麗人と荒くれ者とアマリアと
「今日はそういう日なのね……」
放課後になったはいいが、またしても教師から頼まれごとをしてしまった。旧校舎に資料室に戻して欲しいものがあるとの事だった。積むに積まれた書物をである。旧校舎はクロエに一人で行くなと釘をさされていた場所だ。それでも一人で行った時はあったが、それは未だにクロエに隠している。
こうして今もアマリアは一人で歩いていた。それは彼女なりの決断だった。
『アマリア様、一人じゃ大変だろ?俺も手伝おうように言われてるからさ』
アマリアに悩み相談をしてきたクラスメイトが、爽やかに声をかけてきた。あれだけ悩んでいた彼とは思えないほどだった。
『ありがとう。でもすぐ済ませるし、重くもないから大丈夫よ』
すんなり返事したと見せかけて、アマリアは迷っていた。彼は見知ったクラスメイトだ。それも日頃気にかけてくれる人物でもある。だが、レオン。いや、キミシマの件で痛い目もみていた。アマリアの自意識過剰かもしれないが、変に警戒心をもってまで手伝いを頼むのは望まないことだった。
『……水くさいなぁ。俺と君の仲なのに』
『……!』
かつてのレオンではないが、彼の暗い表情にアマリアはぞくっとしてしまった。彼を怒らせてしまったか。
『……そうね、あなたには日頃お世話になっているものね。だからこそ、あまり迷惑をかけたくないのよ』
『迷惑なんて!そんなことないよ』
『優しいのね。……ああ、それでは私はこれで』
アマリアは視線に気がつく。彼とつるんでいる女子生徒達だ。こちらにやってくるようだ。今回ばかりは助かったとアマリアは教室から出ていった。彼も友人達と過ごした方がいいだろうとアマリアは考えた。
廊下に出ると、他のクラスの女子生徒達が慌ただしかった。
『ねえ、どこかいっちゃった?』
『みたいね。さっきまでいたのにー』
誰かを捜しているようだ。
『???』
ヨルクでもこの階に現れたのだろうか。それ以外の人物はアマリアには見当がつかない。それより今はこの書物から解放されたかった彼女は、一人旧校舎へと向かう。
学園の歴史の保存ということで、旧校舎は残されている。老朽化は進んではいるものの手入れはされているようだ。
「……」
生徒も見当たらない。床のギシギシ音がやけに響く。アマリアは書物を気持ち強く抱えながらも歩く。夕日が差し込む廊下は薄暗い。
「アーちゃんとは……?それはつまり私……?」
あまりにも静かなものだから、アマリアは昼休みに出た話題を思い出してしまう。内容はよりによってこれだ。アマリアはやはり心当たりはなかった。
レオン程ではないにしろ、アマリアもそういう話は得意というわけではない。なのに思い出してしまった彼女は、必要以上にきょろきょろし始める。
静かだ。この廊下はあまりにも静まり返っている。
「う、歌でも歌おうかしら。そうよ、こういうのは気持ちの持ちようよ。さあ、私!」
人がいないのをいいことに、アマリアは歌って気を紛らわせようとする。どこぞの令嬢のように心を癒すような歌か、もしくは盛り上げる歌か。それとも故郷の歌か。
「……彼女のようになんて恐れ多いわ。懐かしの歌にしましょう。そうね、今ならばわかるかしら。あの愛の歌を―」
アマリアは自覚がなかったのかもしれない。自身が認識している以上に怯えているようだ。なので、人気のない廊下で一人、ラブソングを歌おうとしている。おかしな行動ではなるが、自分を落ち着かせようとしているが為だった。
「さあ、ラララー。……ひいっ!」
歌い出したかと思うと、今度は叫びだした。アマリアは忙しない。だが無理もない話だった。
―突然、走る音が後方から聞こえてきたのである。誰かはわからない。力強い足音だ。
今のアマリアのように、落ち着きのない生徒が走っているだけかもしれない。となると、この恥ずかしい一連の流れも耳に届いていた可能性がある。
「あああ……」
アマリアの顔は赤くなる一方だ。足音は迫りくる。
「―こっち」
「!?」
低音で、けれど柔らかな女性の声だとアマリアは思った。そう思っている間に、アマリアは引き込まれてしまった。
室内に入ると古い書物独特の匂いが漂う。幸いというべきなのか、お目当ての資料室のようだった。カーテンは閉じられており、ランプも灯されてない。
「大丈夫かい?」
