ルフナ 紅茶 5/13 10時頃~
エレスの中央大通りは、南北に線を引いたように整備されている。真ん中の歩道の幅は約10メートル。その両脇には、露店がひしめくように建てられていた。
わたしが朝の掃除をきちんと終わらせて、今日ここにやってきたのは、エレスの町や、この世界のお勉強のためである。勉強なので、わたしは仕方なく、色々な食材を見たり、買ったり、食べたりしなくてはならない。そう、これは、勉強なのだから。
「わたしはあっちのお魚のお店も見てみたいなぁ」
そして、大通りの露店のさらに外側には、側道を挟んで、石造りのガッチリした建物が南北に並んでいる。そこでは露店とは違って、日常からは少し離れた商品が扱われていることが多かった。
「こら、逃げるんじゃない。エレスは書籍も安く売られてるんだ。勉強のために何冊か買っておけ」
本もまた、その1つだった。辺境のエレスでは、国からの補助によって、小麦とワインと本が比較的安く手に入る。持ち出しには多額の税金がかかるものの、都市内で消費するのはお得だと、ヴァレンが言っていた。
「えぇ。。。今買うと重たいから、今度にしない?」
「。。。いや、次がいつになるか分からない。今、買う」
ヴァレンはわたしをじぃっと見てから、そう告げた。前世の記憶がはっきりしないばっかりに、生まれ変わってもお勉強だ。
「わたしだってね、たくさん勉強したっていう記憶はあるんだよ?でも内容がこれっぽっちも思い出せないんだよね」
わたしは少し声を落として、自分の記憶の非情さを伝えた。
「奇妙な話だな。覚えてる事柄に共通点はないのか?」
ヴァレンは小さな声で話しながらも、辞典みたいな大きい本を、既に3つも抱えている。
記憶の共通点と言われても、わたしがはっきり思い出せるものといえば食べ物のことだった。でも普通に言うと、余りにも馬鹿っぽいから、少々誤魔化すことにした。
「えーと。。。衣食住?そう!生活に関することは、結構よく覚えてるかも」
「なるほど。一応は生き抜けるように配慮してある。。。のか?」
あんまりわたしをじろじろ見ないでほしい。魔獣なんて恐ろしいものがいる世界で、平和だったという前世の記憶がどれだけ役立つんだろうか。
「道具とかの知識はすごく、ぽやんとしてるかも。こっちに無いものも沢山あったなぁっていうのは分かるんだよ?不思議だよね」
自分で言いながら、今までの生活で奇妙に感じたものがあったのを思い出した。
「例えば櫛は、もちろん最初から使えたんだよね。でもさっき使ってた火打石は全然で。初めは火をつけてって言われたら、火打石を縦に握って、なんだか親指をぴこぴこ折り曲げるみたいな動きを、体が勝手にしたの!当たり前だけど火はつかないし、それでもわたしの中で、"火をつける動作"はその動きだったんだよね。多分、そういう道具があったんだよ」
「面白い。。。が、なかなか大変な思いをしていたんだな。そういった記憶による齟齬や、気持ち悪さは、アレン司祭達に伝えていたのか?」
ヴァレンが本をめくる手を止めて、見たことのない表情でこちらを見ていた。もしかしてわたしは今、同情されているんだろうか。
「ううん、ちゃんとはしたこと無かったかな。変なやつって思われるのが怖かったし。。。あ、今じゃ、そんな人達じゃないってちゃんと分かってるけどね」
ヴァレンが何も言わずに、妙に悲しげな顔でこっちを見てくるのがむず痒かった。
「ねえ!本ももう、それぐらいでいいよね?」
わたしは苦し紛れに、普通の大きさの声でそう言って、なんとかヴァレンを本屋さんから連れ出した。
転生したての頃を思い出すのはそれだけで恥ずかしい。そして、"1日目"の記憶は、わたしにとって恐怖そのものだ。
その後行ったお魚屋さんは、朝の早い時間が商いの中心らしくて、少し寂しい品揃えだった。わたしが再会を望んだタコも、既に売れてしまって無かった。
