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ルフナ 寝言 5/20 雲が大きくなりだした頃~

 おにぎりとみかんを食べ終わると、ふにゃりと幹にもたれかかった。木漏れ日が生み出した安らぎの中に、そよ風が眠気を運んでくる。

その柔らかな気配に、うとうとしていると、ふいにさっきのお姫様抱っこの情景が頭を掠めて、眠気を押し流していった。むずむずするのを我慢して、わたしは寝たふりをしながら、あの時のことを思い出そうとした。


 あの時、わたしは確かに見たのだ。ヴァレンの顔が赤く染まるのを。ヴァレンがわたしに対して、あんな顔を見せたことは未だかつてなかった。照れ笑いなどとは、全く種類が違ったと断言できる。

ヴァレンはあの瞬間、このわたしを、きちんと女性として見ていた。

今まで、わたしの手や頭に何度触れても、あの人ときたら平気な顔をしていたくせに、さっきついに、わたしにしっかりと触れて、平気な顔じゃなくなっていた。

「ざまあみろ~。えへへ!」

わたしの心の声は、心の中には収まりきらなかった。

わたしのいつもの気持ちを、ひとかけらでもヴァレンが味わったなら、それは痛快で、満足で、ひたすらに幸福だ。

「。。。寝言か?」

前方の少し離れた所から、ヴァレンの声がする。

「そう。寝言だよ」

目を閉じたまま答えた。少しだけ恥ずかしいけれど、そんなに気にならなかった。

「起きてるじゃないか」

「目をつむってるから、今のは寝言なんだよ」

「。。。妙な遊びを始めるんじゃない。寝ているなら、もう一泳ぎしてくるぞ?」

「うん。。。泳ぐなら、近くにいてね?」

わたしが言うや否や、水に大きなものが落ちる音がした。それに合わせるように、水滴がいくつか、わたしの手足に飛んでくる。

「今日も魔法の練習をしていたのか?」

しばらくして真下から、ちゃぷちゃぷという水音と一緒に、ヴァレンの声がした。

「今朝は、やってないよ。する時間もなかったしね。今日の眠気は、朝からずっと動き回ってたせいかなぁ」

本当はデートが楽しみで、なかなか寝付けなかったせいだった。その眠気だって、本当はドキドキひとつで吹き飛ぶような、弱々しいものだ。

「さては、夜眠る前に練習したんだろう?」

「えへ、鋭いねー。ちょこっとだけね。窓から外に向けて、ね」

ただ昨日は、いくら布団に入っていても眠れなかった。だから、魔力をたくさん使えば眠くなるだろうと考えて、しばらく魔法の練習をしていた。実際のところ、その効果は覿面だった。

「加減を間違えて、屋根を吹き飛ばす前にやめておけ。おまえの魔法は魔獣を吹き飛ばしたんだからな」

「きっと危ないことにはならないよ。わたしの意志じゃ、そんなこと望めないもん。それに、その辺りの加減は、昨日なんとなく掴めたんだよね」

練習すればするほど、この魔法の強さが分かった気がして、その危険性を認識するほどに、わたしの出す風はどんどん勢いを弱めた。要は、わたしがこの魔法を怖がっていれば、魔獣を吹き飛ばした時のような強い風は出ないのだ。

これは完全に狙い通りだった。わたしにとっての魔法は、身を守ることさえできれば、それで十分だった。

「普通なら、初めはいかにして、全力を引き出すかを訓練するものなんだがな。おまえは逆なんだな」

ヴァレンのような守りのスキルなら、わたしもそう思えたかもしれない。でも、攻撃魔法というものは、名前からして物騒極まりなかった。

「うーん。。。わたしがそんなに強い魔法を求めてないってだけだよ。だって、危ないでしょ?」

「ははは!それはいい。強い力というものは、どうしたって恐れられてしまうからな」

それは、ヴァレンの実体験からくるものなのか、笑い声とは裏腹に、後の言葉は沈むようだった。ヴァレンは今、卑怯者と言われた、見習い時代のことを思い出しているのだろうか。

