一つ星公演 ダーリンとカンナの結婚式へようこそ!―まだ幕は下りてません―
「良い風ね」
少女一人を抱えてアマリアは走ってきた。着いた先は小高い丘だった。遠くには海が望める。アマリアの故郷の海にも似ていた。
「よっと。ここまでくれば大丈夫かしら」
小柄で軽いとはいえ、人ひとり分を抱えてきたこともある。アマリアの腕は重くしびれていた。ゆっくりとカンナを降ろした。
「アマリア様。……何がしたかったの」
大人しくされるがままだったカンナが、ようやく口を開く。
「そのままよ。あなたの結婚式を止めたかった」
あらゆる意味があったので、アマリアは力を込めて言う。
「……」
その言葉を受けて、カンナは黙りこむ。沈黙は続いたが、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……夢の中くらい、いいじゃない。現実じゃ、もう叶わないんだから」
カンナはわかっていた。カンナは現実ではありえないとわかっていたのだ。
「もう、手遅れなんだから。もう、ダーリンは。ダーリンは……!!」
感極まったカンナは声を荒げ、言葉の続きを叫ぼうとした。
「カンナ様!」
「っ!」
アマリアは強引に抱き寄せた。意表をつかれたカンナは押し黙ってしまう。アマリアは落ち着かせるように背中を撫でた。
「そうね、カンナ様」
「っ!?なにがそうね、なのよっ!ダーリンはもう、私のこと……!」
―忘れてしまう。
アマリアはより強く抱きしめた。カンナの言葉を覆い、そして包むように。
稀有ではあるが、学園で問題を起こした教職員もいないわけではない。学園追放処分となる。犯罪者となると国に引き渡すが、今回の件は法に触れているわけではない。そうなると、このような処置が行われる。
対象者に対して、記憶の消去を行う。この学園に関する事を秘匿する為にだ。そして、学園の生徒に悪影響を与える人物を二度と関わらせなくする。
長年想い続けてきたカンナにとっては耐えがたいことだった。この学園に来ても子供扱いが続いてはいたが、年月が二人の関係に変化をもたらしていく。長い時間を経て、二人は思いを通わせるようになったのだ。
「彼がいないなんて、もう耐えられない。……それなら、私も一緒がいい。明日、私も正直に言おうと思ってる。全部洗いざらい話す」
「!」
「……そうよ、ダーリンの名誉の為でもあるの。他の子に手出したなんて、……多分、ありえない。言い寄られていたのは事実だとしても―」
「カンナ様っ!」
動揺したのはアマリアだけではない。声に出さずとも観客達もどよめいているようだ。カンナが語るダーリンが誰なのか、今の発言でかなり特定されてしまっただろう。
カンナはただの退学処分だと考えているのだろう。けれどもこの学園において、それは通用しない。
「……それは。それは、いけないわ」
アマリアは頭上の支配者の存在のことを考える。どこまで記憶が消されるかはわからない。
「聞いてほしいの、カンナ様」
このままカンナの相手が知られてしまったら、相手どころではない。カンナ自身が。
忘れられてしまう。
それは何としても避けたかった。アマリアは手段は選んでいられなかった。
「本当に、ただの退学扱いだと思っているの?あなたの身にも何かが起こるかもしれないわ。よく考えて」
「何かって」
「何かよ。……そう、『同じこと』かもしれないわ」
仮定だとしても。そうはならないことだったとしても。カンナを踏みとどまらせる為なら、アマリアは脅しとなる言葉をかけていく。
「……同じこと」
カンナはただただ相手の言葉を繰り返している。ふと、彼女の瞳から零れたのは一粒の涙だった。
「ダーリンと同じ。私も彼の事を…」
―忘れる。掠れ声と共に、その言葉は消えていった。
「全部。ダーリンと出逢ったことも、全部」
「……!」
カンナの瞳から光が消え、虚ろな瞳となる。それでも。それでも、彼女は綺麗な笑顔でこう告げた。
「……もう、それでいい」
「カンナ様……っ!」
無常にも迫りくるのは刻限。今、舞台の幕は下りた。
「……」
舞台の幕が下りてしまい、アマリアは舞台に取り残されてしまう。カツン、と足音がした。振り返るとそこにいたのは支配者だ。
