ルフナ お星様とお姫様 5/20 いっぱい泳いだ後~
雲一つなかった空には、少しだけ白いものが浮かんでいる。木漏れ日の下に、わたしもまた寝転ぶように浮かんで、枝葉の間に覗く空を眺めるというのは、なかなか面白かった。自由で、優しげで、慰められる。
あの後も水の中で散々暴れ回って、たくさん泳いだ。そうして遊び疲れたわたし達は今、ぷかぷか浮かんで身体を休めていた。ヴァレンは目をつむって、眠るようにその身を水に預けている。
それを横目でぼんやり眺めるわたしの胸の中は、今の水面と同じく、とても静かなものだ。ヴァレンから縛られることも、掴まえてもらうこともできなかった。もちろんそれは、わたしがきちんと気持ちを伝えていないのだから、当たり前といえばそうだった。
もしかすると失恋したかもしれないというのに、この落ち着きは一体なんなのかと、わたしは不思議に思っていた。あの戦いの炎は、あれだけ冷や水を浴びせられても、消えることなく、わたしの瞳を輝かせている。恋というのは、わたしの勘違いだったのかなと思う程、今も、その炎は全く揺るがなかった。
「悩むなら、お腹の虫を鳴かせちゃ駄目なんだよ?」
ずいぶん長く瞑想を続けるヴァレンから、その2つの気配を敏感に感じ取って、わたしはゆっくりと呼び掛けた。
「なんだその力の抜ける助言は。。。まさか、向こうの世界には、そのような格言か何かがあるのか?」
「そうそう、そんな感じ!わたしの好きな言葉だから、覚えててね」
もちろんそんなはずは無かったけれど、転生者のわたしが産んだ格言なんだから、向こうの世界のものと言っても嘘ではないはずだった。
「よほど、食にうるさいやつらが多い世界なんだな。おまえの食い意地も、向こうでは普通のものなのかもしれんな」
ヴァレンは悩み疲れたのか、それとも、よっぽどお腹が空いたのか、その口振りには少し、余裕がないように感じられた。
「ほら!お腹が空いてるから、そんなひどいこと言っちゃうんだよ?おにぎり食べたら元気になるから、ね?」
「分かったから、おまえの基準を俺に当てはめようとするな。。。」
手を大きく動かして、仰向けに浮かんでいるヴァレンの近くへ泳いでいくと、今度はしっかりと、ヴァレンの右手を握った。水に浸かってすっかり冷たくなったその手が、少しでも温まればいいと思って、両手で、ぎゅっと包み込む。
「ほら。木の所まで、引っ張っていってあげるから」
黙ってされるがままになっているヴァレンを、ゆっくりとでも動かすのは可笑しかった。途中からは押した方が楽だということに気付いて、人魚のように水を大きく蹴って、ヴァレンを木の方へと追いやる。
陸上では、どう足掻いても動きっこないモノが、これだけ簡単に動かせるのが爽快だった。
「あは!全然重たくないや!ヴァレン、ほら、登って?さすがにここからは、わたしじゃどうにもならないから」
わたしが肩の辺りをぽんぽん叩くと、それまでじっとしていたヴァレンは、突然、動きだして、すぐに水に潜ってしまった。
「うわ!?」
そして、水底を器用に泳いで、砂を掻くように手を動かしている。その動きに気を取られて、わたしはただ、水上からヴァレンを眺めていた。
やがて、大きな気泡と共にヴァレンが頭を出すと、その顔はさっぱりしたものに変わっていた。それを見たわたしは、水底にヴァレンの仏頂面が落ちていないかと心配になった。
「ほれ。やはり、砂の中にあったぞ」
わたしが水中をざっくりと見渡していると、ヴァレンは星形の何かを差し出してきた。ヴァレンの仏頂面は、黒い星なのだろうか。まさか、そんなはずはない。