アマリアは今、引き入れてきた人物に背後から抱きしめられた形になっていた。アマリアは相手の腕が視界に入る。長袖のボレロは女子制服だ。足元にはスカートの感触がする。アマリアより長身だが、女子生徒だろうか。
「あの、ありがとうございました……?」
同性ならばと、アマリアは気持ちが楽になる。相手の顔をみてお礼を言おうと、身を捩らせる。
「……」
生まれつきだろうか。癖毛混じりの柔らかな髪をしている。長身なのもそうだが、ショートヘアも学園女子としてはそうそう見かけない。アーモンド形の大きな瞳は、アマリアを興味深そうに見ていた。
―女子生徒なのだろうか。高い鼻筋もそうだが、顔のパーツからして男前ともみてとれる。その一方でふっくらとした唇は赤く魅惑的であり、くるりとした長い睫毛も愛らしい。アマリアごと包む香りは甘いものだった。
女性とも男性ともとれる、絶妙な美しさをもっていた。
「あなたは―」
アマリアはこの人物が何者か、そのことに気がつく。相手の名を呼ぼうとする。
「いらっしゃらないのー?」
「デマじゃない?こちらの方に向かわれたって」
「ったくもう。気まぐれな方!」
遠くから女子生徒の声がした。ある生徒を探しにきたようだが、見当外れだったかと、彼女達は本校舎へと戻っていったようだ。
「ふふ。気紛れとはずいぶんな言われようだ。……ああ、失礼。キミはボクのことをご存知のようだね」
「ええ。―『ノア』様。こうしてお話するのは初めてね」
ノアとアマリアは同学年だ。同じ階にて、ノアを取り囲んでの騒ぎをアマリアは遠巻きに見ていた。小鳥を追っかけ騒動の時も、女子生徒に囲まれていた。学園の麗人と名高いノア。アマリアもこうして面して納得がいく。その佇まいに女子として憧れずにはいられまい。
未だに同性愛に偏見をもつこの国においてでも。女子生徒達は堂々と夢中になっていた。麗しの君を憶することなく追っかけていた。
聞くところによると、病弱でありあまり登校しない生徒のようだ。騙っていた某侯爵令嬢を彷彿とさせるが、さすがにノアまでそうじゃないだろう。アマリアは信じたいところだった。
「……そう。初めて、ね」
やけに含みのある言いようだった。
「ノア様?もしかして違っていたかしら?」
アマリアは考える。本当にノアとは初対面なのか。どこかで会ったことがないのかと。
「……いや?初対面で合ってるんじゃなのかな」
「そう?ならよかったわ」
アマリアは失礼がなかったようで安心した。
「そうだわ、急いで拾わなくては。ノア様、このへんで大丈夫よ」
資料室に引っ張られた拍子に、手にしていた書物をいくつか落としてしまったようだ。破損させてないかも気がかりだった。それに、同性相手だろうとこうも密着しているのも、アマリアは気まずいものがあった。
「―おっと、まだいけないよ」
「……っ」
ノアは離す気はないようだった。しかも耳元で囁くまできたものだ。アマリアがそれとなく距離をとろうとするも、ノアはそうはさせない。病弱といいながらも力はかなりのものだった。
「……」
「……」
しばらくの沈黙のあと、ノアはようやくアマリアを解放した。
「ふう。失礼したね?」
「いえ。ただ、わからなくて」
「ふうん」
後ろから抱きしめられるの次は、ノアと向き合う形となった。観察するようにみられるアマリアは落ち着かない。
「キミ、さっきはボクにお礼を言ったね」
「……ええ、言ったわね。自分でもどうしてかわからないわ」
「ははっ、正直な子。そして、それは間違っているわけでもない」
ノアは意味深に目を合わせてきた。
「助かった。そう思っただろう?」
「それは……。ええ、そうね」
「ふふ、そうだろうね?キミは本能で感じ取っていたんだ。―自分の身に危険が迫っているとね」
「!」
ノアの指摘通りだった。得体の知れない何かが、アマリア自身の身に迫っている気がしてならなかった。それが何かわからないのがもどかしい。
「うん、正解だ。ボクを追っている可憐な姫君のものではなかった」
「それは……」
失礼な話ではあるが、アマリアはてっきり興奮した女子生徒によるものだと思っていた。では誰なのか。
「……うん、中々荒々しいものだった。紳士ではないね。荒くれものの如し。ボク目当てなのか、それとも。―キミか」
「荒くれ者って、そんな……」
男なのか。正体不明の男が自分に迫ってきたというのか。アマリアは今になって寒気がする。
