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ルフナ 私の戦い 5/18 10時前~

 鍋の中はわたしの自信をへし折るかのように、黒みを帯びた紫色に変化しつつある。美味しくなぁれ、と大いなる祈りを込めて、一心不乱におたまを動かした。

「えっと。。。さっきは本当にごめんね!」

ヴァレンにもお鍋の中身は見えているはずなのに、その不穏な様子には一言の感想も漏らさない。わたしはそれが怖かった。とりあえず問題をひとつ処理しておこうと、大市での失敗をお詫びした。

「。。。もう済んだことだ。俺の言葉も悪かった。だから、謝らないでくれ」

「もう怒ってないの?」

ところが意外にも、ほんの一言で、ヴァレンは優しげな言葉を返してくれた。これは謝罪の言葉をたくさん用意していたわたしとしては、ずいぶん拍子抜けだった。美味しくなぁれ、という願いと同じぐらいに大事なもうひとつの願いは、強く念じる隙すらないままに、呆気なく叶ってしまった。

「腕輪も外してくれたんだろう?勝手なことを言って、すまん」

右手首にあった腕輪は、シエラさんのお家に着くまでに外してあった。ただ、それまでに目撃されている可能性はある。

しかし、そんな心配事よりも、今の問題は目の前のヴァレンだった。謝罪を受け入れてくれるだけじゃなくて、逆に謝ってくるだなんて。そんな素直さは期待もしていなかった。お姉さんの話を聞いた時は、素直なヴァレンを見てみたいとは思ったけれど、その実物には、戸惑いしか感じなかった。

「え!?なになになんで??!なんでヴァレンが謝るの??」

「いや、頭を。。。叩いてしまったからな。悪かった」

ヴァレンに言われるまで、そんなことは忘れてしまっていた。さっきの早とちりによる騒ぎは、どう考えてもわたし一人が悪かった。

「あー、あれね。。。大丈夫だよ。痛いっていうより、びっくりしただけだから。ヴァレンが許してくれるんなら、ヴァレンも謝らないでいいよ。。。というよりも、やめて?」

お互いに謝ったら、わたし達の間には照れくさい沈黙だけが残った。

全然アクが出なくなった鍋の中で、それでもわたしは、おたまをさ迷わせていた。

「。。。おい、そろそろだぞ」

「なにが?」

言葉の意味が分からずにヴァレンを見ると、ヴァレンは棚の上の時計を見てから、窓の外に視線を移した。訳が分からないままそちらに目をやると、遠見櫓から赤い煙が上がっているのが見えた。

「あ、そっか!今日はエレスが、水上都市に戻る日なんだよね!夕食会で頭がいっぱいだったから、忘れてたよ」

「俺が教会に着いた時には狼煙が出ていた。恐らく10時に、雷撃魔法の音が響くはずだ」

「アルスダム発動?なんだよね。エレスの人達にとっては、そっちが普通なんだろうけど、わたしにとっては、何だか特別な感じがするなぁ」

アルスダムというものには、なんだかやっぱり、特別なものを感じてしまう。転生してからというもの、それには何かと関わりを持ってしまった。

アレンさんとカレンさん。そして今、隣にいるヴァレン。

「その通りだ。夏至というのは、こちらの世界の人々にとって、特別なものだ。不思議なことに、故人を弔う、その大切な時間を守るように、魔獣の活動が止むんだ。今でこそ、この地でしかその脅威は感じられないがな」

