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ルフナ 空腹 5/10 9:00頃?~

 久しぶりの明るい日差しがエレスの街を照らしていた。そこで働く商人達の顔もまた、一際明るいものだった。昨日は丸一日、嵐が吹き荒れ、商売どころではなかった。吹き散らかされた大通りは、今ようやく綺麗に片付けられ、大通り市場はその活気を取り戻した。二日ぶりの開場に、大勢の人々が押し寄せた。その喧騒は大通りから程近くにある、教会にも届いた。

―――――



 開かれた窓から吹く爽やかな風に、市場からのざわめきが混ざり始める。わたしはその気配に引かれるように目覚めた。ぼんやりと窓の方を向き、優しい光が差すのを眺める。爽やかな朝なのに、心ばかりが重たい。

少しの間そうした後、ベットの端に掛けられた服に着替えると、私は部屋の外に出た。喉の渇きを感じたわたしは、食堂へと向かった。

食堂の戸を引くと、食卓には姉さんとハゼットの姿があった。姉さんは目を見開いた後、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。ぼうっとした頭を抱えたわたしは、姉さんの顔をただ、じっと無感動に見つめた。

「大丈夫?」

姉さんの静かな問いかけに、わたしが頷くと、椅子に座るよう促された。隣では、ハゼットが水差しを手にしていた。

「君は、丸一日ほど眠っていたんだ。とりあえず、ゆっくり飲みなさい」

「ありがとう」

わたしは張り付く喉に急かされながらも、ゆっくりとそれを飲み干した。コップを置くと、急に空腹を感じた。

「お腹空いちゃった」

思わず零れた言葉の、あまりの緊張感の無さに、自分で可笑しくなった。二人はわたしのそうした様子に、少し安心したようだった。

「サリムが作ったスープなら置いてあるわ。食欲があるなら、食べた方がいいわね」

姉さんもうっすらと微笑んでいた。ハゼットが調理場でスープを温めているのか、こちらにも香りが漂ってきた。その嗅ぎ慣れない匂いを嗅ぐと、アレンさんが今どうしているのか、それが急に気にかかった。

「アレンさんはどこですか?」

「礼拝堂よ。あなたが起きて、何か食べられたなら、連れてくるように言われているわ」

突然、姉さんが真剣な目をして私を見た。その目元が薄く腫れているのに、私は今になって気付いた。

「先生は多分、何か大事な秘密を抱えてる。それをこれから、どうにかするみたいなのよ」

姉さんの声は薄く震えていて、それが私を、更に不安にさせる。

「どうして私が呼ばれるんでしょうか?」

「それは、司祭様にしか分からない。君に謝らなければならない、と仰られていたよ」

姉さんが言葉を詰まらせていると、調理場から戻ってきたハゼットが、お盆に視線を落としながら語り始めた。

「いいかい?司祭様は恐らくずっと、ある人のために教会で祈ってきたんだ。私は一度だけ、司祭様にお伺いしたことがあるんだ」

彼はそう言いながら、私の前にパンとスープを並べた。

アレンさんが私に謝ることなんて、何もないように思った。あったとしても、それと、アレンさんのお祈りがどう関係するのか、全く分からない。私は疑問を抱えつつも、どうすることもできずに、ただ指先をもじもじさせるばかりだった。

「この教会に仕え出した頃の私はね、教典を読んで、神の有り様を知ってから、祈りそのものに疑問を抱いていてね。司祭様にお伺いしてみたんだよ。何を祈ればいいんだ、とね。すると司祭様は、愛する者のために祈るよう言ったのさ。神は人を救わないけど、愛するのだ、とね。神と共に祈る気持ちで祈っている、とも言っていた」

