温和な青年教師との出会い
「……」
翌日の放課後、アマリアは自分の席に座ったままだった。彼女が今、見つめているのは机の上にある二通の手紙だ。一つは一昨日届いたもの。そして二つ目は今朝になって届いたものだ。この一つ目の手紙というのが、今朝届いたものによって思い出されたものである。アマリアはそれまで忘れていたのだ。
「私という者は……」
衝撃的な出来事に出くわしたとはいえ、すっかり頭から抜けきっていた。なんと不義理なことかとアマリアは頭を抱え込んだ。
一つ目はこれ以上失礼はいけない、と自室に戻って開封した。文面を確認しようとする。だが、アマリアは首を傾げた。
―何も書かれていなかったのだ。
隅々までみても、透かしてみても何もない。思えば嫌がらせの文面が来ていた可能性もあった。それならまだ何もない方がいいのか。
いや、それはそれで怖い。そうした経緯もあって、アマリアは二通目も確認するべきか迷っていた。
「……いいえ」
アマリアは腹を決める。このままモヤモヤしているよりは、判明した方が良いと考えた。今回のも白紙だったら、それはイタズラだろうと結論づけた。今の気持ちのまま、アマリアは帰りたかった。早く帰らないと決心が鈍ってしまいそうなのもある。
「失礼するよ。ああ、残っている生徒いたね。すまないが誰か頼まれて―」
だが、このタイミングで頼まれごとが発生してしまった。アマリアとしては旧校舎なら腰が引けていた。けれども今回は低学年が通う第二校舎だ。多めではあるが書類を持っていけばそれで済む。アマリアが引き受けることにした。
第二校舎をつなぐ連絡通路を通る。すれ違う生徒は、まだ幼くあどけない。アマリアを見て怖れる生徒もいるが、無邪気に挨拶してくる生徒もいる。アマリアも柔らかく挨拶をした。
「あの、僕お手伝いしましょうか?」
「ああ、大丈夫よ。ありがとう」
アマリアの両手は書類の山で塞がっていた。そういえば、とアマリアは思い出す。下級生に向けた学園生活の心得。その内容でレポートを出していた。アマリアも編入したてながらも、内容をひねり出していたものだ。
そうこうしている内に、第二校舎の職員室に到着した。目的地である。アマリアはノックしようとする。が、両手は塞がっていた。
「……アマっちぃ。頑張ってるじゃん?失礼しやーす!」
「!」
新月寮の先輩、恋愛話が大好物のスーザンだった。馴染みの先輩だったので、アマリアは顔が緩む。そのまま挨拶しようとするが。
「いっけね。アマっちが大変そうだったから、つい」
「えっ、スーザン先輩?」
ついさっきまでスーザンがいたはずだ。職員室の扉を開けてくれたはずだ。だが、その姿はない。どこかに隠れたようだ。というより、なぜ第二校舎にスーザンがいるかすら謎だった。
「君、どうやって開けたのですか?」
「……気合で開けました」
おかげで両手が塞がっているのに自力で開けたという、謎の女子生徒の姿が出来てしまった。
「大変だったでしょう。ご苦労様」
「いえいえ。では、こちらお願い致します」
「はい、しかと受け取りました。うん、先輩方は沢山記してくれたのですね。感謝しなくては」
アマリアに声を掛けてくれたのは男性教師だった。年若く、見た目ならアマリア達生徒とそう変わらなさそうだ。柔らかく笑う、好青年といったところか。
「では、失礼します」
ひとまず用事は済んだ。
「ああ、君は確か。―南部出身でしたよね?」
「ええ……?ご存知でしたか」
「ああ、失礼しましたね。僕も南部の出なのですよ。それで、勝手ながらも親近感を覚えておりまして」
「まあ、先生もでしたか」
この学園の人間で、南の地方出身はそう多くない。この教師は心底嬉しそうにしていた。アマリアが南部出身なのは、あの良くない噂から知ったかもしれないが。
