十六話 遊んでないで早く異世界行けよ
月科に舞い戻ってから三日。木・金と学校と仕事を耐えきった俺は休み――な訳もなく、中史としての仕事に奔走する。
土曜日の昼下がり。
近所の公園にて、件の美少女月見里輝夜は、高らかに宣言した。
「野球回よ!」
制服姿で野球ボールを握る輝夜の姿は、かわいくて間抜けでなんだか力が抜けそうだった。
☽
俺が輝夜を放置していた、この一か月余りの間に……
月見里輝夜は、立派なオタクになっていた。
悪いのは多分俺だ。環境が悪かったんだと思う。
輝夜の環境は、あまりにサブカルチャーが身近だった。
この世界のことを勉強しろ、と言っていたのは俺だ。
俺の言うことはちょっと心配になるくらい素直に聞く輝夜は、最初こそ四書五経や六国史や広辞苑と睨めっこしていたのだが……
インターネットを解放してから、輝夜は変わってしまった。どこでボタンを掛け違えたかと聞かれれば、きっとそこだろう。
まず最初、輝夜はジャ〇プ漫画に嵌った。
海賊王やら忍者やらHUNTERやらヒーローやらが出てくる奇妙な冒険のお話を、俺の部屋の本棚から借りて読み始めた。果ては地獄先生やら幽霊主人公やら奇面な組やら、往年の名作まで漁り始めた。……今考えればこの熱量はちょっとおかしいんだが、まあ少年誌なんて誰でも読むもんだしと、この時点では特に気にすることはなかった。ここで目を光らせておくべきだったんだけどな。
次に深夜アニメ。今期アニメで人気のあるか〇や様やらは〇ふらやらプ〇コネやらかくし〇とやらを、俺のア〇プラやNet〇lixで視聴し始めた。これも俺の基準ではセーフだった。中にはいかがわしいシーンやらがあって子供には不適切だろうという意見もあるかもしれないが……僧侶枠みたいな明らかなやつはまだしも、普通の深夜アニメで拗れるようなやつは元々どっかおかしかっただけというのが俺の持論なので、特段輝夜をとがめるようなことはしなかった。……今考えれば「球〇の作画が崩壊しすぎて一周回って面白い!」とか言い始めた辺りで止めておくべきだったんだろうけどな。
そこからかぐ〇様の原作が読みたいということで、少年誌以外の漫画にも手を出し始めた。
――ここまできたら後は早い。流れるように過去のアニメとラノベを知ってしまった。ハ〇ヒとかゼ〇使とかバ〇テスとかは〇ないとか微妙に古いチョイスのラノベを俺の本棚から抜き取っていった。そしてハ〇ヒやらら〇すたやらま〇マギやら絶妙に古いチョイスのアニメを視聴し始めた。
きっとこの時俺は浮かれていたのだ。輝夜のようなウェイウェイ陽キャ確定路線だった美少女が、オタク趣味に興味を示してくれて、我を失っていたのだ。だから、その二週間後に「最近のラノベはつまらないし外注ばっかりの低予算アニメはダメ」と輝夜が言い始めた時、俺は間違いなく止めるべきだったんだ。もう後の祭りだけどな。
そのせいで俺は、決して超えてはならない一線を超えさせてしまった。
成人向け恋愛アドベンチャーゲーム――エロゲとの邂逅である。
なにが悪かったんだろう、それはよく分からないが、俺が部屋にエロゲのタペストリーを飾っていたら輝夜がそれに興味を示し……
ホワ〇バやらす〇日々やら家族〇画やら車〇の国やら、これに関しては別に古くない(古くない!)作品を、勝手に俺の部屋のエロゲ棚から抜き取っていった。
この頃になると俺はもうルリの事ばかり考えていたから、輝夜の興味に一々付き合っている余裕はなくなっていた。さすがに「葉鍵キッズが鬱陶しい! ゆ〇サ〇プラの信者も邪魔!」と喚き始めた時は怒ったけどな。
そして輝夜は今ではすっかり、雰囲気アニメのことを「質感アニメ」と呼ぶタイプの面倒なオタクになってしまっていたわけだ。南無。
☽
そんな化け物が、野球回などと言って俺を休日の公園に連れ出した。この意味が分かるか?
