十五話 あなたに届かない
「ダメ。ヒカリは異世界に行かせられません」
翌日、ゴールデンウィーク最終日。
『日の間』に呼び出された俺は、緋花里さんに開口一番、そんなことを言われてしまった。
「マジですか」
「大マジです」
本人から拒否される可能性は考えていたが……
まさかこっちに止められるとは思ってなかった。
緋花里さんなら、Kan〇nの秋子さん並みに笑顔で了承してくれるものだと思っていたのに。
「なんでですか」
ここでヒカリの異世界往きが中止になったら、昨日の鴨川でのやりとりはなんだってんという事になってしまうので、俺は緋花里さんに理由を訊ねる。
「あー……うん、ダメっていうのはちょっと言い過ぎたけど……なんというか、多分あの子がいると、トキの思い通りにいかないのよ」
「……ますますどういう意味ですか?」
一瞬、ヒカリはドジでノロマで足を引っ張るだけだから連れていくなと警告されたのかとも思ったが……流石に実の母親が娘にそんなことは言わないだろうという事で、別の可能性を考えてみるんだが……どうもこれというものが思いつかない。
「うーん……ま、分かったわ。行ってもいいわよ、ヒカリと。でもその代わり、無駄な手間がかかるかもしれないけど、ちゃんと責任はとること。分かった?」
ありゃ。二回ほど理由を訊ねただけで、なぜか了承されてしまった。やっぱりこの人は甘い。
「分かりました」
「うん、それなら気を付けて行ってらっしゃい。ツクヨミにこの話はもうしてある? まだなら、私から話を通しておくわよ」
「助かります。後でしようかと思ってたので、お願いしてもいいですか」
緋花里さんは笑顔で肯んじた。気配りのできる頼りになる大人、母さんは見習ってほしい。
☽
部屋に戻ると、輝夜とルリがなにやら雑談しているところだった。
「今期のアニメは豊作だわ!」
「こっちの世界来て一ヶ月の人間が何言ってんだか」
二人のあまりにも非生産的な会話を聞きながら、俺は帰り支度を進める。
明日には月科に帰らなければならないのだ。学校あるし、もうここに用事ないし。
あれだけ仰々しかった会議をしておいてあっけない幕引きだと思われるかもしれないが、月詠会議の影響が表面化するのは、むしろこれから。
会議の存在はともかく、中史の決定は政府上層部を通じてどうしても方々に漏れてしまうだろう。特に内々の事情に精通している反中史の野党議員などは、ウキウキで口を滑らすだろうよ。そいつらの動向を監視して当主に報告するのも、また俺の役割の一つだ。月科に戻ったら、そこら辺の根回しもしておかないとな。異世界に行く前に。
「か○や様とか面白いわ」
「謎の仲間意識持ってそう。……あとはめフラとか人気だよね」
荷造りを終えた俺は、挨拶回り的に親しい中史に顔でも出すかということで……
ひとまず行方流の部屋が集まる方向へ向かう。
中でもまずは、お世話になってる流さんに会いに行こうと、桜狼家の部屋『檜の間』へ移動した。
「失礼します」
誰かがいる気配はしたので、声を掛けて襖を開けると――
「お」
「……っ」
丁度向こうも部屋を出ようとしていたのだろう、すぐ目の前に、小紫色のワンサイドアップが舞っていた。
俺の顔を見て、ツンとした鼻でツンとそっぽを向くのは桜狼まほろ。
こいつの俺に対する態度は、ツンデレならぬツンツン。つまりただ嫌われてるだけなのだった。
「…………」
「あの、どいてもらえますか」
都合まほろの行手を塞ぐことになっていた俺が動かないのに痺れを切らしてか、まほろがつっけんどんに言い放つ。
「悪いな。邪魔をした」
俺が軽く謝ると、まほろはツンとした鼻をふんと鳴らして、横に避けた俺の前を通り過ぎていく。
苛立ったように大股で歩いていくまほろの背中を見ながら……
俺は、昨夜のことを思い返していた。
☽
……何かの間違いだろう。まず第一に、現実を疑った。
すっかり元の陰キャ女に戻ってしまったヒカリが汗びっしょりになりながら『日の間』に帰るのを見届けた後、制服のポケットに入れていたスマホが振動した。
通知をバイブレーションに設定しているのはLINEだけなので、確認してみると……
【まほろ】
『夕食後、東屋で会えませんか』
そんな、色々とあらぬ想像をしてしまいそうなメッセージが送られていた。
しかも、送り主は、あのまほろ。俺を親の仇かなにかだと思っている、あのまほろからだ。
東屋というのは、庭園にある屋根付きの休憩スポット。昨日、そこであおなつ姉妹やヒカリと雑談していた際、輝夜達が現れて大混乱となったのは記憶に新しい。
