ルフナ 寝癖 5/20 日の出~
一昨日から何度も何度も練習をして、三つ編みぐらいは綺麗にできるようになった。少しでも格好よく見えるように、サイドテールにすることに決めた。いつもは後ろにある髪が、左肩から前に垂れると、自分の髪の毛なのに、そうじゃないみたいな気がする。でも、それはとっても大事なことだった。
日記と、あの日にもらった教典は、今日だけは持っていけない。だから絶対に見つからないように、布団の下でお留守番していてもらおう。だって、ワンピースには、まだ内ポケットを作っていないから。それになにより、水で濡らしてしまうのが怖かった。
今は普段通りの服だけれど、出かける前にワンピースに着替えるつもりだった。あとは念のためのお着替えと、ハーフパンツを一枚多めに鞄に詰めたら、準備は完了だ。
既に、わたしの心と瞳は、熱された炭のようにパチパチと音を立てている。今すぐにでも、ヴァレンの元へと走りだしたい気分だった。あふれた熱が手を湿らせる。その右手に、勇気の腕輪が見えて、わたしはいよいよ燃え上がった。
まずは、その焦燥をドアの取っ手にぶつけた。今朝ほど、1日の始まりを待ち望んだ日は無かった。そして、ドアを開いて、大股で一歩、外に歩み出る。
昨日の夜に、心の準備は終わっていた。何をすべきか迷わなくなったら、たったそれだけで、わたしの心はこんなにも自由だ。本当は走り出したかったけれど、もう一歩大きく踏み出して、心を少し落ち着ける。わたしはもう、どこへだって行けそうだった。
そうして歩き出して、すぐに、ぎりぎりのところで思い出した。
「ごめん!コピ君!ピチちゃん!ご飯、まだだよね!」
「おはよう!!」
礼拝堂に入るとすぐに、神様に届けとばかりに、大きく、明るく声を上げた。
「うわっ?!」
礼拝堂の入り口では、ハゼットがこちらに背を向けて、姉さんと話をしていた。そのハゼットの背中に、わたしの大声は激突した。
「なんだ、ルフナか。びっくりするじゃないか。。。ど、どうしたんだい?!その髪は!?」
こちらを見たハゼットが、飛びかかるみたいな勢いで詰め寄ってくる。危うく叫びそうになるのを堪えて、なんとか気を取り直した。今日のわたしは、昨日までとは違うはずなのだ。
三つ編みの先っぽを摘まんで、その慣れない感触に照れ笑いしながら、とりあえず、ハゼットで反応を探ることにする。
「色々あったから、ちょっと気分を変えてみたの。明日はどうするか分からないし、今日だって、さすがに髪を切る勇気は出なかったんだけど、どうかな?」
「もちろん、とても似合っているとも!君の髪は、本当に豊かだからね。結んでいても、その美しさは変わらないどころか、数段良いんじゃないかい?片側に寄せてあるのも、実に素晴らしい!人魚姫のしっぽのような可憐さがあるね。いつも以上に、君が美しく見えるよ」
「ちょ、ちょっと!誉めすぎだから!」
ハゼットが、ものすごい熱量を持った顔で、いくつも褒め言葉を並べるものだから、ついつい気圧されてしまった。ちょこっとだけ男の人の反応を知りたかっただけなのに、これではどうしたって、後のヴァレンの反応の方が負けてしまいそうだ。
デートの始まりから、そんなつまらないことを比べて、気持ちを萎めてしまうわけにはいかない。わたしは少しだけ、ハゼットに尋ねてしまったことを後悔した。
「いいや、褒めすぎということは無い!よぉく!似合っているよ」
駄目押しまでされると、笑うしかなかった。だからそこでもう、この髪型を褒めてもらえたことを素直に喜ぼうと、気持ちを切り替えることにした。
「ありがとう!とっても自信がついたよ!首と、あと、背中が涼しくって、それでなんだか、ちょっと落ちつかななかったの」
なんとなく言い訳めいたものを口にしながら、わたしは祭壇の前へと歩き出した。
「そうだろうな。私達はもう、朝の祈りを終えてしまったからね。ゆっくり、神様にご報告しておくといい」