「ねえ、キミ」
ノアの表情が真剣なものになる。そしてアマリアにゆっくりと諭す。
「こういう時もそうだけれど、もっと人を頼った方がいい。キミは確かに逞しい子だけれど、相手が何をしてくるかもわからないからね」
「……そうね。ご忠告有難いわ」
こうして恐怖するくらいなら、最初から誰かに頼れば良かったとアマリアは考えた。ただ一方で、考えを曲げない自分もいる。
―誰かに頼って、そして巻き込んでしまったら。それは彼女にとって辛いことだ。
「いけないね、アマリア君」
「あ、ごめんなさいね。わかってはいるわ」
そう、相手は心配してくれているのだろう。そこはきちんと向き合わなくてはならない。
「うん。ボクもわかってはいる。キミはどこか遠慮するのだろうね」
「……そんなことはないのよ?」
「ふふ、またまたそんなこと言って。まあ、キミはそういう人なんだね。なら、こうしよう。―ボクを気軽に頼ってくれればいい」
「えっ」
ノアの申し出は突然過ぎた。見かねたからの発言かもしれないが。
「同学年だし、頼みやすいと思うんだ。……うん、不思議そうな顔」
「ええ。ノア様は親切な方かしら、と思ったけれど」
「はは、親切!……残念、打算さ。キミに付き合うのは、口実でもあってね。ほら、ボクは御覧の通りだろう?」
「御覧の通り。……ええ、人に囲まれているってことかしらね。そして、私をダシに抜け出したいと」
「ふふ、ご明察」
ノアは微笑んで頷く。
「ええ、わかりやすくていいと思うわ。それならお願いしやすそう」
アマリアはそう返してはおく。ただ、ノアにももちろん都合はあるだろう。取り巻きの生徒からも睨まれるに違いない。
「たまにでもお願いするかも」
「おや。いつでも歓迎だけれど」
「さすがにしょっちゅうはあなたにも悪いわ。彼女達のことも嫌っているようにはみえなかった」
「……ああ」
ノアは一瞬きょとんとするが、優美な笑顔に戻る。
「そりゃね。可愛い乙女達に慕われているからね。悪い気はしないさ。……ただ、静かに過ごしたい時くらいボクにもある」
「そうね……」
アマリアからしてみれば華々しくて眩しい世界だが、ヨルクも然り、人気者ならではの苦労もあるかもしれない。
「ああ、それと。打算といっただろう?ボク、キミと仲良くなりたいんだ」
「……?」
「要は下心さ。ボクはキミに興味があってね」
「???」
本日のアマリア最大の疑問だった。学園一の色男と張り合うほどの人気がある存在であるノア。そんなノアがアマリアに興味があると言い出した。そもそも。
「えっと、初対面なのよね?それに、私の噂話は耳にしてなくて?」
ノアにとってアマリアはその程度ではないのか。面識などないだろうとアマリアは思っていた。
「噂は噂だろう?僕は君本人のことが知りたい。―アマリア君」
「……!」
アマリアの名をしっかりと呼ぶ。下心とノアは言うが、実際は真摯に向き合ってくれている。
「……不思議な方」
「キミもね」
ノアは笑う。アマリアもどこか肩の力が抜けた気がした。
その後、ノアと共に書物の回収に勤しんでいた。書物に破損などはみられなかった。アマリア達は丁重に本棚に戻していく。
「ありがとうございました、ノア様。お礼がしたいわ」
「そうかい?では、お茶にでも付き合ってもらおうかな?うん、満月寮のラウンジにでも。……いや、あっちにしよう。学園の穴場だよ。ここの旧校舎のものでね」
「まあ、穴場?」
その言葉を聞いてアマリアはワクワクしていた。
「ああ、そうさ。中庭だよ。そこの庭園は見事なものさ。……ああ、心配しないで。屋根もあるし、常に心地良い温度が保たれている」
「まあ、素晴らしいこと。至れり尽くせりね。屋外でも寒さを怖れることなく―」
感心する一方で、アマリアはある考えが過ぎる。
―自分が寒がりなのはそこまで有名なのかと。
「……アマリア君?」
感動する素振りから一転、黙り込んだのでノアは心配になったようだ。
「いいえ?何でもないわ。そうね、飲み物は食堂で調達でいいのよね?」
「ああ、そうだね」
日暮れまでの限られた時間ではあるが、アマリアは楽しみであった。新たに友となった女子生徒と語らえる、そう思うと胸が高鳴るばかりだった。
ノア様とほとんどの生徒から呼ばれる学園の麗人です。
学園を休みがちらしいので、病弱なのでしょうか。