ルフナ 恋の記憶 5/15 夜明け前~
2つの足音が近付いてくると、心臓が跳ねてどうしようもなく背筋が冷たくなるのを感じた。右手をぎゅっと握りしめると、そこだけは温かな気がする。その手を胸に当てて、少しだけ祈るようにした。
二人の姿が見えると、わたしはすぐに姿勢を正した。立つのは止めておいた。こんな最初の所でふらつきでもしたら、後の話ができなくなると思った。
「アレンさん、おはようございます」
「おはよう、ルフナ。随分早起きですね」
できるだけ平静を装って挨拶をした。アレンさんも同じなように見える。アレンさんはすぐに、わたしの正面の椅子に腰かけた。まずは、ちゃんと謝らなくてはならない。息を吸って、お腹に力を込めた。
「実はずっと、隠していたことがあって。。。」
ヴァレンは、わたしの左隣に座ってくれた。彼に勇気付けられた気がして、アレンさんの目をしっかりと見た。
「こっちに来てから、何日か、記憶が曖昧でした。日記に書いて、誤魔化すみたいにしていました」
アレンさんは眉を下げて、わたしを見ている。それが気になりながらも謝罪を続けた。
「騙すような真似をしたし、覚えているふりで嘘もついたと思います。皆を、アレンさんを信じれなくて、ごめんなさい!」
座ったまま謝ったから、机に頭が当たりそうだった。突っ伏しているみたいに、不恰好になっているだろう。やっぱりちゃんと立っておくべきだった。後悔が混じって、わたしはそのまま、顔を上げられなくなってしまった。
「。。。私は、それに気付いていたのです。気付かぬふりをして、それが優しさだと勘違いしていました。あなたの苦しみに、寄り添えなかった。申し訳ありません」
やっぱりアレンさんは、わたしの誤魔化しに付き合ってくれていた。3日目の朝に、礼拝堂で日記を確認していたという記憶だけが、うすぼんやりと残っていた。嘘を嫌うアレンさんにそんな偽りを強要していたと思うと、胸が引き裂かれるみたいだった。
しかし、短い静寂に、はっとして頭を上げると、アレンさんも頭を下げていた。
「お、お願いです!頭をあげてください!アレンさんが謝ることじゃありません」
わたしは思わず、前のめりになってそう言った。アレンさんはゆっくりと顔を上げると、真剣な表情をこちらに向けた。
「今もそれは続いているのですか?」
わたしは、大きく首を横に振る。これは昨日、しっかりと確認したことだった。
「最近は、もう大丈夫なんです。昨日はちょっと、調子が狂ってしまって。。。」
そう答えると、アレンさんは心の底から安心したように、大きく息をはいた。それと同時にアレンさんの顔が緩むのが見えて、胸が苦しくなった。
「それは良かった!近頃、ルフナが元気になったように見えたので、もう大丈夫なのだろうとは思っていたんですよ」
「はい!近頃の記憶は、はっきりしてますから。そっちはもう、心配ないんです。。。」
しかし、わたしが段々と声を小さくすると、笑顔に戻っていたアレンさんが、再び表情を凍らせたのが分かった。左手が勝手にヴァレンの方に伸びそうになるのを、右手を重ねることで我慢した。
「まだ、何か異常があるのですか?」
アレンさんが、静かに怒っているように見えて、背筋の冷えが全身に広がるのを感じた。なんだか急かされたような気がした。わたしは自分を鼓舞するために、冷たくなった両手を、強く握りしめる。
「近頃ひとつ、気付いたことがあるんです。これは、隠していたわけではなくて、忘れたり、今まではよく分かっていなかったことです。気付いて混乱してたから、一昨日は恐がってばかりいました!」
わたしの言葉に、アレンさんが小さく頷いた。続けなさいと、アレンさんが言っているように思えた。
しかし、これからわたしが言う内容を、まず信じてもらえるのか、それさえ分からなかった。それでも今だけは迷わない。信じてもらえると、信じるしかないのだ。
大きく息を吸う。自分の決断を信じて、口を開いた。
