アマリアは見た!―旧校舎にて。少女の密事。
旧校舎の廊下を二人で歩く。隣りにノアがいてくれる分、アマリアは心強く思えた。
「……」
荒々しい男が追ってきていた。ノアが教えてくれた。にわかに信じがたいが、違うとも言い切れない。不安を覚えつつも、アマリアは気を引き締め直す。
「ところで、アマリア君。キミとよくいる留学生の―」
ある教室の前を通り過ぎたところだった。大きな物音がしたので、ノアは言いやめる。机などが倒れた音だ。何かトラブルでもあったのか、乱闘でも行われているのかとアマリアは様子を窺おうとする。
「あ」
ノアは短い言葉を発する。何かを勘づいた。それが何かをアマリアは問おうとする。
「……」
返答がない代わりに、ノアは人差し指を立てる。そして首を振った。
「!」
背中を押し出されたアマリアは、この場から去ることをノアに促されている。ノアは何か事情を知っているのだろうか。ともかく助けがいるような事態でないのなら、アマリアはノアの意向に従うことにした。
「んっ……」
少女の声がした。その声は鼻にかかるような声だった。
「……?」
アマリアは思わず振り向くも、最初は何が何だかわからなかった。
「好き。……もっと、ぎゅっとして」
だが、その少女が甘えるような声を出している。相手がいるようだが、無言である。それでも少女の方からねだるような声が続いている。少女からの言葉は途切れる。それからは互いの吐息ばかりが聞こえてくる。
「!?」
アマリアは一気に紅潮してしまう。今、この教室内で行われているのは乱闘ではない。それはおそらく、そういったことだ。
「……」
ノアは手招きする。どこまでも優美な笑顔だ。見るからに動揺などしていない。
これ以上盗み聞きするわけにはいかない。アマリアは一刻も早くこの場から離れたかった。
二人は何を言うわけでもなく、足早に旧校舎の廊下を歩ききった。予定では食堂に寄るはずだったが、直行したのは旧校舎の中庭だった。
アマリアが空を仰ぐと、じきに日が暮れようとしている。外気に触れているのに、なぜか辺り一帯は暖かい。ノアが中庭内の東屋を指す。二人はそこで腰を落ち着ける。
「うん、まだ顔が赤いね」
「ええ、まあ……」
ノアが自然とアマリアの頬に触れる。よほど刺激が強かったのか、アマリアはまだ熱をもったままだった。
「……そうだね。驚いてしまうだろうね。まあ、日常的になくもないというか」
学園内にも複数デートスポットにあたる場所はあるが、それこそ自室という場所もあるが。こうして人気のない場所で密会していることも、ノアの言う通りなくもない。
「そ、そうなのね。そうよね、年頃ですもの。十分あり得る話だわ」
自分には縁遠い事だと思っていたアマリアは、渇いた笑いをする。
「へえ。キミも?」
「……いいえ!?そのようなことは決して!それでもいいの。私は自分を誇りに―」
「誇り?」
「いえ、何でもないわ」
同性相手と思えど、初対面と思わしき相手。アマリアはこれ以上の主張は控えることにした。
「……本当は羨ましいわ。それだけ互いに想い合えるということ。本当に好いた相手と触れ合える。愛し合える。それってとっても素敵じゃない」
アマリアは手を合わせて、陶酔する。彼女はいつかの未来に思いに馳せる。
「……」
その言葉を受けてなのか、ノアは顎に手を沿えて考え込んでいる。
「あくまで個人的な見解よ。人それぞれだと思うわ」
想いに浸っていたので、ノアも反応に戸惑っていたのだろう。アマリアはそう考え、補足しておいた。
「……ああ。いや、君らしいと思ったのさ。って、出会ったばかりか。ふふ、ボクは何を言っているんだろうね」
「それこそ、私もだわ……」
「ふふ、お互い様だね」
「ええ、そうね」
