ルフナ 旅のはじまり 5/23 7時過ぎ~
お腹も心も積み荷も、全ての準備が整った時、馬のいななきが礼拝堂まで届いた。
「もしかして、シエラさんかな?」
わたしとハゼットが表に出ると、焦げ茶色の荷台がまだ光って見える程美しい、木製の幌馬車が停められていた。その御者台にはシエラさんが乗っていて、荷台からはディール君が顔を覗かせている。
「お待たせしたかしら?これなら男の人でも、6人は楽に乗れると思うのだけれど」
「こんなに早くに、ありがとうございます!わたし達なら、寝転んじゃっても余裕がありそうなぐらいですね!」
シエラさんに頭を下げてから荷台を覗きこむと、ディール君が、わたしの顔をぺたぺたと叩いて、ご挨拶をしてくれた。
「うふふ。面白い作りになっているから、いくつか説明しておくわね」
シエラさんはそう言うと、御者台から降りて、馬車の細工について教えてくれた。わたしはその説明を聞きながらも、馬車につながれた2頭の馬に見とれていた。その大きく真っ黒な体躯は、力強さにあふれているのに、彼らのこちらを見る目はとても可愛らしかった。
馬車の説明を終えたシエラさんは、ディール君を荷台から降ろすと、鞄から黄色い人参をふたつ取り出した。
「旅の仲間だと思って、たくさん可愛がってあげてね」
シエラさんはそれぞれに人参を与えると、感謝を告げるみたいに馬達の首を撫でる。
「もちろんです!わたし、馬がこんなに優しい目をしてるなんて、知りませんでした」
「うふふ。2頭とも、とても良い子たちよ。落ち着いているし、手綱ひとつで分かってくれるから。ルフナさんも、ハゼットさんに教わりながら、練習してみるといいわ。それじゃあ、健闘をお祈りしてるわね」
そう言ってからすぐ、シエラさんはディール君を抱きかかえて、颯爽と去っていった。わたしはその後ろ姿に、もう一度、頭を下げた。
その後、わたし達は馬車に荷物を積み込んで、いよいよ教会を出発した。
大門をくぐると、わたしとアレンさんは馬車に乗り込んだ。前方に見える街道は、北に向かって一直線に伸びていて、左右には水面が広がっている。そこには今日もまた、たくさんの船が浮かんでいた。
その水上にある街道を進みながら、馬車の後部からエレスの全景を一望する。さすがに、あの日ほどの感動は湧いてこなかった。けれども、隣にヴァレンがいなくても、エレスが鏡写しになっていなくても、やっぱりその景色は美しかった。
わたしはこの時、首都までの道行きにあるであろう、様々な印象的な景色を、たくさん探して、しっかり覚えておこうと決めた。
街道が森に差し掛かった頃、後ろを見るのはそれぐらいにしておいて、馬車の前部に腰を落ち着けた。アレンさんは、わたしを認めると、座り直して顔をハゼットの方に向けた。
「2時間おきぐらいに馬を休めましょうか。その後は、私が運転しますから、交代しながら行きましょう」
馬の蹄や車輪は地面を鳴らすし、車体は新しくても、揺れに合わせてキシキシと鳴き声を上げる。その意外に賑やかな音の陰から、アレンさんが大きく、声を上げた。アレンさんが御者をするつもりだとは思っていなくて、ハゼットと二人して、大口を開けながらアレンさんの方を見た。
「それは助かりますが、司祭様も御者をされたことがあったんですか?」
「ええ。昔、馬車から眺めているうちに、興味が湧きましてね。初めは見よう見まねでしたが、首都の教会にいた頃に、きちっと教えて頂いたんですよ。あちらでは、馬車を使うことがよくありましたからね」
アレンさんは懐かしそうに目を細めた。
「教会でのお仕事に、馬車を使うんですか?」
わたしが尋ねると、アレンさんはさらに目を細めて、ゆっくりと両手を組む。わたしは座ったまま、少しだけアレンさんの方へ体を近付けた。
「ええ、一頭立ての小さな馬車ですが、近隣の村へのお祝い事や、葬儀の時には重宝するんですよ。馬一頭で何人か乗っていけますし、場合によっては、移動式の祭壇を引いて行くこともありますからね」
移動式の祭壇というのは、わたしも見たことがなかった。
以前、いつだったか、アレンさんに教わったところによると、この国の創世教の祭壇には、いくつか決まり事がある。その中でも、祭壇本体は白っぽい木で組むことと、教典や供物は、直接、祭壇には乗せずに、同じく白っぽい木製の特徴的な台に乗せること。この2つの掟は、必ず守らなければならないとされているらしい。
ただ、形に厳格な決まりはないと、確か、そう聞いたことを思い出した。ただ、これを、いつ教わったのか。それが思い出せないのは、きっと、転生して数日の内に聞いたからだ。
「祭壇も、となると、大変そうですね。移動式っていうと、どんな形をしていたんですか?」
「大抵は、荷車に備え付けてありましてね。首都のものには、三角の屋根がついていましたよ。祭儀や婚儀の時には、華やかに飾り付けてから教会を出発するんですが、街の人達は、それを面白がって、祭壇に供物を乗せていくんですよ」
そこでアレンさんは、その温かな情景を思い出すように、馬車の後ろを眺めた。
「すぐに一旦、荷台の方に移すんですが、ひっきりなしにですからね。おかげで首都を出るまでに、馬車が供物でいっぱいになるんです。大体、3人程で村まで行くんですが、荷台に乗っていた神官達は、供物の山に押し退けられて、結局、歩くことになるのも常でした」
「わはは!供物の山に泣かされるとは、とても素晴らしい習慣ですなぁ」
行きの道でそんなことになれば、一度、こっそりと教会へ戻りたくなるように思った。
「その供物は、教会の人達で頂くんですか?」
「普段の供物ならそうなんですが、この時ばかりは違います。祭儀なら、村と教会で半分ずつ、婚儀であれば、その当事者のお二人への、お祝いの品として扱うのが慣例でして。食物の類いも多いですから、婚儀であっても、食べ切れないものは、村中に振る舞われますからね。だから、子供達は祭壇が来ると、喜んで集まってくるんですよ」
村の人達にとっては、その面白げな祭壇の到着が、お祭りの一部であろうことは、簡単に想像できた。そして、子供達にとってはそれはもう、お祭りそのものと言っても、過言ではないのかもしれない。
「いいですねぇ。とっても幸せそうな光景じゃないですか。エレスの教会でも、似たようなことができれば良いですね」
「ははは。同じような現象が起きるとは限りませんよ?供物を乗せてくれと、私達が言うわけにもいきませんからねぇ」
エレスの人達の間でも、そんな幸せの連鎖が起きればいいと、わたしは、そう思わずにいられなかった。
わたし達がそんな話をしているうちにも、馬車はずんずん森の中を進んで行く。平坦だった道は、上り坂に変わりつつあったけれど、馬達は変わらぬ速度で馬車を引いていた。