「終わったけど?」
支配者はそっけなく言う。その通りだ。この一つ星公演は、たった今終わってしまった。夜が明けたら、カンナはすぐにでもばらしにいくだろう。
「あーあ、今日のはもう終わっちゃったし。―次の公演の時まで。一晩は待ってあげるけど、さすがにわかるよね?」
「……それは」
待つとは聞こえがいいが、支配者の中では結論づいているのだろう。カンナの行動次第で、明るみに出る事実。それは、この学園に相応しいものではない。―その日の公演の結末を覆すことは、到底不可能だ。
「……」
「……っく、ぐすっ」
「……カンナ様」
舞台の上に座り込んで泣きじゃくる少女がいた。カンナだ。彼女がどうして舞台に残ったままなのかはわからない。それでも留まっている。ならば、アマリアはこう考える。
「幕はまだ下りてないわ」
アマリアはカンナに、その次に支配者に目を向ける。
「きみは何を……」
「まだ終わってない」
「……はあ。そうだね。諦め悪いんだったね」
終わった舞台をまだ終わってないと言い張るアマリア。突っ込むのも野暮かと支配者は去っていった。
「カンナ様。……今なら大丈夫よ。あなたの心内を話してちょうだい」
「……私」
「大丈夫。ここなら、誰に知られることもない。……ええ、夢の中だかもの。私も忘れるわ」
アマリアは致し方ない嘘をつく。ただ、カンナの言葉を待つ。悠長に待っている事態ではないとしてもだった。アマリアは彼女に合わせるように座り込んだ。
「……夢の中。そうね」
カンナはゆっくりと語り始めた。
「……もともと、望みの薄い恋だったの。私が押しきって、迫って。それでようやく。彼は、私を抱きしめたりはしてくれた。でも、それ以上はなかった。……私が怖がるから、やめてくれてた」
「ええ」
「軽く触れ合っていただけ。今思えば、昔と変わらない接し方。……ほんとに相手にされていたかはわからないわ。私一人が浮かれていたのかも」
「……」
「彼も多くの女子生徒に言い寄られたのも見てきた。綺麗で大人びた婦人や、可愛げのある乙女たち。中には本気の子もいたと思うわ。わかる。……本当は、私が知らないだけで。本当は他の子たちともっ!」
彼との恋は一方的なもので、自信がなかったとカンナは泣き続ける。
「……いつも、疑ってばかりで。他の子達にも威嚇してばかりでっ!自分が勝手に追いかけて、好きになって!……本当は相手にされていなかったのかも。それでもね、彼と一緒だった毎日は幸せだった」
「……わかるわ」
アマリアは自然と言葉に出してしまっていた。彼女もまた胸が痛くなっていた。その原因はカンナの話を聞いただけではなく、アマリア自身の感情に根付くものだった。記憶を失ってしまった『彼』に関する事なのかは、今のアマリアにはわからない。
「……ああ、そういうこと」
きょとんとしていたカンナだったが、察した彼女はアマリアに近づく。
「アマリア様、あなたもなのね。あなたも片思いをしていた。なら、わかるでしょう?幸せだったけど。―辛いのも」
「……否定、できないでしょうね」
「だからね、私思ったの。……いっそ、忘れてしまった方がいいかなって。アマリア様がさっき言っていた通り、私が暴露することによって大変なことになるかもしれない。それでもいいかなって。それで、もう辛くなくなるなら」
自棄になりながらカンナはそう言った。泣きながらも、彼女なりに前向きであろうと。その為に下したカンナなりの結論だった。
「そうそう、この学園って素敵な殿方がたくさんいるじゃないっ?いくらでも恋のきっかけはあるはずよっ」
「本当にそれで良いのかしら」
無理してでも明るく振る舞おうとするカンナ相手に、アマリアははっきりと返す。
「いいに決まってるじゃない!」
カンナは水を差すような発言をしたアマリアに対し、語気を荒げる。アマリアはただ首を振った。
「……本当に、彼のことを忘れて良いの?あの方があなたに対し、本当はどう思っていたのか。私にはわからない。けれども、故郷で待つ婚約者。それはあなたのことでしょう?この学園にいます、と正直に言えなかったのでしょうね」
