新月寮のいつもの朝、迫る影
山頂のふもとにある新月寮の朝。今朝も例外なく冷えていた。最低限の室温の中、アマリアは寮の自室にて目を覚ます。
「……ううう」
寒さが人一倍堪える彼女にとって、毎朝断腸の思いで起きていた。以前、もう一方の寮での豊かな暮らしを体感してしまった。それもあってか、尚更寒さが身に染みているようだ。
「いえ、起きるの。起きるのよ、私!」
テンションを絞り出すと、アマリアはベッドから飛び起きた。朝の身支度を済まし、朝食をとる為に寮の食堂へと向かった。
廊下に出て階段を下りようとしたところで、レオンとばったり会った。彼の隣にいるのは強面の先輩だ。アマリアが挨拶すると、二人も返した。軽いノリのレオンはいつものこととして、いつも仏頂面の隣の人物が機嫌が良さそうだった。珍しい、とアマリアは素直な感想を抱く。
「……っし、また頼むな。レオン」
「いやいや、こっちこそ!」
レオンは先輩相手だろうと、迫力のある相手だろうと憶することなく接していた。元満月寮にいた彼は、すっかりこちらの寮に馴染んでいた。アマリアはすごいと単純に思った。そんなレオンに巻き込まれるようにして、アマリアも一緒に食堂へと向かうことになった。
食堂に着いたタイミングでフィリーナとすれ違う。彼女が手にしていたのは、小さな袋だった。
「おはよう、フィー。朝食は済ませたの?」
「おはよう。うん、済ませた」
フィリーナはアマリアを、そしてレオンと強面の先輩を順にみる。面白い組み合わせ、と思いっきり顔に出ていた。それはともかくとして、フィリーナは手にしていた小さな袋を見せてきた。どこか得意げである。
「これから『あの子』にご飯あげにいくの。ふふん、今回はわたしのお手製。いつもおすそ分けしてもらっているけれど、たまにはね」
あの子とは、フィリーナが飼っている黒い小鳥のことである。フィリーナの生家で飼っていたのだが、学園までついてきたのだ。許可も得たこともあり、寮ではすっかり公認である。それだけ言うと、フィリーナは急ぎ足で自室に戻っていった。
「あの『寮長』がよく許したもんだ」
最上級生にあたる強面の先輩は、新月寮の寮長の怖ろしさを知っていた。同級生なので寮長とはかれこれ長い付き合いとなる。
「……その寮長も人間の心はあるからね?」
アマリアを含めて背の高い三人の下から声がする。小柄な少女がにこやかに言ってきた。目はもちろん笑っていない。圧が強い笑顔もそうだが、こうして地獄耳さながらに聞きつけてやってくるところも怖れられていた。
新月寮の寮長であるクロエ・リゲル。彼女も異国からの留学生であり、特有の緑色の瞳を持つ。華奢で幼さも残る美少女顔ながらも、静かに寮内にて怖れられていた。
「おはようございます、クロエ先輩。ええ、存じてますとも!」
「う、うん。そっか」
アマリアは心からそう言っていた。クロエに恩義を感じている彼女は、心酔しているともいえた。クロエ先輩がおっしゃるのなら、が彼女のスタンスである。日頃興奮気味で接しているアマリアに対し、クロエは若干引いていた。
「まあ、わかってくれたならよし。アマリアさん、顔色良くなったね」
「はい、ありがとうございます」
それでもクロエにとっては、何かと気になる可愛い後輩には変わりなかった。クロエはまだ朝食を終えてなかったので、彼女も一緒にすることになった。ますます珍しい組み合わせである。
「っし、食うか。腹減ってんだよ」
「あー、オレもオレも!」
朝から食欲旺盛な男子二名は、さっそく朝食の盛り付けにとりかかる。
「っと、止めるなよ寮長!今日はすっげ、腹減ってんだからよ!」
「止めないって。人が食べる量なんてたかが知れて……。うん、知れてるから」
クロエの物言いには含みがあったが、それ以上続けることはなかった。いくら新月寮といえど、食べ盛りの生徒達が飢えることがないように寮母達が試行錯誤している。アマリアも密かに参考しているほどだ。