「後世まで語り継がれる名作には、往々にして野球回というものが存在するわ!」
「それは言い過ぎじゃないか?」
「往々にして、野球回というものが、存在するわ!」
「存在するんだな」
「だからトキ、私たちも野球回よ!」
「接続詞は正しく使え。『だから』は順接だ」
「物語的に考えれば、トキが異世界転移したのが一章、ルリとの記憶のあれこれがあったのが二章! 『中史』がなんかすごい会議をやってる今はきっと三章! 野球回に相応しい時期だわ!」
「人の人生を章で区切るな」
「野球回に、相応しい、時期だわ!」
「相応しい時期だな」
「この後はテコ入れ回で水着になる必要もあるわ……イベント盛りだくさんよ!」
「なんだその義務的な水着回、イヤだよ」
「そうだわ! ビキニで野球すれば一度で済むじゃない!」
「そんな昭和のお色気番組みたいなこと本当にしたいか? お前」
こいつ、あれだな。
オタクなりたての奴が陥る、痛いノリ。まんまそれだ。
好みの話をすれば――友達とのコミュニケーションツールにアニメや漫画を使い、作品自体は別にめちゃくちゃ好きというわけでもない所謂「ファッションオタク」を憎んで已まない俺なのだが……
これならいっそファッションオタクであってくれた方がよかったよ。本気でこれなのが性質悪い。
「野球なあ。輝夜って運動できたか?」
「ハイパーク〇ックアップすれば、50m走は一瞬で……」
こいつ、いつの間に特撮にまで手を出して――!?
レベルアップが速すぎるだろ輝夜……お前の身体にタキオン粒子は流れてないからな。
とはいえ俺も、未だに「菅田〇暉と言えばフィ〇ップ」のイメージを10年近くアップデートできてない側の人間なので、強くは言えない。
「五巻完結が多いラノベにあって、三章は中盤も中盤! ここで野球しなかったらいつするのよ!」
と言って、野球ボールを握った右手を俺の顔の前に突き出してくる輝夜。
「はあ」
言い分はよく分からない――と言いたいところだが実はちょっと分かってしまうのが悲しいところ――が、まあ野球するぐらいなら別にいい。
「それで、輝夜は野球のルール、覚えたのか?」
「……トキが知ってるでしょ? とにかく始めるわよ! ぷれいぼーる!」
そんなわけでグラウンド、もとい近所の公園で輝夜と二人、にらめっこ。グローブを嵌めて形だけは様になってるドヤ顔の輝夜と、日本兵みたいにバットを杖替わりにする俺が対峙する――
「俺、野球全然詳しくないぞ」
「大事件だわ!」
んなこと言われてもな。
「……そもそも、野球って何人でやるゲームなの? 11人?」
俺たちの知識はそこからだった。
「……それは、多分サッカーじゃないか?」
「そうなの? トキ、サッカーなら詳しいの?」
「いや、それも全く。ただ『イナ〇マイレブン』っていうぐらいなんだから、11人はサッカーなんじゃないか?」
「確かに……。えっと、じゃあ野球は何人?」
「少なくとも二人ではないな。たしかこういうの、バッテリーって言うんじゃなかったっけ。……多分」
「うーん……そもそも、ボールを投げてバットで打つだけの遊びで、どうやって勝ち負けを決めるの? ……あれ? 野球って、二つのチームが戦うスポーツでしょ?」
「それは流石にそうじゃないか? ……いや、なんだか不安になってきたな……」
俺たちはなけなしの知識をかき集めて、ルールを確認していく――
「塁! ベースを使うのよ、野球は!」
「『ドラ〇ース』のベースだな! あのタイトルそういう意味だったのか!」
「それで思い出したわ、野球の専門用語! バッター! ピッチャー! キャッチャー!」
「バッターは流石にわかる……だが、ピッチャーとキャッチャー……」
「バッターに向かってボール投げる人が、そのどっちかだわ、きっと!」
「投手って言うんだよな。……ピッチャーって居酒屋で出てくる容器じゃないのか? じゃあ投手はキャッチャーか……」
「あとは、あれよ……バッターの後ろで不良みたいに座ってる、剣道のお面みたいなの付けた人……」
「そいつがピッチャーだ!」
――などという極めて有益な話し合いを、五分ほど続けた後に――
「……と、とにかく始めるわ。何事もやってみなきゃ! 充国曰、百聞不如一見、兵難隃度、臣願馳至金城、図上方略! 当たって砕けろよ!」
その言葉をことわざとしてではなく漢書の記述として覚えているのも輝夜くらいなものだろう。
勉強して現代の常識を学べとは言ったが、ちょっと変な学び方してるっぽいよな、輝夜。やっぱりちゃんと見てればよかったな。
とにかく輝夜はボールを天に向けてポーズをとった。……グラドルの写真集用のコスプレにしか見えない。
「――えいっ」
可愛い掛け声、しかし野球においてはあまりにも情けない掛け声と共に放たれたボールの軌道は……ひゅぅ~。明らかに、的外れ。こういうのボールって言うんだっけ? それともファウルか?
