八話 幻夢(前編)
部屋に戻り、一息つく。
今日は色々ありすぎた。
式典の場でセイクリッドに表彰されたのが今日の午前のことだと、自分でも忘れていたぐらいだ。
久しぶりに魔力を空になるまで使って御魂も消耗してるし……単純に体力的にも限界だ。
「もうこれ以上、何か起きる事はないだろうな……」
ベッドに横になると……自分でも驚くくらい、すぅっと微睡の世界に落ちていくのが分かる。
月明かりに照らされながら……
異世界に来てから七日目の夜が終わるのを待っていると、俺の意識はそこで途切れた。
………………。
…………。
……。
「……え……キ」
……。
「ね……て」
…………っ。
「起きて、トキ」
……ん?
「……なんだ……もう朝か?」
目を擦りながら、睡眠を取ったにしてははっきりとしない頭を働かせる。
「……あ、起きた? トキ」
視界の中には、俺を覗き込むようにする黒髪美少女の姿。
「……名もなき少女か」
「それが私の名前?」
「いいや」
重い身体を起こす。
「起こしに来てくれたのか?」
「あ……えっと」
どこか晴れない顔の少女だが、そういうことだろう。
さて……今日は午前は王立の図書館でこの世界のことについて勉強しながらこの少女についての手がかりを探り、午後はアカデミアから帰ってきた召喚士さんの特訓に付き合い…………
…………ん?
「……まだ寝ぼけてるのか、俺は……」
思わず、自分の頭を疑いたくなった。
「なんだ……」
つまりはそれほど受け入れ難い形をした現実が、俺の目の前に広がっていた。
「ここは……どこだ」
俺は宿屋の一室に泊まり、そこで眠りについたはずだ。
だというのに……この見知らぬ部屋は。
なにかと風通しの良さ気な、木造の和風建築。
俺の寝ていたのはふかふか布団の敷かれたベッドなどではなく……いや、これもベッドなのか? どちらかというと長椅子のように見える木組みのものだった。
その上から、麻かなにかで編まれたお粗末な布が一枚敷かれているだけだ。硬くて身体が痛いと言ったらない……。
周りにはカーテンのようなものが掛かっているが……
中史の生まれである俺だから分かることだが、これは几帳と呼ばれる……古代日本において、寝具として使われていたものだぞ……!
よくよく辺りを見回してみれば、そこには日本史の資料集に載っているような古い物ばかりが置かれているし――
――嫌な予感が、脳裏をかすめる。
「お前は、何か知ってるのか?」
俺の反応を見ると、少女はフルフルと頭を左右にふり、
「知らないわ。気づいたら、暗くて広い部屋に一人で……近くからトキの御魂の反応があったから、それを頼りにここまで来たんだけど……そう。トキにも分からないのね」
落胆したように俯いた。
どうやら少女にも事情は分からないようだ。とすると、ここは一体――
「悪いが、寝ている時の状況までは把握できな――――ぐぅっ……な……んだっ……⁉」
「ト、トキ……! どうし――――あっ、なに…………これ……!」
がんっ、と鈍器で殴られたような激痛が頭に走った。
思わずその場に伏して、頭を押さえ痛みに耐える。
一体何が起こっているんだ……この頭痛は……しかも、少女も同時に……。
「あぐっ…………はあ……」
「なんだったの……」
痛みが引いていく。と同時に、
「「⁉」」
――夥しい量の情報が、流れ込んでくる。
それは、存在しないはずの記憶。
絶対に間違いであるはずの記憶。
外部から、莫大な時間の記憶が流れ込んでくる。
「……これは」
そして俺は、この記憶によってすべてを理解した。
今、俺の脳内にインプットされた記憶は――俺ではないハズの俺が、この訳の分からない場所で生まれ、育ってきた半生のものだった。
初めて見る、新鮮なはずの数々の光景が、今では妙な懐かしさを伴って脳内に浮かび上がる。
先程までは見知らぬ場所だったこの寝室も、今では住み慣れた家の一室に過ぎないのだと、理解できる。少なくとも、脳はそう理解している。
取り込んだこの記憶が全て正しいんだとしたら……
俺は、17年間生きてきたことになる。
この――今からおよそ1300年も昔の、飛鳥時代の日本で……!
