アレックス 初恋 1日目
私は月に二度、教会に行く。本の虫である私は、そう決めてでも外に出なければ、部屋に籠りっきりになるからだ。私の通う首都の教会には、孤児院が併設されていて、礼拝堂でも子どもらの姿をよく見かけた。
彼らは何らかの理由があって孤児となったはずだが、少なくとも礼拝堂で見かけるその子らの顔は、皆一様に明るかった。笑い声が礼拝堂の空気を優しく解す中で、私は椅子に座り、静かに祈りを捧げていた。するとその時、はしゃいでいた子ども達の一人が、勢い余って私にぶつかってきた。
「。。。ご、ごめんなさい」
途端、その男の子は顔を青ざめて、舌をもつれさせながら謝罪した。私の顔は父親譲りの厳めしい顔つきである。昔からよく子どもに怖がられたものだから、こういった反応には、もう慣れっこだった。
「構わないよ。君こそ大丈夫かい?」
彼はひとつ頷くと、再び走ってどこかへ行ってしまった。あの様子では、また誰かにぶつかるのではないかと心配になったが、その元気さが微笑ましかった。
「おはようございます。子ども達が、すみませんでした」
少年らを目で追っていたので、私はその修道女に気付くのが少し遅れてしまった。その声は、確かに聞こえてはいた。だが、知り合いもろくにいない私に、誰かが声をかけるとは思わなかったのだ。
「お怪我はありませんか?」
彼女が再び声をかけてくれたので、私はようやくそこで、自分に向けられた言葉なのだと気が付いた。
「あぁ、すみません。私ならなんともない」
椅子に座ったまま見上げると、私は少々、いや、きっと大いに面食らってしまった。その私の動揺が伝わってしまったのだろう、彼女はこちらをじっと見つめている。しかし、その視線は、私を咎めるふうではなさそうに思えた。しかしである。その大きな瞳に、やはり私の中の何かを貫かれたような気がした。
「驚かせて申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ大変な失礼を。。。」
私が何に驚いたのかというと、彼女の右目の上あたりに、子どもの拳大の傷痕があったからだ。私は大きな反応を見せてしまった自分が恥ずかしかったし、何より彼女に申し訳なかった。
すぐに私が非礼を詫びると、彼女はその傷痕が見えなくなるような、素敵な微笑みを見せた。
「いいえ。あなたの反応はね、無礼な態度を見せてしまったのを、心から恥じる人の反応ですね。私はこの傷痕のおかげで、初対面の人でも、どんな人かだいたい分かるんです。あなたはきっと良い人だわ」
「それは。。。どうも」
そうして彼女が、笑みをより深くするので、私は何故だかとても落ち着かない気持ちになった。
私は無愛想にも、一言返事するのが精一杯だった。初対面の人にあまり会わない生活ではあったが、自分はここまで不器用ではなかったはずだ。彼女の微笑みを見てから、どうにも調子がおかしくなった。目を合わせようとすれば、彼女の傷痕をじろじろと眺めているように見えるのではと、私は殊更に躊躇した。
そうして私が視線をさ迷わせながら黙り込むものだから、彼女は不思議そうに首を傾げて、私のもう一言を待つように佇んでいる。と、私は、まだ自分が名前も伝えていないことに気付いた。即座に立ち上がって、しっかりと彼女の目を見た。顔が熱くて仕方がなかった。
「私はアレ」
アレックス、と言おうとして、そこまで言って踏み留まった。別段隠すようなものでもないが、私は自分の名前が嫌いだった。
そもそも名乗るような友も居ないような生活だったが、"アレックス"と呼ばれるとすれば、敬愛する伯父と、大嫌いな父親の二人きりだったからだ。伯父に呼ばれるのはなんら問題なかった。むしろそれは嬉しかった。しかし、普段私がよく耳にするのは父親の方の声だ。
彼女の口から、あの男と同じものが吐き出されると考えただけで、私は総毛立つような不快感に震えた。
「アレン?アレンと仰るんですか!?」
しかし、私の懊悩を、彼女は見事に勘違いしたらしかった。私の名前をアレンだと思い込み、ずいぶん驚いている。今さら訂正する気にもならなかったので、私は彼女の素晴らしい勘違いに縋ることにした。
「。。。はい、アレンといいます」
「まぁ素敵!私はカレンというのよ。そっくりね!」
これには私も驚いた。同時に自分の中に、例え様のない喜びが生まれるのを感じた。そしてなにより、彼女の笑顔が素敵だと思った。
「素敵な偶然ですね。なかなかあることじゃない」
私を見る彼女の、その目から、私は目が離せない。まったくもって奇妙な出来事だった。だが、例えどれだけ異様に思われようとも、私は彼女を見ていたかったのだ。
「カレン!少しいいかしら」
しかしそれは、彼女を呼ぶ誰かの声に妨げられてしまった。彼女はすぐに、その声の方へと目をやった。
「はい!只今参ります」
彼女はこちらに向き直ると、小さく頭を下げた。
「お祈りの邪魔をして、申し訳ありませんでした」
そう言うと彼女は、小走りで礼拝堂の外へと行ってしまった。
帰り道、私は川へ寄り道し、頭を冷やそうと思った。橋にたどり着くまでに、頭をよぎるのは彼女のことばかりだった。久しぶりに女性と話したせいか、ぼうっとする頭をふらつかせながら、橋の上から川辺を眺めた。そこには仲睦まじくする男女の姿があった。
普段なら気にもならない、ごくありふれた景色だった。彼等はお互いの顔を見つめて、温かく微笑んでいる。それは街を歩けば、どこででも見られる、ただの日常の風景だった。
しかし、それを見て、私はようやく思い至った。
もしかすると、先ほど生まれたこの気持ちこそが、恋というものなのだろうかと。




