ルフナ 好調 5/32 9:47~
関所を抜けた先には首都内部ほどの賑わいはないものの、まだまだ町が続いている。やって来た時と反対側から見て初めて、この道がなだらかな下り坂であることを知った。
「よし。そろそろ始めるか。今日の行動計画はあるのか?」
カリマヤの首都までの道のりは、北部出身のハゼットが、とっても簡単に教えてくれていた。ありがたいことに難しいことを覚える必要はなかった。
「うん。あそこに見えてるー、宿場町まで行ってー、詰所の本部からは。。。北!に進むんだよね。国境までの大きな分かれ道にはー、必ず看板が立ってるから、きちんと確認しておけば迷わない!」
細かい地名については、覚えている時間がなかった。もちろん簡易ながら地図は作ってある。それでも地図には、紛失や汚損が付き物だ。だからこそ地名よりも、宿のある村と町の名前や、道沿いにある水場をきちんと覚えておく必要があった。
「お昼御飯に合わせて小川で休憩を取ってー、おやつの時間ぐらいにもちょっと休憩するでしょー?それで、ポルテっていう村まで今日は進もうかな。目標はー、うん!日没の一時間前で!」
フルン達のためにも途中で休憩をしっかり取ること。3日間かけて、ゆっくり国境を目指すといい。昨日の夕方、ハゼットがそのように言ってくれていた。
「ふむ。ならば、その通りに進め」
ヴァレンは特に評価を口にすることもなく、励ましの言葉をくれることもない。いつも通りの仏頂面をぶらさげている。対するケルンは、足踏みを止めて、つやつやとした目をこちらに向けながらお辞儀をした。
ヴァレンは無愛想に、ケルンは愛嬌たっぷりに、それぞれのやり方で応援してくれているような気がした。少なくともわたしは、そう受け取った。
「フルン、行こっか!」
フルンは小さく嘶いて、ぽてぽてと歩き出す。わたしが手綱を程よく引き締めると、地面を打つ蹄の音は次第に力強くなった。ゆったりとしたフルンの歩みに、わたしの意志が馴染む。宿場町までの道は広く、準備運動をするにはちょうど良さそうだった。旅の始まりを祝って、フルンを軽快に歩ませる。
フルンの歩みは音楽だ。背中の揺れは向きを変えて、そこに新たな律動が生まれる。上下する背中に合わせて、わたしも手拍子を打つみたいに重心を動かした。フルンの背中から、上手に乗れていると拍手が聞こえる。
「ふふ。上手になったでしょ?しばらくこのまま行こうね」
わたしなら、すぐに息切れするぐらいの速度でも、フルンは楽々進んでいく。ハゼットいわく、フルンにとっては、ぽてぽて歩きばかりの方が疲れるというから不思議だった。
わたしは前方の安全をしっかり確認すると、一度、大きく後ろを振り返った。ヴァレン達の姿は、30歩ほど後方に確認できた。その距離の近さは未熟なわたしを心配してのことだろう。だから今日は、この距離が良い指標になりそうだった。
太陽が頭のてっぺんを焦がす頃、予定通りに小川のほとりでお昼休憩を始めた。流れのある水は青く澄んでいて、そこには魚影もある。上流に目をやっても、人家もなければ魚の死骸が浮いていることもない。手の平に水をすくい取って匂いにも異常がないことを確認すると、フルンに水を飲むことを許した。
あの首都までの旅の間、アレンさんとハゼットの行動から学んだことだった。
お昼の長い休憩では、フルンにしっかりと休んでもらうために鞍を外すことにしていた。こうやって色々と準備をするうちに、ヴァレンもさすがに近くに来るだろうと考えていた。しかし、その予想は見事に外れてしまった。せっかく沸かしたお湯も、一人分で十分だった。
