ルフナ お姉さん 5/18 8:50~
「しかし、随分、太っ腹な主人だったな。1キロどころか、2キロ近くあるぞ」
他の食材を買い終わって、大市の人混みからようやく逃れると、大声を出さなくても会話ができるようになった。
「すっごくお買い得だったね。というか、荷物持ち、ありがとうね。もうちょっと持てるけど、ヴァレンは大丈夫?」
わたしは両手で大きなチーズを抱えながら、ヴァレンの背中に声をかけた。ところがヴァレンは、それには返事をせずに、突然、勢いよくこちらに体を向けた。その動きがあまりに素早くて、わたしはびっくりして体が跳ねてしまった。
「指輪をしまってくれ!無理なら隠してくれ!」
ヴァレンは、急に顔を近づけてきたかと思うと、小さな声でそれだけ言ってから、再び前を向いた。いきなり外せといわれても、結び目はそこそこガッチリしている。その上、チーズを持っていては、どうしようもなかった。
とりあえず左手で右手首全体を隠すようにして、チーズを抱き締めるみたいに手を組んだ。途端に、チーズの濃い香りが鼻をくすぐって、口の中が潤いで満たされて、溢れそうになった。
「か、買い物かい?この時間はずいぶん混んでるから、危ないだろう?」
ヴァレンが優しい声でゆっくりと話すから、わたしは初め、誰の声だか全く分からなかった。
「大丈夫よ。少し歩かないと、私の体にも悪いわ」
ヴァレンの体の向こうで、女の人の声がした。男の人がとびきり優しい声で話しかける女性なんて、恋人ぐらいしか思いつかなくて、また胸がどきどきした。近頃のわたしの心臓は、大忙しだ。
もしかすると、見ても、聞いてもいけない現場に居合わせてしまったのだろうかと、わたしはぴったりとヴァレンの背中に張り付いて、その女の人から見えないように努力した。
わたしは別に、そういうのじゃないから、ヴァレンの体裁ぐらいは保ってあげなくては、と必死になっていた。
「荷物だけでも持たせてくれ。お腹の子に障るといけないから」
それなのに、お腹の子、と聞いて、両目が飛び出るかと思った。目玉は飛び出なかったけれど、わたしはヴァレンの前に飛び出した。
「ヴァレンって、結婚してたの!!?」
「こ、こら!なんで出てくるんだおまえはっ!」
そうは言われても、ここまで衝撃的な発言を受けて、じっとはしていられなかった。思わず、わたしはヴァレンに掴みかかった。
「奥さんがいるって知ってたら、巡回依頼なんて危険なこと、頼まなかったよ!!ていうか、今はほら!わたしなんかの護衛してる場合じゃないでしょ?もっと大事にしてあげなきゃ!」
ぎゃんぎゃん喚きたてながら、呆気にとられているヴァレンの腕を掴んで、明るい茶色の髪をなびかせる奥さんの方へと引っ張った。ヴァレンの腕を引きながら、ふと奥さんの方を見ると、ヴァレンにそっくりな幼い男の子が1人、不思議そうな顔でこちらを見ている。その子は奥さんと、しっかり手を繋いでいた。
それを見ると、わたしの中の怒りとも哀しみとも違う、なんだか激しいものは、更に燃え上がった。
「こんなに可愛い男の子までいるのに!もっと可愛がってあげないと駄目だよ!そんな怖い顔してないで、ほら、もっと家族を大事にしてあげて~!」
わたしがヴァレンを奥さんに押し付けようとしたところで、頭に何かが落ちてきた。ヴァレンの、右の握りこぶしだった。
「痛い!」
「愚か者め。。。落ち着いてよく聞け!」
ヴァレンの怒声にびっくりして、わたしはそちらに目をやった。ヴァレンは左手を額に押し当てながら、更なる怒りを堪えるように、わたしを睨みつけた。
「やはりお前はバカなのか?!この人は俺の姉上だ!シエラ姉さんだ!お前は、俺が結婚してるように見えるのかっ!?」
久しぶりに、怒りのこもった罵声を浴びせられて、わたしは出会った頃のヴァレンを思い出していた。
「。。。全っ然っ見えないや!」
それでも三人が並ぶと、やっぱり親子みたいに見えると思った。
わたしは今、初めてお邪魔するお家で、目に涙をためている。
「ルフナさん、大丈夫?」
「はい!全然平気です。」
更にトントンと音を立てていると、涙がひとつ滑り落ちていくのがわかった。玉ねぎを切り終わると、袖で頬を拭った。
わたしは今、初めてお邪魔する、ヴァレンのお姉さんのお家の台所で、今晩のご馳走の支度をしていた。しかも今は、シエラお姉さんと二人っきりで、だ。
「スネ肉は、これぐらいの大きさでいいのかしら?」
「はい!おっきな一口よりも、もうちょっと大きめぐらいがいいんです」
本当はそこまで自信はないけれど、記憶について話すわけにもいかないから、ハッキリと言い切ることにした。何故こんな状況になったかといえば、ひとえに、シエラお姉さんのお誘いがあったからだった。
あの後も尚、怒り狂うヴァレンを、お姉さんは、ヴァレン、と一言言うだけで黙らせてしまった。それからわたしが、勘違いを二人に詫びている内に、お姉さんはわたし達の大荷物を見て、とりあえず家においで、と提案したのだ。
もちろん最初は遠慮していたものの、シエラさんは、わたしの作るご馳走を見てみたい、と仰った。内心、シエラさんともっと話してみたかったわたしは、お家にお邪魔しちゃうことを決意した。