夜の庭園なんて、灯りがなく本邸からちょっと離れてることもあって、誰も近寄りたがらないのに……
俺は自分の頬をつねってみるが、無意識に使っていた《随》のせいで痛みが感じられず、夢現の判断はつきかねた。
『送る相手間違ってないか?』
誤送信の可能性を確認する。
返信は早かった。
【まほろ】
『あなたは中史ではないんですか』
……どうやら、間違いで俺に送ってきたわけではないらしかった。参ったね。いや本当に。
夕食の後、とまほろが言ったのは……
中史は皆で集まる時は、夕食を全員で一緒に食べるのだ。
血のつながりを持った者同士で「食」の文化を通じて仲を云々、色々その理由はあるが、今は専ら宴会的な空騒ぎの場と化している。酒が飲める大人連中はこの食事会を結構楽しみにしてるらしい。
『月の間』にぎゅうぎゅう集まりわいわい騒いで、おててを合わせてさあいただきます。
鎌倉武士の名残で、食事メニュー自体は決して豪華なものではないものの……
年に数度の親戚同士での夕餉は、まあまあ話も盛り上がってそこそこ楽しい。
普通ならな。
「…………」
「……もぐ……んぐ……」
今回の俺は正直、それどころではなかった。
桜狼家と中史家の位置関係上、視線なんて絶対合わないはずなのに……何を考えてるか分からないまほろが、常に見てきているような気がして食事に集中できないのだ。
自意識過剰と思うか? いやでも警戒するんだよ。俺たちの場合、あれが冗談抜きの果たし状という可能性も十分ありうるからな。
一度俺から話題を振ってみたのだが、
「食事中に話しかけないでください」
の一言で一蹴。その二秒後に千尋さんやヒカリと仲良くおしゃべりを始めた時は、心が折れそうになったよ。
まほろのメッセージが気になってご飯も喉を通らない。と思ったらそのままガブリといった魚の骨がいくつも喉に刺さってた。そのせいだな。
俺が《随》の応用で指を喉に突っ込んで魚の骨を直接取っている間に、宴会はお開き。三々五々解散していく。
「……」
その際、手首まで口に入れてえずいていた無様な俺の姿を、まほろがひどく蔑んだ目で見ていた気がした。
――夕餉を終えれば、後は自由時間。本邸には温泉旅館並みの大浴場があり、宴会のテンションもそのままに浴場へと直行するのが通例だ。まほろの言う「夕食の後」とは入浴も含んだものだったらしく、あいつは俺に一言もくれずヒカリ達と女湯に入っていった。危うく外で待たされるところだったよ。
「おい中史時てめぇ、なにシケた面してんだよ」
「往人」
「一緒に風呂入んだろ。早く行こうぜ」
「あ、ああ……そうだな」
そういう事情なので、昨日勝負で負かしてから妙に馴れ馴れしくなった往人らと共に、軽く入浴を済ませ……いかにも温泉旅館っぽい薄手の浴衣に上着を一枚羽織って、本邸を出る。
初夏の夜は涼しかった。
湯上り後で上気した身体にはちょうどいいくらいだ。逆に時間が経ったら、上着がないと肌寒いかもな。
草叢からケラかなにかのジージーと不気味な鳴き声がするのに肩をすくめて、俺は歩き出す。
朧気な月明かりが石砂利の道を照らすのは、俺を庭園まで誘うかのようだ。
ぼんやりとした自分の影が地面に付きまとい、どうにも気が散って仕方ない。
ゆく道は月光が差すため微妙に闇でなく、全く光ではない。目を凝らせばその闇の中には妖怪もなにもいやしないことを確認できる、今日の暮夜はそんな姿をしていた。
本邸の傍にあるのは月読神社。昔昔に創建されたその社は、茅葺屋根の神さびた神明造で、左右に飛び出した破風が薄暗闇の中で幽かに光っているのが見えた。
前方に向き直れば、藤の花のうっすらとした花明かりが俺の強張った身体の力を抜いていく。それで俺は僅かに緊張していたのだと気づいた。近頃では藤の花を下からライトアップして人を集めるのが流行っているらしいが、それはちょっとどうなんだろうかと思う。それでは藤の花ではなく観光資源になってしまっている。そうではなくて、この薄紫のほの明るいのは孤独こそを和らげてくれるものだ。冷たい雷雨の中にふっと現れた灯火のように、それはどれだけ頼りなくとも人の心を癒すものだ。
だから東屋に彼女は一人だった。その魔力で変色した小紫色のワンサイドアップを揺らして、まほろはそこで佇んでいた。向こうは大分前から俺に気づいていたらしく、視線はばっちり交差している。
薄紫の中に、気高い小紫。ほんのちょっぴり闇を吸い込んだ濃い色合いの藤の花へ、俺は話しかける。
「こんなところに呼び出して、どうしたんだよ」
「なんでこんなところに来たんですか。早く消えてください」
「あれれー?」