「……で、アマリアさん」
二人になったところで、クロエは話しかけてきた。非常に言いづらそうにしていた。アマリアは何事かと構える。
「ごはん、食べてからにしよっか」
「はい」
それではアマリアは気になってしまったままだ。反対する理由もないのでアマリアは従うことにした。
「……うん、渡さないとだから」
クロエに招かれるがままに、アマリアは洗い場に来ていた。従業員達も朝食をとっている為、この二人以外は無人である。クロエが人目を盗んで渡してきたのは、手紙だった。
「……これは。ありがとうございます」
アマリアは丁重に受け取る。書かれている内容は侮蔑ではない。励ましなどが主だった。
悪意が主だったこの学園では特に有難いものとアマリアは思ってはいる。けれど、―この学園だからこそ。得体の知れなさを感じ取れ、その手紙を重々しく思えてならなかった。
「……で、この手紙に関係してるかもしれないけど。アマリアさんでしょ?あの謎ドレスは」
「!」
クロエが指す『謎ドレス』、それは。アマリアが色々あって、劇場街から持ち帰らざるを得なかった物である。元々はレオンがいずこから拝借したものだった。舞台上でアマリアが身に着けていたものであり、あれこれあって破れと汚れが酷い代物でもあった。
「な、謎ドレスでございますでしょうか?」
劇場街の産物であるので、クロエには説明し難い。それだけではない。アマリアが汚れを落とすのに奮闘していたが、力となったのが寮母からのお裾分けされた強力洗剤だった。その洗剤は名の通り強力な効き目である分、値段もお高いものであった。
クロエにバレては色々とまずい。だが。
「あははは、アマリアさん。またまたぁ、とぼけちゃってぇ」
「!」
クロエは着実に目星をつけていた。基本は有能な寮長を前に、アマリアはこれ以上とぼけることは出来ないと考えた。これ以上は得策ではないと。
「はい、私のものでございます。そして、着服をしたのは私です。申し訳ございませんでした、咎はこの私に!」
アマリアは素直に認めるしかなかった。いかようにもと、クロエに詰め寄る。
「便利な備品は使ってもらってこそだし。なんか逆にごめんね?」
「さようでございますか」
クロエの反応は軽いものだった。大した罪ではないのなら、あの高い洗剤は遠慮なく使って良いものだったのか。いや、それは違うだろう。今回は初回だったからだろう。
「それで本題。普通に一緒に女子寮生のと干してたでしょ?―それがなくなってて」
「なんと!」
あの謎のドレスが物干しからなくなっていたという。確かに上等なデザインではある。だが損傷が激しい。好き好んで持ち出す人物などいるだろうか。
「盗難の線で話を進めているから。私は寮の人達は信じたい。そうなると―」
「……こちらの手紙ですね。関係ない、そうは言い切れませんね」
アマリアは人前だろうと、渡されたばかりの手紙を開封することにした。いつもの励ましの手紙だったら何でもなかったで済む。クロエも内容までは踏み込まないだろう。
「……では」
アマリアは緊張をしつつも手紙を開け、読む。
「こ、これは!」
その内容は。―いつもと同じだった。応援している。見守っている。味方であると。
「ふむ……」
アマリアは頭を悩ます。学園の満月寮の生徒ということは知れているのだ、この内容ならばいっそ名乗り出てきてくれればと思っていた。
「アマリアさん?」
「いえ、普段同様です。ご心配おかけしました」
クロエが心配そうに顔をのぞかせてきたので、アマリアは慌てて笑ってみせる。アマリアは正直に答えた。その言葉に偽りはなさそうだったので、クロエも頷いた。
とはいえ、アマリアのドレスが紛失した事には変わりない。極秘裏に紛失被害届を出す事となった。
毎朝寒い思いしているのも、そろそろ可哀そうです。
彼女、ただでさえ寒がりなのでどうにかならないかと。