ヨルク派への鬱憤
学園の空気は険悪そのものだった。引き金になったのは今朝の出来事だ。ヨルク派の中心人物であるエレオノーラに疑惑がもたれていた。―彼女の本命は別の人物ではないのかと。
「……」
当事者であるアマリアも罪悪感があった。気持ち背中を丸めながら学園の廊下を歩いていた。
―ヨルク様とその取り巻きのことなんだけど。あれだけヨルク様、ヨルク様って慕っていたくせにさー。
―カンナ様もさ、ほとんど黒じゃない?本人はスルーしているけど。
―あれだけ調子に乗っていたのにね。ただヨルク様の陰に隠れて、他の男にうつつ抜かしていたとか。笑える。
―やだ。男とも限らないじゃない。
だがそれはきっかけの一つに過ぎない。ヨルクを笠に権威を奮っていたヨルク派のことを面白くないと思っていた。それが露見されたのだ。学園の、主に女子生徒達の日頃の不満が溜まっていた。
「と、取り消してください!私達は選ばれたことを誇りに思ってます!それに私だって……!本気であの方のことを―!」
噂話をする女子生徒に声を震わせながらやってきたのは、ヨルク派である一人の少女だった。女子の集団は割り込んできた彼女のことを品定めしている。
「ふーん。ステイタスに思ってるってこと?確かに誇らしげだもんねー?」
「取り消して!」
嘲笑する発言に我慢ならなかったようだ。ヨルク派の少女はつかみかかる。だが、振り払われてしまいそのまま転倒してしまう。
「あ、ごめ……」
「どうして、こんなことに……。私達はただ……」
そこまでするつもりはなかったようだ。たとえ相手がそうだとしても、ヨルク派の少女は立ち直れなかった。
「……立てるかしら」
アマリアはヨルク派の少女の体を起こす。怪我自体はしていないようだ。茫然自失としていたヨルク派の彼女は言葉を発することもない。
「さっすが、『寛容』な方は違うのね。その子可愛いものねぇ」
アマリアの行為を揶揄するように言う。今朝のノアとのやりとりを耳にしていたようだ。集団は嘲笑で溢れかえる。
「……冗談でしょう。あれだけヨルク様に好かれている貴女が」
助けたヨルク派の少女にも距離を取られる。アマリアは余計なことをしてしまったのかもしれない。
「かわいそ。アマリア様引かれてるじゃん」
「―でしょうね。でもいいわ。私は恥ずかしいと思ってないもの」
余計なお世話だったとしても、自分は間違っているとは思っていない。アマリアは堂々としていた。どう馬鹿にされようが気にしない、という気概がみてとれた。
「……ふん!」
授業の準備もある。女子集団は面白くなさそうに散っていった。ヨルク派の少女も続くように去ろうとしていたが。彼女は足を止めて、振り返る。次にとった行動は頭を下げることだった。
「……助けていただいたのに、申し訳ありませんでした」
「いいえ。怪我はないようで良かったわ」
「……はい」
怪我はない。けれど、心は抉られている。ヨルク派の少女は胸を痛めていた。アマリアも痛ましく思えてならなかった。
「本当にどうしてこんなことに……。何もかもお姉さま方が……」
「あなた……?」
「―失礼致しました。とんだ恨み言を聞かせてしまいましたね。……私も貴女のように堂々としております。ええ、気にしてはいられません。いつものように誇りに思っていれば良いのです」
アマリアはその暗い表情が気がかりだった。相手を気にかけて声を掛けようにも、取り付く島もなかった。きっと、言葉が届いてない。
「……」
アマリアの胸騒ぎは消えてはくれない。
―今宵、劇場街で何かが起こる。そう思えてならなかった。
「……はあ」
一刻も早く劇場街に向かいたいアマリアだったが、中々寝付けなかった。難儀なものだと自身に対し溜息をつく。
人のいる空間にもいる気になれず。かといって、自分の部屋にもいられず。そんなアマリアは談話室のソファで時間を過ごしていた。気を紛らわせようとする。部屋にあった新聞を見るも気はそぞろだった。内容が頭に入ってこない。
「ほら、戻って戻ってー。はい、チェックつけないよー?」
廊下からクロエの声がした。寮長として点呼を行っているようだ。時間か、とアマリアは立ち上がることにした。
「おやおや、こんなところにも一名発見。ほらほら、時間だよ?」
おどけてクロエが入室するが、浮かない顔のアマリアを見て表情を改める。
「……アマリアさん、眠れない?」
「ええ。……ご心配おかけしましたね。自室で横になったら休まりますし、自然と寝られるでしょうから。おやすみなさい、クロエ先輩」
劇場街の話など出来るはずもなく。ただでさえ忙しそうなクロエにも話せない。談話室でうだうだしていても仕方ない。アマリアは会釈をして戻ろうとしていた。
「……アマリアさん、あのさ。誰かに話したら楽にならない?エディ君とかでもいいし、他の子でもいい。私に話せる内容だったら、もちろん私だって」
「いえ……。今朝のコーヒーが響いているだけですから。節度は守らないとですね」
そう。劇場街の話を出来るわけがない。心配そうにしてくれるクロエ相手だろうと、話せるわけがない。エディも本日は終始眠そうだった。自分の不安の為にエディを叩き起こすわけにはいかない。フィリーナやレオンもそうだ。いたずらに彼らを巻き込みたくない。
アマリアは頑なだった。クロエもそれ以上引き下がることもない。点呼に向かおうことにしたようだ。それでもこれだけはと言い残す。
「アマリアさん。あなたって頑張ってるから。だからだよ?手を差し伸べたくなる人って、きっといるから」
「……ありがとうございます、クロエ先輩」
「うん。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい。……重々承知です、クロエ先輩。私一人にはあまりにも重く。そしてままならないことも。……存じているのです。だからこそ、それだけ重いからこそ」
談話室の扉が閉まり、遠ざかるクロエの足音。残されたアマリアは本音を漏らさずにはいられなかった。アマリアもわかっていた。自分の周囲は優しい人達がいる。と、同時に痛感していた。たとえ甘えたい気持ちはあっても、劇場街のことはあまりにも重すぎるのだと。