共に舞台に立つ彼ら
「お疲れ様、二人とも」
舞台の緞帳が下ろされたこともあり、アマリアとレオンは内幕にいた。ここは観客の目が届くこともない。そこでとある少女が待ち構えていた。
彼女もまた、光沢のあるビロードのドレスを身に着けていた。が、それを目にしたのは一瞬のこと。時間差もあったようだが、アマリア同様に学園の女子制服の姿になっていた。
「あれ、また謎のドレス?」
レオンが指摘すると、その少女はそうだと頷く。相変わらずというべきか、彼女だけ美しい舞台衣装が与えられていた。
柔らかな長い茶色の髪はいつ見ても柔らかそうだ。生まれ持った美しさから、天使とも人形のようとも称賛されている。優雅な立ち振る舞いもまた、育ちによるものだろう。
「フィー、あなたもね」
「ふふん、最後に滑り込んでみた。うたう、ってタイトルにあったから。張りきって待っていたのに。なんだったの、タイトル詐欺?」
通る歌声もフィーと呼ばれた彼女によるものだ。得意げに鼻を鳴らす。素の性格はこのような感じだ。
「まあ、そういうことは言うものじゃないか。って、アマリアも言いたそうにしているし」
フィリーナ・カペラ・アインフォルンは侯爵家の令嬢だ。アマリアのことを堂々と呼び捨てているが、一つ下の後輩である。蝶よ花よと育てられた彼女だったが、『隕石症』という病気を患ってしまう。それが起因して、彼女は心に傷を負ってしまうのだった。
夢と現実の区別がつかなくなる隕石症により、生来の魔力を暴走させてしまったフィリーナは、幼馴染にして親友である少女に火傷を負わせてしまったのだ。相手との関係も回復しており、火傷の痕も残らなかった。それでも、フィリーナは明るく振る舞っていても気にはし続けていくのだろう。
「まあいいじゃん。フィー、美味しいとこどりじゃん?」
「ふふふ」
何故だか知り合った当初から気の合う二人は、得意そうにしていた。フィリーナもそうだが、レオンもまた隕石症に苦しめられてきた。舞台を通して理解を深めた。そして、救うことができた。フィリーナもレオンもこうして今も笑顔でいられ、そして存在している。アマリアは微笑ましく見守っていたが、二人の影が完全に消えたわけではないと思い知る。
「ええ、お疲れ様。ありがとう、二人とも。……どうしても私、この公演に挑みたかったの」
自分といることで内向的な少女までもが悪目立ちするようになった。それで嫌な予感がしたところ、案の定だった。マレーネの劇場は開かれていたのだ。
かつて挑んだ一つ星公演の少年のように、杞憂の場合もあった。それでも、マレーネの劇場に足を踏み入れて確信したのだ。―マレーネは苦しんでいるのだと。
「っと、はしゃぎ過ぎた。わたしもね、わかるから。悪意に対して何てことないってことはないと思うの。アマリアもレオンだってそうだけど、平気な振りをしてたって本当に平気な人なんていない。だからわたしも何とかしたかった」
「それな。胸糞悪いからなー」
「フィー、レオ君……」
見えない存在からの手助けはあった。舞台に立たずとも力は貸してくれていた。それでも。これまでのアマリアは舞台は一人で立ち続けていた。孤独に悪役を演じ続けていた。
けれども今は違う。共に立ってくれる存在がいる。心強いとアマリアは思えた。
「……」
ふと、アマリアは天井を見上げる。いつも頭上から見下ろしてくる人物のことを思い出していた。
学園の支配者と名乗る少年である。中性的な美しさを誇る少年でいて、玉虫色の瞳は何もかもを見透かすようだった。それでいて、年相応なところもある。感情的になったり、―アマリアに執着している面もあった。
「いえ、実際の年なんてわからないのだけれど。それに、やたらと絡んでくるのも本当に参るわ。いつも私の事を呆れた目で見ているのに、これでもかと絡んでくるのだもの。理解しがたいわね」
一人アマリアはつっこんでいた。しかも説明口調でもある。アマリアの婚約者のこともあり、因縁の相手である。良い感情など持ちようがなかった。それでも。
「……」
今はいない支配者のことを考える。アマリアが舞台に立つことを、支配者はよく思っていない。アマリアの乱入により舞台が壊されることもある。それだけではないようだ。悪意が蠢く舞台の上に立ち続けることで、彼女の心身共に悪影響をもたらすことを懸念しているのだ。
彼が見逃してくれているから、舞台の上に立ち続けられることもあった。アマリアは彼に対して複雑な感情を抱いていた。
「―いえ、帰りましょうか。そうね、『彼』が待っているかもしれないわ」
アマリアがそう言うと、他の二人もある人物を思い浮かべる。共通の認識がある少年のことだ。
「うん。健気に子犬のように待っているかも」