とはいうものの、今日の夕食会では、ロレア姉さんとも他の料理をいくつか用意するはずだった。それでもしも、わたしの帰りを待ってくれていたら大変だからと、ヴァレンには、この状況を伝えに行ってもらっている。
「こんな感じにお肉に焼き目がついたら、一旦、取り出しておいて、今度は玉ねぎを炒めます」
「後で煮込むのに、焼き目をつけるなんて面白いわね」
シエラさんがゆっくりと、落ち着いた声で話すから、こちらもなんとなく話すのがゆっくりになる。おかげで初対面で、さらには大恥をかいた後でも、なんとか焦らずに会話することができた。
「あとは残りの食材と、香草なんかも一緒に入れちゃって、弱火で煮込んだらおしまいです」
食材を全て入れて、それが浸るぐらいにお水を入れる。さっとアクを取ってから香草を加えた。ワインはといえば、シエラさんが持っていた。
「水と一緒にワインも入れるのよね?」
「そうです!お水は半分ぐらいで、たっぷりワインを入れちゃいます」
シエラさんは覚悟するように頷いて、ワインの入った瓶を逆さにした。
「お料理するのに、こんなにたくさんワインを使うのは初めてだわ。あら、大変。凄い色ね?」
「大丈夫です!美味しくなりますから、きっと。。。いえ、絶対に!」
全ての材料を入れ終わると、お鍋の中は、鈍く、濁った赤紫色をしていた。手持ちぶさたになると、わたしは、まだ冷たいそれをゆっくりとかき混ぜた。すると、おとぎ話に出てくる魔女になったような気分になってくる。
だけど今だけは、ふざけてはならなかった。シエラさんの前だからというのもあるけれど、この料理を失敗することは、許されないからだ。
「あとは沸き立ってから、アクをしっかり取らないと駄目だから、ちょこっと目が離せませんけど」
「ディールがお昼寝してくれてて良かったわ。おかげでルフナさんと、ゆっくりお話もできるもの」
ディール君とは、先ほどシエラさんと手を繋いでいた男の子だ。ヴァレンからすれば甥っ子で、まだ一歳半だと言っていた。
薄く寝息を立てているディール君を眺めながら、わたしはこれから何を聞かれるのかと、ドキドキしていた。
「ヴァレンの今のお仕事って、あなたの護衛だったのね?あの子、私には護衛でしばらくエレスにいるとしか言わなかったから。それで今朝、こんなに可愛いらしい女の子と一緒にいるのを見て、私、びっくりしちゃって」
と、買い物の最中に、シエラさんらしき人影を見かけたことを思い出した。
でもそんなことより、こんなに可愛いらしい女の子、と目を見て、はっきりと言われてしまって、わたしはもっとドキドキした。それはただのお世辞かもしれないのに、シエラさんを見ていると、不思議と素直に受け取ってしまえた。
「護衛なんて、わたしに必要かどうか、本当によくわからないんですけど。。。えっと。。。」
「ヴァレンは近衛をしていたはずなのだけれど、どういう出自なのかは、聞いてもいいのかしら?いえ、教えて下さらない?どうしても知りたいの」
シエラさんは、本当に何も聞かされていない感じだった。わたしはシエラさんとも、友達みたいになれたらいいな、と思い始めていた。でも友達ならば、隠し事はまだしも、嘘はいけないはずだ。
少し真面目に考えてから、迷いを振り切って、正直に話してしまおうと決めた。
「あんまり言っちゃ駄目だとは言われてるんですけど、わたしは、転生者なんです。こっちに生まれて、まだ半月程しか経っていません。ヴァレンがこのえじゃなくなったのも、わたしなんかの護衛のためです」
ヴァレンがエレスにやってきた夜に、ロレア姉さんが話してくれたことを思い出す。ついでに、ヴァレンはわたしの護衛に、あんまり乗り気じゃなかったというお話も。ヴァレンは今も、本当はその時の気持ちのままなのかもしれなかった。
そう思うと、胸が詰まった。
「あら、違うのよ!私はただ、あなたが王族と関わりがある方なのかと思って聞いただけなの。ごめんなさいね。そんなに悲しい顔、なさらないで?」
いつの間にか、そんな顔をしていたらしい。シエラさんは、わたしの右手を両手で包んで、大事に温めるように、そっと胸に当てた。
「あの子が首都から去った時、私も首都の実家にいたのよ。今月の5日、だったかしら。悲痛な顔で部屋から飛び出して行って、父に聞いても、護衛任務だとしか教えてもらえなかったから、心配になってしまって。。。」
ヴァレンが教会に現れた時の、あの暗い表情は、しっかりと覚えていた。わたしが苦手だった、怖い顔だ。やっぱりヴァレンは、失意に暮れながらも、わたしに付き合ってくれていたのだ。
そう思うと胸がザラザラした。ヴァレンときちんと仲直りしてからの夏至祭りのあの楽しい思い出が、くしゃくしゃに歪んでいくような思いにとらわれた。
「わたしもヴァレンのその、悲痛な顔を、何日か見ていました。そうだったのに、わたしばっかり甘えて、結局、たくさんお世話してもらってました。本当は、嫌々だったかもしれないのに。。。」
そこまで言ったところで、シエラさんに、ふわっと抱き締められてしまった。ロレア姉さんより少し背の低い、シエラさんの抱擁を、わたしは少しも苦しいとは思わなかった。
「困った子ね。きっと大丈夫だから。私の勘違いのお詫びに、私が見てきた、あの子の話をしてあげるから」
わたしはヴァレンのことを、本当に何も知らなかった。