「アルス様と、マハルジオン様のおかげだね」

この二人と一人は、わたしの新しい人生にとって、大きな出会いとなるのかもしれなかった。そう思わせるだけの不思議な出来事が、ルフナとしての日々には存在した。

「よく覚えているじゃないか。。。見直したぞ!」

「それはもう!だって、わたしの、素敵な思い出だからね」

ルフナとして生まれ変わったわたしは、この世界で何をしたいのか。その答えはまだ、よく分からない。それでも昨日と今日で、ひとつだけ、いや、ふたつ気付いたことがある。

「俺は少し、思い出したくない所もあるがな。。。」

「あはは。おかげで歌劇も見れたし良いじゃない?マハルジオン様が出て来ないのが残念だったけど」

気付いたことのひとつ目は、

「ん?史実とは異なる形だが、一応、歌劇にも出ていたんだぞ?女優がいただろう?出征するアルス様を抱き締めて、引き留めていた女優だ」

ヴァレンに恋をしてしまっているということ。

「え?どういうこと?マハルジオン様って、男の人じゃないの!?」

ふたつ目は、ヴァレンがわたしに、恋なんてしてないっていうこと。

「いや、マハルジオン様は女性だ。歌劇ではなんといったか。。。マールだとか、確かそんな名前だったはずだ」

「ええ!?なんであの場で教えてくれなかったの!?歌劇の見え方が、全然変わっちゃうじゃない!」

わたしの感じていたドキドキを、もしも、ヴァレンも感じていたなら、自分が身に付けていた指輪なんて、怖くて贈れない。

「。。。あの時は、腹がな。。。」

「あぁ、そうだったね。。。ふふ。やっぱり良い思い出だね!」

その後に、わざわざ求愛を、しっかりと否定したりなんかしない。

「できれば早く忘れてほしいんだが」

「嫌だよ!日記にだって、きちっと書いてあげたんだからね。」

「。。。まぁ、良いか。好きにすると良い」

簡単に、その体に触れてしまうことなんて、もっと、絶対に、できっこない。

「俺は気にしない」


 と、そこで、雷撃魔法の轟音が町を揺らした。

「うわぁ!!?。。。びっくりしたぁ」

お鍋をかき混ぜる手は、いつの間にか止まっていた。エレス中に響いたであろう雷鳴に叱られたような気がして、わたしは再び、おたまをぐるぐると動かした。

「わざわざ先に言っておいたというのに。。。」

どこからか歓声が響いた。低く、轟くようなその声は、わたしの胸を掻き立てる。もはや、なんのドキドキか分からない程に、わたしの心臓だけが、ただひとつ騒がしかった。

「あは!思ってたより、ずっと大きい音がしたから。すっごいね。確かにこれなら、街の外でも聞こえるよね」

近くで可愛らしい泣き声が聞こえる。健やかに眠っていたディール君が、驚いて起きてしまったみたいだ。

わたしはもう、泣くわけにもいかないから、わたしなりに頑張るしかなかった。この恋のために。

「ああ。通常発動なら、問題も起きないだろうがな。明後日には、大門の封鎖も解除される」

「。。。ねえ、水上都市に戻ったら、外に見に行ってみたいんだけど、ついてきて、くれる?」

約束するのは、きっと大事なことだろう。少しだけでも、わたしを意識させてやるのだ。

「面白そうじゃないか。構わんぞ」

「あと、水面に出てるっていう樹に登ったり、泳げるかは分からないけど、試してみたいの。駄目でも、ぷかぷか浮かぶぐらいはできると思うから」

水着で攻める、なんていうのは、わたしにはまだ難しそうだ。効果も薄いだろう。

「ふっ。エレスならではの遊びを知っていたとはな。明後日なら、水上はそんな奴らばかりだろう」

わたしは右手の小指を突き立てた。約束とはこうするものなのだと、体が教えてくれた。思い切って、ヴァレンの顔の前に右手を差し出してみせた。

わたしにできるのは、こういう小さな積み重ねだ。

「あ、すごい!これ多分、向こうの世界の、約束する時のやり方だよ?ヴァレンも真似してみて?」

「こうか?これで、約束したことになるのか?」

「ええっと。。。多分、こうかな?」

ヴァレンの大きな小指に、しっかりと、小指を絡めた。もちろん、わたしはドキドキしていた。どこまでも早くなる鼓動は、いっそ止まってしまうんじゃないかと思った。

「不思議な風習だな。握手とかじゃないのか?」

ヴァレンは平気な顔で指先を見ていた。

それでも、こんなことぐらいで傷ついてなど、いられない。

「うーん、そういうのもあったと思うけど、ほら、こっちの方が可愛いでしょ?」

たくさん泣いてきたおかげで、わたしはそれなりに強くなったのだ。ヴァレンが恋をしていないのなら、まずは、もっとしっかり見てもらうのだ。

駄目なら、それまでだ。

「。。。全くわからん。むしろ、後ろ暗い、怪しい取引に同意する時の、悪党共の仕草のようだ」

ヴァレンは小指を解くと、わたしの顔の前で人差し指だけを立ててみせた。そして、そのまま人差し指をコの字になるように曲げた。

「二人なら今のように、お互いの指を絡めるようにするのが普通だが、複数人での同意なら、顔の前で掲げてみせるんだ」

「。。。ちょっと!可愛らしい仕草のお話に、怖い話を混ぜ込まないでよ?」

「いや。。。危ないから、こういう動きをしてる奴らには近づくな、と言いたかっただけでだな。。。」

少しの喧嘩なら、それもまた大切な時間のはずだった。

こうやって、騒がしく、密かな戦いを続けていくことを、まだ温もりの残る小指にこっそりと誓った。

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