学園の王子様と麗人の遭遇。
「……」
アマリアは五年生の階の廊下を歩くことにした。目的地は階の端にある指導室までだ。わざとらしく見えないように、それでいてゆっくりと歩く。
―ねえ、聞いた?あの教師の話!
―耳にしましたわ。善良な聖職者と信じておりましたのに。人は見かけにもよりませんのね。
―聞いた話だとさ、複数の女子に言い寄られていたみたいだって。で、手出したわけだろ?
「!」
顔では平静を装っていても、アマリアは衝撃を受けていた。あれだけ故郷の婚約者を想っていたのではないのか。それも偽りだったのか。アマリアはあの教師とは昨日会ったばかりだ。よく知らないのは確かなので、彼女は盗み聞きを続行する。
―複数!それも、下の学年の子をってこと?えー……。
―生徒に手を出すってだけでもアレなのに、節操なしって……。
「……あれくらいオトナァって感じならともかく?」
話を聞いている内に、アマリアは指導室前へと辿りつく。その生徒の台詞はアマリアに向けてのようだ。見た目だけは、という誉め言葉のようでそうではないもの。
視線が集まる。あの令嬢が指導室に何の用かと、別の興味も沸いているようだ。
「失礼致します、アマリア・グラナト・ペタイゴイツァにございます」
ノックをし、返事を待ってから入室した。
「―はい、昨日の件です。無事、お届けしました。ええ、お役に立てて何よりです。―ええ、日頃の業務はさぞかし大変であると存じます。今後も微力ながらお役に立てればと」
昨日に用事を頼んできた教師と会話をし、アマリアは退室をした。教師からの依頼の報告をしただけだった。
「となると、そうね―」
まだこのフロアだけでは情報が十分ではないかもしれない。予鈴が鳴るまで時間はある。アマリアは行動範囲を広げることにした。
「……くっ」
「呼び出しじゃないとか、ありえなくない?」
面白くなさそうにしている生徒達の存在に、アマリアは気がついてないわけではない。今は相手にしていられないと放置することにした。
第二校舎へ向かう途中も生徒達とすれ違う。似たような噂話ばかりだ。アマリアは階段を下りて、踊り場へと足をつける。甲高い女子の声がした。
「おはようございます!どうなさったのです?ご一緒しましょうよー」
「ああ、すまないね。待ち人がいてね」
それをすまなさそうに断るハスキーボイスの持ち主。アマリアは心当たりがあった。
「ノア様?」
「おや、キミだね?」
学園の麗人と謳われる存在がそこにいた。アマリアに向けて微笑みかけてきた。
「ごきげんよう、ノア様―」
「うん、待ち人が来たようだ。さあ、行こうか」
「!?」
アマリアは挨拶と同時に連れ去られてしまった。強引に腕を組まれた様は連行されたといったほうが正解かもしれない。事態が掴めないアマリアは、無理なく離れようとするもそれは出来そうにない。
「なあに、悪いようにはしないさ」
「そうでしょうけど……!」
これだけ目撃者がいる中で、相手も学園を休みがちな儚なげな生徒とする。さすがに危惧するようなことはないと、アマリアは思えてならない。ただ、アマリアを拘束するような力はかなり強い。本当に病弱なのかと疑いたくなるほどだ。
「ノア様ぁ……」
ノアを見かけてご機嫌だった少女は、切なそうな声を出していた。強制連行されているアマリアが辛くなるくらいだ。
「……ああ、いけないね。こちらの姫君を送り届けたら、キミの元へと戻ってくるよ。ああ、約束するさ。だから、ボクを信じて待っていてくれないか?」
「はいぃぃぃ……」
ノアが目配せすると、少女は力が抜けてその場に座り込んだ。とてつもなく刺さったようだ。
「夫人は悲しませたくないからね」
「それは良いと思うけれど……。ああ、流されたわね」
それが信条だと言わんばかりだった。そのノアと共にアマリアは場を去ることになってしまう。といっても、アマリアはここは流れに乗ることにしたようだ。
そのまま学園の外へと連れ出され、二人は並んで歩いていた。アマリアが抗う気はないようなので、あっさりと拘束は解かれた。
「―そうそう。うちの寮だと室内に運動設備もあってね。ボクはあまり利用しないけれど」