「わたしの夢には、カレンさんがたくさん出てきてくれます」
多分、とは言わなかった。夢でも、現実でも、わたしはカレンさんの顔を見たことはなかった。それでもしっかりと、夢でカレンさんの心を感じていた。わたしの見た夢は、きっとカレンさんにとって、とても大切だった記憶なのだ。
アレンさんが、かっと目を見開いている。それに気付いても、わたしは口を閉じなかった。
「その理由は、わたしには分かりません。それでも、この夢に宿った記憶をアレンさんに伝えたいと思っています。どうか、疑わずに聞いてもらえませんか?」
アレンさんは声で返事することはなく、ただ大きく、二度も、三度も頷いた。わたしは一度、ゆっくりと瞬きをしてから、アレンさんの瞳をまっすぐに見た。
「わたしがきちんと、今も覚えている夢の記憶は、本当の気持ちをまだ伝えられないまま、大切な人と再会の約束をする時のものと、その日を待ち焦がれる日々のものです」
まずは、きちんと覚えている夢の記憶を頭に想い描く。
「夢では男の人と、大切な友達として、しっかりと握手していました。5年より遅くなってしまっても、ちゃんと会いにきてねって。傷痕を見せながら、おばあちゃんになっててもこれで分かるよねって。アレンさんは、その約束に覚えはありますか?」
「もちろんです。カレンとした約束です。私の父に示した、決意でもあります」
アレンさんは、今度ははっきりと返事をしてくれた。やはりあの夢は、カレンさんの記憶に間違いないのだ。握り締めた右手に、今度は左手を重ねた。
「カレンさんはそれから、指折り数えるみたいに毎日を生きていたんです。今度会った時に、たくさん話せるように、毎晩その男の人に語りかけるみたいに日記を書くんです。とても、優しい気持ちで。愛を、たくさん込めて」
わたしは自分の日記を取り出した。また、心がずきんと痛む。
「いつも大切に持っていたんです。夢の中のカレンさんも。その男の人に出会う前は、ただの毎日の記録だったはずなんです。カレンさんも記憶を無くす、その怖さをずっと消せなかったのかもしれません」
わたしがきちんと覚えている夢といえば、これぐらいだった。夢の記憶はやはり、薄れてしまうものだった。忘れてしまいたいと泣いて暴れた自分を思い出して、恥ずかしく、そして、悔しく思った。
わたしは、日記の殴り書きのページを見て、そこに溢れた気持ちまでも透かし見た。
「ここからの夢の内容は、この日記頼りになるんです。今のわたしは、覚えていないんで。。。それは、男の人に会う夢ばかりで、1日の終わりに日記を書きながら、振り返るような。夢では、その時のカレンさんの気持ちまで分かるんです。教会での出会いや、お祭りに行ったこと。。。あと、泣いてる男の人の涙を拭う夢を見たことが書いてあります」
夢に出てくる男の人は、今よりもずっと若い、アレンさんのように見えた。
わたしは日記に向けていた目を、少しだけアレンさんの方へと向けた。アレンさんは小さく頷いた。その顔は、涙は出ていないけれど、泣いているみたいだった。
わたしがアレンさんに伝えられることは、あと少ししかない。残っているのは、夢からにじむ、カレンさんの気持ちぐらいのものだった。伝えるべきかは分からない。だけれど、他の何よりそれを、アレンさんに伝えておきたかった。それがきっと、記憶の持ち主の望みなのだと信じて。
「この夢を見たわたしは、忘れてるはずなのに、毎日同じような文章を書いたんです。自分もこんな素敵な恋をしてみたいって。夢に出てくる女の子みたいな、きらきら、わくわくする気持ちを知りたいって」
この気持ちだけは、今もしっかり覚えていた。内容は思い出せないのに、残り香のようにわたしの記憶と、心の深くに今も漂っている。
「憧れるみたいに記してあります。ただの女の子の夢じゃなくて、これは恋する女の子の夢なんだって。。。。。これが、わたしの伝えられる全部です」
祈るように目を閉じた。机で隠れるように、祈りを込めて両手を組んだ。