第二校舎の職員室にて、カンナの想い人はそう話していた。
「……私や親がそう決めていただけ」
「あら、そうなのね。てっきり、双方合意だと思っていたから。……愛しそうに話されていたものだから」
「それ、アマリア様の思い違いじゃ……」
「ええ、私の主観よ。私もあの殿方に騙されていたかも知れないわね」
「……っ!」
詰め寄ろうとしたカンナよりも先に、アマリアが距離を詰めた。そして、カンナの頬に手を染める。
「―なんて、言葉が過ぎたわ。私は、実際に接して温かい方だと思ったわ。あなたは?あなただって、そう思っているのでしょう?だから、彼に惹かれた」
「私は……」
「辛かった。そして、幸せだったのでしょう?あなたは、彼にまつわる記憶が消えても良いと言っていた。―カンナ様、本当にそれでいいの?後悔しない?」
「後悔なんて……」
そのままカンナは俯いてしまった。
「……自暴自棄にならないで欲しいのよ。相手があなたのことを忘れたとしても。あなたまで本当に彼のことを忘れたいの?」
「忘れたい……」
「そう。……といっても、私も何が正しいかはわからないわ。彼への思いを叫び続けて恋を貫くのか。困難な恋を引きずり続けてもらうのか。……彼を想い続けるようになって、酷だものね」
「……」
アマリアもカンナも黙りこんでしまった。ようやく、アマリアは口を開く。
「……ごめんなさいね。私、あなたがうらやましいの」
「……?」
「あなたならまだ間に合うわ。彼との記憶を失わなくて済むのよ。カンナ様がただ、想いを胸に秘めてくれれば」
「よくわからないわ?」
カンナからしてみれば、何の事やらだろう。それでも。
「ええ、私も多くは話せないから。うらやましいのは、それだけではないわ。……幼い頃から出逢って、彼と付き合うようになって。そうね、幸せだったのでしょう?私、やっぱり互いに想い合っていたと思うのよ」
「それは、幸せだったけれど……」
「もう一度聞くわ。本当に良いの?あなたが彼を想う気持ちも、彼との思い出も。本当に失っていいの?」
「だから、それはっ……!」
「―取り戻すのは容易ではないわよ。彼との出逢いも、彼との思い出も。……彼への恋心も。失った時、絶望しないなんて言える?」
「!」
アマリアの言葉はあまりにも重かった。まるで実際に体験したのではないか、とカンナは思えてならなかった。
「カンナ様。あなたはまだ終わってないわ。終わらないで済むの。……幕は下りてなんかないのよ」
「……」
カンナは無言のまま、立ち上がった。
「アマリア様、私っ!」
「カンナ様!……っ!?」
アマリアも続いて立ち上がろうとするが、ふらついてしまう。今になって舞台の疲れが出ているようだ。アマリアは忌々しく思いながらも、追いかけようとする。
無理もない話だった。今回は『彼』の力も使えず、自身の肉体と根性に頼るしかなかった。支配者からのプレッシャーも無意識に堪えていたのだろう。―何より、アマリアは舞台の上では孤独だった。
「しっかりなさい、私……!」
ようやく立ち上がるも、立っているのがやっとだった。
「無理しなさんなー」
「あなたは……」
舞台袖から顔をのぞかせているのは、ウサギの着ぐるみだった。この舞台まで送り届けてくれた着ぐるみだった。
「体調の優れない生徒は送り届けますってね。君のことは王様の命令でもあるけど。つか、もう時間やばいし」
「あ……」
夜明けまでには劇場街を出なければならない。よっと担ぐウサギに遠慮する力もなかったアマリアはされるがままだった。気になっているのは、入場直前に話しかけてきたフィリーナと、彼女に賛同するようなレオンのことだ。先に戻ると伝言を頼もうとした。
「ああ、あのお二人?粘りに粘っていたけど。ほら、時間っしょ?先にご帰還願った」
「そうでしたか……」
「私らも帰らないとまずいからねー。よっと、障りのないように飛ばしましょうかねー」
「……お願い致します」
カンナは決断してしまったのか。それとも、迷っているのだろうか。
「……」
せめて迷っていてくれるのなら、可能性は途切れたわけではない。アマリアは祈るばかりだった。