わたしがしょぼんとして市場を回っていると、円柱状の白い陶器を並べた露店が目に入った。食器を並べたお店は何軒かあったものの、このお店は同じ形の陶器を大小様々に並べてあるだけに見えた。
「お、あれはもしや。。。」
ヴァレンも同じお店に気付いたのか、足早に店頭に向かった。店先まで来てみると、陶器の上の小皿に薄く、良い香りのする何かを盛ってあるのが目についた。
「あれ?これってもしかしてお茶っ葉?」
「そうだ。一昨日までは無かったんだ!」
ヴァレンが何やら嬉しげに、声を跳ねさせている。
「ウチの店は昨日からだよ。夏至祭りを終えて、一旦、国に帰る行商人も多いからね。大市も丁度、この時期に様変わりするんだ。冬至まではここに店を構えてるから、贔屓にしておくれよ。旦那ー!」
お店のお兄さんが愛想を振り撒いた。ヴァレンはそれを聞きつつ、お茶っ葉を眺めたり、匂いを嗅いだりしている。並んでいる茶葉は色も様々で、わたしも黒っぽいのを少しだけ嗅いだりしてみる。
「紅茶もあるな。よし、こいつを頂こう。これに入れてくれ」
ヴァレンが背のうから、小さな缶のようなものを取りだした。
「へぇ。いいもの持ってんね。こいつなら茶葉を入れるのに良さそうだ。わざわざ鍛冶屋に作らせたのかい?」
お兄さんは茶葉を容器から移しながら、ヴァレンに尋ねた。
「あぁ。それなら多少乱暴に動いても割れないだろう?麻袋にいれては、せっかくの香りが飛んでしまう。やはり、きっちりとした物でなくては、茶葉が勿体ない」
「いいね。うちは首都の本店から、毎月茶葉を送ってもらうから、品質は保証するよ!兄さんなら違いも分かってくれるだろう?」
店主のお兄さんの声に、ヴァレンがなにやら笑顔で応えている。どうやらヴァレンは、相当の紅茶好きらしかった。教会では豆茶を飲むので、こっちの世界では紅茶を飲んだことはなかった。
ヴァレンは紅茶を背のうにしまうと、満足気に目を光らせて、お兄さんに挨拶した。
「ヴァレンは紅茶が好きなの?」
わたしが聞くと、ヴァレンは笑顔でこちらを向いた。
「大好きだ。あのように茶葉を専門で扱っている店は、他に無かったと思うんだ。丁度、新茶の出回る季節だから、エレスにも来たんだろう」
先ほどからずいぶん饒舌に喋っているところを見ると、聞くまでもなかったかもしれない。ヴァレンにも、こういう一面があるのかと思うと面白かった。
「ベンさんに淹れてあげてたのも、もしかして紅茶だったのかな?」
わたしは、先日の話し合いの時に、お茶を淹れるヴァレンの手つきが、妙に手馴れて見えたのを思い出していた。
「そうだ。あれが最後の一杯だったんだ。。。だから今日、あの店に行けたことは、何よりの幸運といえるかもしれない。紅茶は飲むのはもちろん好きだが、淹れる時間そのものが良いんだ。カップに注ぐ時などもう、な」
「そ、そうなんだ。わたしも紅茶は好きだったと思うんだけど、こっちでは飲んだことないんだよね」
ヴァレンの熱量が、どんどん増しているような気がする。わたしは、できるだけ無難な言葉選びを心がけた。が、少し遅かったかもしれない。
「それならこの後、教会の食堂で、早速淹れてみようじゃないか!先程の店主がお奨めとやらを、別に包んでくれたんだ。試しに飲んでみよう。それに、首都にいた時は何も思わなかったんだが、エレスの水は、どこか紅茶を美味くするような気がしていてな。きっと水の性質の違いがあると思うんだが、その点はまだまだ知識がな。しかし、美味くなるのは恐らく事実だ。最高の状態で飲んでもらえるように、俺も努力しよう」
「うん!ありがとうね!」
男の趣味は暑苦しい、と誰かに言われた記憶がふわっと浮かんだ。この後も教会に帰るまで、もちろんヴァレンの紅茶熱は治まらなかった。




