爽やかな朝の始まり
「うう……」
翌朝。アマリアは体内時計で早く目覚めた。だが目覚めが良くないのは、疲れもあるがこの寒さである。顔を洗っていても、水の冷たさに半泣きだった。だが、こんな事でめげていられないと気合を入れた。
「……おはよう」
彼の事は覚えている。その事にアマリアは安堵した。
「ぼうはわ!」
歯磨きをしながらアマリアは思いついた。そうだわ!と閃いたのだ。
彼に関する事を記録したらどうだろう。容赦なく記憶を消してくる事もあり、無駄に終わる事もある。だが、断片的にでも残ってくれれば、それだけでも報われる。朝の身支度を終わらせ、朝食をとる為にダイニング室へと向かう。
アマリアの学園での一日が今日から始まる。
由緒正しきプレヤーデン学園。良家や富豪の子息や息女、果ては他国の王族まで通う名門校である。一部では悪しき噂が流れているが、数多くの著名人を輩出している。それは紛れもない事実だ。学園では多くの知識を身につけ、そして、道徳や品性を学ぶ事ができる。上流階級に相応しい紳士淑女として世に出る事ができる。
―ただ、学園の言う通りにしてればいい。学園の生徒として相応しくあればよいのだ。
「ああ……」
アマリアにとっては薄手に感じる見た目重視のコートをまとっていた。朝の通学路は彼女に容赦などしない。気分転換に見慣れない朝の風景を見渡す。しっかりと除雪されており、様々な石が計算された美しさに敷き詰められている石畳の通路。均一に植えられた木々。談笑しながら優雅に歩くのは生徒達だ。誰一人眠たそうな人物などいなかったので、アマリアは姿勢を正した。
アマリアはこっそり彼女達がやってきた方角を確認する。寮がある方ではなかったからだ。地図を確認する。後方にあるのは大型の図書館だ。朝から学習とは恐れ入った、とアマリアはしきりに感心していた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
微笑しながら、朝の挨拶を交わし合う。アマリアも声をかけられたので、返した。学園の生徒として馴染んでいるのだろうか。自分の令嬢ぶりは不自然ではないだろうか。取り繕って澄ました顔の下、アマリアは思考を巡らせていた。
こうして穏やかな朝の通学路を、アマリアは一人歩いていた。
クロエを含む寮の面々はばらばらな時間で寮を出ていた。朝から動き回っているクロエの雑用を手伝っていたアマリアは、我らが寮長の多忙ぶりを実感する。となると、登校の事まで心配かけるわけにはいかなかった。寮の事務員の女性に学園の地図をもらい、こうして一人登校することになった。
まあ、とアマリアが声をあげたのは本校舎近くの満月寮を見上げた時の事だ。赤いレンガ造りのモダンで格式のあるその寮は、かなりの高さを誇っていた。大半の学園生が暮らすという事もあり、厳重な警備がしかれていた。
「おはようございます、皆様方!」
一人の警備が敬礼すると、他の者達も続く。何事か、とアマリアは反応してしまった。そして、その先にアマリアは目を奪われてしまった。
花のような女生徒の集団だった。美しく、そして洗練された少女達が学園に向かうようだ。一人ひとりがハイレベルな麗しき令嬢達だった。
その中でもひと際美しい少女がいた。中央にいる令嬢だ。周りの少女達は取り巻きだろうか。いずれも美少女に変わりないが、どうしても人の目を惹きつけるのは中心にいるその少女だった。
ゆるく巻かれた柔らかそうな亜麻色の髪に、はっきりとした目鼻立ち。すらりとした体形に長い手足。まさに人形のようだった。彼女の所作一つ一つに見惚れていたのは、アマリアだけではなかった。付き合いがあるであろう他の令嬢たちもだ。
「……あら?」
アマリアはその少女と目が合ってしまった。思いのほか見つめ続けていたようだ。
「失礼致しました。ごきげんよう」
ひとまず取り繕うことにした。正直気を悪くしたと思ったアマリアだったが。
「ごきげんよう。見ない方ですわね。噂の編入生の方でしょうか?」
「はい、お初にお目にかかります。わたくしはアマ―」