まさかこの返しは想像してなかった。呼び出された側が「なんで来たの」と非難されるケースを誰が想像できるか。
俺が唖然としていると、まほろは「あ」と一音零して、
「すみません。言葉のニュアンスを間違えました。……なんでここに来てしまったんですか」
「多分最初のでも間違ってなかったよ」
本人的にはなにか基準があるのだろうか。生憎俺には両者の違いが分からない。
「は? 中史のくせにまほろに文句ですか」
「呼ばれたんだよな!? 俺お前に呼び出されたんだよな!? なんかそれすら不安になってきたんだがっ!!」
あれ、もしかしてあのLINE夢だったのかな。クーデレ美少女から夜にひと気のない場所に呼び出されてあれこれ的な、深層心理の願望が見せた夢だったのかな。教えてくださいフロイト先生。
「ま、待てよ……今LINE確認するからな……」
といって、俺的には本当に事実確認のつもりで、切羽詰まりながらスマホを取り出していたのだが……
「――ふふっ」
思わぬ反応が向こうから飛び出してきて、俺は反射的にまほろを見てしまう。
「……まほろ?」
……今こいつ、笑ったのか?
「なにニチャニチャした笑みを浮かべてこっち見てるんですか。気持ち悪いです」
「ニヤニヤ! せめてニヤニヤにしてくれ!」
「なにニヤニヤ下卑た笑みを浮かべてまほろを視姦してるんですか。死んでください」
「なぜこうも意思疎通が上手くいかないんだ……!」
おかしい。中史時史上、ここまで他人とのコミュニケーションに苦労するのは初めてだ。ほとんど日本語が話せないに等しいヒカリ相手ですら、なんとかなってたのに。
「……もう十分満足したからいいですか。……LINEなんか確認しなくとも、中史を呼び出したのはまほろです」
言いながら、まほろはゆったりとした動作で木造の座席に腰かけた。よかった夢じゃなかった。
「なんでまた」
「大嫌いな人間をこの手で抹殺するためです」
「ド直球ストレート!」
「夜中にうるさくしてはいけないと躾られなかったんですか。嘘に決まってるじゃないですか」
「俺とお前の関係値だと嘘とも言い切れないんだよ!!」
この人マジでなんなの。なにがしたいの。いままでのやりとり丸々いらなくない?
などという俺の心の叫びが通じるわけもなく……
まほろは相変わらず、その恵まれた容姿を台無しにする不機嫌顔で足元の辺りをつまらなそうに見つめている。
俺が辟易し、からかわれているだけならいっそ帰ってやろうかとすら考えていると……
まほろはその険悪な顔に、一握の■■を落として言った。
「……本当に、どうして来てしまったんですか」
それは器から溢れてこぼれ出たような言葉だった。
しかし俺には、それが何を意味するのか分からない。どうしても分からない。
俺は彼女の言葉を待つしかなかった。それすら満足にできていないけれど――
「中史はどうし――――くしゅんっ」
「…………」
「…………」
シリアスなシーンで、間抜けな音が突き抜けていった。
かわいいくしゃみだった。
「――どうすればいいですか。死ねばいいですか。桜狼家らしく狼に喉笛食い千切られて惨たらしく死ねば忘れてくれますか」
いつもの淡々とした口調だったが、彼女はきっと、めずらしく取り乱していた。それくらいは俺にも読み取れた。
俺はなんだかそのことが嬉しくて、
「はは、俺を散々バカにした天罰だな」
ついこんな、反感を買いそうなことを言ってしまった。
「罰を与える側の中史が天罰だなんて、おかしな話で――……へっ?」
その流れで強引に、持ってきていた上着をまほろの肩にかける。……え、そういうのは普通相手に一言断ってから? こいつにそんなことしてみろよ、八十字以上百字以内でそんなの余計なお世話である理由を述べられて終わりだから。
「ずっとここで待ってたから、湯冷めしたんだろ。風邪ひくぞ。嫌でも羽織っておけ」
浴衣姿だから、入浴後なのは間違いない。女のまほろが俺より早く入浴を済ませているのはよく分からないが、ともかく浴後に浴衣一枚で屋外待機というのは、この時期だとまだ少しだけつらいものがあるだろう。
「……ありがとうございます。あなたはやっぱり、優しいですねじゃなくて。違う。なにしてるんですか。バカですか、今日のあなたはバカバカですか、要りませんよこんな薄汚れた服」
「会話の前後で人格でも入れ替わったか?」
「なにを言っているんですか」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ」
ツンとすまし顔でやり過ごそうとするまほろだが……なんなんだ一体。謎の生命体すぎる。キミもしかして二重人格?
