ロレア 出会い 5/8 17:00~
エレスの街に入る直前になって、雨が降りだしてしまった。
おかげでこれから暮らす町の気配は感じ取り辛いが、雨に負けない市場の活気は好ましく思えた。大通りの程近くに建つ教会は少し小さく見えたが、その慎ましさが先生を思わせて、思わず笑みがこぼれる。
礼拝堂には人の気配が無くて、私達は次に、庫裏へと向かった。後ろを静かに付いてくるヴァレンは、ようやく自分の感情に折り合いがついたように見えた。
庫裏にある食堂と調理場には、既に明かりを灯してあるようで、窓に人影が揺らめいて見えた。夕げの支度中なのか、雨の匂いにかすかに温かなものが混じっていた。
私は戸口に立つと、呼吸を整えて、2度、軽く戸を叩いた。しかし、私が引き戸を叩く小さな音は、雨音に紛れて届かないようだった。そこで私は、薄く戸を引き、中に声をかけた。
「アレン司祭様はいらっしゃいますか?」
するとすぐに、戸の隙間から少女が顔を覗かせた。
「アレンさんに御用ですか?今、薪に火が、なかなかつかなくって。少々こちらでお待ち頂けますか?」
とにかく中へどうぞ、と彼女が言うので雨具を脱ぎ、私達は食堂に入った。思いの外、小さな少女がそこにはいた。彼女はどこか、怯えたような眼差しを見せている。
「ルフナさんですか?私はロレアと申します。以前、アレン司祭と同じ教会に仕えておりました」
調理場は、私からはまだ見えない。私はどうしようもなく、そわそわと、落ち着かない心持ちだった。
「私が朝に、炭の処理を間違っちゃったもので、アレンさんが一から火起こししてくれてるんです。今、ようやく薪から火が移ってきたところなので、手が離せなくって」
「あぁ、炭を灰に埋めておかなかったのですね。私もよくやりました」
ルフナはよくある失敗を、ずいぶん気にしているようだった。かまどの炭は、灰に埋めておくと長く熱を保つのだ。上手くやると火口の用意もいらないけれど、私も始末を忘れてしまうことはよくあった。
「あ、大変!少し待ってて下さいね」
ルフナは雨に濡れた私達を見て、慌てて布を取りに行ってくれたようだった。私は、先生がいるという調理場を覗きたくなる衝動を、必死で抑えていた。
やがて、布を手にしたルフナが戻ってくるのとほぼ同時に、先生が調理場から顔を出した。
「先生!お久しぶりです。ロレアです。お顔を拝見するのは十数年ぶりになりますが」
私は思わず駆け寄って、先生を驚かせてしまった。ここまで我慢していたというのに、これでは全てが台無しだった。
「ロレア!あなたが来てくれて本当に助かりましたよ。後ろの方も、よくぞこの娘を連れてきて下さいました。アレンと申します。ずいぶん急いで頂いた様ですね。ありがとうございます」
「ヴァレンという。ルフナ嬢の護衛にきた」
私の動揺はさておき、目の前で挨拶を交わす二人に、私は目を向けた。先生は私の記憶のままの、柔らかな微笑みを浮かべてヴァレンに頭を下げている。一方、ヴァレンはといえば、言葉も、顔つきさえも無愛想で、私は非常に悪い予感がした。
「アレンさんとヴァレンさん、なんだかそっくりな名前ですね」
「ご縁があるのかもしれませんね。夕食の準備はこれからです。ちょうど昨日、ルフナが寝室の掃除をしてくれたので、そちらで軽く休まれますか?」
ルフナがのほほんとした会話を広げる中で、私は嫌な予感を否定したくて、ヴァレンの方にしっかりと顔を向けた。しかし、その顔を見て、私の悪い予感は確信に変わった。この仏頂面の男に、何かを期待するだけ無駄なのかもしれない。
「いや、今夜はこれから宿をとる。明日からはまず住居探しだが、教会近くでどこか伝手があるなら世話になりたい」
