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ルフナ 私のやること 5/30 8:18~

 アルスダムの庭には、地面がしっかりと踏み均された訓練場があった。いざ、そこまで案内されてみると、ヴァレンと二人でフルンに乗ったりするんじゃないかと、わたしはとんでもなくドキドキしていた。

けれども、ヴァレンが厩舎から持ってきた(くら)は、どう見ても二人で乗れるような大きさじゃなかった。残念なような、安心したような。その狭間でゆらゆらとしながら、わたしは鞍を受け取った。

「うっ。結構重たいんだねぇ」

「革でできているからな。まずは、こいつに付けていいか聞いてみてやれ」

「ほら、フルン。あなたの背中に、これを乗せてもいいかな?」

フルンの顔の横に鞍を持っていくと、まずフルンは、わたしの手の甲をぺろんとなめた。そして、慎重にじっくりと鞍を嗅いだ後、しっぽをふりふりさせる。

「あ。嬉しいの?乗せてもいいのね?」

とは言っても、フルンの背中はわたしには高過ぎた。わたしは木箱を踏み台の代わりにして、あれこれとヴァレンに教わりながら、フルンの背中に(あぶみ)付きの鞍を取り付けた。

「では、とにかく乗ってみろ。タテガミをしっかり掴め。人間の髪の毛などとは違って、引っ張ろうとも馬は痛くない。手綱は絶対に離すんじゃないぞ」

「え!?まずはヴァレンが乗ってみせてくれるとかじゃないの??」

馬に乗るまでには、もっと何か、色んな手順があるような気がしていた。馬上で手綱を握るのすら初めてなのに、フルンが嫌がって暴れてしまわないか不安だった。

「必要ないだろう。この馬はフルンといったか?俺とフルンには、まだ信頼関係ができていない。フルンの性格も知らなければ、これまでどのように御されてきたかも知らないんだ。そんな俺が乗ってみせてもあまり意味がない。首都までの旅の間、しっかり観察していたというのなら、おまえの方がよっぽど詳しいはずだ」

ヴァレンは、どこか突き放すように告げた。ヴァレンは手解きと言ったはずなのに、何故かフルンに近付こうともしない。とりあえず、そういう指導方法なのだと自分を納得させて、フルンに向き合った。

馬車の後ろから眺めていて知ったのは、お仕事中のフルン達は冷静沈着で、手綱の細かな動きひとつで様々な指示を聞いてくれるということだった。でも、それを指示していたのはハゼット達で、わたしの指示に従ってくれるのかは分からなかった。

もしも、フルンにまでも拒絶されたとしたら、心がへなへなに萎びてしまうだろうことは簡単に想像できた。

「。。。まったく。もう一度、曳き手(ひきて)を持って歩いてみろ」

そうやってわたしが木箱の上で逡巡していると、ヴァレンはフルンの鼻革に繋げてある曳き手を、ひょいっと投げて寄越した。それは乱暴な仕草で、わたしがくよくよと考える内に怒らせてしまったのかと、恐々とヴァレンの顔色をうかがった。が、すぐにフルンに視線を戻した。

その時、ヴァレンの顔からわたしが読み取れたのは、怒りでも呆れでもなくて、なんと、照れと喜びだった。そのどきどきする顔は、わたしが見つめてしまえば、再び仏頂面に隠れてしまうような気がした。なんとしてもそれだけは避けたくて、フルンだけに意識を集中させる。

「普通に歩くだけでいいの?」

「あぁ、そうだ。暴れでもしない限り、フルンにはできる限り指示を出すな」

そうすることの意味は分からなかったけれど、わたしとフルンは、訓練場の地面の上をただ歩いた。その間、フルンとは何度か目を合わせたぐらいで、指示らしい指示といえば歩き始めの時に出した合図ぐらいのものだった。

「よし、いいだろう。。。分からないか?フルンはもう、十分おまえを信頼しているじゃないか」

「え?そうなのかな?ただ歩いてただけだよ」

わたしはフルンを見つめる。フルンの目も耳も、きちんとこちらを向いていた。

「おまえが嫌いだったり、下に見られていたなら、フルンが黙って後ろを歩くことなど有り得ない。その調子で教会からここまで来れたのなら、おまえを乗せるのを嫌がることもないはずだ」

フルンの左目からは、大好きだと聞こえてくるみたいで、フルンの大きな顔の温かな頬を撫でた。すると、その手に感じる温もりにもまた、ほんのりと愛情が染みてくるようで、自然と笑みがこぼれた。

「うん。。。フルン、わたしを乗せてくれないかな?」

もちろん、フルンは返事をしない。だからといって、わたしに何も伝えてこないということはなかった。言葉はなくても、フルンは何かを伝えたかっただろうし、わたしにもそれが、しっかりと伝わった。