まあそれより驚きなのは、まほろの口からエ口ゲネタが飛び出したことだが。そういえば昨日、月詠会議で「異世界転生」という言葉を知っているかと聞かれて手挙げてたし、もしかして隠れオタクとかなのかな、まほろ。そんなこと聞いたらホントに殺されちゃうから特に追及しないけど。
「こんな、ぶかぶかでサイズの合ってない、先程まで中史が着ていたものを……まほろが……。……こんなことで、恩でも売ったつもりですか。忌々しいです」
視線を上着の袖の方へ落として、袖口をぷらぷら揺らすまほろは、なんだか顰め面だった。
「なあ、これで聞くの三回目になるが……なんで俺を呼び出したんだ。こんなところに」
いつまで続くか分からないまほろからのエンドレスヘイトに俺の心はもうボロボロ。早く本題早く。
「……言えるわけないじゃないですか」
「は?」
言葉の意味が分からず、思わず頓狂な声を上げてしまうが……
まほろは至って真剣な顔で、俺の目をみつめていた。
「言えるわけないじゃないですか。散々犬をいじめていた猫が、都合のいい時だけにゃーと鳴いても誰も助けないですよ。犬も誰も助けちゃいけないんですよ。そもそも、それじゃ意味ないんですよ」
まほろは決して目を逸らさない。
だからその時、俺はようやくまほろが綺麗な琥珀色の瞳をしていると知った。
「中史は」
その燈火のような宝石のようなまほろの瞳は――
「まほろが今、何を考えているか分かりますか」
――その瞳は何を映している?
「中史は」
――彼女の■■、▲※、――、全部不透明になって俺を通り過ぎていく。
「まほろがこの世界が納得いかないと言って……」
彼女は口をきゅっと結んでしまう。
「…………」
出かけていた言葉のはずだ。それすら俺の前では引っ込んでしまう。まほろは自制してしまう。
俺は何かを言わなければいけなかった。声を掛けなければいけなかった。
「まほろ……お前は、何か、困ってるのか」
こんなあやふやな言葉しか見つからない。心のどこにもこれより具体性を持った感情が見当たらない。それは悲しいことのはずなのに、俺の気持ちは安心から一歩も動かなかった。
「バカですか」
その罵倒は救いかもしれなかった。……マゾヒストではないぞ。
「そんなわけないです。まほろが何を困ると言うんですか」
俺はまほろを理解できない。理解を御魂が受け入れない。
だからこれは結局――『それでも』
「お前は俺を嫌ってるのかもしれない。だが、それでもお前がなにか困っているのなら――俺は」
「どうしてですかっ!」
また、ノイズだ。
「どうして……どうしてあなたは……」
月詠会議の時も、同様の気持ちを体験していた。
時間は絶え間なく過ぎていく。
人が人である限り、過ぎゆく時間を遡ることはできない。理の内側に生きる我々は、去来する刻を見つめることしかできない。
「…………中史をここに呼んだのは、ほんの気まぐれです。もしかしたら、殺してやりたいというのも、冗談じゃなかったかもしれません」
まほろは■■そうに――笑った。
「だから、やっぱり――」
タイムオーバーだ。
俺はそれを実感していた。
まほろは立ち上がり、上着に袖を通してこう言った。
「――……なんでここに来てしまったんですか」
※▲を振り切るように全力で、まほろはこの場から去っていった。頭を垂れていたまほろの表情は暗く、闇の中に溶けて決して見えなかった。ほどなくして彼女の姿も消えてしまった。
その日の彼女の言葉は、月科に帰った後も一抹の心残りとして俺の寝覚めを悪くしていた。――