「アレンさんの愛する人って誰なんでしょうか?私は勝手に今まで、エレスや、ジュラの国の人達のために祈ってるんだろうなって考えてました」

「私も同じ質問をしたよ。その時は、少し意地の悪い、からかうような心持ちで聞いたんだがね。そうすると司祭様は優しく微笑んで、こう仰られた」

『昔から愛している、たった一人の女性ですよ』

アレンさんの声が、重なって聞こえるようだった。その言葉は優しいようでも、今の私にはどこか、狂気を伴うように感じられて、自分がそう感じてしまったことが哀しかった。

なぜ、そう感じるのか、自分でもまだはっきり分からない。ただ、ハゼットの話から、奇妙な予感を抱いたことだけは確かだった。

「それを聞いたその時はね、私は大笑いしたのだよ。あの司祭様のような神官にも、きちんとそんな人がいたんだと知ってね。私がそれを伝えたら、司祭様も笑っていた」

歯を食いしばるようにして、ハゼットは話していた。

アレンさんの愛する人とは何者なのか、どうして今、そんな話を私にするのか。さっきの予感がぐるぐると、頭の中をかき乱すように巡った。

「私はね、これから大変勝手なことを言うよ。ロレアさんも怒らないで聞いてくれ」

ハゼットはそう前置いて、私の目をしっかりと見た。私は目を合わせるのが怖くて、すぐに、きゅっと目を閉じた。

「君の、そのルフナという名前は、司祭様が付けたのだと私は聞いている。その名前だが、もしかすると司祭様の想い人、であった人の名前かもしれないんだ」

私は思わず自分の体を抱き締めた。嫌な予感は当たってしまった。アレンさんの意図を思うと、今まで見てきたはずの、あの人の姿や表情が、全てぐにゃぐにゃと歪んでいくような気がした。

「それは。。。どうしてそう思うんですか?」

アレンさんを疑うのは、ハゼットにとってもつらいはずだった。それでも、ハゼットが毅然とした態度を崩さないのは、確信があるからなのだろう。

「ルフナという名の女性がいたことは間違いない。昨日、私が駆けつけた時に、司祭様が懺悔するように呟いておられた。。。それに、君が現れてから、司祭様はどこか救われたような表情をされていた。その上、君に対しては過保護なところがあったように思う。。。司祭様は、もしかしたら君に」

「私もそれを危惧している」

そこで突然、あの男の声がして、私は戸の方を振り向いた。

「ヴァレン!あなた、今まで一体どこに!?」

姉さんが怒声を上げると、ヴァレンはそちらに体を向けた。

「落ち着くことだ。私も覚悟を決めてここにいる。私は国王陛下の命により、転生者の自由を守るべく、エレスに来た。いや、違うな。エレスにいるのだ。先頃、そう決意した」

そこまで言って、ヴァレンはこちらに視線を移した。私の中で、この男は恐怖と混乱を振り撒く存在だった。今さらそんなことを宣言されても、私はこの男に守られたいとは、少しも思わない。

「私は昨日、アレン司祭より話を聞いた。中々に込み入った過去を持つ者で、その詳細までは知らんし、私が語るわけにはいかん。ただ一つ、あなたが司祭から話を聞く前に、伝えねばならないことができたので、割って入った」

この男が何を言っても、聞いてやる気などなかった。私はこの謎めいた男が恐ろしくて、少しでも抵抗しないと、心が潰されそうだった。

私は心に火をつける思いで、ヴァレンを、精一杯睨み付けた。

「司祭を、あの男を。。。もう少しの間、信じてやってもらえまいか」

ところが私の耳に飛び込んできたのは、アレンさんを信じる者の言葉だった。ヴァレンがこんなことを言う理由がわからなかった。混乱するまま、おずおずと姉さんの方を見ると、姉さんもまた、息を飲んで表情を固めている。

「何を信じたらいいのか。。。アレンさんがもしも、その想い人の方と私を重ねているのなら、私はここにいるべきじゃないと思います」

私は戸惑いを口にした。ヴァレンには、アレンさんを信じられるだけの秘密がある、ということは分かった。私もそれに賭けたかった。アレンさんを信じたかった。

「それで良い。その時は、私もそれを支持するだろう。最後まで聞く覚悟があなたにあれば、それで構わない」

少しの間だけ私から視線を外すと、彼は食卓を指差した。

「食べるのか、食べないのか。あなたが決めるといい」

不器用な笑顔で、ヴァレンはそう言った。

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