こういう時はたしか、バットを振らないんだよな。「見送る」とか言うんだったか?
……だがここでバットを振らないのもなんだか可哀想だったので、無理矢理体勢を崩してボールにバットを当てに行く。
――ッド……
当然小気味いいホームランの音など響くはずもなく、鈍い打撃音が微かに鳴ってボールはすぐに地面に落ち……そのまま二、三度バウンドして公園を抜け……車道へコロコロと転がっていった。
「「…………」」
俺たちは野球を嫌いになった。
☽
俺が、転がっていったボールを拾いに行った時――
「あ、ボールだ!」「ダメ! 危ないっ!」
俺のボールに気を取られた子供が、親の忠告も聞かずに車道に飛び出してしまう!
「早く戻ってきなさい!」
その時運悪く、居眠り運転手が乗る転生トラックが突っ込んできた!
「《八重霞》――《随》」
目の前で死球を見送るわけにもいかないので……俺は一般人に魔力を見られないよう、隠蔽魔術を掛けてから強化した身体でトラックの前に飛び、少年を抱えて歩道に避難する。去り際にボールを拾いながら、居眠り転生トラック運転手の目を魔力波で覚ますのも、忘れずにな。
そうして事なきを得たところで、輝夜と少年の母親が駆け寄ってくる。
「テンプレ展開来たわ!」
「お前ちょっと黙っててくれるか」
俺は少年に怪我がないことを確認してから、解放する。
「ママ―っ!」「だから言ってるでしょう! いつもママの言う事聞きなさいって――」
九死に一生を得た息子との感動の再会。涙を流す母は一通り泣いた後、俺に言う。
「ありがとうございます……なんとお礼を言ったらいいか……」
「被害がなくてよかったですよ」
「なにかお礼をしたいんだけど……今はこんなものしかなくて」
そう言って母親が差し出してきたのは……商店街の、福引券だ。
「キターーー!」
「黙れ」
「はい……」
――……
適当に謙遜しつつお礼を受け取り、退場した親子の背を見ながら俺は輝夜に訊ねる。
「で? どうしたんだ、輝夜。いきなり奇声上げて」
「近所のモブから人助けのお礼に貰える商店街の福引券! UR確定チケットよ!」
「うーん……」
「温泉旅行だわ!」
「行けるといいね」
……ということで、さっそく近くの商店街に移動して福引ガラガラ。
「……ウソだろ……」
――商店街に、豪快なベルの音が響き渡った。
「おめでとうございます! 金賞、三泊四日、膝折温泉の宿泊券5人分です!」
「ね、言ったでしょトキ! 温泉旅行だわ! ……ねえ、膝折温泉ってどこ?」
「ああ……」
世界よ、お前は少し輝夜に甘すぎやしないか? もうすこし厳しい態度で接してくれた方がこいつのためになるんだよ。《月鏡》で脅されてるからって、輝夜の言いなりはやめてくれ。中史として動く俺のやる気を削いでくれるな……。
「みんなで温泉旅行、楽しみね、トキ!」
宿泊券を大事そうに両手で持つ輝夜は莞爾として笑う。
無事に訪れるか分からない夏休みの予定に、温泉旅行が追加されたのだった。