タテガミを引っ張るのは躊躇した。ところが、いざ体重をかけてみると、フルンはびくともしない。驚くべき力強さだった。それでも、わたしはフルンを驚かせないように、ゆっくりと時間をかけて、慎重にフルンの背中に乗った。フルンもまた、暴れずに、しっかりと立ってくれていた。

フルンの背中に跨がると、わたしの世界は大きく広がった。フルンはいつも、こんなに広い世界に生きていたのだ。胸の底を突き破った興奮が、喉元をぐつぐつと熱くした。

「すっごく高い!それに、なんだろっ。あは!とっても嬉しいっ」

大きな声は出さない。それもハゼットに教わったことだった。けれども本当は、声を大にして、この感動を、この場にいるふたりに伝えたかった。

「ははは!どうだ?フルンは怖いか?」

「全然怖くないよっ。フルン、ありがとうっ」

わたしの感動が伝わったのか、ヴァレンはとても自然に、朗らかに笑っているように見えた。フルンに跨がれた喜びと、ヴァレンの素直な表情を見れた歓喜とが合わさって、胸がじくじくと傷んだ。むず痒くて、心臓が痛いぐらいに跳ねて、絶叫したい程に愛しかった。

「恐らくフルンは、まだ合図を待っているぞ。何か伝えてやれ」

わたしの気持ちは、フルンと同じはずだった。あとは、わたしの気持ちを伝えるだけだ。

「前に進もうっ」

手綱をピンと張って、足で軽く合図した。たったそれだけで、フルンはゆっくりと歩き出した。

「横の動きにも注意しろ。フルンの動きに合わせて、おまえも重心を動かしてやるんだ」

ヴァレンは、わたし達の横を付かず離れずの距離で歩く。フルンもわたしを気遣うように、真っ直ぐに歩く。わたしはといえば、自分以外のふたりの喜びをも感じながら、それに応えられるようにフルンの歩調に合った姿勢を探った。

「よし、うまいぞっ」

ヴァレンの声が、フルンの声のように感じた。フルンの蹄が地面を打つ音は、今まで聞いたことがないぐらいに軽やかで、無口なフルンの気持ちは、そういった所にたくさん詰まっているんじゃないかと、ひたすらに耳を澄ませる。

そうして歩くうちに、わたしとフルンの間には興奮が生まれた。

「ほら、足が早くなってきているぞ。馬は少しのことで興奮するんだ。そこは、おまえがしっかり注意してやれ。ここは訓練場だが、普通の道は平坦ではないぞ。フルンが何に驚いても、おまえが落ち着かせなければならないんだ。穴がどこかにあってもおかしくない。突然、飛び出してきた、シカやウサギどころか、目の前の虫ひとつで大暴れする馬もいるんだぞ」

「フルン。今日はまだ、走るのは駄目だからねっ。もうちょっと、あなたのことを教えてね」

今や、わたしの感じている喜びは、誰の喜びなのか分からないぐらいだった。フルンの足音と鼻息からは、しっかりと喜びを感じる。ヴァレンの顔と声音からも、もはや隠しきれない喜びが溢れている。

わたしの気持ちは、十分に温まった。勇気なんて、もう必要なかった。

けれど、この喜びをまだまだ分かち合いたくて、馬で歩くには小さな訓練場を、ぐるぐるぐるぐると、わたし達は何周も歩いた。


「ヴァレンティオン!迎えにきたぞ!」

突然、見知らぬ男の人の声が、庭に響き渡った。フルンの体が小さく跳ねるのを、わたしは手綱を引いて落ち着かせた。

「あぁ、すぐ行く!」

いつの間にか門の前で立っていた、立派な鎧を着込んだ人達に向かって、ヴァレンは低く、大きな声を上げる。わたしは何故か、平静なままにそれを眺めていた。

「近衛騎士のやつらだ。以前の同僚だな。鞍は外して、厩舎に置いておけばいい」

ヴァレンはそれだけ言って、本当にすぐに門に向けて歩き出した。わたしは、その後ろ姿を、フルンの背中の上から見つめた。

「お城へ行くの?」

「あぁ。行ってくる。くれぐれも、帰りはフルンに乗るんじゃないぞ?街中で歩かせるのは、もう少し慣れてからにしておけ」

ヴァレンは少しずつ遠ざかる。だけど、わたしの気持ちはもう、遠ざけられないものになっていた。

フルンを興奮させないように、右手は手綱をしっかりと構え、左手はフルンの首にそっと添えた。

「ヴァレン!聞いて!」

心臓の音は聞こえない。音とという音は消えて、視界はヴァレンに収束した。

ヴァレンは立ち止まる。もちろん、振り返ったりはしない。そんなのは知っていた。

「好き!大好きだからっ。。。だから、後で、返事を聞かせてね?」

フルンは静かに待っている。わたしもそれを望んでいた。

ヴァレンは頷くこともない。わたしはこれも知っていた。

雲間から、光は差さない。ヴァレンは再び、ゆっくりと歩き出した。

わたしは右手が痺れるのを我慢して、ヴァレンの後ろ姿を見守った。

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