十二話 【Page.7】
☾月見里輝夜☽
ゴク、ゴク。
「…………」
ゴク、ゴク。
「……うぅ~、ひたいはい……」
ギブアップ。そこで私は、耐えきれなくなって缶から口を離す。
この世界に来て初めて飲んだ、レモンスカッシュの缶ジュース。あれからも私は、すっかり好きになったこの黒い缶ジュースと何度も格闘していた。
でも、勝てない。
何回チャレンジしても、途中で舌がひりひりして、ぱちぱちして、口を離しちゃう。
え? 何がって……
一気飲み。
炭酸のジュースを一気飲みする、それが今の私の目標。
でも、できない。
どうしよう。
……トキに相談する?
一瞬頭を過ったその考えを、私は一蹴する。
だめ。こういう考えは良くないって、この間自分に言い聞かせたばっかりだから。
……だったら、別の人に。例えば、今、私の横に座る女の子に、訊いてみる。
「空波さん。あなたは、炭酸一気飲みできる?」
「は? 頭おかしいの?」
「ごめんなさい」
なぜか怒っているようだから、謝る。でも、よく分からないのにとりあえず謝るというのは良くない気がする。だから、考える。私が何か悪かった、きっと。
……分からない。
きっと、今までサボってきたから。
この世界に来てから、自分で考えること、自分で決めること、大事なこと、全部、いつもすぐ隣にいた頼りになる人に、任せちゃってたから。
ズルかった時間の分、とりかえさなきゃ。
――そうじゃなきゃ、私は月見里輝夜として、トキの傍にいられない。
「…………はぁぁぁぁぁぁぁ~」
でも、どれだけ一生懸命考えても、空波さんが大きな大きなため息を吐く理由が、私には分からない。
空波るり。
事情はよく分からないけど……一か月前に、私が芦原高校に転入した次の日に転入してきた、転入生。
それで、トキの幼馴染で、昔彼女だった子みたい。でもトキはそれを忘れてる。……忘れてた? 多分もう思い出してると思う。昨日のトキ、ちょっと変だったから。
二人のことはよく分からないけど、とっても仲がいいのは、見てて分かる。
最近、この世界の言葉を勉強してるから、分かる。サンスクリット語が由来となった仏教用語の慣用句で、二人みたいなのを、阿吽の呼吸。もしくは五経の一つからとって、琴瑟相和す仲? これはちょっと違う、かも。
でも、それ以上は分からない。
本人たちに聞いてみたいけど、それはなんとなくダメだと思う。
そもそも私は、なんでか分からないけど、これまでずっと空波さんに無視されてた。
彼女が転入してきた日、話かけた。でも、無視されちゃった。目も合わせてくれなかった。
悲しかったから、次の日も、話しかけてみた。けど、やっぱり何も言ってくれなかった。そして私から逃げるみたいに、トキをどこかに連れ出して、いなくなっちゃう。
ここ最近、一か月くらい、ずっとそうだった。
隙を見て話しかけても、私のことを見てくれない。
トキ以外にはみんなにそうなのかとも思ったけど、違うみたい。幽霊研究部のみんなとは、仲良くしてる。私だけなぜか、無視される。
なんでだろう? 私が異世界人だから? 転入生だから?
あとは……嫉妬? 私はまだよく分からないけど、普通の女の人は、『嫉妬』するものだって知った。それはキリスト教圏においては七つの大罪の一つにも数えられ、日本でも後妻嫉妬なんて言われて神話の時代から受け継がれてきた、人間の根源的な感情。視座を転換してみれば、元はトキの彼女だった空波さんは、そう思うのかもしれない。私に嫉妬、するのかもしれない。
私は、仲良くしたい。トキの友達と……っていうのが、前までの考え方だったけど。今はもっと違う、ちゃんと私が、仲良くなりたい。私はみんなと、そうでありたい。他者の持つそれぞれの小さな世界に触れて、関係してみたい。だって、いつこの夢のような日々が終わるか分からない。今しかないのかもしれない。だから私はそうありたい。さよならだけが人生だ。
「はああぁぁぁぁぁぁぁ~~」
でもやっぱり、なんで溜息つくの? それも私を見て。
あんまり大きな声は出せない。だってここ、新幹線の中だから。
今は新幹線で、トキの実家がある京都に向かってる最中で、私と空波さんは隣同士だから。
でも話さなきゃ。
「あの空波さん」
「はあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~」
やっぱり怖い。
「クソデカ溜息」
なんか言ってる……。
「…………」
と、とりあえず……今は新幹線に乗ってるから! あんまりおしゃべりはしない方がいいと思うわ! また後で機会はあるわ!
