、ノアは妙に落ち着いていた。ノアとしては状況を整理しているだけだとしても、フェルスにとっては煽られているとしか思えなかったようだ。
「まあ、たまにだけど見学していたからね。振りは覚えている。……殿方として、か」
「ノア様、良いの?殿方の振りをお願いすることになるのだけれど」
ノアは俯きながら、つぶやき続けている。長身とはいえ一見可憐で病弱な令嬢だ。
「それだけじゃないわ。あなただってそうよ。女性としてご自身のパートを踊らないと、採点されないでしょうし」
「ああ、その点は心配ご無用さ。ボクは特例で免除されているからね」
無茶なお願いをしたかとアマリアは伺う。ノアは心配するな、とアマリアの腰を片手で寄せる。しっかりとリードをすると暗に伝えていた。
「ノア様、無理はなさらないで」
「……大丈夫さ。お手をどうぞ、アマリア君。『殿方』として」
―殿方として。もう一度口にしたところでノアは。
「……!」
そのまま固まってしまった。思考停止しているかのようで、ノアは動かない。
「はははは、なんだその様は!」
フェルスの高笑いが聞こえてくる。他の生徒達は憧れの存在であるノアを笑い者にはしづらい。ただただ気まずそうにしていた。
「ノア様……」
「……すまない、アマリア君。名乗り出ておいて、これだ」
ノアから余裕さと飄々とした態度が消えていた。愁いを帯びたノアを見つめたアマリアは、頷く。
「ええ、ノア様。あなたは名乗り出てくれたわ。本当に有難いのよ」
「……キミはあくまでも気遣ってくれるんだね」
「気遣いなんてそんな。こうすればよいのよ!―私が男性として踊ればいいんだわ」
「……アマリア君?」
名案だと言わんばかりに、アマリアは得意そうにする。授業中に男性パートも見ていたので、動き自体は理解している。それで踊るとなると別の話となるが、それでもアマリアは躍り切ってみせると強く出ていた。ノアはただ、きょとんとしている。
「任せてちょうだい。あなたをリードして見せるわ」
不安を感じていると思ったのか、アマリアはもう一度伝える。事の成り行きを見守る生徒達は騒然としている。それもそうだろう。女性同士で踊ること自体、それがこの国、この学園だと特に奇異に見られるものだからだ。ならば、やはり自分が異性として踊るべきだとアマリアは殊更思った。アマリアは当然、と思っていた。
―採点されないのでは?御覧になって、講師の方も苦い顔。
―意味ないよな。アマリア様こそ女子のパート踊らないってなら。
外野が何か言っている。目の前のノアも同様の心配をしているようだ。だからこそノアも男性のパートをかって出たというのに。結局踊れてないわけだが。
「いいのよ。そのお心遣いが嬉しかったの」
はっきりと言い切ったのはアマリアだ。
「アマリア君……」
「本当に嬉しかったのよ。ありがとう、ノア様」
アマリアはしみじみと言った。彼女の心からの言葉だった。
「だけれどね……」
「あら?女生徒が殿方の踊りを踊ってはいけないのかしら?」
「!」
ノアが面食らった顔をしていた。アマリアはしてやったりと笑う。
「……はは、君という子は」
しばらくしてではあるが、ノアは笑いだす。思わず、と噴き出すような笑いだった。
「はははっ」
「ノア様?このご様子、ツボに入ったというものかしら?」
たくさん笑ったあと、ノアはようやく落ち着く。肩の力が抜けたような表情をしながら、アマリアと向き合う。
「心配かけたね。―君となら踊れそうだ」
お互いの体を寄せ合う。密着する距離に驚き、アマリアはノアを見上げる。
「ノア様……」
どきり、としてしまった。そこにいるのは、学園を休みがちな華奢な令嬢ではない。その出で立ちはまるで―。
「踊り慣れてはいないからね。先に謝っておくよ。―さあ」
不器用に笑うノアに誘われるがままに、アマリアも共に笑う。音楽が切り替わったこともあり、中央へと二人は躍り出る。口ではそういったノアだが、実際は躍りを再開した周りとは遜色がないものだった。
「これはこれは……。おほん、特例ですよ。今回はね」
講師は二人の踊りに感心したこともあり、採点を始めたようだ。ノアは男性側として、相手を見事にリードしており、しなやかでそれでいて美しい動作に誰しもが見惚れていた。
ノアもそうだが、アマリアもまた好意的に見られていた。自然とノアに身を委ね、リラックスした表情で踊っていたのだ。日頃の彼女の踊りを見ていると、相手に迷惑をかけまいと力んでいるのが目立っていた。それが今はなく、踊ることを楽しんでいるようにも見えた。
練習着のドレスと、片や女子制服。この講堂においても異質なものだ。それでも実に楽しそうに踊り、時に互いを見つめる二人。見学に徹している生徒も、周囲を踊る生徒達も見守りたくもなる二人であった。
「素敵……。なんてお似合いな二人なのでしょう……」
見守っていたマレーネも感嘆の声をもらす。うっとりとしていたマレーネだったが、ある一人の生徒の顔つきを見て口を閉ざす。マレーネは逃げるように退散してしまった。
マレーネは心のままに発言したに過ぎない。だが、その言葉は一人の少年をみるみる鬼のような表情へと化させていく。
「……俺がいるのに。君という人はどうして」
彼、フェルスの目線は中央で踊る二人に向けられていた。憎々し気に見ている。
「どうして。……どうして、君はいつもそうなんだ」
フェルスは恨みを込めるようにつぶやく。
「はあはあ、ありがとうノア様。楽しかったわ!」
「そうかい。それは何より」
踊り終えたアマリアは笑顔のままだ。息切れをしつつも、感謝の気持ちを告げる。相手を務めたノアは涼しい顔をしつつも、満足そうではあった。
「ええ、本当に楽しかった……」
踊っていて楽しい。そんな気持ちはアマリアには久しいものだった。幸福感に包まれていたアマリアは気づいていなかった。また、見落としてもいた。
「……君はいつもそう」
自身の周りには黒い影が渦巻いていることを。
アマリアは本気でした。男性パートを踊る気満々でした。