「そうなのね。各々好きに利用でいいと思うわ。それにこうして歩くのも良い運動になるし。……ノア様、あなた大丈夫なの?気分悪くなったら言ってちょうだい?」
ノアは学外の施設に向かっているようだ。アマリアも記憶にある道なので、場所が想像ついた。それなりの距離がある施設だ。連れ出した張本人ではあるものの、ノアの体調が心配になってきた。
「ふふっ、アマリア君」
返ってきたのは笑い声だった。
「ああ、失礼。ボクが病弱。……ああ、そうだね」
「ええ。無理はなさらないで」
「大丈夫さ。最近は調子がいいんだ。もちろん、キミの言う通りだね。無理は禁物だ」
ノア当人がそういうのなら、アマリアは無理に言う事もない。そのまま当たり障りのない会話を続けて到着したのが、一帯は暖かさが保たれている温室だった。
「……?」
温室に縁がある人物といえば、ヨルクが浮かぶ。ノアは彼に用でもあるのだというのか。尋ねるようにも、ノアは声を静めるようにと人差し指を唇にあてていた。ノアがやると自然で、そして様になる仕草だ。
温室には入らないようだ。アマリアは誘導のままに、温室の外周へと回ることになった。良い位置に積まれた木箱があったので、二人は身を潜める。少しだけ顔を出すと、ガラス張りの壁からは中の様子がわかった。
「―」
長身の黒に近い茶髪の男子生徒は、おそらくヨルクだろう。背中ではあるがほぼ断定できた。声は聞き取れない。
「―!!」
ヨルクの前に女生徒がいる。相当な小柄な相手で、隠れてしまっている。その少女の声も聞こえはしないが、ヨルクよりは声を荒げている様子だ。取り乱す相手をヨルクが必死に宥めているようだ。
「!」
少女は耐えきれないといった様子で飛び出そうとしていた。ヨルクは相手の華奢な腕を掴んで引き留める。少女の姿が確認できた。目に涙を溜めながら見上げる彼女は。―カンナだった。まだヨルクと言い争っているようだ。
「彼女は……」
「おやおや。なるほどなるほど」
修羅場かと青褪めるアマリア、その一方でノアはしきりに頷いていた。
しばらくして、カンナはようやく落ち着いたようだ。だが、肩は落としたままであり、下を向いたままヨルクから離れ去っていく。その背を見守っていたヨルクではあったが、放っておけないと判断したのだろう。彼女を追いかけていく。
「……やっぱりね」
「え?」
目の前の揉め事を静観していたアマリアとノアだったが、ノアは腑に落ちていたようだ。当然というべきか、アマリアには何がやっぱりかはわからない。
「それは?……いえ、そんな」
それでもアマリアに思い浮かんでしまうことがある。ここ最近の出来事と擦り合わせて考えうることだった。ノアは笑うだけかと思いきや、アマリアの耳元に口を寄せた。
「―キミも察しがついているんじゃないかい?それとも、ボクの口から答えが知りたい?ふふ、どのみち今は無理だよ。……どう聞き耳立てられているかわからないからね」
「……それはそうね」
「そう、今ではない。いずれ、といったところかな」
「いずれ?」
秘密話はおしまいと、ノアは近づけた口を離した。アマリアは全体を掌握できたわけではない。けれど、こうして連れてきてくれたからこそ、取っ掛かりが出来たこともある。
「ノア様。あなたはきっと、私に利があると考えて連れてきてくれたのね。ありがとう」
「ふふ、さてね?さ、ボクたちも戻ろうか。かの令嬢も待たせているからね」
「ええ、そうね―」
ノアが自然と手を差し出す。アマリアはもその手を取ろうとしていた。
「……覗き見、ね。あまりお行儀が良くないかな?」
「ヨルク様!」
距離はあるものの、ヨルクは通る声でアマリア達に話しかけていた。いつものにこやかな笑顔もそこにはなかった。状況からして当然といえたし、盗み見てしまったのは事実だ。
「ええ、仰る通りです。覗いてしまったのは事実です。大変申し訳なく思っております」
「ああ、いいよ。そこの子に付き合わされていたと思うから」
「いえ、私も自分の意思でついていきましたので」
「……ああ、そうだね。君も律儀についていくことないのにね」
「はい……」
