ルフナ 鐘 5/19 16:00~
少し前に鳴ったばかりの鐘が、再び大きく鳴り響く。大井戸の周りで座って話していた人達も、まるで、それが解散の合図だったかのように散り散りになった。ほんの数秒前に立ち上がっていたわたし達は、むしろ、鐘の音と人の動きに気をとられてしまって、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
二人でくすくす笑い合った後、わたし達は時計台へ向かって歩き出した。ついさっき、教会へ帰る前に寄り道をしようと決めたからだ。その提案をしたのはヴァレンだ。決して、わたしじゃない。というのも、わたしが毎日お世話になっている時計台を、間近で見たことがないと言ってしまったからだった。
だからわたしは今、大いに緊張している。
大門と呼ばれる北門から、南門まで続く中央大通りの真ん中で、堂々と、通せんぼするみたいに、その時計台は居座っている。時計台に遠慮をして、"中央"大通りという名前までつけられている道の方が、その両脇を通り過ぎて行くというのは、なかなか面白味があった。
ただ、ここまで目立つものに、わたしが今日まで近寄らなかったのには、確固たる理由がある。時計台の北側にある大市に気を取られていたというのは、もちろん小さな理由のひとつではあるだろう。でも、それは一番の理由じゃなかった。
時計台の周りには、それをゆるく囲むように、例の"困った木"が生えている。そこにはベンチや小さな机が、いくつも置いてある。"困った木"だけでは寂しいから、花もたくさん植えられている、らしい。
立ち寄ったこともないのに、どうしてわたしがそこまで知っているのかというと、ハゼットからそういうお話を聞いたからだ。ハゼットは、その場所について、こうも語っていた。
「老若問わず、エレスの健全な男女が、健全なお付き合いをする場なのさ。そう!決して!破廉恥な者が近寄ることは許されない!。。。そこは、紳士淑女のための、愛の巣なのだからね」
だからわたしは、その話を聞いた時、紳士な恋人ができるまでは近寄るまいと、固く決意したのだった。
だからわたしは今、大いに緊張し過ぎている。
心の準備ができていないのに、どんどん時計台は近づいてくる。デートは明日のはずなのに、何故か今日、わたしは禁断の地に足を踏み入れようとしている。予定が全然違う。だけど、断るのは変だったし、本当はふたりで行ってみたかった。でもでも、やっぱりわたしには、そんな場所で、自分の気持ちを抑える自信がなかった。そんなのは、まだ早すぎる。今のままでは、この恋に勝ち目などないのだから。
せめて、明日を乗り越えるまでは、なんとしても我慢する必要があった。わたしは、目前に迫った時計台を睨むように見た。
整備された道路の真ん中に、そこだけ貼り付けたみたいに、こんもりとした森が小さく生えていた。その真ん中には、小さな塔がある。
わたし達がその森に入った時、恋人たちの姿はなかった。ハゼットが嘘をついたのか、それとも、たまたまいなかっただけなのか。とにかく、わたしにとっては幸いだった。
「ここがエレスの中心だ。この時計台は、かつての砦の一部なんだ」
わたしの中で蠢いていた、あのどうしようもない衝動は、ヴァレンのその声が吹き飛ばしてくれた。
「え!じゃあ200年ぐらい、ずっとここに建ってるの?!」
「そうだ。時計がついたのは7年程前のはずだが、それ以外は当時のままのものだ。ただ、あの鐘は。。。そのままとは言えないかもしれないが、とにかく形は同じだったと聞いている」
周りから見えやすくするために、時計だけは森から突き出るように、新しく設けられたのだろう。古くからある部分を、むしろ強調するように作られたピカピカの時計台は、わざとらしく、細く、綺麗に作られている感じがした。
ところが、その対比が霞むぐらいの存在感を示しているのが、ヴァレンが指差す先にある、鐘、のようなものだ。その鐘は、そうと言われなければ、絶対に鐘には見えない。鐘とは思えないような、とっても不思議な形をしていた。それは、下半分にトゲのようなものをいくつも生やしていて、全体が妙に長細く作られている。そして、その上半分には、太陽のような、おどろおどろしい模様がたくさん描かれているのが見える。わたしの感性からすれば、それは可愛いからは程遠いものだった。せめて、もう少し背が低くて、あのトゲトゲが丸みを帯びていれば、少しは可愛らしく見えたのかもしれない。
「あ、あんなので音が鳴るの??普通はもっと、可愛いらしいものじゃない?」
「あれは、今では飾りのようなものだ。実際に時を告げている鐘は、あの真上にあるんだ」
「ええ。。。それでも昔は、鐘として使ってたってことだよねぇ。。。あんなにトゲトゲして、危なくないのかな?」
「ふっ。だから、使われなくなったのかもしれないな」
わたし達がそれを見上げて話していると、ふいに、時計台の扉が開いた。そこから兵士の格好をした人達が四人も出てくる。兵士さん達は、わたし達にチラリと目をやると、大通りの方へ早歩きで行ってしまった。
「あの兵士の人達が鐘を鳴らしてるの?」
「そうだ。が、彼等は正しくは警備隊だな。大市は揉め事も多い。詰所として使われているんだろう」
確かに警備隊の人が近くにいたら、そこでは皆、紳士的な振る舞いを心掛けるのだろう。ハゼットの言った冗談を、改めて少しだけ信じる気になった。そして、ここの静かな空気を守っている警備隊の人達と、"賢い木"達に感謝を捧げた。
「ここにもやっぱり、困った木があるんだねぇ」
「こまったき?」
ヴァレンの怪訝な顔を見て、わたしが勝手に名付けたものだということを思い出した。
「あ、わたしがつけた名前なんだけどね。この木って教会にもあるでしょ?トゲトゲで、葉っぱをいっぱい落とすから、そう名付けちゃったんだー。でもさ、その後すぐにね、ハゼットからね、アルス様達にとっては大事な木だったんだよって聞いて、ちょっと後悔してるんだけど」
「あぁ、なるほど。困った木、か。俺もエレスに来て、こいつを初めて見。。。いや。はっきり、それと認識した時は、心が洗われるようだった。その時は確か、俺は黄色の実を食べてしまったんだ」
ヴァレンは恥ずかしそうに、けれども、とっても穏やかな声で語った。わたしの心をドキドキさせる、ゆっくりとした優しい声だった。さらに、わたしと同じ黄色の実を食べたんだと思うと、声を出すのも苦しかった。
「。。。あれは凄い味だよね。。。思い出すだけで。。。」
「ははは。だが、俺は嬉しかったんだ。アルス様も、一度ぐらいは、あれを味わっただろう。そう思うとな」
わたしはまだ、ヴァレン程にはアルス様を心酔していない。それに、あの味わいを笑って話せるようになるには、まだまだ大人になる必要があるかもしれない。
「黒の実は少し、当たり外れがあるぐらいだ。そこらにもたくさんあるだろう」
ヴァレンは、それはもう嬉しそうに、黒の実を集め始めた。それに対してわたしは、当たりはまだしも、黒にまでハズレがあると聞いて、やはり困った木なんだなと、改めつつあった認識を元に戻した。
そうして、ヴァレンが差し出してきた黒の実は、やっぱり小さくて。だけれど、食べてみると渋みはなくて、甘さがほんのりあった。それには安心した。
「やっぱり酸っぱい!」
「む、本当だ!これはなかなか。。。外れの部類だな!」
それでもヴァレンが嬉しそうな顔のまま、調子外れなことを言うから、こっちまで可笑しくなってしまった。その後も、ふたりで実を食べては、甘いだの酸っぱいだのと騒いで、わたし達は特別な一時を過ごした。




