二つ星連名公演 ―私達の破滅のお茶会へようこそ―糾弾されるはエレオノーラ嬢とカンナ嬢―開幕
舞台に上がれても、いつ支配者に追い出されるかわからない。それでも彼を納得させればまだ可能性があると。アマリアはそれに賭けるしかなかった。
「―ごきげんよう。エレオノーラ様、カンナ様」
深窓の令嬢に相応しいドレスを纏った二人の前に立つ。突然のアマリアにエレオノーラは驚く。
「……ええ。ごきげんよう、アマリア様」
戸惑ったのは束の間のことで、エレオノーラはすぐに平静さを取り戻す。エレオノーラは闖入者であるアマリア相手を不審に思いつつも、冷静さを失うことがない。満月寮でのノアとのやりとりで憤った時こそ、いつもの彼女らしくなかったのだろう。
「……来る気、してたわ」
「ええ、カンナ様」
カンナも騒ぎ立てることもなく、アマリアと相対する。それはきっと事前にアマリアと舞台上での関わりがあったからだ。
「……そうよね。ご本人であられるのね」
「わかってるじゃない」
エレオノーラの舞台装置でない。『カンナ本人』だった。
「参りましょう、カンナ。……皆、待ってるわよ」
「ええ、お姉さま。ねえ、アマリア様。……またかきまわそうとするの?」
相手に続こうとするも、カンナは足を止める。そして、アマリアに問うた。
「ええ、そうよ」
「……引き返した方があなたの為なんだからね」
予想通りの答えだった。先行くエレオノーラも、目の前のカンナも会釈する。そして背を向けた。館の前にはいつの間にか執事服の男性達がいた。エレオノーラ達を丁重に招き入れる。そのまま闇に溶け込むかのように、二人は消えていった。
「……屋内が本番なのね。では私も馳せ参じましょうか」
館の前に待ち構えているのは執事達だ。エレオノーラに向けていた優雅な笑みは、アマリアの前だと消失する。
『―失礼ながら、どなたかのご紹介でしょうか。紹介状はお持ちでしょうか』
「……覚えがある展開だわ」
アマリアは呟く。カンナの舞台でも似たようなことを尋ねられた。向こうは招待状だったが。
「……それならそれで。こうするまでよっ」
アマリアは執事達の隙をついて、扉の前まで辿り着く。蹴破りでもすれば突破できる。アマリアはそう信じていた。
「っ!」
はしたない状態で足でドアを蹴る。だが、びくともしない。逆に痛いを負ったのはアマリアの方だった。今にも痛みでもんどり打って倒れそうだった。
『なんと野蛮な……。ああ、教養を受けて来られなかったのでしょうか』
『果たして令嬢といえるのでしょうか。蛮族そのものでは……?』
執事達は大袈裟に言い回す。
「なんの……」
どう罵られようと気にしないと、アマリアは今度は体当たりをかまそうとしていた。だが、観客達の不満そうな溜息が聞こえてきてしまう。観客達から見向きもされなくなってしまってもいけない。それもまた、舞台から追い出されてしまう要因だ。
「……ならば。―大変失礼致しました。わたくし、足がもつれてしまいました。ああ、今もふらつきます」
今更ながら令嬢らしき振る舞おうとする。しおらしくなったアマリアを見た執事達は表情を和らげるも、扉が開かれるまでもない。
『……わたくしどもとしましても、このままお通しするわけには参りません。相応の身なりでお越しくださらないと』
『―こちらにおられるのは、選ばれしご令嬢の皆様。場に相応しい服装を』
指摘されたアマリアは、自身の服装を見る。学園の制服だ。何なら今までの公演は制服一筋でやってきた。かれこれ武器だの靴だのあれど、基本の衣装は違う。制服で通してきたのだ。それが今になって、通用しなくなってたのだ。カンナの公演のように強引に突破は出来そうにない。
「……」
アマリアは認めたくない。だが、この状況はこう言わざるを得ない。
―詰んだのだと。
「ねえ、アマリア?気が済んだ?」
ここぞというタイミングで見下ろしながら話しかけていたのは、支配者だった。蒼白しきたアマリアは彼に言い返す気力がない。
「アマリア。きみの為に言ってあげる。―きみは思い上がっていたんだ。舞台の上なら何でもできると思った?きみ一人で?頑張ればどうとでもなると思ってた?」
「私は……」
アマリアが言い返せないのは、気力がないだけではなかった。支配者は間違ったことをいっているわけではなかった。
「私は、それでも……」
これまで勢いと不屈の心で公演を乗り切ってきた。今回もそうだと彼女は信じていた。それと同時に思い知ってしまう。支配者の言った通り、誰かの力があってこそアマリアはやってこられた。
「……」
