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アレックス 初恋 3日目

 この日、私は心を弾ませながら教会近くまでやってきた。時刻は2時、と言っても馴染みはないかもしれない。

我が伯父上は、古くなった官舎の並ぶ地区を改良し、大時計のついた広場を整備する計画を立てておられた。もしも、その大時計ができたならば、皆が正確な時刻で動くようになるのだろうか。そうすれば、こうした待ち合わせも幾分便利になるように思われた。何かの約束で、相手がなかなか来ないというものは、とても我慢ならないものだ。

しかし、カレンを待つその時ならば、その時間は非常に尊いように思われて、時計など無くても良いかもしれないななどと考えながら、私は意気揚々に、溌剌と、心を踊らせて歩いていた。


 教会前の通りに差し掛かると、赤い髪をなびかせる女性が立っていた。一歩二歩と進むほんの短い間だけ、その美しい赤髪に見とれてしまってから視線を空へ投げた。女性との約束を前にして他人に見とれてしまうなど、失礼にも程があるように思った。軟弱な精神を今一度引き締めて、私は歩みを強めた。と、それと同時に、その赤髪の女性が一歩前に進み出る。危うくぶつかりそうではあったが、それは回避することができた。

「あら?どこへ行ってしまうの?」

どこからかカレンの声がした。私が振り向いて、その女性をよくよく見ると、その美しい女性は、赤い髪を下ろしたカレンだった。

「ああ、すまない。君はいつも、髪を布で巻きつけていたものだから。それにしても、美しい髪だね」

色男のように言ってしまってから、自分らしくない言葉だと、少し面白く思った。

「外ではこうしてるのよ。人を驚かせることもないしね」

彼女の右目は髪で隠れるようになっていて、傷痕も見えない。私は少し寂しくも思ったが、そうするのは当然なのかもしれない。

「女性の髪というのは不思議だね。巻きつけてあるのを解くと、そんなに長くて豊かな髪だとは。綿毛のように軽やかで、綺麗で、その。。。素敵だ」

私はジュラ北部の男が書いたという、ある短編を思い出しながら、不器用ながらに語った。彼女のあまりの美しさに、私は酔っ払ってしまったに違いないのだ。

「意外だわ。そういう挨拶をするタイプには見えなかったけれど?」

が、私では語彙も経験も及ばない。彼女がこちらを覗きこむようにするので、私は無様に両手を上げた。

「すまない、少し無理をした。謝るよ。でも誓って、君の髪の美しさは言葉通りだよ」

「いいわ。悪い気はしないもの」

彼女の頬が、ほんのり赤く染まって見えたのは、私の願望がそう見せただけだろうか。それを確かめる前に彼女が歩き出したので、私もそれに続いた。

「あ、そうだわ」

と、歩き出したと思えば振り返り、こちらを見て、なんと彼女は微笑んだのだ。途端、胸が弾んで、むず痒くなる。

「あなたの今日の笑顔、素敵よ」

彼女は、また前を向いて歩き出した。自分が知らず、笑顔になっていたと知り、私は両手で顔を触って確認した。そうして、私もすぐに歩き出して、彼女の後ろから声をかける。

「約束を守れて良かったよ」

彼女が私との約束に応じてくれた奇跡を、自分が辛うじて彼女との約束を守れていた幸運を。大袈裟だろうか、私は神に感謝した。


 その後、歩きながらも他愛のない会話をしていた。ただそれだけで楽しかった。こういった場合、どこか気の利いた場所に案内するのが良いのだろうが、生憎、私はそんな場所など1つも知らない。

彼女と会う約束はしたものの、そこから先を考える力も経験も知識さえも、私には全くもって不足していた。ところが今、彼女は目指す先があるかのように歩みを止めない。だから私は、彼女の右隣にぴったりとくっついて歩いている。