☾空波るり☽
……気が重い。
ボクと輝夜は新幹線を降りて、京都駅に着いた。
隣の輝夜をちらと見て、ボクはこめかみを押す。痛い。
トキを輝夜から離して《月鏡》の覚醒を遅らせることは失敗した。
それは別にいい。どうせ時間の問題だったから。あれは元々そういう神器だし。
ボクが輝夜と接点を持ってしまうと、自然とトキと輝夜の二人が一緒にいる時間も多くなってしまう。だからボクは輝夜を無視していた。まるでいない子のように、トキに気づかれないように、ずっと。
でも今は《月鏡》が覚醒して、『中史』が動き出した。中史刻が重い腰を上げて、月詠会議を開いた。
だからもはや、ボクが月見里輝夜を無視する理由はなくなった。
でも、今更どう接すればいいか分からない。
自分でも、結構ひどいことをしたと思ってる。
トキとの関係とか《月鏡》のことは別として、輝夜自身はとてもいい子だ。何度も無視するボクに、めげずに話しかけてくれる。ボクが何度無視しても、怒ったり、恨んだりする気配が全くない。人擦れのしていない……というより、もうそういう性格なんだと思う。
……いや、そんなことはずっと昔から分かってた。月見里輝夜でなかった時から、彼女は彼女だった。それを分かってて無視してた。
「空波さ」
「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁ~~~~~~~~」
「うぅっ……」
まあ、それとは別にクソデカ溜息で威圧して遊んだりするけど。トキに色目使う女に優しくするわけないよね。
「…………」
でも、それなら歩み寄るのはボクじゃないといけない。
「……うん」
それに、こんなうじうじ悩むのはボクの性に合わない。
思い立ったが吉日。トキに告白しようと決めた時も、そうだった。
「よし、輝夜」
駅のホームで立ち止まって、声を掛ける。
「…………え?」
俯いて気まずそうに歩いていた輝夜が、ぱっと顔を上げた。
「スタ〇行くよ」
ボクは堂々と言い放った。
☾月見里輝夜☽
何がどうなってるのか分からないけど、空波さんが話しかけてくれた。初めて。
「ス〇バ……陽キャだけが入れる神域……」
「その顔面偏差値で何に怯えてるの?」
でも、今はそれどころじゃない。
私、とんでもないところに来ちゃったわ。
トキに「あそこは日本国憲法が通用しないから行くなよ」って言われて、気になってネットで調べてみた。だから、この場所についての知識は十分にある。
「ヒトヒトの実を食べた二ホンザルしかいないのよね……?」
「輝夜この一か月間この世界の何を勉強してたの?」
「モデルオオクニヌシ……」
やっぱり、空波さんが反応してくれたわ! これまでは何言っても無視されてたのに!
「空波さん!」
「ルリでいいよ。ボクはずっと心の中で輝夜のこと呼び捨てしてたし」
「分かったわ、ルリ!」
輝夜って呼んだ! 私のこと、輝夜って呼んでくれたわ、ルリ!
「私、ずっとルリと話したかったのよ! よろしく、ルリ!」
「うん、テンション高いね」
「高いわ! だって嬉しいもの!」
「…………」
私はすごく嬉しくて、それをそのまま言葉にしたんだけど……
どうしてか、ルリは少し悲しそうな顔をする。
「……ごめんね」
そして、謝ってくる。
「輝夜がそういう子だって知ってたのに……ボクはずっと、輝夜のこと無視してた」
それは、この一か月間のことについて。
私も、気にしてたこと。
「許してほしいとかじゃなくて、ボクのけじめ。だから独りよがりだけど、謝るよ。ごめん」
気になってたのは、どうして。
なら私はまず、
「なんで、私のことを無視してたの? 理由、教えて?」
「……それは」
ルリは少し、考えるような素振りを見せて。
「ボクの一存じゃ、教えられない。教えたいけど、『中史』の判断を仰がなきゃ。だから……無責任だけど、教えられないかな。ごめんね」
ルリの言葉を、一つ一つ拾っていく。
トキの家、『中史』はちょっと特別。
飛鳥時代、冬時と一緒に藤原京を周った時に、それを一番強く感じた。
多分、『中史』はこの日本という国にとってとても大切な存在。縁の下の力持ち、みたいな。セレスティアでいうところの、王家に対する勇者、みたいな。
だから、それはきっと……ルリ個人の感情とかじゃない。もっと大きな意思。それで私を、無視してた。
だったら――
「よかったわ!」
私は立ち上がって、ルリに微笑む。微笑むというとわざとらしさが出るけど、これは自然なもの。
「……よかった?」
「私、ずっと不安だったのよ。なにか、私がいけないことしたんじゃないかって……でも、違ったのね! すごくすごく、安心したわ!」
だってそれなら、この世界に意味付けされた月見里輝夜という<私>が嫌われてたわけじゃ、ないってことよ! 空波るりが、月見里輝夜を嫌ってたわけじゃないんだわ! この地平にある素朴な私は、なんでもないこの御魂は、まだルリと仲良くなれるわ! それってとっても嬉しいことよ!
「仲良くしましょう! 今日から、友達よ!」
「…………」
ルリはしばらく、私を見てぽかんとしてたけど……
「――変わんないね」
呟いて、立ち上がって……
「……長旅お疲れ様。そしていらっしゃい、月のお姫様」
「えっ――?」
――ぎゅっ。
こっちまで来て、抱きしめられた。
私はカウンター席に座ったままだったから、ちょうどルリの胸に、私の頭が抱き寄せられてる。
トクン、トクン、トクン。
ルリの心臓の鼓動が、優しく耳朶を撫でる。
なんだかとっても、懐かしい音。
そして、優しい匂いがする。故郷の風に包まれるような、胸が締め付けられるような、ぽかぽかした匂い。これは、プルースト効果。ルリの匂いに私は、郷愁を想起してる。それは、そう。正に、失われた時を求めて。
「トキ達のことはちょっと待たせちゃうかもしれないけど、少しお話しようよ」
「……ええ」
無意志のうちに、頷いていた。
「何頼む? さっきの反応からして、輝夜は〇タバ初めてなんだよね」
「うん」
前をいくルリに手を引かれながら、カウンターへ向かう。
そのあとは、ドリンクを飲みながらトキのこととか、この世界のこととか、ちょっとだけルリとお話した。だからちょっとだけルリと仲良くなれた気がした。
私の大切な親友からの寄稿




