一つ星公演 星空庭園にて、マレーネはうたう―開幕
―一つ星公演。『星空庭園にて、マレーネはうたう』。上演中。
「はあはあ……」
耳くらいまで切り揃えられた黒髪の長身の少女は今、駆け抜けていた。彼女にとってはいつものことだ。無尽蔵ともいえた体力で疾走し続けている。
アマリア・グラナト・ペタイゴイツァ。彼女は走り回ってこそだった。
制服のスカートを翻してターンを決める。ガーデンアーチを抜けると、そこは見事な庭園だった。見上げた先には満天の星空。見事な造形美に見惚れたアマリアだったが、視線を先に向けた途端にげんなりとする。生垣は入り組んでおり、迷路のようだった。
―くすくす。
―迷路ときたか。体だけでなく頭も使わないとだよな。
―おいおい、言い方。
「……」
アマリアが今いるのは、満天の星空の下の庭園だ。厳密にいえば、それは正しくない。
アマリアがこうして今宵も立っているのは『舞台の上』だ。誰かの劇場で今夜も奮闘していた。野次を飛ばしているのは、観客だ。観劇のマナーがなってないのは、こうした劇場においては当然ともいえた。そもそもお上品なものではないのだから。
「……いつもと感じが違うわね」
アマリアは夜空を見上げた。いつになくぼやけた空だ。夜空に掲げられたものは人工の月。舞台の上で灯りとしての役割を果たすものだ。それが今夜はいつになく頼りない。
「いえ、急がなくては」
視界は確保できているから良いと、次は自身の腕時計を確認する。『時間切れ』となってしまってはいけない。今からアマリアが挑むのは難解そうな迷路だ。赤い薔薇で構成された生垣を見てアマリアは、目印にすることにした。となると、何か道具が必要だと手持ちを確認しようとしていた。
「あら」
淡い光と共に都合良く出てきたのは、白いペンキだった。赤い薔薇に塗れば目印としては十分だった。
「ありがとう」
こうして力を貸してくれた『存在』に、アマリアはこっそりと感謝する。たくさん感謝したい気持ちを押し込め、今は目の前の迷路に集中することにした。
「……」
広大そうな迷路だ。アマリアはこみ上げてくるうんざりとした思いもまた、抑えつけようとする。
「―っと、やっと追いついた。アマリア先輩、いつも走り過ぎじゃね?」
後方から呑気な少年の声がする。焦るアマリアとは対照的だった。彼もまた学園の制服姿でゆるく着こなしている。若干短めの黒髪に、朗らかに笑う彼は相手に爽やかな印象を与える。初対面の相手でもすぐ打ち解けられるような、親しみやすい少年だ。
彼はレオン・パロクス・シュルツ。名門の騎士の子息であり、アマリアの一つ下の後輩にあたる。日常や舞台を通して、紆余曲折はあったもののレオンとは心を通わせてきた。
「しかもバカ正直。迷路に入らなくてもさ、ぐるりと外周すればよくない?」
バカ正直呼ばわりはさておき。いきなり禁じ手を提案してきた。
「それともさ?バッサバッサいっとく?」
主張内容はさておいてだ。人好きのする笑顔で、この迷路をぶっ壊そうと彼は申しているのだ。
「……それは」
あんまり過ぎるのではないか、とアマリアは受け入れがたかった。馬鹿正直と称された通り、日頃のアマリアは真面目といえた。頭が固すぎるというのも否定できない。
「……いいえ」
―だが、それは日常での話だ。今いる場所ではそうである必要。それはない。
「お行儀悪くいきましょうか」
アマリアが手にしていたペンキは姿を変える。刈込バサミだ。これ見よがしに配置された迷路は罠の可能性は高い。それでも、招かれているのならばとアマリアは考える。迷路に入らないで外周するとなると、それこそ際限ないのかもしれない。下手したら時間切れの可能性もある。結局二択だったが、アマリアは迷路に入る事を選んだ。
「そうこなくちゃ」
にやりと笑ったレオンは、いつの間にか斧を携えていた。この少年の事なので、どこかから『拝借』してきたのだろう。使い慣れてないけど、と彼は言うがうまく振り回していた。
「!?」
庭園がざわめく。比喩ではなく、ところどころから呻き声が聞こえてくるのだ。うまく聞き取れないが、恨めし気なものだった。
「ひっ」
さっきまで威勢が良かった少年が、小さく悲鳴をあげる。こうした怪奇現象が不得手な彼は、青ざめていた。
「落ち着いて。これは、そう。演出よ。そうしたものではないわ」
勇気づけるようにとアマリアは少年の肩に手で触れる。
「ひっ!」
突然の肩タッチにレオンはさらに悲鳴をあげた。逆効果だったか。
「……いや、ごめん先輩。だよなー、いちいちキリないってな。これは演出、演出……」
もはや暗示だった。まだ顔に青さは残るが、それでも彼は頷く。ひとまずは持ち直したようだ。
「そうよ、演出よ。さて―」
生垣から棘が飛んできたので、アマリアは交わす。少年が超反応と口にするほど、素早いものだった。―アマリアはここでなら、身軽でいられる。今まで手にする機会がなかった物騒な武器もうまく使える。
「荒らさせてもらうわよ!」
伸びてくる植物の蔦もハサミで断ち切っていく。生々しい感触と断末魔にアマリアは眉を寄せる。それでも自身の身を守る為、そして先に進む為にと奮い立たせる。
「これは演出、演出……」
まだ言っていた。それでも、彼もまたそうだ。自分達に襲いかかってくるのなら、と無表情で切り捨てていく。怯えていた彼はもういない。
「……」
冷徹な彼もまた、また彼。アマリアは横目で再確認しつつも、共に邁進していくことになる。
日常ならば、悪目立ちすることもあって真面目で礼節あるように心がけているアマリアだ。―それでも、ここでなら違う。優等生である必要もなく、求められてもいあに。求められているのは、『悪役』だ。
不思議な国みありますね。