「わ!すごく綺麗な星形だね!なにこれ??黒曜石。。。じゃぁないよね?」
「星の欠片だとか、そんな呼び名のあるものだ。何かの生き物の骨?らしいが、詳しくは知らん」
「ほ、骨!?。。。どこの骨なんだろうね??」
それは、わたしの手のひらにちょうど収まる大きさで、ただの真っ黒な石のようにも見える。
「水上遊びをした証として持ち帰るものだが、これほど簡単に見つかるものではないはずだ。よかったな」
「へー!ありがとう。こんなお土産があるなんて、全然知らなかったなぁ」
つやつやと手触りの良いお星さまは、作り物のように見えるぐらいに、均整のとれた体つきをしていた。
「俺もさっきまで忘れていた。どれ、とりあえず木に登ろう。腹が減っているというのは、図星なんだ」
ヴァレンは枝のひとつに手をかけると、一息に樹上に飛び上がった。わたしもそれを真似てみたけれど、どうにも上手くいかなかった。
わたしがもたもたしていると、見かねたヴァレンが、そっと手を伸ばしてくれた。
「ありがとう。。。服が!!水を吸って重たいから、覚悟してね??」
服のせいで重たくなっていることを、しっかりとヴァレンに忠告してから、わたしはその手を取った。
「。。。わかった。いくぞ?それ!」
少しでも重みが減るようにと、両足で水を蹴る。と、ヴァレンのかけ声と共に、思っていた何倍もの勢いで、腕が引かれた。
「えっ」
その勢いを弱めることもできずに、わたしの身体は宙に浮いた。
宙に浮いた刹那、ヴァレンと目が合った。
そして、その直後に訪れた落下の気配に、わたしは思わず目を閉じた。姿勢が完全に崩れて、体の向きさえ分からなくなった。
しかし、わたしの身体は、冷たい水面にも、硬い木の幹にも、打ち付けられることはなかった。
わたしの身体を受け止めたのは、しっかりとした、温かな2本の枝みたいだった。
「な、なんだっ。めちゃくちゃ軽いじゃないか!」
まず、耳に届いたのはヴァレンの声だった。次に、わたしが恐る恐る目を開けてみると、すぐ目の前にヴァレンの顔がある。そこまで認識したところで、わたしの体を支えているのは枝ではなくて、ヴァレンの両腕だということに気付いた。そうして最後に、ヴァレンの体の感触が生々しく広がった。
その時、わたしの思考を支配したのは、混乱、ではなかった。
もちろん、歓喜でもない。
それはただの静寂だった。
「びっくりしたぁ。危なかった、よね?」
わたしはしっかりと、その腕の中からヴァレンの顔を見つめる。
その頬に、朱が差すのを見た。はっきりと、見留めた。
そしたら今度は、わたしの頬がゆっくりと緩むのが分かった。
「ありがとう。助かっちゃった」
わたしが怯むこともなくお礼を言うと、ヴァレンは、ぴたりと動きを止める。窮屈な姿勢だったけれど、わたしは別に、いつまでだって、そうしていても良かった。
ところが、わたしがゆっくりと瞬きをすると、止まっていた時は動きだした。
「あ、危なかった!怪我はないか?」
「うん。腕も痛くないし、大丈夫だよ」
「立てるか?」
「うん」
そうして、自分の足で木の上に立つと、わたしは忘れ物に気が付いた。
「あ、お弁当、ボートに置いたままだった!」
わたしが呟くと、すぐさま、大きな水飛沫があがる。言葉もなく、ヴァレンはもう一度、水に飛び込んでいた。ヴァレンはすぐにボートまで到達すると、そのままボートの周りをぐるぐる泳ぎだした。
その奇妙な行動からは、ヴァレンの動揺が見て取れた。
そうすると今度は、わたしの頬が熱くなる。さっきは平気だったのに、今思い出すと、もう駄目だった。
わたしも頭を冷やしたくって、すぐさま水に飛び込んだ。