明日また来る、とヴァレンは言い残して足早に去っていった。思わず私の口から、ため息が漏れる。この旅の間、散々彼の世話を焼いた私としては、思う所も多々あった。しかし、事情をある程度察した今、弟でも見る気でいてやろうと思っていた、その矢先の出来事だ。
私にも迷いはある。この場でヴァレンを非難してやっても良かった。が、結局私は、あのどうしようもない男の、あまりにも愛想のない態度を、仕方なく擁護してやることにした。
「悪く思わないであげて下さい。この任務に戸惑っているようだったから。。。あれで可愛い所もあるものです」
口から出任せの言葉だ。それでも先生は、そんな私の言葉に深く頷いている。
「先程までよりは小降りで良かったのですが、せめて、雨が止んでいれば。。。」
先生は窓の外を見ながら呟いた。ヴァレンに手渡す事の叶わなかった布を、ルフナが寂しげに見つめている。
私はヴァレンの立ち去った後の戸を睨み付けた。
「よし決めた!」
私は夕げを綺麗に平らげた後、高らかに言い放った。
「ルフナさん、いやルフナ。あんたはこれから私の妹だ!あの出来の悪い弟に比べれば、極上に可愛いもんさ!」
自分に勢いをつけるために、私は意識して、妹分に話すような口調を心掛けた。
私はこれまで、国王陛下が直々に認めたという、命令書に腹を立てていた。命令されて友人になるなど、まっぴらだった。幸いなことに旅の間、自問自答し、葛藤する時間はたっぷりあった。その答えを今、胸を張って宣言したまでだ。
「あんたはなんでも相談しなさい。基本的な生活についてだっていい。中でも色恋なんて最高だわ。どんどん聞くといいわ。でも、どうするか決めるのはあなたよ」
「ロレア、話が突拍子も無さすぎますよ」
先生は少し困惑していたようだった。先生が知る昔の私は、物怖じしない反面、無謀と思える所もあったからだろう。しかし、私は先生の知る所から十数年、立派に成長しているはずだった。
夕食の間、私は決して下品にならないように、食事作法に気を配りながらも、ルフナと会話していた。その中で、彼女が気弱で暗くなってしまっている、その原因を察していた。
「いいえ、先生。先生はルフナをもっと放任すべきだわ。この一週間、ずいぶん彼女を大事になさったことでしょう。ですがそれは違います。彼女は新しい世界に戸惑っているだけです。彼女の精神は大人よ。干渉するのではなく、放任するのよ。彼女を認めてあげて下さい」
私は一気に捲し立てた。先生は反論しなかった。気付けばルフナが、薄く涙を流していた。
ルフナがこの世界に降り立って、先生を始め教会にいた男四人は、彼女を守ろうと必死になっていたようだった。赤髪の、女性にしても小柄な、可愛らしい、女の子。親のように、彼女に危険がないように配慮してしまったのだろう。結果、彼女を小さく閉じ込めてしまった。
それを敏感に感じ取った私に、先生はお礼を言ってくれた。これまで彼女がどこか暗くあったのが、自分たちの行動の結果だったと知り、先生は衝撃を受けたようだった。
「ごめんなさい。再会してすぐに、こんな事を」
私は性急な性格を詫びた。さすがに順序というものを守るべきだったかもしれない。
「いいえ。。。やはりあなたを呼んで正解でした」
先生も薄く、その緑色の瞳を揺らしていた。それからゆっくりと手を組むと、そのまま暫く、静かに懺悔しているようだった。
ルフナも何か決心したように明るい顔をしていたので、少しほっとした。彼女がまともに成長できるように、私も気を引き締めなければならない。
寝室に入ると、先程までは耳に入らなかった雨音がやけに大きく聞こえた。先程の啖呵は必要なものであったと信じる。なによりルフナのことを考えての事であったと再確認する。
明日には晴れるだろうか、そう思いつつ床に入った。
翌朝、それでも雨が止むことはなかった。
次第に風が強まり出し、雨が窓を叩くようになった。