すると道の先から、なにやら賑やかな楽器の音色やら人々の歓声やらが聞こえ出した。

「男の人とお祭りに来るなんて、初めてだわ」

彼女の輝いていた笑顔が、更に弾けた。今日は夏至。街では祭りが催されているらしかった。今日の私はやはり、大いなる者の祝福を受けているようだ。


 しかし、神が我に与え給うたのは幸福だけではなかった。これは恐ろしい程に溢れる、人の波の試練だ。私はこれまで生きてきて、視界にこれ程の数の人間を収めたことが無かった。それが各々、好き勝手に蠢くものだから、私は立ち尽くしてしまった。彼女はというと、目をきらきらと輝せて、あちこちに並んだ露店を遠目に見ている。

「これは。。。おびただしい数の、人、だね。。。迷子になりそうだ」

私はとにかく、自分の置かれた状況を明確に彼女に伝えた。

「本当ね。じゃあ、こうしましょう」

すると突然、私の手のひらに何かが収まった。手だった。カレンの、思いの外小さな手だった。

「あぁ。これなら安心だね」

声が震えなかったのが、不思議なぐらいだった。

にやけた顔を見られないように、私は彼女の手をひいて、露店に向けて歩き出した。


 夕食が食べれなくなるとまずい、というカレンの言葉に、飲食は少しだけにした。大道芸人や吟遊詩人といった者達がいたり、なにやら大人数を集めて演劇までやっている。聞き慣れない言葉で、様々なものを売り付けようとする怪しい輩もいたが、それら全てを引っくるめて、これが祭りというものなのだろう。

祭りのほんの一部を味わっただけなのだが、彼女より先に私の方が疲れてしまった。だからと言って、まだまだ帰るわけにはいかない。私はカレンのことが知りたかった。

「少し休憩にしよう。目が回りそうだ」

そう言って私は彼女の手を引き、ひとつ路地を抜けた。そこもまた人が多かったが、先程の大通りに比べれば落ち着けるように思えた。整備された川では、忙しそうに水夫が行き交っている。

「そこに腰掛けようか。君のことを、もっと聞きたいと思ったんだ」

私が足を川に投げ出すようにして座ると、ぎりぎりではあったものの、川面に足がつくこともなかったので安心した。

「私のこと?」

彼女は私の左手の方に座ると、何故かそうやって聞き返してきた。

「あぁ、私自身のこともだけど、君の、その、これまでの話とかさ」

「そうねぇ。。。だけど、私、10年程しか記憶がないわよ?」

まさか、カレンが10歳そこそこであるとは思わない。彼女の言葉には驚いたものの、今は隠れている、彼女の傷痕を思い出した。なんでもない会話を始めるはずが、彼女の過去の大切な部分に触れてしまって、私はこっそりと、腹に力を込めた。これから訪れるであろう動揺を、少しでも抑えたかったからだ。

「。。。小さい頃の記憶を、忘れてしまったということかい?」

「ええ。この傷痕も、その時のものだと聞いたんだけど、戦争に巻き込まれたらしくって。いいえ、隣国の異教徒狩りね」

川面を見つめる彼女は、何でもないことのように、そう言った。

「私は気付いたら孤児院にいたのよ。とっても恐ろしい目に合ったんだろうって院長様が言ってたわ。小さな村だったらしくて、国軍が来た時には、生き残りがほとんどいなかったみたいね」