「失礼。参りましょう。―フィリーナ様」
噂になっているのか、と思いつつもアマリアは名乗ろうとした。だが、それを遮るのは少女の側にいた人物だ。こちらはふわふわとした少女とは対称的に、まっすぐな黒髪に切れ長な瞳を持つ、落ち着いた雰囲気の美女だった。
「あら、時間ですわね。それでは、わたくし達はこれにて。失礼させていただきますわね」
フィリーナと呼ばれた少女は、上質な腕時計で確認した。以降、アマリアの事は気に留める事もなく、集団を引き連れて学園へと向かっていった。
「来たばかりでしょうから、ご存知ないでしょうね。―あの方は、フィリーナ・カペラ・アインフォルン様。失礼のないようにお願いしますね」
先程の話を遮った少女だけ残っていた。アマリアに対しそう言い残してから、中心人物の少女の元へと戻っていた。
「……アインフォルン様?」
アマリアが思い当たる人物はいる。だが、訝しげに見てくる警備の目もある。アマリアも取り急ぎ満月寮から去ることにした。
アマリアは学園に辿り着いた。その大きさに彼女は驚く。学園の門の上には天使達の彫像があった。生徒達を見守るかのようである。その門を抜けると、いよいよ学び舎である。石壁でゴシック様式の建造物がいくつか連なっている。玄関口にあるステンドグラスの美しさには圧倒された。
職員達が集う部屋に通され、そこでもアマリアは挨拶をする。
「ああ。よろしくね。えっと、ペタイゴイツァ家のご令嬢、と」
「よろしくお願い申し上げます」
けだるげな男性教師が椅子に座りながら。アマリアを出迎えた。彼が担任教師との事だ。
「ああ、南にある港町のね。……よく、通したものだな」
「!」
アマリアはぎくりとする。某伯爵家の強力なコネの事を指摘されたと思ったが、そもそもそれはなかった事になっている。子爵といえど、今や落ちぶれた貴族がなぜ通ったのかとも。
「ああ。まあ、ペタイゴイツァ子爵の経済事情はさておき。わざわざうちでなくても、他にも学べる場所はあっただろうに」
「……それは」
いつぞやの馬車の運転手もアマリアの事をそう評していた。
「おっと、今のはなしで。まあ、編入は許可されたんだ。ただ大人しくしていればいいさ。まあ、問題を起こしそうには。……なんだこの威圧感」
男性教師はアマリアを見る。長い黒髪は後ろで白いリボンでまとめている。長身で、こう威圧感があるなと、椅子から見上げた男性教師は正直に言う。そう言われても困るアマリアだったが、さらに指摘されてしまう。
「―悪役顔って、言われない?」
「なんと!悪役顔、でございますか!」
「……ほら、今も語気強いでしょ?頼むから大人しくしてくれよ」
「なんと……。いえ、気を付けて参ります」
アマリアは言いがかりとは思わなかった。容姿の事を言われたのは正直気分は良くない。だが、大人しくしろ。これは再三言われていることだ。アマリアはその忠告を受け入れる。
「感心しませんよ、先生?生徒に対して何を言うのですか。容姿に触れるなんて、それこそ問題になりますよ」
「いや、容姿と思われたのなら悪かった。ほら、先生来てみてくださいよ。代わりに座って。圧がすごいから」
傍から聞いていた他の教師が失礼だと言ってはくれたが、男性教師に言われるがままにその人物も座る。アマリアもフォローしてくれた教師を見る。いや、見下ろす形になってしまった。
「本当ですね、圧がすごい……」
「ほらね」
どうして入学初日にこのような扱いを受けなくてはならないのか。アマリアは心の中で嘆いた。
「……」
教室に入ると、担任から自己紹介をしてくれた。編入生自体そうそういない為、もの珍しそうにみられた。だが、珍獣を見るような目を向けられても、誰一人話しかける事もない。
アマリアから話しかける事にした。手始めに質問をする。それには返答してくれる。だが、それだけだ。アマリアは途方に暮れた。高度な授業についていけなかった事もある。自習に集中する。いくつかの授業をこなして、ようやく。―終業の鐘が鳴った。
紳士淑女だそうです。