「異世界転移の次は、タイムスリップか……?」
ここは、この時代の都。国の中心地である一角に佇む、中史の屋敷だ。
なぜ、異世界の宿屋で寝ていた俺が、飛鳥時代の屋敷で起きたのかは依然として不明なままだが――
「うぅ……知らない……こんなの、知らないわ……」
おそらくは……俺と同じ現象を体験しているであろう少女が、呻き声をあげる。
俺はすんなりと記憶に順応できたんだが……
少女の方はそうもいかないようで、未だ自身の記憶のズレに苦しんでいる風に見て取れる。
だが、そんな混乱もやがて収まってきて……
「……トキ。この記憶は……なんなの? 私のもの、なの?」
第一声から、そんなことを訊ねてくる。
記憶を失くし、自身の存在証明に追われる少女。
彼女からしたら、この記憶の真偽は最重要事項なんだろう。
俺はその問いに答えるべく、思考を巡らせ――
……ようとしたところで、邪魔が入る。
「おい、冬時。まだ起きないのか?」
襖の奥から、男の声が聞こえてくる。
それは、俺を呼ぶものだ。記憶のインプットされた俺にとっては『時』と同じくらい聞きなれた、この時代の俺の名前、『冬時』。
「今の声、トキのお父さんじゃない……!」
声の主は父さんだった。
この家に住む少女にとっても、父さんの声は聞きなれたものだったんだろう。
「マズイな……こんなところで一緒にいるのを見つかったら、タダじゃ済まないぞ……!」
記憶の整理がついてないので今は断片的にしか理解できないが……少なくとも、この時代の俺と少女は、同じ布団で寝ているのが当たり前というような関係ではない。
だというのに朝から同衾しているところなんかを目撃されれば、あらぬ誤解を受けてしまう。
「冬時ー」
ザー、と襖をあけて父さんが近づいてくる音がする。
その足音はもうすぐそこまで来ている。
「どうしようトキ、見つかっちゃう……!」
少女は慌てたように、俺の服の袖をつかむ――
「もう起きろー…………お?」
部屋に入ってきた父さんが、俺を見て目を丸くする。
その人相は元の時代の父さんと瓜二つだった。
「……ああ、父さん」
「なんだ、もう起きてたのか。返事しろよ」
父さんは、何も聞いてこない。
それもそうだろう。
父さんには今、少女は見えていないのだから。
「ちょっと寝ぼけてたんだよ」
「そうか。もう朝餉は置いてあるから、はやく着替えて来いよ」
とだけ言い残すと、奥の方へ引っ込んでいった。
足音が完全に途絶える。
「……もう大丈夫だな」
俺が虚空に視線をやると、そこから紺碧の粒子が流れ出し、光に包まれた少女が姿を現す。
「……今のは?」
「透明化の魔術《八重霞》だ。咄嗟にお前の姿を消した」
「そんなことも出来るのね?」
「中史だからな」
他人の魔力や御魂に働きかける魔術は、単純な攻撃魔術よりも難易度は高いんだが……
今回は少女が抵抗しないでいてくれたから、すんなり成功したよ。
「中史……。ねえトキ、『中史』って……なんなの? 頭の中に入ってきた記憶の中でも、私、前に聞いてたみたいだけど……その時はフユトキ、答えてくれてなかったわ。すごく偉い一族みたいだけど……」
純粋な疑問、という風に問うてくる少女。
……そうだな。
「その辺のことも含めて、この記憶の情報を整理しよう。状況把握が最優先だろ?」
一章は、あくまで異世界モノです。