「はい、僕もです。君のクラスのフェルス君もですよね」
「っ!……はい。彼もそうだとか」
突然の名にアマリアは声を上げてしまったが、すぐに笑顔をつくった。
「そうなのですよ。彼とはたまに話すのですよ。郷土料理や、毎年の祭りのことなど。あと、寒さへの愚痴なども」
「ああ、やはりそうなのですね。私達には慣れないものですよね」
思いの外、南部トークで二人は盛り上がった。アマリアは故郷を懐かしんでいた。目的があって学園にきたとはいえ、やはり故郷も、そして家族も恋しいのだ。
「ええ、本当に良いところです。僕にとってはかけがえのない場所ですから。―彼女と出逢えた場所ですから」
男性教師が愛しげに見ているのは、彼の薬指にある指輪だ。おそらく婚約指輪だろう。銀で出来たシンプルなデザインだ。
「……!」
婚約指輪を見ると、アマリアは条件反射でドキリとしてしまう。
「はい、気になりますよね。僕の婚約者は、ええ。……故郷で待っていてくれているのです」
「まあ。なんと固い絆なのでしょうか」
アマリアはときめいた。この学園の教師が相手となると、別居婚になるだろう。教師や職員達は生徒とは違い、長期休みに寮を出ることは許されている。その期間は長くない。それでも添い遂げようというのだ。
「固い絆。……そう、ですね」
「……?」
教師が言い淀んだのが、アマリアは気になった。彼はすっかり柔和な笑顔に戻っていた。
「当分先ではありますがね。……ああ、僕が一人前になったらということで」
「さようでございますか」
男性教師は幸せそうな顔で話を続ける。アマリアも耳を傾ける。
「……本当に素敵ですね」
目の前の男性と、そして彼の婚約者。二人はきっと祝福され、幸せになるのだろう。アマリアにとってはそれが眩しくて、また羨ましくもあった。さぞかし互いが互いを深く思い、そして理解し合えているのだろうと。
「おーい、のろけ話しすぎだぞー?」
「あなたは誰彼構わず話しすぎ。もう故郷の婚約者のことはわかったから!仕事に戻りなさいな」
先輩教師達が茶々を入れてきた。何気に有名な話のようだ。
「すみません、先生方。アマリアさんもですね。では、君も気をつけてお帰りなさい」
「はい。失礼しました」
アマリアは幸せをおすそ分けしてもらった気分だった。軽やかな気持ちで退室した。
「……?」
ご機嫌だったアマリアから笑顔が消失する。刺すような視線を感じたからだ。周囲を見渡すも、廊下に人の姿は確認できない。
「……っちぃ」
「!?」
どこからともなく声がする。幸せな気持ちのアマリアを襲う恐怖。
「アマっちぃ。用事は終わった?アタシもだよ」
「す、スーザン先輩でしたか。先だってのお礼を申したかったのですが、いなくなるものですから」
声の正体はスーザンだった。廊下の柱から姿をのぞかせていたので、アマリアは近寄ることにした。アマリアが感じ取った冷酷な視線は、スーザンによるものなのか。いや、とアマリアは否定する。疑う余地もなく、視線自体も勘違いだったのかもしれない。
「まあまあ、そこはいいじゃんかー。……にしても、まじか。やっぱ確定なんかな」
「スーザン先輩……?」
スーザンは親指を口元にあてて、ブツブツ喋っている。アマリアにはよくわからなかった。
「……やっぱ、ガチネタじゃん!?よーし、書き留めるかぁ!滾る!んじゃね、アマっち!キミはちゃんと誰かつかまえて帰るんだよー?」
嵐のようにやってきて、嵐のように去っていったスーザン。アマリアはお気をつけてと見送るしかなかった。誰か捕まえて帰るべし、とスーザンは言う。だが、廊下は静まり返っていた。ここは下級生達の校舎。ただでさえ帰るのが早い。室内に教師なり職員なりがいるのが救いか。
「……帰りましょう」
二通目の手紙の件がある。アマリアは一刻も早く帰ることにした。