「ヴァレンは、スキルのせいで怖がられちゃったの?」

「どうだろうな。確かに、俺の"守り"は、強力といえばその通りだ。剣や矢で"守り"を貫かれたことはない。だが、それはこちら側からでも同じだ」

言葉を咀嚼するのに、ちょっぴり時間がかかった。ヴァレンの側からも、攻撃ができないというのは意外だった。

「"守り"を通り抜けて攻撃したりはできないってこと?」

「そうだ。だから、俺がしてきたことは、せいぜい時間稼ぎと、隙を作るぐらいのものだ。恐れとは、また違ったものだろう。さっき言った強い力云々(うんぬん)は、ただの一般論だ」

一般論にしては、力や感情がこもり過ぎていたような気がする。

わたしは、そこでようやく目を開けた。ところが、水面にいるヴァレンの顔は、太い枝に隠されて、その表情までは分からなかった。

「んー、眠気なんか飛んでいっちゃった」

足を伸ばして水面をかき混ぜると、小さな魚の群れがその脇を通り過ぎて行った。すると、ヴァレンがそれに続くように、背泳ぎで通り過ぎる。

「おまえはもう泳がないでいいのか?」

ヴァレンは幹の周りをきれいに一周すると、枝に掴まってこちらを見上げた。わたしも、もう少し泳ぎたい気持ちはあったものの、いつもの服で水に入るのは無謀が過ぎる。ワンピースは今、天日干し中だった。

「んーとね、向こう岸に立って、エレスを見てみたいんだよね。あと、ボートも漕いでみたい」

「そうか。それじゃあ少し待っててくれ。一度、全力で泳いでくる」

「一息でどこまで行けるか、見ててあげるね。その後は、ちょっと遠くで泳いでて」

ヴァレンは小さく頷くと、大きく息を吸い込んで水に潜った。そして、すぐに木を蹴って、そのままずいぶん遠くまで、すいすい泳いで行った。



 生乾き気味のワンピースに再び着替えた後、わたしの見事な櫂捌きで岸辺までやってくると、そこにはいつか、ハゼットが語ってくれたそのままの景色があった。

「ほんとに水面に雲が浮かんでるみたい!風がやんだおかげなのかな?」

そして、逆さ吊りになったエレスもまた、鏡のようになった水面に映っている。折れそうなほどに細く伸びる、遠見櫓が刺さったそれは、わたしにはコマみたいに見えた。

「ねえねぇ、コマみたいだよ!面白いね!。。。ヴァレン?」

ようやくボートから降り立ったヴァレンは、ゆらゆらと、まるで幽鬼のような足取りでこちらへやってくる。わたしの声にも反応はなく、その姿からは言いようのない恐怖を感じた。

「。。。ど、どうしたの?」

「どうしたもこうしたも。。。あれほど船を揺らすやつがあるか!船酔いなど初めてだ」

ヴァレンは、わたしの隣まで来ると、その場にすとんと腰を下ろした。ところが、それでもまだ気持ちが悪いのか、結局、仰向けに寝転がってしまった。

「えー!初めは確かに上手くいかなかったけど、最後の方はちゃんと漕げてたでしょ?」

「指摘するのも面倒だ。。。」

ボートは真っ直ぐには進まなかったものの、わたしは漕ぐのに夢中になっていて、多少の横揺れは気にしていなかった。目的地も漠然としていたために、わたしの操るボートがどのような航路をたどったのか、今となってはそれすら分からない。

「帰りはきっと、もっと上手になってるからね。大丈夫だよ」

にっこり微笑みかけると、ヴァレンは青い顔のまま、わたしを睨み付けた。ヴァレンの罵声が色となって、その目の奥に見えた。

「帰りは俺が漕ぐ。いいな?」

わたしが反論も許されずに小さく頷くと、ヴァレンはすぐに目を閉じた。

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