ノアは微笑する。気まずい雰囲気にはならずに済んだようだ。
「……ああ、刺激的。とっても刺激的だったわ」
「余程みたいだね」
「ええ、とても」
アマリアは思い返してまた赤面する。これはしばらくの間引きずりそうだった。
「ああ、そうだね。キミも恋愛話には興味があるんだったね。あれだけ熱弁をふるったわけで」
「ええ、とても!……ええ、まあ人並みかしら。ノア様こそ、こういった話はお嫌いではないかしら?興味とか」
「ふふ、ボクが興味あるのはキミだね。キミの挙動、というべきか」
ノアは目を細める。アマリアは声が裏返る。
「そっ、そう?ふふふ、光栄ね。……挙動などはさておいて」
これは面白がられているのだろうか。アマリアはひとまず笑っておいた。
「―さて、時間も有限だ。ああ、非情なものだね」
「あら……」
芝居がかったノアが言うように門限が迫っていた。下校の音楽が遠くから聞こえる。
「ノア様、送るわ。といっても通り道であるけれど」
「……おや。逆じゃないのかい?」
先に立ち上がったアマリアは、相手に手を差し出す。ノアは不満そうだった。人に頼れといったのもそう。そもそもアマリアを狙う不埒な存在がいるかもしれないというのに、まだそのような事を言うのか。
「ああ、私は大丈夫よ。いつも、寮の方々がぎりぎりまで残っていたりするの。ついていくわ」
アマリアは新月寮の面々の中にいるとは思っていなかった。見知らぬ誰かよりは、日が浅くても共に過ごしている先輩方を信じたかった。
「へえ」
ノアは妙に感心していた。
「ボクも新月寮の皆さんとは話してみたかった。途中までご相伴預かろうかな」
「ええ、是非。皆様喜ぶわ」
話はまとまったようだ。二人は最上級生の階へと赴き、共に下校することになった。麗しのノア相手ともなると、さすがに寮の先輩方も緊張していたようだ。満月寮に帰るノアを見守ったあと、緊張の糸が解れたようで深い息を吐いた。
こうしている限りは平穏だ。きっと自分とノアの杞憂だったのかもしれない、とアマリアは自室にて就寝準備をする。
「……?」
―何かを忘れている気がする。それだけ印象強い出来事があったからか。
本当に刺激が強かったようだ。ベッドの中でもアマリアの目は冴えたままだった。せめて瞳だけでも閉じて休もうとする。
「……ああ」
余計に鮮明に思い出してしまった。音だけでも容易に想像し得る光景だった。
「……すごいわ。彼女、きっと私より年下でしょうに」
声だけでの判断であるが、あどけない幼い声をしていた。
いや、とアマリアは思い当たる。どこか聞き覚えのある声だったのだ。普段とはあまりにも違い過ぎていたが、そう思うともう彼女しか思えなかった。
「えっ。えっ……?」
アマリアは一人動揺していた。
「あの方、情熱的ね……」
仕切り屋である少女、カンナその人だった。彼女はある人物の取り巻きとして有名である。カンナがそこまで懸想するよな相手だとなると。
「……つまり、ヨルク様と?」
カンナはヨルク派の中心人物。となると自然に導かれる相手は彼となってしまうのでは、とアマリアは考えてしまった。色気溢れる大人の男そのもののヨルクが、幼げで愛らしいカンナを包み込む。
「……」
あまりにも生々しい。これ以上考えると、次会った時は気まずさの極みだ。アマリアは記憶から消し去ろうと奮闘するが、好きな記憶が消せたら苦労はない。無理だった。それでもアマリアはせめてと、別のことを考えようとする。それでも、頭の中では二人のいちゃつきが割り込んでくるのだ。
やはり眠れそうにない、今夜は徹夜を覚悟していたアマリアだったが。
「……すうすう」
思った以上に肉体的にも疲れていたようだ。疲労があって眠ることはできた。
アマリアにとっては只事ではないようです。