胸元に隠されたネックレスにアマリアは触れる。朽ちた婚約指輪を感じ取った。前の公演のように戦う術がなかったら。今身に着けている学生服のように、その場に相応しい装いでないとしたなら。―頑張ってもどうにもならないのだとしたら。
「舞台の上できみひとり。これ以上何が出来るの?」
「私に……。私には……」
舞台の上では、ただ一人で立つ。今になってだった。アマリアはその孤独に打ちのめされそうになってしまう。もう、何も言えない。アマリアは俯いてしまった。
「あー……」
支配者もここまで追い詰めたいわけではなかった。言い過ぎたかと、彼は伝える。
「うん、大人げなかった。アマリアがここまで頑張ってきた。ぼくにはちゃんとわかっているから」
「……」
憎き相手に優しくされると、余計にアマリアは精神的にくるものがあった。沈むアマリアの前に支配者は降り立つ。手を伸ばした彼は慰めようとアマリアの頬に触れた。
「もう、舞台の上できみに出来ることはない。でも、落ち込むことなんてない。ぼくがちゃんと傍にいるから。いつだって、そうだよ?」
「そんなの、ごめんだわ。……今日が無理でも明日なら。……衣装が必要というのなら、今度は用意するまでよ」
完全に強がりだった。アマリアにも矜持がある。たとえ口だけであろうと、気持ちだけでも負けるわけにはいかなかった。
「……用意を」
鉄の意思で動かない執事達。力任せで突破できなかった建物。どこでというのか。どこで調達ができるというのか。―今のアマリアでは阻む障害を乗り越えられるというのか。
「ねえ、いつまで強がる気?」
出来もしないのに、と支配者は続ける。
「……ずっとよ。強がり上等よ。私はそれでも諦めは―」
「へぇ。ふふふ」
彼はくすりと笑った。さぞかし馬鹿にしているのかとアマリアは思っていた。
「……ほんと、きみは可愛いな」
「……!」
まだ馬鹿にされた方がましだった。愛しそうに細めた彼の目には、いたいけな少女としてアマリアは映っているのだろう。アマリアはあの悪夢のような自身の公演を思い出してしまう。アマリアは何も言えなくなってしまった。
「……」
日頃の言い合いも支配者にとってはそうだ。可愛い反抗程度なのだ。これだけで格が違うのだと。アマリアは思い知らされてしまった。
「ああ……」
強がりすらも失ってしまった。もう、エレオノーラもカンナも救えない。いや、救おうという考えすらおこがましかったのか。―またしても、結末を受け渡してしまうのか。
「かわいそうに。きみにとって悪夢だったね。おやすみ、アマリア」
蠢く黒い闇がアマリアを取り囲もうとする。支配者はどこまでも優しい笑みを向けていた。
「ここまでなの……?こんな、終わり方なんて……」
アマリアの声が掠れていく。もう、何も出来ないと目の前が暗くなりかけた。力なく瞳も閉じようとしていた。
「―一人じゃなきゃ、いけるんでしょ?ヌルゲーじゃね?」
随分とこの舞台に似つかわしくない口ぶりだった。アマリアは思わず目を開けてしまった。
「え……?」
アマリアは何度も瞬きをする。アマリアに手を差し出してくれているのは、執事の青年だった。撫でつけられた髪に、皺が一切ない執事服を身に着けている。突然の見知らぬ執事。いや、違うとアマリアは即座に否定する。
「いや、今のなし。喋り方変えないとあかんやつ。―アマリアお嬢様、お待たせしました。あなたのレオンが参りました」
―レオ君。
アマリアは口だけで彼の名を呼ぶ。普段とがらりと雰囲気を変えているが、レオンだった。突然現れたこともあるが、どうやってここまで来たのかもわからない。
「おまえが何でここに……!」
先程の上機嫌からうってかわって、支配者は険しい顔つきでレオンを睨む。当然、支配者が呼んだわけでもない。招き入れるわけがない。
「先輩さ、今困ってない?」
支配者のことはさておいて、レオンはこっそりと耳打ちする。観客に聞こえないならば、いつもの喋り方に戻すようだ。
「……どうしたものか。そう考えているわ。そうでしょう、レオ君?あなた、舞台にまで―」
「そういうの、今よくない?アマリア先輩さ、終わりたくないんでしょ?」
「!」
レオンの言う通りだった。まだ可能性がつながっているのなら、アマリアは何を優先すべきか考えた。
「……着ていく服がないのよ」
「うん、ドレスコードときたか。くるよねー」
「くるよねー、ですって……?」
レオンの軽い反応にアマリアは面を食らった。館のみがそびえ立つ舞台上、どこから調達すべきかもわからない。それでアマリアは困り続けていたのだ。
「……うん、客たち利用したろ」
「えっ」
