ルフナ 操船 5/20 9時ぐらい~
貸し船屋さんに着くと、ヴァレンの右手を引っ張る理由が無くなってしまった。繋いでいた手は、再び行列に並んだ時に、どちらからともなく離された。名残惜しいような、ほっと一息つくような、そんな気持ちの間で佇んでいた。
「皆、今日が待ち遠しかったんだねぇ。わたしもだけど」
水上にはたくさんの貸しボートが散らばっていて、皆、思い思いに泳いだり、ボートに寝転がって空を眺めたりしている。
そして、わたし達がいる岸部にもまた、無人のボートが無数に並べられている。そのボートの数には、エレスの人達が、どれだけこの水上遊びを愛しているのかが表れていた。
「この暑い時期に、20日余りも水遊びを取り上げられたんだ。こうもなるだろう」
ヴァレンは、エレスの人達に同情するように呟いた。
「ふふ。子供も大人も変わらないね。むしろ、大人の方がたくさんいるんじゃないかな?」
わたしはお喋りしながら、後ろにどれぐらい行列ができているのかと、振り向いて眺めていた。
ところがその時、遠く坂の上の方にガルシアがいるのが見えた。手を振りそうになって、すんでのところで踏みとどまる。よくよく見ると、その隣には、わたしの見知らぬ人影があった。ガルシアの言葉を信じるなら、それはフィオニス家の人に違いなかった。わたしは、すぐにヴァレンの前で小さくなって、この目立つ赤い頭を隠した。
「おい、乗らないのか?」
ヴァレンは、そんなわたしに気付かないのか、列の先頭でボートを指差した。今、見たモノについては、黙っておくことにした。
「乗るよ!うん、早く乗っちゃおう!」
このデートの間だけは、誰かに邪魔なんてされたくない。ガルシアに心の中で謝りながら、水上に逃げ出した。
ヴァレンが櫂を手にとって、大きく前後に動かすと、ボートはゆっくりと動きだした。
「見よう見まねだが、案外なんとかなるものだな」
「ヴァレンもボートは初めてなんだ?でも、すごいね。普通に動いてるよ」
ヴァレンが面白がって力一杯船を漕ぐと、小さなボートは水面を滑り出す。そのあまりの勢いに、体が船に押さえつけられるようになった。
「あは!どれでもいいから、あの、おっきな木のある所に行ってみてよ」
「まぁ待て。まずはこいつを、上手く扱えるようになっておきたい」
ヴァレンは、外套と胸当てを外すと、新しいおもちゃを手に入れた子供みたいな顔をしながら、ボートをわざと蛇行させたり、その場でぐるぐる旋回させたりしてみせた。
その間、わたしは寝転がって、景色がぐらぐら揺れるのを見ていた。ボートが右へ左へ揺れると同じように体も傾いて、時には、きゃあきゃあ声を上げながら、ひとりで大騒ぎしていた。
「よし、大体分かったぞ!。。。しかし、暑いな!これはなかなかの重労働だ」
「日差しも凄いよ。わたしなんて、漕いでないのに汗だくなんだけど」
「あれだけ騒いでいれば当然だろう。。。そろそろどこか、泳げる場所を探すとしよう」
わたしが体を起こして見渡すと、都市の近くにある木々の周りでは、既にたくさんの人達が群がるようにして遊んでいる。けれども、もう少し遠くへ行けば、まだまだ落ち着いて遊べそうな所はありそうだった。
「ちょっと大変なんだけど、奥の方まで行ってみない?あっちの方はまだ人が少ないし、気兼ねなく遊べるかなぁって」
「ふむ。少し遠いが、外周付近まで漕いでみるか」
ヴァレンがボートを北へと移動させると、大小の木々が集まって、小さな林のようになっている所があった。そこには、ひとつだけ小さく、水上に5メートル程だけ顔を出している木がある。わたしが木登りするには、ちょうどいい大きさに見えた。
「ここがいい!木にも登りやすそうだし、まだ誰もいないよ」
「俺もそろそろ、腕が限界だ!水軍の、漕ぎ手の、気持ちが、よく分かった!」
ヴァレンは息を切らしながら、結局、最後まで一人で漕ぎきった。最初は、女の子のわたしに、格好良いところでも見せようと頑張っているんだと思っていた。でも途中からは、わたしが漕いでみたいとは言いだせない程の熱意を、ヴァレンから感じていた。
ヴァレンは今、ボートを係留するためのロープを枝に結んでいる。その熱心な顔つきの中に、確かに達成感のようなものを浮かべている。生き生きした表情を見せるヴァレンを見ていると、そこに、わたしが聞きたいことの答えがあるのではないかと、思わずにいられなかった。
そうやって、わたしがヴァレンの顔を見て考えていると、ロープを結び終えたヴァレンは、いそいそと上着を脱ぎだした。わたしはそこで、さっと視線を逸らした。
「これでようやく、俺達もエレスの住民の仲間入りだな!ここで泳いだことのない者は、例えエレスで暮らしていても、余所者扱いされるらしいぞ」
そう言ってすぐに、ヴァレンは水に飛び込んだ。とっても乱暴な飛び込み方で、水面が激しく波打つ。飛沫のいくつかが、こちらにまで飛んできて冷たかった。でも、その飛沫の冷たさが、わたしの心と身体を目覚めさせた。
ヴァレンがこちらを見ていない間に、念のため、ワンピースの下にいつものハーフパンツを着込んだ。水で重たくなるのは承知の上だ。羞恥心がそれに勝った。
息を思いっきり吸い込んで、ボートから躍り出た。身体が水にぶつかる大きい音がして、すぐにそれは鈍く、泡に包まれた。
「水着は用意していなかったんだな。新しい服なのに、良かったのか?」
わたしが水面から頭を出すと、ヴァレンがそれでも、愉快そうな顔で尋ねてきた。
「うん、今日はこれでいいの!こうやって、浮かんでみたかったんだぁ」
わたしは身体の力を抜いて、ぷかぷかと浮かんでみる。気持ち良かったけれど、ぎりぎり顔が出るくらいで、不安な気持ちも顔を出した。
「。。。!」
ヴァレンがボートに寄りかかったと思うと、何かをこちらに向かって放り投げた。耳が水に浸かっていたせいで、ヴァレンがなんと言ったかは聞こえなかった。
分からないままに、ヴァレンが投げ寄越した物を掴まえると、少しだけ体全体が浮かんだ。呼吸をするのが楽になると、恐怖心は無くなった。
「その格好で泳ぎたいなら、そいつに掴まっておけ」
「ありがとう!冷たいけど、気持ちいいね」
ヴァレンがくれたのは浮き袋だった。何かの皮のような手触りのそれは、輪っかの形にしてあるおかげで、腕に通しておくだけで安心できた。
「おまえが誘ってくれたおかげだ。こうしてここで、泳ぐことができた。実はずっと前から、こうしてみたかったんだ」
「前に来たときは泳がなかったの?」
「あぁ、訓練中だったからな」
ヴァレンは顔を上にして、器用に泳ぎながら話している。ゆらゆらと、目をつむって気持ち良さそうな顔をしていた。
解放されたように、穏やかな表情を浮かべるヴァレンを見ていたら、わたしはようやく、ヴァレンに質問する覚悟ができた。
ヴァレンのやりたいことや、ヴァレンの行こうとしている場所。そういったものが、この人には明確に存在するのだと、理解できた。
そして、それをきちんと聞かないことには、自分が前に進めないことも分かった。
「ヴァレンは今までも、そうやって我慢してきたの?」




