考えもしなかったやきもち
満月寮前を通り過ぎるも、今日は新月寮へ向かう生徒は見かけない。
「……」
それならと、アマリアは早歩きで帰ろうとする。
「……考えすぎかもしれないのよね」
旧校舎にて後をつけられたということも。保健室にて今は一人にしたくないと言われたことも。だからといって、アマリアの身に危険が迫っていると断定できるものではない。
「……それでも、怖いものは怖いのよ」
得体の知れない手紙も届くようになった。
「ええい……!」
この際だと、アマリアはこの場で開封することにした。このままだとズルズルと引きずりそうだからだ。
「……これは」
二度目の白紙を覚悟していたが、今回は文章が綴られていた。アマリアは文面を改めて確認しようとする。早歩きをしながらだった。
「―待ってたわ、アマリア様」
満月寮を少し過ぎた林で待ち構えていたのは、カンナだった。他のヨルク派女子を連れ立っておらず、彼女一人で待っていたようだ。
ここぞというタイミングで邪魔される。なんていう日なのだろう。
「もう遅い時間よ。危ないわ」
カンナは幼げで、かよわき美少女だ。アマリアは心配する。
「あなただってそうじゃない」
「私はほら、迫力あるもの。なので気にし過ぎかと考えていたところよ」
「ふん、よくわからないけれど。私、あなたに訊きたいことがあって」
一歩一歩、カンナは近寄ってくる。次第に彼女の顔は険しいものとなっていく。
「私、あなたのこと見誤ったかな。殿方に対して軽はずみなことはしないと思ってた」
「何故そのようなことを。私は―」
「……よく、言えたものね!あなたは、噂通りの女なのよっ!」
ついにはアマリアの目の前で来た。カンナは睨み上げた。アマリアはその迫力に怯むも、何とか話し合いができる状況にもっていこうとする。
「カンナ様、落ち着いて。……あなたは私に対して不信感をもっているのね。でも誤解があったなら解かせてほしいの」
「……っ!誤解も何もないわよっ!あなたは男好きだって!皆がそう言ってる!私だって今はその通りだって思う!」
「カンナ様……」
今のカンナは焦燥にかられているようだ。取り付く島もない。それでも。誤解にしろ何にしろ、そう思われる節があったのだろう。それならそれで話をしないといけない。そう考えたアマリアは一呼吸した。
「カンナ様。振る舞いに問題があるなら直すから。ただ、あなたもよくご存知でしょう?ヨルク様のこと、私は恋慕はしていないと―」
「……ヨルク様?」
「そうよ、ヨルク様でしょう?」
日頃あれだけヨルク第一であろうとしているのはカンナだ。カンナの思い人はヨルクのはずだ。それなのに、なぜだろうか。
「ああ、ヨルク様ねぇ……」
夕日を背に立つカンナの表情は逆光でわからない。ただ、声は冷淡としたものだった。そこに情欲などない。
「……ああ、いっそヨルク様でいいじゃない。あなた気に入られているもの、ヨルク様にすればいいのに。早くヨルク様のものになればいいんだ!」
「……?」
アマリアは耳を疑った。何故急にヨルクとの進展を望まれているのかが、わからなかった。
「そうすれば、他の殿方にも見向きをしなくなって……。『彼』のこともそうよ……」
「カンナ様、あなた……」
カンナが何かを必死に訴えている。気づけばアマリアの胸元にあった手も、縋るものへと変わっていく。
「―あなたみたいに綺麗で大人びた人。きっと、多くの殿方と恋をしてきたんだ。そんな女性が相手じゃ、私はとても……」
カンナの声は次第に弱弱しくなっていく。
「違うわ、カンナ様。それこそ誤解よ。私、家のことばかりで色恋は縁遠かったのよ。それに、好きになった方は―」
「……なによ」
「いたとしても、あなたが知らない方よ。だから、あなたが心配することはないの」
誰もが存在を忘れている、自分の婚約者のこと。彼を思えばアマリアの心は温かくなる。けれど、そこに恋愛感情があったのか。アマリアは未だそれがわからずにいた。わずかな幼少期の記憶だと、婚約者のことを慕っていたようにはみえた。
「……」
アマリアが可能性があるとしたら、その婚約者だけだろう。他にあってはならないのだと、アマリアは自身に再確認する。
「本命がいるというなら、紛らわしいことしないで。私の彼に気安く近寄らないでよ」
「あなたの彼というのは。―いえ」
カンナの様子からして、最早ヨルクではないのだろう。これまで目にしてきた姿が何だったのかというくらいだ。それを踏まえた上で、アマリアは伝える。
「……あなたは、ヨルク派の方でしょう。ヨルク様を慕う、いち乙女。そうでしょう?」
「……」
アマリアは真の相手を尋ねることなどできない。この学園のことだ。どこで聞き耳を立てているのかわかったものではない。
カンナは言えない相手なのだろう。そして、ままならない恋をしている。こうして隠し通しているのだ。ならば、隠し続けるべきだとアマリアは思った。
「……帰るわ」
「……ええ、お気をつけて」
話はこれで終わった。アマリアは暗い背中を見守るしかできなかった。