いつものアマリアへの接し方ではない。言葉に棘があった。ノアは二人を交互に見たあと、ヨルクに声掛けた。
「さすがはモジャウハラート氏。気づかれていたとは」
ノアは誰を指しているのか。アマリアは数秒後に気付く。ヨルクのことだ。ヨルクの事を名前で呼ばない生徒は珍しい。
「……君ね。というか、あの木箱は何かな。ちゃんと片付けておいて」
「おやおや、唐突だね。何の事だい?ボクに申しつけられてもね」
白々しく言いのけたノアは、アマリアの手を自然と掴んだ。余計にヨルクの表情が固くなった。一呼吸をして、自身を落ち着かせたようだ。
「うん、このへんにしとかないと。……アマリアちゃんのこと、頼んだよ」
ヨルクはカンナを改めて追いかけていった。
「私こそ、ノア様のことを配慮―。……行ってしまわれたわ」
見事なまでの俊足だった。あの様子ならすぐに先行くカンナに追いつくだろう。
「さ、ボクたちも戻ろうか。モジャウハラート氏行ってしまわれたからね」
「ええ、そうね。長居は良くないわね」
冷たい強風が体を打ちつける。アマリアもそうだがノアも堪えるだろう。
「……というより、お二人は旧知の仲なの?」
「なんだい、急に?」
アマリアはふと、ノアとヨルクを見てそう思ったようだ。
「そうね、突然だったわね。ただ、あなた達って壁がないように見えたから。ご友人かしら。ヨルク様も女性相手には柔らかく接しておられるけれど、あなた相手だと良い意味で遠慮がない感じがしたの」
「ははっ」
「そうね、おかしな話をしたわね」
「まったくだね。いいかい、アマリア君?彼とは知り合いだよ」
ノアは同意すると同時に、アマリアに言い聞かせる。
「あら」
「そして君とも知り合い。フィリーナ嬢達とも知り合いといえるね。ああ、学園の生徒達とも長い付き合いになるね」
「……ノア様」
そう言われては身も蓋もなかった。
「旧知の仲。友人ときたか。……モジャウハラート氏とだろう?ないない、ないよ。彼とはないね」
「……そうだったのね。失礼したわ」
「いいや、気にすることはないさ」
二人が話しながら本校舎に着いた頃には、とっくに一限目が始まってしまっていた。
「さて。今から授業に参加しても、だね。どこかで時間潰そうか」
ノアからの提案だった。確かに今から授業に参加するとなると、中途半端になってしまう。
「いいえ、今からでも参加するわ。ノア様はゆっくり休んだ方がいいわね」
アマリアは教室に戻ることにしたようだ。ノアは寒空の下、体にはよくないだろう。
「出席扱いにならないのに。真面目なことだ」
「いいえ。学ぶ機会は出来る限り失いたくないもの」
「……ふっ。はははっ」
「ノア様?」
真面目に話したつもりのアマリアだったが、何故かノアに笑われてしまった。軽い笑いだったのですぐに収まった。
「ああ、失礼。……なんだか懐かしくてね」
ノアは昔を懐かしむような顔をしている。一方、アマリアは懐かしまれるような要素は自分にはないと思っていた。
「私じゃないでしょうね。お知り合いの方?」
「そうそう、知り合いさ。となると、生徒全員が該当するね?」
「あらあら、引っ張ってくれるじゃない。っと、いけない。教室に戻るわ。あなたも無理せずにね」
「ふふ、無理なんてしないよ。残念、逢引は断られてしまったね」
肩を竦めたノアは、わざとらしくがっかりして見せた。
「あいっ……。ふふ、いけないわね。先約があるでしょうに」
先程からノアのペースだ。アマリアは何てことないように見せる。
「ああ、わかってるさ。彼女とは昼の約束でも取り付けるよ。悲しい思いをさせた分、たっぷり甘やかさないとね?」
「え、ええ。そうね?」
ノアがして見せたのは、人を惹きつけてやまない魅惑的な笑みだった。たとえ同性相手だとしても、免疫がなさそうな少女はひとたまりもないだろう。アマリアも例外ではない。
「それでは、アマリア君。またね?」
「ええ。改めて、今日はありがとう」
「お安い御用さ。キミの為ならね」
颯爽と去っていく相手の背中をアマリアは目で追っていた。ノアはどこまでも様になる。ノアに本気になる令嬢がいてもおかしくないだろう。実際にいるかもしれない。