「あー、出待ちに定評がある彼ね」
フィリーナ達の言いように苦笑しつつも、アマリアも納得してしまったので否定することはなかった。
「……子犬な彼」
アマリアはうっかり想像してしまった。密かに悶えてしまった。
「って、フィーのそれ。どうしたの?」
「えっと、これはね―」
「はっ!」
レオンの声でアマリアは正気に戻る。別の話題の二人は見て見ぬふりをしてくれていたようだ。アマリアもそそくさと会話に加わることにした。浸るアマリアをそっとしてくれた大人な二人に感謝しつつも―。
「あっれ?アマリア先輩、萌えてるの終わった?」
「も、萌え……?」
揶揄うレオンに、フィリーナもにやついてたと指摘してくる。スルーしてくれているわけではなかったようだ。
「私の事はいいのよ。……お手紙?」
フィリーナが手にしているのは手紙だった。白地の実にシンプルなものだった。
「うん、そう。匿名で送られてくるの。人伝で。……人伝、で合っているかな」
「匿名?」
「うん、匿名。でもね、わたしのこと応援してくれているみたい」
フィリーナは両手で包み込むようにしている。特にフィリーナの歌声を絶賛しているようだ。
「そう、素敵ね」
アマリアも微笑ましく思った。レオンも同意するように頷く。
「励ましの内容なら平和だよねー。って、そろそろ行かない?アマリア先輩も萌え終えただろうし」
「お待たせしたのは事実ね。でも決して萌えてなどはないわ。ええ、決して」
アマリアが必死に訴えるも、それは誤魔化しも同然だった。フィリーナとレオンに適当にいなされてしまった。
マレーネの劇場をあとにした三人は、帰路につく。今宵も賑やかだったこの劇場街も、夜明け前とあって人がまばらになっていた。夜が明ける前に、劇場街を出なくてはならない。原則とされていた。アマリアもある人物に強く言われたので、疑問は残りつつも大人しく従っている。
残りわずかな人々の話においても、マレーネの公演に触れていることはなかった。日常生活の話や、学園における噂話ばかりである。誰それの劇を早く観たい、公演が待ち遠しい。劇場街にまつわる話はそれくらいだった。
「あら。会えたわね、エディ」
入口近くにて、アマリアはある人物を発見する。アマリアと同じくらいの背格好の少年の姿があった。緑の瞳は異国のアルブルモンド人の特徴だった。
エディはあだ名であり、本名はエドュアール・シャサール・シャルロワである。シャルロワ家といえば隣国の名門貴族であるが、彼もまた訳があって学園にやってきたのだろう。日常、眠りに落ちることが多いので原因はそれでないかと専らの噂である。
「うん。ついさっきだけど。……お疲れ様」
眠たそうな顔ながらもエディは労う。三人は笑顔で返した。
「……」
それからはエディは無言だった。それきりだった。
彼はアマリアと劇場街で出逢い、絶望していたアマリアに手を差し伸べた人物である。劇場街の事情に精通しており、目覚めてもここからの記憶がある。それはアマリアもそうであり、隕石症であるフィリーナとレオンも同様だった。
「……お疲れ様」
エディが言う。それさっき聞いた。そうレオンが軽く茶化そうとしたが、エディの曇った表情でそれは取りやめた。
「んじゃー、帰ろっか!みんなおやすみー」
レオンが飄々としながら、先に出入口へと足を進めていく。おやすみ、とフィリーナも続く。
「私達も帰りましょう?」
浮かない顔のエディを心配そうにしながらも、アマリアはエディを促す。ずっと劇場街に留まらないようにと教えてくれたのは彼だ。
「あ、うん。あいつらにも心配させた。……折り合い、つけるから」
「……?無理はしなくてもいいのよ?気になることがあったら、いつでも言ってちょうだい」
「……うん」
エディが歯痒い思いをしている。アマリアはそれを汲み取れた。これは、彼女の推測には過ぎない。けれどエディなら気にするのだろうと、アマリアは自然とそう思ってしまう。―エディは舞台に上がることができないのだから。
マレーネの前の公演、とある乙女達の公演にフィリーナとレオンは加わることが出来た。アマリアと力を合わせて乗り切ったのだ。エディはそれを客席から見ていた。見ているしか出来なかった。
「エディ」
エディのままならない苦しさをアマリアはわかっていた。そのような彼に伝えたいことがある。
「言わせてほしいの。あなたの存在に助けられている。見守ってくれているのって、すごく心強いわ」
「……ん、ありがとう」
そんなアマリアの気持ちもエディには伝わっているのだろう。それでも見ているこしかできない事実。エディのわだかまりとなっており、彼は心から笑うことは出来なかった。
次第に夜が明ける。気まずい空気の中、二人も日常に戻ることになった。