ルフナ 子供 5/15 未明~
小さな窓から差し込む、月明かりを頼りに、湿らせた布で身体を清める。水差しのお水を使うのは申し訳ない気がしたけれど、少しでも汚れを落として、心の準備をする。
夜明けにはまだ、随分あるみたいだった。新しい服に着替えると窓辺に跪いて、お星さまに向かって祈った。
わたしはアレンさんに、全てを打ち明けると決めた。
一昨日、ヴァレンは何も言わなくていいと、優しくそう言ってくれた。その優しさは、きちんと覚えておこうと思う。あの言葉は思いやりであって、ただの甘やかしではなかったはずだから。
それでも自分で考えて、もう間違わないようにしたかった。
わたしはもう、どちらの記憶も恐くなんかない。
ただ、その後の結果を考えるのだけは、やっぱり怖かった。
それでもこれまでの嘘をきちんと謝って、しっかり伝えたかった。
部屋を出て食堂の前までくると、中に誰かがいるのがわかった。物音はしなくても、蝋燭の光が窓の外を温かく揺らしている。
軽くノックをして戸を引くと、中にはヴァレンがいた。
自分の顔の緊張が緩むのがわかった。
わたしはできれば、アレンさんに打ち明ける前に、誰かに。そう、ヴァレンに聞いてほしかった。相談ではないかもしれない。ヴァレンに話すことで、自分の気持ちを確かめたかった。
ただ、ヴァレンは椅子に座ったまま、眠ってしまったみたいで、わたしは彼の正面の椅子に、できるだけ静かに腰を下ろした。
「ありがとう」
色んなありがとうを、一言に込めたつもりだった。彼ならどう受けとるだろうと、眠ったままのヴァレンの顔を、真正面からじっと見ながら考えた。
「餅のことか?」
しばらくして、ヴァレンが目を開けて言った。彼の閉じられた瞼を見て考えていたから、突然目が合って、身体中を一気に血が駆け巡った。
「起きてたの?起こしちゃった?」
「いや、目を閉じて休んでいただけだ。おまえは大丈夫なのか?」
一昨日はあれだけ泣き喚いたのに、今では考えも纏まって、たっぷり寝て、むしろすっきりした心地だった。目の前のヴァレンだけが、わたしの分までやつれて見える。
「うん、わたしはね、もう恐くないよ。。。ごめんねぇ。あんなに暴れたのに、こんな感じで」
頭を下げる代わりに、目一杯笑ってみせた。その方が、ヴァレンが元気になってくれると思った。
「気にしてない」
ヴァレンは首を振って、短く言い切った。たけど、それを言葉通りに受け取ることなんてできるはずもない。わたしは謝罪を重ねたくなるのを堪えて、ありがとう、がその代わりになればと再び口を開いた。
「そう。お餅!美味しかったよ。結局、全部食べちゃった。ヴァレンなんでしょ?」
「ふっ。あれか。探すのに苦労するかと思えば、たまたま同じ宿に店主がな。なかなかに印象的な出来事だったからな、店主の顔も覚えて。。。いたんだ」
ヴァレンの言葉に、もう一度笑ってみせた。わたしの胸はもう、痛くはなかった。
「大丈夫。本当に大丈夫だから。神経質にさせちゃってごめんね。。。お店のおじさん、まだエレスにいてくれたんだね」
「あぁ。水上都市に戻るエレスが見たいんだそうだ。やはりよその国から来たらしく、泳いでから帰る、と言っていた」
ヴァレンは宿にいるおじさんの方を見ているのか、少し遠い目をしていた。その顔から、ほんの少しだけ疲れが消えた気がする。わたしもちょっぴり、柔らかく息をついた。
「皆にもね、ちゃんと謝ろうと思うの。ずっと、嘘ついてたみたいなものだから。どう思われてたのかも、ちゃんと知っておきたいの」
「本当におまえは急なやつだな。。。どうして、そんななんだ?」
ヴァレンは困り顔で尋ねてきたけれど、何も急なことはなくて、ひとつの答えにたどり着くまでに、2週間もの時間をかけてしまっただけなのだ。それほどの時間をかけて思い知った小さな事実がある。それを素直に、ヴァレンへの答えにすることにした。
「わたしはね、きっと見た目以上に、まだ子供なんだよ」
この言葉が、ずるいという自覚ぐらいはある。でも泣いて、周りを置いてきぼりにして、けろっとするなんて、子供でしかなかった。これを認めなければ、私はきっと、大人のつもりの子供のままでいてしまう気がした。
「昨日、日記を読んでて気付いたの。向こうの世界の記憶が薄れたおかげで、今の記憶が安定してきたんだろうなって」
こう言うと、またヴァレンを心配させてしまうだろうか。それでも、隠すことはもう、したくなかった。日記の最初の方には、今は読めない文字のようなものや、理解できない単語がいくつかあった。
「全然寂しくなんかないんだよ?気持ち悪いのはそうだけど、わたしはルフナだからね。今の記憶がちゃんとあればいいの。これからも失敗をして、ちゃんと大人になるんだ。。。周りはいい迷惑だよねぇ」
目の前のこの人もまた、わたしに振り回される一人だった。
「それならいい。ちゃんと付き合ってやる」
「よろしくね。頼りにしてるよ」
仏頂面に見えなくなった、ヴァレンの真面目な顔を見ると、妙に照れくさくなった。照れ隠しに、握りこぶしでヴァレンの胸を、ちょんと叩いた。なんだか、そうしたくなったから。
「アレンさんは起きてるかな?」
この握りこぶしが弱くならない内に、アレンさんに大事な記憶を伝えておきたかった。
「多分な。。。"夢"について、話してしまうのか?」
ヴァレンがわたしの気持ちを察してくれたことが嬉しくて、強がりの笑顔で答えた。
「うん。あの夢には、カレンさんの気持ちが籠ってるから、内緒にはできないの。このまま忘れちゃったら嫌だ。。。呼んできて、もらえる?」
「おまえがそう思うのなら、それが一番だ」
そう言うと、ヴァレンは懐を探りだした。不思議に思って見ていると、彼はこちらに手を差し出した。
「一度手を開け。まじないのようなものだ」
わたしは言われるがまま、右の手の平をヴァレンに向けた。そうすると、ヴァレンが指先でつまんだ何かを、わたしの手の中に優しく落とした。それは指輪だった。ドキッとした。
「これって。。。?」
前世での指輪は、特別な意味合いがあった気がする。こちらではどうなのか、わたしは知らない。
「俺にはもう、必要無いものだ。エレスに来るまでは、身に付けていたこともあった。特別な意味は無いが、もらってくれると助かる」
そう言うヴァレンの右手の小指には、指輪の跡なのだろうか。白く、日焼けのない所がある。わたしはその青い石がはめられた指輪を、ぼうっとしながら眺めていた。
「なんなら握りしめておけ。今度は握ってやれないからな」
ヴァレンは少し恥ずかしそうに笑った。それを見て、わたしも同じ顔をしていたと思う。
「ありがとう。そうするね」
わたしが指輪をしっかり握りしめるのを見ると、ヴァレンは1つ頷いてから、アレンさんの部屋へと向かった。
喉がカラカラだった。ヴァレンの前で少し強がりをしていたせいだろうか。左手で食卓にあった水差しから水を注いで、コップを手にすると、ぐいっと一息に飲み干した。