レオンが何かしでかすようだ。アマリアの横を通り過ぎると、観客達の方へと向き直る。アマリアはハラハラとしながら経過を見守る。
「……んんっ。当家のアマリアお嬢様は、自由奔放なお方。今もこうして学生たる制服でおいでなさるのですから。学生の本分なのだからとお思いでしょうが、いささか空気が読めておられないのでは?」
「……なんと」
レオンが落ち着いた青年の声を作るが、言っている内容は随分なものだった。アマリアがそう思っていようと、レオンは構うこともなく続ける。
「なりません、アマリア様。―皆様が望むのは、麗しきご令嬢。皆様にいただきたいのは、少しばかしのお時間。それさえ頂戴できたのならば」
「……!?」
突風と共に舞い散ったのは花吹雪だ。観客達は目を奪われている。
「どのご令嬢方にも劣らない。―この世の誰よりも美しい。花のように咲き誇る令嬢を御覧にいれましょう」
不敵な笑みを浮かべた執事姿のレオンは、観客席にも花を咲かせていた。近くにいた少女達は華やぐ。レオンは次々と観客達を沸かせていく。
「……早着替えでお願いっ」
「これは……」
アマリアはレオンから手渡されたある物を抱える。ここからはアマリアの推測でしかない。劇場内に舞い散る花達はレオンが仕込んでいたものだろう。そして、レオンから渡されたのは。
―古めかしいデザインながらも、繊細な刺繍が施された上質なドレスだった。どこからはわからないが、レオンが拝借したものだろう。
「ありがとうっ!」
ドレスだ。願ってもないものだった。舞台袖に引っ込んだアマリアは、早速着用することにした。コルセットもなく、そもそも体型にも合っているかもわからない。だが、アマリアは四の五の言わない。それこそ根性で着こなそうとしていた。
「……え?」
手にしていたドレスが、淡く光って消えた。アマリアは気が動転するが、自身の胸元を目にした。
古めかしいドレスを、アマリアはいつのまにか身にまとっていたのだ。体のあちこちがキツイということもなく、アマリアの体にぴったりであった。
「え?え?」
余計に混乱が極まるアマリアではあったが、早いに越したことはないと考え直す。時間稼ぎをしてくれているレオンを待たせることもないと、アマリアは早々と舞台上へと戻っていく。
「早着替えが過ぎる。……っと」
思わずレオンが素に戻るほど、鮮やかな手並みだった。アマリア当人は不可解なままだが、なんてこともないと笑顔で取り繕った。
ドレス姿のアマリアが現れた。上等のドレスは、彼女の生来の美貌を引き立てる。客席から感嘆の溜息が零れる。観客達の反応も上々と思われた。
「……?」
ふと、アマリアの胸元のネックレスが揺れた。微かに灯り始めるのは、白く淡い光だ。
―マーちゃん?
声にはならずともその名を呼ぶ。アマリアは確かに感じた。『彼』の存在だ。その事に喜ぶも、今は目の前の舞台に集中しようと気持ちを切り替える。
アマリアの呼びかけに答えるように、アマリアの胸元は彩られていった。首飾りは小さな宝石らが連なり、反射する光が眩い。髪飾りもまた、彼女の漆黒の髪に映えるものとなっていた。派手派手しいものではなく、いたって品のあるデザインといえた。
花のように咲き誇る令嬢は、上品に微笑む。アマリアは今、堂々と立っていた。
「……」
渋々といった体ではあったが、舞台上の執事達は館の扉を開く。アマリアは、舞台に無事招かれたのだ。ゆったりと歩くアマリアに続き、レオンもしれっとついていく。
薄暗い廊下を歩いていく二人。
「……」
優雅にありつつも、アマリアは内心焦っていた。ここまで来られたはいいが、『紹介』といった言葉が気になったからだ。近づくにつれ、令嬢達の談笑が聞こえてくる。 聞き覚えのある声もあった。
ヨルク派の少女達だ。ヨルク派以外となると彼女達の紹介、認められた淑女でしか入り込めないのだろう。
「あー……。ワタクシハ執事ニゴザイマスカラ」
「ええ」
レオンの言わんとしていることはわかった。執事として潜り込んだレオンには、この女の園で出来ることは限られているのだと。アマリアとしてはこうして屋敷に足を踏み入れられただけでも、奇跡だったのだ。深く感謝する。だが、それはそれとしても問題は続いていた。
令嬢達の話し声が静まり始める。聞こえてきたのはピアノの旋律だ。美しく透明な音色に彼女達は耳を澄ましているようだ。誰しもが酔いしれていた。
「あ」
ピアノの演奏主が指を止めた。可憐なその少女は、広間の来訪者達に気がついたからだ。ヨルク派の少女達も倣って部屋の入り口を見る。
「ごきげんよう、皆様」