ハゼットはぴかぴかの歯を覗かせると、姉さんの方へと向き直った。わたしはサリムとサリードに混じって、祭壇の前で跪くと、心を一度、しっかりと落ち着けて、朝の祈りを始めた。
朝御飯を終えると、急いではいたけれど、わたしは皆の分の後片付けを申し出た。なにしろ今日は、いつも以上に教会のお仕事を手伝えないから、なんとかその罪悪感を紛らわしたかった。昨日、わたしの今日の予定をやんわりと伝えていたからか、サリムまでもが何か察したような、いつものニヤニヤじゃない、すっきりとした笑顔で、わたしのやりたいようにさせてくれた。
洗い物を終わらせて、最後に食卓を磨いていると、食堂に近づいてくる誰かの足音がした。その音が聞こえただけで、わたしの心は大きく羽ばたいて、心臓は雛鳥みたいに鳴き始める。誰の足音かなんて、すぐに分かった。
「ここにいたのか。もう掃除を始めているものだと思ったぞ」
予想通り、ヴァレンが食堂の入り口に顔を覗かせた。ヴァレンはわたしの顔を見て、わたしの髪を、ちらっと見て。
何も反応を見せなかった。
でも、それは当たり前のことだった。今、わたしは普段通りの髪型だからだ。というのも、洗い物をしていたら、ひとつ、ひらめくことがあったのだ。
あの髪型は、ワンピースを着てから。デートが始まってからにしよう。
そう、わたしは決めたのだった。
「おはよう!食堂の掃除はもう終わるから、表の掃除だけ手伝ってね。えへ。。。一応、これでも、急いでたんだよ~」
普段通りを意識して、だけど、普段以上を期待した。
「そうか。なら、先に始めておこう」
「あ、待って。どうせなら、一緒に始めよ?」
デートはまだ始まっていない。でも、特別な1日は始まっている。その始まりの、大事なこの一時を、無為に過ごすのは嫌だった。これは1日の始まりの占いだ。朝の占い。思いつきなのに、なんだか懐かしい響きだった。
それでも、わたしのこの勝手な気持ちが、ヴァレンにカケラでも伝わるだろうか。急いでいると言ったのに、非効率で、合理的じゃない。ヴァレンが罵倒してきても、全く責められないものだった。それでも、今だけは、こんな馬鹿なわたしに付き合ってほしかった。
「。。。ふっ。訳が分からんが、お前がそうしてほしいなら待ってやる。。。だが、その前に。少し、こっちへ来い」
占いは大成功に終わった。ほっぺたが蕩けそうになるのを堪えて、わたしはヴァレンの言葉に素直に従った。すると、ヴァレンが突然、右手でわたしの左耳の辺りを撫でだした。頭のてっぺんを撫でられることはこれまでもあった。ただ、こっちは初めての経験だった。身動きなど、とれるはずもない。
羽ばたいて、そのまま大空にあったわたしの心は、突然の嵐になす術もなく、もみくちゃにされるばかりだった。
「寝癖か?ずいぶんひどいな。これに気付かないとは、よほど早朝から楽しみにしていたんだな」
そう言われて、ヴァレンの行動の意味が、ようやく分かった。わたしは三つ編みを乱暴に解いてから、ろくに手入れをしていない。ヴァレンは、その荒れ放題の、絡まったわたしの髪の毛を、どうやら寝癖と勘違いしているらしい。だけど、それを訂正するのは、あまりに勿体なかった。
「そうだね、ありがとう!お出かけの時には綺麗にしておくから!」
「あぁ。そうするといい。これでは綺麗な髪が可哀想だ」
自分の耳を疑った。でも、そこには確かに、ヴァレンの右手を感じる。その気配が確かなものならば、今、耳にしたこともまた、現実なのだ。
知らないうちに、今日のデートは始まっていた。
こんなに特別な言葉を貰えるなんて、全く思っていなかった。さっきの占いは、早速、その未来を見せ始めた。わたしの一部に対して、ヴァレンが今、綺麗と言ったのだ。
小さな涙が、目の端っこで大暴れしている。
それは、喜びそのものだった。
喜びが、こぼれ落ちてしまわないように、わたしは優しくまばたきを繰り返した。