彼女の驚くべき過去に、私は言葉を忘れた。心の準備がまるで足りていなかった。

だが、彼女もそれは察しているらしかった。こちらの呼吸を探るように、ただ、川面を見つめている。

「もちろん、そこにいただろう両親も、恐らく、ね。院長様が随分、聞いて回ってくれたみたいだけど、何の成果も無かったって。私の名前だって院長様がつけてくれたのよ」

「今も、何も思い出していないのかい?」

彼女は淡々と話を続けた。私は沈黙が怖くて、ただ疑問を投げ掛けるしかできなかった。すると、ようやく彼女は、こちらに目を向けた。

「さっぱりね。手掛かりだってないし。持ってたのもこれだけ」

彼女は懐から教典を取り出した。それは、首都の教会で発行されているものだった。

もう少し、何か彼女の過去を特定できるようなものであれば、私も幾分、救われたかもしれない。しかし、それは余りにもありふれた物だった。

「それなら私も、同じものを持ってるよ。。。」

彼女はその教典を開くと、紙を優しく、撫でるようにしている。

「ほら、ここに落書きがあるんだけどね。子供の書いたような感じだから、多分私が描いたんだろうなって」

そして私に見えるように、彼女はしっかりと教典を開いてみせてくれた。

落胆と共にそれを見た私は、その落書きと言われたものを見て、思わず息を飲んだ。彼女は落書きだと言ったが、私には全く、そうは見えなかった。私はしばし、天を仰いだ。

「これは古代文字じゃないかい?ルフナ、と書いてある。君の髪色と同じ、赤って意味だよ」

視線を戻して私がそう伝えると、彼女はその目を見開いて、教典と私の顔とを行ったり来たりさせた。

「本当なの!?これが文字だったなんて。。。なんだかひょろひょろした、子供の落書きにしか見えなかったのに」

「間違いないよ。私は、その。。。詳しいんだ。。。君の、カレンの名前って、本当はルフナというんじゃないかい?」

私の問いかけに、彼女は答えなかった。ただ、小さく頷くと、再びその文字を撫でた。私はそうして黙り込む彼女の顔を、しばらく見つめていた。

「。。。不思議ね。そうだと思うんだけど、やっぱり何も思い出せないわ」

彼女がようやく口を開いたかと思うと、最後に悲しそうな表情をした。彼女のそうした顔は、どうしても見ていたくなかった。だから私は、傍らにあった彼女の右手に、そっと左手を乗せた。

「君は、どちらの名前がいいんだい?」

「。。。私はカレンよ。院長様がつけて下さった、大切な名前だもの。ルフナだったかもしれないけど、私は、今の私はカレンよ」

彼女が私を見つめながら、決意するように呟いた。その目は美しく、私の心までをも貫いた。

「そうだね。それに、何となくの響きで申し訳ないけれど、今の君を見ていると、カレンって感じがするよ。凄くよく、似合ってる」

私は嘘偽りなく、本心を告げた。私の言葉が、この気持ちに追い付くことはないだろう。この言葉がせめて、気休めのものではないと信じてほしくて、私は声と視線に精一杯の力を込めた。

私の願いが届いたのか、彼女の顔は、ぱっと再び花開いた。その笑顔が余りにも眩しくて、見ていたいはずなのに、私の視線は泳ぎに泳いだ。

「ありがとう。私も気にいってるわ。私を産んだ母や父は、産まれた私を見て、ルフナって思ったんでしょうね。でも、今の私は、カレンだわ!うん。ありがとう」

「その。。。役に立てて嬉しいよ」

ようやくはっきり彼女を視界に捉えると、彼女は、カレンは、立ち上がって頭をさげていた。私も立ち上がって、カレンに笑いかけた。頬を冷やす風が心地良かった。今や彼女の姿どころか、後ろの景色まで輝いて見える。

私は、今まで無意味に詰め込む様にしていただけの我が知識を、初めて誇らしく思った。気付けば体の疲れなど吹き飛んでいた。

「よし、お祭りの続きだ!」

私の下らない家庭事情など、今はどうでもよかった。

私は無意識に手を差し出していた。カレンがその手を自然に取る。

「ええ!行きましょう。。。ふふ、秘密が出来たわね。私達だけの」

そう言って微笑む彼女を、美しいと私は思った。



 それからもう一度、祭りを楽しんだ後の帰り道で、私は毎週同じ頃に教会に通っていると、彼女に伝えた。カレンは静かに頷いた。

私の気持ちが伝わっていると嬉しい。

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