アマリアが挨拶をするも、ヨルク派の面々は一斉に刺すような視線を向けてきた。これはどうみても歓迎されていない。アマリアの出で立ちこそ令嬢そのものであってもだ。
「そうね……」
ここまでお膳立てしてもらったこともあり、荒立てるのはアマリアとしても避けたかった。時間は有限ではあるが、アマリアは最善を考えようとしていた。その時だった。
「まあ、皆様。怖いお顔をなさらないでくださる?わたくしが招いた方ですの」
「……あなた」
ヨルク派に目を止まってしまっていて、アマリアはピアノの演奏者にまで意識がいってなかった。演奏していた少女もまた、よく見知った存在だった。
「お待ちしておりましたわ。―アマリア様」
袖も裾も膨らませたドレスを身に着けた彼女は美しいデコルテを見せている。宝飾品もこの場にいるどの令嬢よりも豪華なものだ。いつもの長く緩やかな下ろされた髪は今はまとめ上げられている。天使を彷彿させるような美しい見た目に、洗練された振る舞いはまさに令嬢の中の令嬢。
フィリーナ・カペラ・アインフォルン。侯爵家の令嬢である彼女もまた、レオン同様に潜り込んでいたようだ。
「あなたまで……」
そこまで口にするも、アマリアは言いやめる。それはレオンの時に既にしたやりとりだからだ。フィリーナまでも舞台に巻き込んでしまった。それでも。だとしても、アマリアはやり遂げたいことがある。心の中で謝辞を述べながらも、舞台に意識を向ける。
ヨルク派の乙女達もまた、複雑そうにしていたが。
―侯爵家のご令嬢が招いた方なら。
―こちらの令嬢ほどの人物がそういうのなら。
決して大歓迎されているわけではない。それでもアマリアは舞台に留まることを許されたようだった。観客達もまた、この異色の令嬢の行動を見守り始めている。
「くっ……」
上空で顔を引きつらせている支配者は、それでもアマリアを追い出そうとする。
「ねえ、あなた」
「な、なに?」
支配者に話しかけてきたのはアマリアだ。彼とのやりとりは、観客や舞台上の登場人物にはよく認識されてないようだ。アマリアは落ち着いた口調で語りかけることにした。こうも穏やかに話してくることはないので、支配者は支配者で内心びくついていた。
「あなたの指摘通りだったわ。私、確かに思い上がっていた。自分一人の力でここまで来たわけではなかった」
「……ぼく、煽られているのかな」
「あなたの取り方次第じゃないかしら。私は思ったことを述べただけよ」
「ふん。……そうだね、お仲間が増えたもんね」
一層面白くないと、支配者は口を尖らせる。可愛い、などとアマリアは決して思っていない。アマリアは静かに首を振って否定した。
「ええ、心強いわ。……あなただってそうだったのね。仲間の定義に当てはまらないとしても、それでもそうよ」
「……アマリア?」
「今までの公演もそうだったわね。静観してくれていたわ」
「……それは」
思えば支配者の力をもってすれば、アマリアをさっさと追い出すことは出来たはずだ。アマリアは振り返っていた。
「―だからお願いよ。今回も見守っていて」
「!」
支配者は驚きのち黙ってしまった。返す言葉が見つからないようだ。
「……ずるい言い方」
それだけ言うと、支配者は気まずそうにしながらも定位置に戻っていった。ひとまず静観をしてくれるようだ。
「……」
「……」
わざわざ中央の席に座らせているのは、エレオノーラとカンナの二人だ。重苦しい雰囲気となる。針のむしろであるこの二人を救い出す必要がある。アマリアは息を吸うと、高らかに告げる。
「本日はお招きに預かり光栄にございます。―アマリア・グラナト・ペタイゴイツァと申します」
ほとんどのヨルク派の面々は、アマリアを風変りの得体の知れない令嬢として捉えているようだ。アマリアは今はそれをさておく。
―二つ星連名公演。『私達の破滅のお茶会へようこそ―糾弾されるはエレオノーラ嬢とカンナ嬢』
「このタイトルは一体……」
カンナの公演題目を若干踏襲しているのはこの際いい。連名公演というから、エレオノーラとカンナの舞台とアマリアは考えていた。主役は注目度からしてその二人に違いないだろう。だが、一筋縄でいかないとアマリアはふんだ。
「なんてこと……」
アマリアは背筋が凍る思いがした。それにまだ早めの段階だからこそ、二つ星と言う事で済んだ。もう一つ考えられるのは、エレオノーラとカンナだけでは済まされない。ヨルク派全員と考えられるとしたら。
「……それでも、私は」
舞台の幕は上がってしまった。アマリアは進むしかない。
乙女達の美しくも残酷な茶会が今、始まろうとしていた。
今回長いです。区切りどころがなかったのです。