ちょっぴり寂しい気分は、小枝と一緒に焚き火にくべる。お昼前の時点で、ヴァレンとの距離は倍ほどに広がっていた。その道中、忠告が飛んでくることもなかったし、わたし自身、何か問題があったとも思わない。だから今だけは、ヴァレンとの距離を喜ぼう。
フルンは飼い葉を食べ終わると、柔らかそうな草の上でゆったりと寝転がった。わたしはそれを眺めながら、いつものサンドイッチを頬張る。軽めの二人分のはずが、たっぷりの一人分になってしまっていた。幸いにして、わたしの胃袋は懐が広いみたいで、それらを寛容に受け入れてくれた。
分かれ道にある看板は、感動的なまでに親切だった。最寄りの村の名前に加えて、左の道がカリマヤへの国境へ続いていると、矢印などではなく文字で、でかでかと記されていた。あれならイタズラを警戒する必要すらなかった。
その後、隊商のお尻にくっつくみたいにして、わたし達は易々と、ポルテ村にたどり着いてしまった。その頃にはヴァレンははるか後方にいて、それがわたしに、まずまずの達成感を与えた。わたしが宿屋の手配を終えると、そこにちょうど良く現れたヴァレンを連れて厩舎に向かった。
そうしてフルンを労いながら、わたしはちょっぴり困惑していた。
「なんだか、順調過ぎたよね?」
余り気味な時間と体力を、フルンの手入れに費やそうと考えて、今日は全身の水洗いを敢行する。この暑さの中、フルンは今日一日、汗みずくになって頑張ってくれたのだ。あとは、いつも以上に丁寧にフルンの背中や首を揉み解して、いつも通りにピカピカにしてあげよう。
「そうだな。警備隊に感謝しよう」
ヴァレンの声は小さく、沈むような気配があった。わたしが油断していないか、推し量られているのだと思った。
「そうだね。それに今日は道も平坦だったし、出発も遅かったし、宿屋さんにも泊まれたし。色々と、何て言うか優し過ぎたよね」
こんなことで慢心しては、ヴァレンに減点されそうな上、早々に手痛いしっぺ返しを食らいそうで怖かった。
「ほう。油断しないのは良いことだ。今日一日見ていたが、正直なところ、良い意味で驚かされた」
「えへ。良かったー」
お褒めの言葉を頂いて、わたしは崩れ落ちそうなぐらいに安心した。今日は旅そのものよりも、ヴァレンの視線による気疲れの方がはるかに大きかった。
わたしが喜びを噛み締めていると、ヴァレンはブラシを置いて、ようやく顔をこちらに向けた。半日ぶりに見るヴァレンの顔は、日焼けのせいか真っ赤に見える。日焼けでなくとも、今日は確かにムシムシと暑い。汗ばむのも無理はない。が、それにしたってヴァレンの顔の赤さは尋常ではなかった。
「何度か、フルンを速歩で歩かせていただろう?上手く乗れていたじゃないか」
顔の赤さに気付くと、ヴァレンの声に感じた異常は、ただの鼻声のようにも聞こえだした。
「はやあしって言うんだ?ゆっくり歩いてる時とは、ちょっと違う乗り方になるけど面白いよね」
なんとか平然と会話をしながらも、わたしの全感覚と頭脳は、ヴァレンの異変に傾注していく。ヴァレンが上機嫌になりそうな話題ではあった。けれども、その顔の赤さはそういった興奮によるものでもなさそうだった。ヴァレンの目は、どこかぼんやりと虚空を漂っている。
「ヴァレン?ちょっといいかな?」
わたしは一言断ってから、ヴァレンのおでこに手を伸ばした。触れた瞬間に、はっきりと異常を察知できた。
「あぁ。。。おまえの手は冷たいな。。。少し、そうしていてくれ」
それぐらいに、ヴァレンのおでこは熱かった。
「ヴァレン。。。大丈夫?!すっごく熱いけど!」
「いや?ひんやりとして、気持ちいいぐらいだぞ」
微妙に噛み合わない会話は、そのまま放り出した。フルンに謝ってから、わたしはヴァレンの手を引いて、厩舎を飛び出した。