アレンさんの顔を見るのは、やっぱり怖かった。
アレンさんにとって、この話は後悔と苦しみの上塗りにはならないだろうか。恐ろしい想像が、わたしの胸を押し包むように責める。
心臓の鼓動だけが支配する暗闇の中で、ヴァレンが何かを知らせるように、わたしの肩をつついた。それでも、わたしの目は貼り付いたみたいに開かない。
「ありがとうございます。。。ルフナ。しっかりと、カレンの想いを確認できました。あなたのおかげです。あなたは疑うかもしれませんが、私は今、とても。。。とっても幸せなのです」
アレンさんはわたしを慰めるみたいに語った。それが本当なのか、それとも、哀しみを隠すための嘘なのか、わたしは確かに疑っていた。信じていいのか分からなかった。だから、アレンさんの目を見るのが恐くて、暗闇をさまようことを選んでしまうのだ。
右手にどんなに力を入れても駄目だった。
「いい加減に胸を張りなさい。あなたはここに、確かに使命を果たしたのです」
アレンさんは、なんだかよく分からないことを言った。勇気付けるようなその声音に、なんとか眩しい光は見えたけれど、アレンさんの胸の辺りを見るのが精一杯だった。
「ルフナ!前を向きなさい!!顔をしっかりと上げるんです!」
アレンさんの、聞いたこともない一喝に驚いて、わたしは背筋を伸ばして前を見た。
アレンさんは涙を流していた。それは溢れるようだった。その顔は喜びに満ちていて、哀しみなんて、一粒たりとも感じなかった。
「ありがとう。あなたには、二度に渡って救われました」
涙を拭いもせずに、アレンさんは力強く言った。あまりの事態に、声も出せなければ頭も働かなくて、わたしは、ただ呆然としていた。
「一息に飛び越えるには、私には余りにも大きな壁でした。ですが、あの日あなたに諭され、階段を上るようにゆっくりと、今日を迎えられた。私はもう大丈夫です。カレンの死と、きちんと向き合えます」
アレンさんが突然、そんなことを言うから、わたしは訳が分からなくて、再び恐ろしくなった。アレンさんの口から、カレンさんの死、という言葉が出るなんて信じられなかった。
5日前、カレンさんの生と幸せを願って祈りを続けるアレンさんのことを、わたしは無惨にも、応援したのだ。
「駄目です!そんなこと言わないで下さい!わたし。。。そんなつもりじゃ。。。」
アレンさんが、どこか遠くへ、手も届かない場所へ行ってしまうのではないかと不安になった。ところが、わたしの言葉を耳にして、アレンさんは声を上げて笑っていた。
「びっくりさせてしまいましたか?大丈夫です。変な考えは起こしていませんよ」
アレンさんはそこで涙を拭うと、にっこりと、いつもの笑顔を見せてくれた。
「あの日、それまで戸惑いながらも続けていた私の祈りを、それでも正しいと、あなたはしっかりと認めてくれましたね。これからも続けて良いとまで言ってくれました」
アレンさんが確かめるように語り出した。わたしもたった今、思い返していた記憶だったから、困惑しつつも頷くことで返した。
「私は救われました。もしもあの日より前に、カレンの記憶について聞かされていたなら、私もどうしていたか分かりません。ですが、どうです?そうはならなかった」
アレンさんが誤魔化しを述べているようには、とても見えなかった。しかし、わたしの語ったカレンさんの記憶を、自然と受け入れるアレンさんの姿が、わたしには不思議でならなかった。
「それから今日までの数日は、私にとって、カレンの死を受け入れるための大切な時間でした。本当に感謝しています」
「どうしてこんな話を、そこまで信じてもらえるんですか?」
こんな無茶苦茶な話をここまで信じられる、その根拠が分からなかった。例え、話の内容は信じられても、わたしの夢や記憶について、少しは疑っても良いんじゃないかとも思った。
アレンさんはヴァレンを見た後、天井を見上げるように、わたし達から視線を外した。




